昨夜のブログ、冒頭の写真のレコード「ミリオン・ダラー・セッション」は、サン・レコードのスタジオに集まった、エルビス・プレスリー、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、四人のジャム・セッションだ。1956年12月4日火曜日のことだ。
カール・パーキンスは、「ブルー・スエード・シューズ」の作者で、最初にサン・レコードでこのシングルを発売して南部でヒットさせた。1956年1月のことだ。そのあと8月、エルビス・プレスリーが、RCA・レコードからカバーのバージョンを発売して、全米で大ヒットになった。
サン・レコードは、ラジオのDJだったサム・フィリップスが、1950年、テネシー州メンフィスにつくったローカルのレコードメーカーだ。サム・フィリップスがみいだして売り出した最大のロック・スターが、エルビス・プレスリーだった。1954年ことだ。
サン・レコードで5枚のシングルを発売して、プレスリーは、55 年11月、大手のRCAレコードと契約した。サム・フィリップスには、RCAが3万5千ドルの移籍金を提示した、といわれているから、当時では大金だ。
プレスリー、カール・パーキンス、「火の玉ロック」のジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、ロイ・オービソンなど、白人のロッカー、カントリー&ウエスタンのミュージシャンだけでじゃなく、サム・フィリップスは、黒人のブルース、R&Bのミュージシャンも発掘してサン・レコードから発売している。アイク&ティナ・ターナーのアイク・ターナー、ジェームス・コットン、ルーファス・トーマス、リトル・ミルトン、そして、B.B.キングとハウリン・ウルフだ。黒人のレーベル、チェスのまえに、白人のプロデューサー、サム・フィリップスが、若いハウリン・ウルフを録音している。
サム・フィリップスは、テープをつかったエコーを好んでつかったが、オーバー・ダビングとか、ボーカルとインストルメンタルの別録音を嫌っていたようだ。ボーカルとバンドといっしょに録音する、いわゆる、一発どりだ。(レス・ポールがすでに多重録音をやっていたわけだから、サム・フィリップスが知らないテクニックではないはずだ。スタジオのなかでも、よりライブっぽい生々しさが好きだったのだろうか。ミュージシャンの演奏にはあまり介入しないで自由にやらせる、というプロデューサーだったようだ)。エルビス・プレスリーは、RCAに移っても、20年以上、1977年、42才で亡くなるまで、700曲を超える曲の録音で、そのサン・レコードの、一発取りのレコーディング方式を変えなかったという。
(伝説だが、日本では、石原裕次郎が、レコーディングは、オーケストラといっしょに取る一発どりで、それも、テイク1 しかやらなかった、といわれている。ビールを飲みながら、一回歌って、お疲れ! と帰る。石原裕次郎だから成立する伝説だろう。エルビス・プレスリーはテイク1 ということはないようだ。生真面目なひとだから、納得いくまでなんども歌う、というはなしはある)。
ロック・バンドの楽器編成、ギター、ベース、ドラム、ボーカル&リズムギターという、いまではあたりまえの形は、サム・フィリップスが、エリビス・プレスリーのためにつくったバンドが最初だろう。これは、ごく経済的な、金銭的な問題からうまれたシンプルな編成だったにちがいない。それまでのロカビリーの編成は、ファッツ・ドミノやリトル・リチャードのバンドをみるとわかるように、ジャズのビッグバンドにちかい。つまり、大きなボールルームのダンス・パーティーのためのバンド、ダンスバンドから発展している。
PAもまともにない時代、体育館のような大きなホールで、たくさんの観衆を踊らせるために演奏する。音量的には楽器の数で勝負するしかない。だから、金管中心の大編成になる。トランペット、サックス群が中心で、ピアノが大きな役割を担う。ドラムス、ウッドベース、ギターは、リズムセクションだ。これが白人バンドも黒人バンドも、ダンス・バンドの編成だった。初期の黒人ロッカーも、この編成を踏襲した。
サム・フィリップスは、この人件費のかかるバンドを使えなかったのか、シンプルな編成にした。それまでのハンク・ウイリアムスなどカントリー&ウエスタン・バンドの編成から、フィドルとスチールギターをはずして、リードギターとドラムスとベースだけにした。黒人のブルースバンドの形に近い。コストのこともあるが、このシンプルな編成だと、管楽器の大きな音がない分、エルビス・プレスリーのボーカルを前面にだすことができる。客を、踊るということより、プレスリーのパフォーマンスに集中させることができる。
そうして、サム・フィリップスが選んだバックのメンバーがすばらしかった。サム・フィリップスの意図を明確に理解していた。バックバンドとはなんであるか、知っていた。エルビス・プレスリーをかっこよくみせる演奏に徹底していた。ギターがスッコティー・ムーア、ベースはビル・ブラック、ドラムスがD.J.フォンタナだ。エルビスが、サンからRCAに移っても、この3人がバンクについた。ロックンロールの名手、名職人たちだ。
エルビス・プレスリー Heartbreak Hotel http://www.youtube.com/watch?v=_1Qo1eaWF8c
ハウリン・ウルフ Shake It For Me http://www.youtube.com/watch?v=ux6N00CwudA&feature=related
ハウリン・ウルフ How Many More Years http://www.youtube.com/watch?v=4Ou-6A3MKow&feature=related
ハウリン・ウルフ Spoonful http://www.youtube.com/watch?v=6TwEYuues6Y&feature=related
サン・スタジオcom. http://www.sunstudio.com/home-alt/
小名木川 荒川から隅田川まで江戸時代に掘った運河。行徳の塩田から江戸城まで塩を運ぶために作られた。この川を下って、松尾芭蕉も旅立っていった。
公園の鴨 飼ってるわけじゃない。野性だ。しかし、人が近づいても逃げない。寄ってくる。公園のハト化してる。
中川昭一さんの醜態は、残念なことだ。(酒での失敗が、人生のすべての、大酒飲みのわたしとしては、同情以上のシンパーを感じるが)。今夜、首相が続投、留任を指示しても、あすから野党の攻撃にさらされる。すでにマスコミの餌食にもなっている。
辞任するのがいいだろう。首相を守るより、じぶんを守ることだ。麻生に忠誠をつくして、ズタボロになることもないだろう。まれにみる高潔の政治家で、冷静な国家意識をもっている人、国粋、愛国の人のようだ。内閣からはなれ、利権の政治権力の闘争とは違う、真の保守党をつくる研究をしてみてはどうだろう。評論家の櫻井よしこさんと、中川昭一さんの意見は、けっこうわたしが同感できることが多い。もちろん、帯広が選挙区という親近感は大きい。(むかし、ラーメン屋の北京亭で、なんどか隣りになったこともあるような気もする)。