TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その105の2 『源氏山公園、銭洗い弁天』

2010年12月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
ちょっとしたハイキングコースを抜けると、葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)前の広場に出ます。
ここは、ちょっと疲れた人たちの休憩場所になっているようです。
葛原岡神社は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。
写真は園神社の石門です。



トッポパパも、もちろんちょっと休憩です。
この程度のハイキングコースで疲れるとは、ちょっと情けないのですが入院前なので、休憩です。



日野俊基は鎌倉由比ヶ浜の総鎮守として、また『建武の中興』への道を開かれたことから『開運の神様』、また文章博士として優れた能力発揮されたことから『学問の神様』として篤く崇敬されています。
石門の右に、『魔去る石』という石があります。
『魔が去る』が転じて『勝(まさる)』ということで、幸せを勝ち取る石とされ、魔が去るように願いを込め、盃をこの石にあてて割り、幸せを勝ち取ってくださいと説明されています。



トッポ、『休憩終わり、行くよ!』



途中紅葉のきれいな場所がいくつかあります。



この日は心地よい天気で、結構ハイキングコースから歩いてくる人が多かったです。



源氏山に到着しました。
源氏山という小さな山全体が公園として整備されています。
源氏山の名は、頼朝の祖先にあたる源(八幡太郎)義家が後三年の役で奥州に向かう際、源氏の象徴である白旗を立て、勝利を祈願したことに由来します。



源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから、『源氏山』とか『旗立山』といわれるようになったそうです。
源頼朝像の周囲は大小の広場になって家、桜の名所にもなっています



鎌倉には鎌倉七口と呼ばれる、鎌倉時代から続く古道があります。
鎌倉時代の防衛上の意味もあり、狭く切り立っているのが特徴です。
鎌倉では鎌倉七口のことを『切通し』と呼んでいます。
鎌倉七口の一つである、北鎌倉から鎌倉への散歩に最適な化粧坂切通しを通り、源氏山公園まで行くこともできます。
この周辺は季節の花を楽しむことができる静かな公園です。



続く.....................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その105の1 『源氏山公園、銭洗い弁天』

2010年12月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパの入院の数日前に、しばらく身体を動かさなくなるので、鎌倉へ紅葉とウォーキングを兼ねて、トッポとハイキングです。

トッポ、『普通、入院前はおとなしくしてるんじゃないの!
トッポパパ、『寝てたって病気が治るわけじゃない!
トッポ、『そういや、そうだけど



北鎌倉駅から、昔子供たちを連れてハイキングをした源氏山公園を目指します。
トッポ、『あまり急ぐと、バテても知らないよ!』



途中で見かけた、お店の前に飾られていたワんちゃんたちです。
どれも可愛い顔なので、道行く人が足を止めて見入っていました。



以前に訪問した浄智寺のわき道に沿って、ハイキングコースに入ります。



浄智寺の境内を臨むこの場所のススキがいいアクセントになります。



これから、ちょっときつい道が続きます。



トッポと一緒に上ったり下りたりの山道が続きます。



トッポも13歳のわりには、まだまだ元気に歩けるようです。



やはり、先に音をあげたのはトッポパパでした。
トッポパパ、『ちょっと、休憩!』
トッポ、『どうぞどうぞ! 写真なんか撮っているときじゃないけど』
てな調子で汗かきながら源氏山へ向かいます。



続く............................................................................。

海外の都市の紹介、 その85の6 『グアム』

2010年12月05日 | 海外の都市の紹介
グアム最後のアップが残っていました。



タロフォフォの滝リゾートパークの一部のようですが、あまり面白いところではなさそうです。



ここもきれいな景色です。



小さい時には憶病な娘だと思っていましたが、変わるものです。



トッポパパはどうも高いところは苦手なので、こういうところは上りたくありませんね。



太平洋戦争時代の名残りの砲台です。



グアム南東部のタロフォフォ村にある『横井ケーブ』があります。
太平洋戦争時代から約28年もの間、横井庄一さんが潜伏生活を送っていたとされる洞穴の一つを再現したものです。
この地の洞穴には15年住んでいたそうです。



戦後、横井さんはジャングルや自ら作った洞穴などで生活し、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に現地の猟師に発見され、同年2月に日本に帰還しました。



帰国時の記者会見では、ジャングルの中に深さ3mもある横穴式住居を作り、木の実や魚を食べ生きながらえてきたと語ったそうです。



それでは、グアムより

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』  その11

2010年12月04日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
ドレンチューブが外された週末、会社の仲間が大勢お見舞いに来てくれました。
実は27日がトッポパパの誕生日でしたので、皆でお祝いに来てくれたのです。
気のおけない仲間ですので、ぜんぜん病人らしくないと文句を言われました。



病院でこのケーキを食べていいのか悩むところですが、勘弁してくれるでしょう。
いままで、年齢のことは一度もオープンにはしていなかったのですが、これではどうにもなりませんね。(笑)



記念撮影です。



手術成功を祝して、Vサインのほうがいいということで撮り直しです。



トッポパパの病気は首から下はいたって健康なので、正直言って病院食にはお腹がペコペコ状態でした。
これには訳があり、後で気がついたことですが、家族の話では、入院時の説明で術後は半粥が出されますので、普通のご飯を希望する場合は要求してくださいと言われていたようです。



すっかり聞き流していたトッポパパは、その旨を伝えていなかったので、半粥希望と解釈されたようで、手術の翌日から5回も続けて半粥ばかりでした。
内臓の病気でもないのに、半粥ばかりでは体力が持たないとドクターに文句を言って初めて分かったことでした。
ですから仲間が持ってきたお寿司は、実に美味かったです。



退院の日、足腰の感触を確かめたくて、国立競技場周辺を歩いてから帰ることにしました。



歩くということは大切ですね。
寝てばかりいると身体がなまってしまい、歩きはじめはギクシャクする感じでした。
今回の病気にも、皆さんの応援のおかげで無事生還できたようです。
来週には、良性という最終結果が出ると信じています。



銀杏並木の前で、退院記念の記念写真をママが撮ってくれました。
振り返れば、友人にPET検査を勧められ、その結果動脈瘤の疑い、耳下腺腫瘍の発見になりました。
動脈瘤は精密検査の結果異常なしということになり、耳下腺腫瘍も早期発見ということで悪性にならないうちに、また顔面神経を損なうことなく手術を終えることができました。
いろいろな方にご迷惑をおかけしましたが、トッポパパはまだまだ頑張れそうですので、今後ともトッポともども宜しくお願いします



後日、良性だったと報告できることを信じて手術の報告とします。

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』  その10

2010年12月03日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
全身麻酔での大きな手術はこれで2度目ですが、大きな手術と言っても、患者にとっては、意識がなくなると、すぐに『○○さーん、終わりましたよー、分かりますか?』って、感じの時間経過です。
今回も午後1時ごろ手術室に入り、5時半ごろ部屋に戻ったので手術時間は3-4時間だったのでしょう。
麻酔が効いている間は夢でも見るのかと思いましたが、完全にその時間は喪失してしまうようです。

部屋に運ばれた直後の状態です。
この写真を見せられて、初めて脚はこんな状態だったのかと分かりました。
これは血流を確保するため、ポンプのような感じで左右の足を圧迫して血流を確保するようです。

手術室で名前を呼ばれて覚醒した直後、『分かりますか? 目は開け閉じできますか? 口は動きますか?』の連呼に、朦朧としながら『ハイ、ハイ!』答えていたような気がします。



酸素マスクをさせられ、入れ替わりドクターが来ては『おでこに皺を寄せてくだい!(まだおでこに皺なんかないぞ!)、口をイーっとしてください、頬を膨らませられますか?』などと、顔面神経の動きを一生懸命チェックしているようです。
いろいろなドクターが来るたびに同じ質問をするので、朦朧とする意識の中で、顔面神経を切ってしまったのかな?とちょっと不安を感じました。

術後の家族への説明で、『手術は成功です。 顔面神経にダメージを与えず腫瘍の摘出ができた。』との説明があったので、その話を聞いてやっと安心しました。
摘出した腫瘍を見たかったのですが、トッポパパには見る機会がないうちに検査に回されたようです。
ママの話では、胡桃のような感じか、栗の甘皮煮(どんなのかは知りませんが)のようなものだと説明されましたが、摘出された腫瘍を見て食べ物を想像するとは、ママも気丈というか、豪快な性格ですね。



後でこの写真を見るまでは気がつきませんでしたが、最初の印象は思ったより切開されたんだ!と思いました。
頸椎の手術の時は、内部だけは溶ける糸で縫合し、外側はテープで止めただけでしたが、今回は結構縫われたようです。
顔や顎周辺は、よく動くところなので、こういう縫合になるのでしょう。
昔は切開手術と聞くと、包帯でグルグル巻きを想像したものですが、最近は透明テープで固定されるの主流なのでしょう。
テープはシースルーなのでちょっとグロいですけど、ご容赦ください。



酸素マスク、血抜きドレンチューブ、点滴、導尿管チューブ、左右の足のポンプとまるでサイボーグみたいです。
その後、半分ウトウトしながら数時間経過すると、徐々に感覚が戻ってきました。
術後5時間ぐらいで、ドクターが酸素マスクを外しにかかり、その後、脚のポンプも取り除かれました。

看護師さんに、『導尿管はどうしますか? トイレに行かなくてよいので、明日の朝までこのままにしましょうね』言われ、『いや、気持ち悪いから取ってください』と懇願する。
この導尿管の違和感がトッポパパは大嫌いで、できればすぐにでも外して欲しい感じでした。
OPLLの手術後の経験で知ったことですが、たぶん導尿管を挿入するときに尿路?が傷つけられるのか、外すと一時的に重度の尿道炎(中近東で長期間脱水状態が続き、帰国後尿道炎に罹った)に罹ったような痛みと、急激な尿意を感じます。
前回は、看護師さんと『出そうなんですけど!』、『出ませんよ!』、『ほんとに出そうなんです!』、『出してもいいですよ!』のやりとりがあり、結局何も出なかったことを思い出しました。

ところが、今回もそうだろうと思ったのが、大きな間違いでした。
今回は痛みさえ我慢すれば大丈夫だと思っていましたが、外した瞬間から我慢の限界で、看護師さんの、『急に起き上がっちゃだめですよ! 急いじゃダメですよ!』の制止も聞かず、ドレンチューブと点滴を引きずりながら、トイレへ駆け込みました。

ドレントチューブと点滴持参では、緊急対応!が遅く、トッポパパ初めての、少々ですが ”おもらし”経験です。
傷の痛みより、こちらの方が情けなく、子供のように項垂れて『すいません! 着替えます。』でした。
恥ずかしいやら、情けないやらですが、まだ下を向ける状態ではないので、子供のように後ろ向きで着替えをさせてもらいました。(看護師さん、お世話になりました。)



夕方、部屋の窓から撮った夜景です。

前回の手術で、トッポパパは痛みに強いと思ってましたが、ドクターに痛みに鈍い人もいますと言われて憮然としたことがありました。
今回は前回と違い翌日から痛みが強くなりました。
痛み止めは服用していなかったのですが、そんなに頑張らないで痛い時はは薬を飲んでくださいと看護師さんに言われ、服用するようにしました。
看護師さん曰く、2-3日目に入ると人間の体は、切開部の修復作業を始めるので、人により発熱や痛みが伴うことがあるそうです。
傷の修復のための痛みなら、大歓迎と気にならなくなりました。



4日目に待望のドレンチューブが外されました。 引き出すときに、ちょっと気持ちが悪かったですが、首からぶら下がっているのが外されると、急に身体が軽くなったような気がします。



看護師さんに、夕焼けの富士山が観えますよと言われt、ママのカメラで撮りました。
また、シャワーも解禁になり、やっと頭を洗うことができ、サッパリしました。



写真では、すっきりした傷跡ですが、やはり右半分は腫れが続いています。
ドクターの話では、この腫れが完全に引くにはあと数週間かかるそうで、さらに傷口が柔らかくなるには数カ月かかるとのことです。
えー、そんなにかかるの!と、思いましたが、これはしょうがないのでしょう。
ドクターにも、腫れが引けば日常生活に制限はありませんと言われたので、ゴルフの練習も近々再開できそうです。



退院直前のテープ張り状態です。
実際にはこの上から、肌色のテープで保護するようです。
暫くは直射日光を当てると、傷がケロイド状になる場合もあるので、テープでの保護を進められました。



次回は病院でのトッポパパの誕生日と退院の様子をアップします。

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』  その9

2010年12月02日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
だいぶ手術創の痛みもやわらいできています。
手術創の腫れがひけば、普通の日常生活が送れるようになると思います。

入退、手術、そして退院までの様子をアップいたします。
22日早朝、短期の海外出張用のバックにいろいろ詰め込んで、大学病院到着です。
海外出張用のバックが、こんなところで役に立つとは思いもつかなかったですね。



入院、通院時にかならず寄る病院敷地内のスターバックスで、軽い食事を取るのが習慣?になりました。
この習慣ばかりは継続したくはないのですが、これで娑婆の食事とも暫くお別れです。



今回は新館の新病棟でしたので、気持ち前回の旧館より部屋が明るい感じです。
まず、看護師さんから入院生活に関する説明を受けましたが、昨年も入院したのことがあるのがデータで分かっているので、トッポパパも聞き流す感じで極めて簡単でした。
看護師さんの中には、以前整形外科病棟にいた人もいたので、OPLL手術後の経過を知り、よかったですねと言われました。
大きな病院でも、看護師さんは職場?が移動するようです。



部屋の窓から見える景色です。
東京には緑が少ないといいますが、神宮外苑周辺はまだまだ多気な森が残され、いまは紅葉も進みとても素敵な眺めです。

すでにほとんどの事前検査は終了しているので、入院初日は簡単な検査と執刀医からの手術内容の説明です。
入院にかかわる同意書、インフルエンザなどの感染予防についての同意書、入院中の安全確保の同意書、麻酔に関する同意書など、たくさんの書類にサインをさせられました。

その後、別室でドクターによる、手術に関する説明がありました。
最初に以前注射器のようなもので腫瘍の一部を吸い取り?、摘出した腫瘍の一部の細胞診の結果説明です。
結果報告書を見ながら説明され、結果はⅠに丸がついていました。
Ⅰは良性で、Ⅲが良性か悪性化の分岐点のようで、Ⅴになると悪性の癌と判断されるようです。
ドクターの話では、細胞新の結果は良性のようですので、97%良性だろうと思いますと言われました。
一般に言われる耳下腺腫瘍の80%の良性確立が97%になったので喜んでいいのでしょうが、でも残り3%は?と心配になりますけどね。
ドクターの話では、注射器で採取した腫瘍の部位以外のところが悪性でないとは断定できないので、97%ということになるようです。
確かに、患者さんにとっては一度良性だったと言われたのに、後で悪性でしたということになると、クレームがつく場合もあるのでしょう。
最終結果は術後2週間後になるとのことで、退院後の通院時に話があるようです。
最近は医療クレームの問題が話題にもなっていて、お医者さんも大変なのでしょう。
でもこれはトッポパパの仕事でも同じことが言えるので、メモしておきます。



手術内容の説明は、『耳下腺腫瘍摘出手術の一般手術方法である、耳下部前方より耳たぶに沿ってメスを入れ、顎の後方に沿って下顎、首近くまで(約20cmでした)切開する。
手術の順序は耳下腺の外側で顔面神経を確認し、枝分かれする神経を追跡しながら、神経を傷つけないように、正常な耳下腺を少しつけるように腫瘍を摘出する。
切除後に空いたスペースに血液がたまると治癒が遅れるので、ドレーン(血抜き管)留置する。 2-4日後にドレーンを抜去し、4-5日後に抜糸する。』でした。

ドクターの話では傷後は残るが、日がたてば皺のような感じになるということです。
トッポパパにとっては、皺など気にする年齢でもないので気にすることでもないようです。



23日は休日のため、海外のお客さんと簡単な打ち合わせでした。
お見舞いをかねての病院での打ち合わせはトッポパパも初めての経験です。
いろいろ、皆さんに気を遣っていただき、ありがたいことです。

24日、早朝より点滴開始です。
23日の夕飯後は何も食べていないのと、この日は水も飲めないので腹がペコペコです。
こんなときでも、腹が減るというのは健康な証拠でしょう。



合併症、後遺症については、『術中操作で顔面神経にダメージを与えてしまうことがあります。 その結果、まばたき、口の動きなどが悪くなる場合がある。 腫瘍が顔面神経より深い場合一時的に麻痺が起きる可能性が高く、また悪性の場合は、神経を巻き込んでいることがあり神経を切断することがある。』との説明でした。
悪性だと、顔面麻痺にかかる可能性が高そうですが、トッポパパの場合は97%大丈夫なのだと自分に言い聞かせました。

ただトッポパパの手術をする場合、大耳介神経を切断しなければならないので、耳たぶの感覚が麻痺するそうですが、ドクター曰く、女性のようにピアスをしないのであれば、日常生活には問題ないでしょうとのことです。
何かの本で読みましたが、熱いものに触った時耳たぶに指を持っていきますが、これは耳たぶと鼻が体温が一番低いからのようです。
術後は、熱い時は鼻をつまむようにします。(笑)

あとは、Frey(フライ症候群)に罹る場合が30%近くあるそうです。
これは唾液に関係する神経線維が、手術部位の皮下にある観戦につながって治癒する場合があり、この場合、術後しばらくしてから、食事中に耳下部に発汗することがあるそうです。

お見舞いに来てくれた親しい友人が、お蕎麦を食べても鼻の下に汗をかく人なので、昔手術したことがあるのかと聞いて叱られました。 (冗談で聞いたんですけど)

そのほか、手術の際の一般的リスクの説明もありましたが、OPLLの手術経験があるトッポパパには、どれもたいした問題じゃない、早く切り取ってくれという感じです。

ではいざ、出陣です。



点滴袋をぶら下げながら手術室へ向かいます。
途中、ドクターが当病院では習熟した専門医のみ執刀しますので心配いりませんとの説明の後、トッポパパが、ところで『誰が執刀してくれるのですか?』、『私です。』の会話を思い出しました。
実際に、とても腕の良いドクターのようでした。

窓から東京都庁のビルが奇麗に観えました。
ママに写真を撮っておいてくれと依頼するほど、まだ余裕があるようです。



看護師さんが、お別れの挨拶はいいですかと聞かれて、『.....??』、なんでお別れなんだ、すぐ戻ってくる!と思いながら、手術室に向かいました。
手術室に入るとすぐにストレッチャーに横になり、テレビで良く見る『イチ。ニー、サン』で手術台へ、すぐに体中にいろいろなものが、あっという間に取り付けられました。
全身麻酔と聞かされていたので、一番苦手の同尿管?がつけられるのは覚悟していましたが、まだ麻酔が効かないうちに『下着を脱がしまーす。』の声が聞こえ、『意識がなくなってから、やってくれよ!』と思っているうちに、急に意識がなくなりました。



次回はちょっとグロテスクな写真も入りますが、トッポパパも他の人の闘病記を観ながら、実際どうなるのかと興味津津でしたので、掲載することにします。

続く.........................................................................。

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』  その8

2010年12月01日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
ブログを通じて、たくさんの励ましをいただき、本当にありがとうございました。
トッポパパ、無事退院してきました。

耳下腺腫瘍の摘出手術を24日に受け、本日予定より1日早く無事退院することができました。
ブログのほかにも、国内外の皆様よりたくさんのご心配、そして激励をいただき、この場を借りて心よりお礼申し上げます。

トッポパパ、『無事、帰ってきたぞ!』
トッポ、『お帰り! 顔、動く?』

摘出した腫瘍の最終検査結果はもうしばらくかかるそうですが、ドクターの話では顔面神経を巻き込んでの癒着?もなく、細胞診の結果と手術内容から判断して、97%良性でしょうとのお話をいただきました。

術後経過も今のところ順調です。
後遺症も今のところ神経質に自覚するものはなく、右耳たぶ周辺の知覚神経切断は手術の切開場所の確保のため避けることはできないとのことで、この部位のみ知覚が無くなるようですが、これは術前に説明されていたことなので許容範囲の後遺症です。



最初から生々しい画像は見苦しいと思うので遠慮しました。
右耳に沿って前方より、S字を書くように、顎下にかけて20cmほど切開しましたので、その部分の傷の腫れや、一部切断された末梢神経?の再生に時間がかかるので、右頬に多少の違和感は残っていますが、これも数週間で徐々に改善するようです。
とりあえず、無事退院の報告をさせていただきます。

ほんとに、数万人に一人の確率の原因不明(ドクターの話です)の病気に2年続けて罹り、手術を受けましたが、どうやら今回もなんとか手術のリスクの回避は無事クリアーできそうです。
約10日ほど味の薄い病院食とほぼ寝たきり状態でしたので、若干疲れたような顔ですが元気ですのでご心配無用です。
若干の変形顔は、もともとですのでご容赦ください。(笑)



職場復帰には、体力回復のための身体慣らしと、手術創の腫れが引く時間が必要のようで、もうしばらく自宅でリハビリする予定です。
首から下はいたって健康体ですので、すぐ元の体力に戻るでしょう。

トッポ、『ママも看病疲れのようだから、よろしくね。』
トッポパパ、『そうだね、なにかプレゼントしないといけないね。』

今回も感じたことですが、結構馴染みのない病気に罹ったときの患者の不安を取り除いてくれたネットを通じての病気に関係する医療機関の情報、そして罹患者の闘病記など、昔には考えられない情報社会に感謝です。
インターネットの功罪が時に論議の対象になりますが、こと病気に関しては病状の判断が比較的早くできとても助かりました。
すこしでも、同病でお悩みの人たちの参考にしていただければと、トッポパパもその経過を次回より少しずつ報告いたします。

とりあえずは、トッポパパ無事退院の報告です。
皆様からの心温まる激励のおかげです、ありがとうございました。