「次は、来生たかおをやるよ」と、コンサートを手伝ってくれてた大谷短大の学生、キヨミさんに言った。
40年前? 1976年(昭和51年)のこと‥‥だったか。
「きすぎたかおって何ですか?」と、キヨミさんが訊く。
「来生たかおは‥‥‥来生たかお、じゃないか」
「ですから、きすぎた かおって、何です?」キヨミさんは、かなり苛立ってきている。
ここでわたしは気づいた。大笑いしたいが、グッとこらえた。キヨミさんがどう聴き取り、何を苛立っているかが分かった。
来生たかおを『きすぎたかお』と、当然、わたしは何の疑問もなく発音していたわけだが、「そうか、キヨミちゃんの耳には、『きすぎた かお』と、聴こえているんだ」と、気づいたのだ。
きすぎた かお! キヨミさんが聴き取った『きすぎた かお』は、どう書くのだろ? わたしの妄想がはじまる。『着過ぎた顏』、あるいは『来過ぎた顏』か? どちらでもいいが、想像するだけでやたら可笑しい。
”着過ぎた顏”とは、どんな顔だ? やたらすさまじい厚化粧の女の顔だろうか? ”来過ぎた顏”とは、強引にキスを迫って接近して来た、ニンニク臭の男の顏か? とか、あれこれ愉快な方向にわが妄想は飛んで、可笑しくて可笑しくて、しばらくキヨミさんに返事ができなかった。
ひょっとすると、バンドの名前と思ったのか。パンクバンド”着過ぎた顏”‥‥‥バカバカしくナンセンスで悪くないが、絶対に売れないな‥‥。
しかしまぁ、『着過ぎた顏』か『来過ぎた顏』か、どちらか分からないが、十九歳の女子大生には、なんとも意味不明で不気味な、不快、不可解な言葉だったのだろう。
来生たかおさんには大変失礼だが、わたしは、時々、この40年も前のことを思い出して可笑しくて、ひとりニヤついてしまう。”着過ぎた顏‥‥”
このように、わたしが帯広・キンプクで「来生たかおコンサート」を主催したとき、ポリドールから『浅い夢』(1976年)を発売してメジャーデビューした来生たかおは、まだ人々に知られてはいなかった‥‥‥音楽ファンの女子大生にも‥‥。
わたしが、キンプクで「来生たかおコンサート」を開催したのは、1977年(昭和52年)だったか。キンプクとは、帯広市勤労者福祉センターのこと。解体されて今は無い。その”大ホール”、キャパ380席のステージで、浜田省吾、中島みゆき、松山千春、そして、森本裕二、ヒロリンにギター一本で歌ってもらった。
来生たかお・来生えつこ、姉弟のソングライターチームの曲は、好きだ。来生たかおさん、40年、ピアノを弾いてステージで歌うシンガーだけでない、多くのアーティストに素晴らしい楽曲を提供している。みごとなミュージシャン人生ではないか。
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セルフカバーベスト~夢のあとさき~ |
来生たかおオフィシャルサイトhttp://www.kisugitakao.com/