TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと横浜ぶらぶら歩き、 その9  『掃部山公園』

2006年07月07日 | トッポの世界
1914年、井伊家が所有していた掃部山の園地は横浜市に寄付されました。
井伊大老は、当時国難を憂い、独自の政治決断を行いましたが、憂国の思いを理解できに反対派に暗殺されました。



確かに井伊直弼は、明治維新においては最大の悪役として書かれてもいますが、彦根藩主としても名君であった彼が、私利私欲のための開国の決断ではなかったはずです。
時代は井伊直弼の死後、日本の夜明けとして展開したのです。



子供の頃は、この掃部山公園から横浜の港が見下ろせた記憶があります。
現在は、大きな木が茂り港の代わり、MM21のシンボルである高層ビルが見えるのみです。



公園内の庭園を散策している時に、見つけた石碑です。



トッポと一緒に記念撮影です。
春は桜の名所として、夏には茶の通人であった大老井伊直弼にあやかった茶会(虫の音を聞く会)が催され、多くの人々に親しまれています。



掃部山は、江戸時代には「不動山」と呼ばれ、明治に入ってからは「鉄道山」と呼ばれていたそうです。
鉄道建設のとき、この地が事業の拠点になっていたようです。
現在山手の外国人墓地に眠るエドモンド・モレルをはじめ、鉄道建設のため来日した外国人技師の官舎がここにあったようです。
1884年に、旧彦根藩士の有志が、元藩主の井伊直弼の記念碑建設を計画して、この山を井伊家の所有にして、その後横浜市に寄付されたのです。



子供の頃、駆け回っていた園内の小道も、すっかり綺麗に整備されています。



園内の植木は、当時と変わらないようです。
確か、この近くに子供の頃遊んだ池があるはずです。



池の周りが今どうなっているのか、次回に紹介します。

続く................................。