以前、中川一郎さんの後継者は、次男、昭一さんの弟さんといわれていた。長男の昭一さんは、政治家を嫌っている、と聞いていた。しかし、突然、父親が亡くなって後継者になった。弟さんは、まだ若く、被選挙権がなかった。
そのへんの事情は、十勝の人はよく知っていることだろう。
きのう、帯広在住の写真家、戸張良彦さんから携帯に電話をいただいた。中川昭一さんの死を知らせてくれたのだ。
戸張さんは、長いあいだ昭一さんの選挙ポスターの写真を撮影していた。写真家は、スタジオのなかでふたりきりで時間を過ごす。写真家の冷徹な目で人物を透かしみることができる。その戸張さんが、昭一さんの死をひどく悲しんでいた。気持ちはとてもわかる。わたしも悲しい。
わたしは、北海道・帯広にいたとき、何度か北京亭のカウンターで同席して挨拶したことはある。かってラーメンの北京亭は、駅前にあった。帯広信金駅前店の隣だった。その向かいが、グリーンホテルで、隣が中川昭一選挙事務所だったのだ。
建国記念日の式典の台本を書いて舞台監督をやったことがある。一年目は、帯広勤労者福祉センターで、二年目は、帯広市民会館大ホールだった。その会場でも昭一さんと一言二言、言葉をかわした。
しかし、日本にとって貴重な政治家を失った。昭一さんは、北海道の農業のためにも、北海道の経済のためにも、大事な政治家だった。そして、日本の国防にとって大切な政治家だった。
中川昭一 公式サイト(9月14日) http://www.nakagawa-shoichi.jp/talk/detail/20090914_497.html
わたしも、三日ぐらい前から、ひどい脱力感、虚脱感におそわれていました。
ものを書く気力がなくて、パソコンを立ち上げる気も失せ、テレビも切ったまま。
ただ寝ころんでは、散歩して、そしてまた部屋で横になる。
そんなことを繰り返していました。
昭一さんが亡くなった、と電話をもらい、ああ、そういうことだったのか、と思いました。
わたしも、カルトっぽい話、サイコっぽい話は、映画や小説でたのしむだけで、信じることはありません。
しかし、昭一さんが亡くなる……あまりに悲しい。
私も皆さんと同じように昨日からショックで・・・・・仕事する気も失せています。もしかしたらこちらのブログで今回の事が書かれているかもしれないと
思い、今日お邪魔しました。
日本にとって本当に大切な政治家を失ってしまったその喪失感は本当に大きいです。