Ommo's

古い曲が気になる

お菊さん、マダム・バラフライ、蝶々さん

2011-11-02 | 日記・エッセイ・コラム

                      

 最近の、日本のテレビのドラマは、あまりみない。偶然みたNHKの『ビター・シュガー』が、おもしろ、おかしい。そのとき、宮崎あおい主演の、『蝶々さん』というドラマの番宣をみた。今週の土曜と来週の2回という。これは、ちょっとたのしみだ。

 蝶々さんとは、もちろんマダム・バラフライのことだろう。プッチーニのオペラだ。

 もちろん、蝶々さんは実在の女性ではない。モデルらしい人をさがそうとしているようだが、特定するのは無理なようだ。

 江戸末期から明治、外人が日本で勤務する期間、契約して愛人になって、家を持ち、下男・女中たちを雇い、高給をとって、親・兄弟・親戚を養う、という日本女性はたくさんいたのだ。(日本の男たちは、敗北感か、ナイーブにも、彼女たちを、洋妾(ようしょう)=ラシャメンと軽蔑的にいったが……)

 

       

 オペラ『蝶々夫人』は、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイでヒットした演劇が元だが、このドラマは、アメリカ人の書いた小説が元だ。また、このアメリカ人の小説には、フランス人が書いた小説が元にある。

 小説『お菊さん』(1887年)→小説『蝶々夫人』(1898年)→戯曲『蝶々夫人』(1900年)→オペラ『蝶々夫人』(1904年)→ミュージカル『ミス・サイゴン』(1989年)

 こんな流れだろうか?

 

  

Loti2

 フランスの作家、ピエール・ロティ。本業は、フランス軍の軍人だ。1885年、日本に赴任して長崎領事館に勤務した。そのとき、芸者と赴任期間の愛人契約をした。そのことをフィクションにした。『お菊さん』だ。

 それから十年後だろうか、1898年、アメリカのジャン・ルーサー・ロングが小説『マダム・バラフライ』を書く。ロングは、日本に来たことはないが、姉が長崎に住んでいた。

Johnllong

Cover

                  

 この小説を、ブロードウェイのヒット・ドラマにしたのは、大プロデューサー、デーヴィッド・ベラスコだ。

Belasco

   

 劇『マダム・バラフライ』は、ニューヨークでヒットして、ロンドンでも上演された。それをプッチーニが観た。1900年のことだ。プッチーニは、オペラにする許可を得て、台本をルイージ・イッリカとジュゼペ・ジャコーザに依頼する。台本は、1902年に完成するわけだが……。プッチーニは交通事故にあい、初稿の総譜ができたのは、1904年になってしまう。

Puccini7

Puccini2

 カッコイイ曲を作る人は、カッコイイということかな。すこし若いときのプッチーニ、すこし老人のプッチーニ。

             

Giacosa_200

 ジュゼッペ・ジャコーゼ。プッチーニの代表的なオペラ『蝶々夫人』『トスカ』『ラ・ボエーム』の台本を韻文にした詩人で、作家だ。

Puccinietc

 右にいる人物が、英語の劇『マダム・バラフライ』のシナリオを、イタリア語のオペラの台本にした、ルイージ・イッリカ。中央にいる詩人のジュゼッペ・ジャコーゼが、それを、韻文の歌詞にした。プッチーニがそれを依頼して、曲をつけたわけだ。

                    

 なんといっても、『蝶々夫人』は、アリア『ある晴れた日に』だ。だが、その前に第1幕のおわりに、長いデュエットがある。結婚初夜の相聞歌だ。この歌には、感情の複雑な陰影があるわけだ。と、まあ、わたしは思うのだが……好きな曲だ。

   アンジェラ・ゲオルギュー&ヨナス・カウフマン Vogliatemi bene (Love me, please) http://www.youtube.com/watch?v=9Op7RmV7S3c 

                    

  NHK土曜ドラマ 蝶々さん   http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11a45

                                             

  アンジェラ・ゲオルギュー Un bel di vedremo (ある晴れた日に) http://www.youtube.com/watch?v=Uut6X4E-Kgk

      

                                     


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。