局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

お稽古事の記憶

2015-05-16 18:09:40 | 記憶の箱
ぶどうさんがご自分のブログで子供に習わせたかった習い事について興味深い記事を書いてらした。

習い事ねえ・・・ 色々蘇る自分と子供のそれらの記憶。

ここで、子供のは後回しとして、自分が過去から現在にかけて色々やってきたことを思い出してみようと思う。

★結婚以前 幼少時から結婚するまで

ピアノ ・・・ 一番はじめに習った事。自分がやりたかったのか親が習わせたかったのか不明。ただ小さい時から音楽は好きだったので、双方一致したのだと思う。多分幼稚園の年長くらいから高校一年の夏までやった。あの頃はブームだったのか近所にピアノの先生はたくさんいたが、結婚されたりなんだりで四人ほど変わった。二番めの先生がピアノの他にソルフェージュと聴音も教えてくれたので、後の音楽のテストなんぞにとても役にたった。
子育て中はストレス解消のためと子供たちにも習わせていたので弾いてたけど、いつのまにか弾かなくなっちゃったので四年ほどまえにピアノは売ってしまった。 

お絵描き ・・・ 幼稚園の時にコンクールで賞をとったのがきっかけで親がほのかな期待をして習わせたものだと記憶あり。やっぱり近所の先生。ところが日本画専門のじいちゃんで、教えてくれるのは写生のみ。それもアジの干物なんかを描かされてつまらないし、嫌になってやめさせてもらった。これは弊害しか残らず、絵を画くのを嫌いになっただけでなく、自分の想像の世界を描けなるという後遺症が残った。結婚後にトールペイントに出会うまで自分は画くことが嫌いと思い込んでいた。

習字 ・・・ これも近所のおじいちゃん先生の所。同じ学校に通う子たち数人が行っていたので炭を摺りながらおしゃべりしたり半分遊びだった。小学校中学年から卒業するくらいまで通った。筆の運び方や形の取り方なんかは身に着いたから、字にコンプレックスは感じたことはない。だけどどうせやるなら草書くらいまでできないと習った意味がなかったかなと思う。

スキー ・・・ 小学校の頃から親に連れてってもらっていたけど、なぜか中一の冬から、合宿のスキー学校に入れられた。なんのツテだか知らないが、東京の私立の小学校の子たちも来るスキー学校だった。今思うと教え方が抜群に上手だったので親からテキトウに習ってた頃と比べ物にならないくらい短期間で上達したけど、濡れたままのスキーウエアを次の日着なくちゃならなかったこととか悪条件が重なって嫌になったのと、東京セレブ組の中にすごい意地悪な女の子がいて(元捕手で某球団の監督だった人の娘)そいつとソリが合わずに三年目からはやめた。でもこの合宿のおかげでスキーは好きになって色々良い思いができたことは、無理やり押し込んでくれた親に感謝している。

箏 ・・・ 高校一年から そろそろピアノに限界を感じ(手も小さすぎた)た事と、中学校の謝恩会の時に同級生の母親の一人が箏を弾き、それに合わせて一人が日本舞踊を踊ったのを見て、その音色に惹かれた。 その時に箏を弾いた先生の所に入門し、それを機会にピアノは打ち止めにした。結局受験中も続け、大学にも箏曲部があったのでそこに入部して続けた。助教というヒトに教えられる資格までとり、その資格に必要だったからお三味線も中伝って資格まで取った。
発表会に出るのに何枚か着物をあつらえてもらったり最初は母のを使っていた箏も自分のものを買ってもらったし、資格をとるたびに数十万とお免状料も親に払ってもらいお稽古事の中ではもっとも親に金銭的負担をかけたと思う。こんなにしてもらったのに悪いが、実は今、その箏はベッドの向こう側の壁に立て掛けてほこりを積もらせて早幾年である。
ただ、和物のお稽古(邦楽とかお茶とかお花とか)は、上下関係とか目上の人に気を遣うとか色んな会の時に自分の仕事を見つけて色々立ち働くなんてのが身に着くもんだと思う。のほほんとそういう事をまるでしないで高校生になっていたワタシは、何もできないデクノボーの我が身を自覚させられて落ち込んだものである。だからムスメにも和物のお稽古は経験させたいのですけどねえ・・・

お茶 ・・・ 大学三年の頃から。親友Aとなぜか習いたいね と話がまとまって二人で色々先生を見つけて歩いた。今のようにネットもないし、なんで見つけたんだったっけかな? 学芸大学から徒歩20分くらいのとっても通いにくい所だったが、落ち着いたお屋敷街(近くに青○美×の邸宅もあった)の中にこぢんまりした和風の平屋建て。風情のある庭もあり、先生は「THE お茶のせんせい」 って感じでいつも着物を召していて落ち着いた品のある女性だった。ここは卒業してからも二年くらい通ったが、やっぱり遠すぎて断念。奥深い世界だからほんの入り口をかじっただけだけど経験しておいて良かった習い事の一つ。

お料理 ・・・ 就職してからと結婚してから。GWに一緒に飲んだオット同士も友達の友人からの紹介。当時彼女は外○省の関係団体に勤めていてそこの御用達みたいな先生だった。他の生徒も東京銀行(当時)とかJALのCAとか(当時)華やかな若い子たちが多く通っていて色々刺激もあって楽しかった。先生は青○学院卒でフランスにも留学していた女性。六人一組くらいでフランス料理と中華のコースをみんなで作ってフレンチの時は先生の焼いたパンとワインを加えて試食、中華も紹興酒をお飲みながらと、話も弾んだ。母は料理は上手だが、教え上手じゃなくてさっさと自分でやっちゃうタイプだったので、殆ど料理の経験なかったワタシが一から色々習えた良い教室であった。今でもこの時のレシピは役にたっている。


ここまでは独身時代のこと。思い返すと、色々やらせてもらった両親(特に母)には感謝しているけど、めんどくさい姑(ワタシのおばあちゃん)と同居していて自分の時間がなかったのと交通不便な地方都市で運転免許も持っていなかった彼女は、お稽古事の先生の選択肢は「近所」から選ばなければならなかったんだと思う。
当時附属小中にバスで通っていたワタシと弟だったので、そこの教育ママたちの情報を駆使すれば、もっと良い(というか子供に合った)ところもあったと思うが、それを果たせない事情もあったのであろう。
思い返すと あの絵の先生の所は失敗だったなあ。あんなに自由に描くのが好きだった自分が、あの教室に通って以来、小学校の図画工作の時間に白い画用紙を前に茫然としてしまった記憶が切ない。やっぱり師の選択ってのは重要とも思った。

まあ それも経験だけど。

                 続きます(多分)

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2 コメント

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(^u^)同じ匂いを感じます(^_^;) (ぶどう)
2015-05-17 07:52:18
お琴は生田流でお花は未生流でしたよ~。
御両親熱心だったんですね。
そして局様も素直♪
うちの両親は子どもの言いなりで親自身が子どもだったから
甘さと愛情の違いが今も分かってないんだと思う。
でも確かに経験してたら次の一歩が踏み出しやすいってとこはあるから感謝だね。

こども落ち着いたらそちらで
お料理と製菓習いたいようです。
コルドンブルーとか憧れてるらしい(^_^;)
ホント分からん奴です。。。


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ぶどうさん (朱鷺局)
2015-05-17 21:35:36
ワタシもぶどうさんとは同じ匂いを感じる~w

思い返すと色々考えさせられるお稽古事ですが、
総じて言えば、子供の頃は広く浅くでもいいから経験させるって
大切かもな って感じです。
その中でホントに合ってるものを見つけてくれたらいいし・・・

コルドンブルー良いですねえ。
どうせやるならあのくらい本格的に習ってみたい。
併設のレストランもいいお味ですよ。
さすがぶどうくんは目の付け所が違うなあ。

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