風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

価値判断

2008年09月27日 | スピリチュアル
清清しい秋晴れが広がりました。
といっても、朝方窓から見ただけですが。

人はよく誤解をします。
その場の雰囲気が読めなかったり、人の心の痛みが分からなかったりします。
勘違いを元に人を判断することもしょっちゅうなのでしょう。

そこにあるものを、そのまま受け取るというのは、余程心が澄んでいないと無理なようです。
心が澄むというのは、いかなる価値判断もしないということです。
花は美しくいい香りがするから好きで、ミミズは気持ち悪くて嫌いだ、ではそのままを受け取ったことにはなりません。
ミミズはシンプルにミミズの生命を生きているだけです。
花だって、花として咲き誇るだけです。
生きているだけ、存在しているだけ、その「だけ」に色々価値判断したり、好悪を表さずにいられないのが、人間です。

価値判断や好悪の感情を超越するとどうなるのでしょうか。
覚者と呼ばれるような人の言説を参考にしてみますと、すべてがあるがままにあるのが「奇跡」だ、ということでしょうか。
存在すること自体が神の恩寵と映るようです。

人間の計算高い曇った目で見ますと、自分の都合で物事を見ますから、存在に対して好き嫌いをいい、是非を問います。
自分の都合というのを仏教では我執といい、キリスト教では目の中の梁と言うのでしょう。

自分の都合を何よりも優先して考えるのが近代国家の容認する個人の自我です。
自分の都合などを放り投げてしまったら、さて、それほど困ることが起きるでしょうか。
食うために働くのは自分の都合ですが、誰かのため、何かのために働くこともできます。
出世するために勉強するのは自分の都合ですが、魂が真理を希求するのは個人の都合を遥かに超えたものです。
自分が急いでいれば、目の前をのんびり歩く人物が邪魔になります。
自分が出世したければ、能力のある同僚が妬ましくなります。
自分の都合というのは、そういう否定的な感情ばかりを日常に引き起こしていきます。

ある種のイデオロギーに染まった人間の都合は、染まっていない人間の不都合になります。
誰かの好都合は、他の誰かの不都合になることが多いです。

自分の価値判断にあったものを手に入れることを人々は喜びと思います。
価値判断しない人にとっては、この世すべてが喜びです。

まぁ、そんな感じなんだと思います。

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2 コメント

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Unknown (miffy)
2008-09-28 17:39:03
もしかすると2重の米かもですが
(投稿完了したと思いました)

>自分の価値判断にあったものを手に入れることを人々は喜びと思います。
価値判断しない人にとっては、この世すべてが喜びです。

納得です 
この世全てが喜びになるように生きたいです。

で、先祖供養したいような人が現れたのだけど、
共に「これ 忘れてるかもよ」と清算請求もきてます。笑
ちゃんと向き合って終わりなさい ということなんでしょうね。
返信する
miffyさん (torut21)
2008-09-29 19:30:15
あらら、miffyさん(笑)
何だ、こんな請求書くらいとっとと払ってやると思ったら、
後でドカンと大きな請求書が控えていたなんていうのもよくある話ですから、
丁寧に請求書を片付けていってください(笑)
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