風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

あけましておめでとうございます

2006年01月06日 | スピリチュアル
新年明けましておめでとうございます。
日本も人口が減少に転じ、エネルギー問題も出口が見えないまま、新しい年を迎えました。
拡大成長を強いる資本の論理と、環境問題と、倫理観の喪失と、問題はごちゃごちゃに絡み合って、
世相をますます暗く、閉塞させていくことが予感されます。

こんななかで、社会のありようをいたずらに嘆くだけではなく、
一人一人が光源となって社会の一隅を照らし出すような、そんな一人一人のあり方を探り当てなければならないと、
年頭に当たって改めて思ったりするわけです。

現代社会の制度疲労はちょっと手がつけられないくらいにその病的症状が進んでしまったと思われます。
かつての社会主義的活動で打破できる状況だとは思われません。
社会の改変を待ち望む間にも、社会の病的な症状はいろいろな形となって新聞紙面をセンセーショナルに賑わすことでしょう。
子供による殺人、親による殺人、動機なき殺人、あらゆる組織に内在する無責任体質、増大するであろう貧困と拝金との軋轢、
上げていけばキリがありません。

世相から目を背けるわけには行きませんが、世相に振り回されてもいけません。
自らを自らの手で救うことによって、自らの周りの人々に笑顔を与える。
そんなことができたならと思うばかりです。

他者の善意や良心を頼るよりも、自らの善意や信念を本物に鍛え上げていく。
そんな感じでしょうか。
その過程で、独善や傲慢が生まれるのなら、世の人から大馬鹿野郎と罵られる必要がありますが。

というわけで、昨夜四国から帰ってきました。
仕事の打ち合わせは何事も問題なく終了し、早速、仕事先の近所にある札所めぐりをしました。
75番善通寺、87番長尾寺、88番大窪寺と回りました。
時折雪がちらつく空模様でしたが、なかなか楽しい経験でした。
讃岐うどんも二杯食べました。
一杯はかけで、もう一杯は生醤油を掛けて。

そういえば、元日午後から神社めぐりをしたのですが、今年は参拝客が多いですよね。
ある神社では長蛇の列が出来ていて、並んでいる人たちも口々に人の多さに驚いていました。

こんな時は、どんどん神社でも寺でも教会でも行ったらいいと思います。
ないかヒントでももらえれば幸いです。

そういえば(←シツコイ)、大晦日深夜、知人と年越しの教会ミサに出たのですが、本格的なカトリック教会で、
説教の合間合間にパイプオルガンが流れ、賛美歌が歌われ、神父さんの短いフレーズに、信者さんたちが歌で応えるという風に、
終始、メロディアスに進行する儀式でした。
神父さんに使える三人の少年がいたのですが、みな小学生低学年くらいで、その一生懸命な姿が微笑ましかったです。
それから、信者さんたちの歌声が、揃いも揃ってとても澄んでいて、心地が良かったです。

神父さんがローマ法の年頭の言葉として紹介されたのは、
今の風潮として警戒すべきは、虚無主義と原理主義だということでした。
これは非常に頷ける話です。
簡単に言うと、虚無主義というのは信じるものなどないという立場で、原理主義というのは信じるものが絶対だという立場です。
信じるものなんかないというのも、信じるものが絶対だというのも、人間の頭が陥りやすい罠ですね。
ここで、般若心経の出番があると思うんですが、そこはカトリックの教会でした(笑)

まぁ、とにかく、どんな宗教でも、宗教というのは偏見さえなくせば、いろいろ学ぶことが多いです。
今年もたっぷりと宗教がかった生活を通じて、道を切り開いていきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿