風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

手紙

2008年09月26日 | 雑感
そろそろ夕暮れ時の空の景色がダイナミックになる頃なのでしょうが、
どういうわけか最近夕方の空を見る機会がありません。
店の中にいればそりゃ見る機会はないのに決まっていますが、
以前は同じような労働条件でも結構夕暮れ時の空を見ていました。
まぁ、どうということではないです。

今日は張り切って手紙を数通書きました。
百円ショップで万年筆を売っていたのでつい買ってしまい、試しに何か書きたくなったのです。
手紙というのはやはりいいものです。
書き始めると、相手に対するいろいろな思いが湧き起こってきます。
この汚い字に込められたこの想いよ届け、という気になります。

別れた元妻から、ぼく宛の手紙がぎっしり入った箱が送り返されてきました。
未練がましく、手紙を溜め込んでいたものが、そのままそっくり送り返されてきたのです。
車のトランクに入れたままになっています。
どういうわけか、ゴミとして捨てるという気にはなれません。
昔の人がしていたように、焚き火と一緒に焼くという姿が一番正しいように思います。
どんな思いが交わされたにせよ、炎で焼かれるという浄化を必要とする日が来るものです。

ぼくの字は汚くて有名です。
一切なにも考えずに書き始めますから、汚い上に支離が滅裂です。
できれば、絵を書き添えます。
余りにも拙い絵なので、すべてが許されます(笑)

義理で書く手紙が余りにも多くなった反動で、出される年賀状や暑中見舞いの枚数が減ってきていると聞きます。
一度、過剰になった義理の通信を整理して、書きたい人に書きたい手紙を書く、という感じなればいいと思います。
漱石はじめ、昔の人は実にこまめに手紙、葉書をしたためました。
今の電話よりも気軽に文書のやり取りをしていた感じです。
さらさらと挿絵なんかも入れています。
そういう感じになると楽しいですね。


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