vol.1はこちら ★
予想はしていたもののやはりあちこちひっかかって腹を立たせてくれました。
ここまで予想があたるとむしろ爽快であります。
今回はこれ ↓
結構新聞や週刊誌の書評で取り上げられて(案外好意的だったような気がする)いたので図書館にあったら借りようと思っていた。
団塊の世代のオヤジの定年後の話。
オヤジ(威一郎氏)は大手の広告代理店で執行役員にまで出世したが 最後に取締役になり損ねて大阪の関連会社の社長職を提示されたにもかかわらずブチ切れて60定年で退職する。
これから悠々自適 あれもしよう、これもしようと思っていたのに現実は思うように行かず、日常に楽しみも見つけられない。
一方オットの不在に慣れていたツマと今更共に楽しむすべもなく、ツマが自分の用事で出かけると帰宅時間をしつこく尋ねたりで嫌がられ、あげくの果てには夫婦喧嘩になって独立した娘の所に家出されてしまって一人で取り残される。
そこでインターネットでデートクラブを見つけて27歳のOL小西佐智恵と出会う。自腹を切って高いホテルのレストランで食事させて懐柔しようともくろむが、自宅に来させて家事は手伝ってくれるまでにはなったものの恋人としてには発展せず。
やがて家出したツマは戻ってきて 佐智恵も結婚することになってチャンチャン。
つまんねえ話w
発行元の集英社の宣伝文句 ↓
「なんと 男とは 孤独な 生きもので あることか。」
仕事ひとすじだった人生から一転。
定年退職したとたん、すべてがギクシャクとしだした。
今まで知らなかった妻の日常。
かわいかった娘も独立し・・・・。
「俺はそんなに厄介者なのか」
寄る辺なくさまよう威一郎は一人の女性と出会い、再び、輝き始める。
定年後の夫婦のかたちを問う、著者渾身の長編小説。
だそうで。
↑こんな男の悲哀感も伝わってこないし こんな主人公たちに定年後の夫婦のかたちを問われたくないですぅ。
一番違和感を感じたのは 威一郎の年代設定である。
60定年後何もやることがなく生き生きと自分の時間を過ごす50代半ばの奥さんに対しての態度
団塊の世代のオヤジ友達はいるが、こんなに情けないオトコはいないなあ。
あの世代ってもっとしたたかでもっと若々しくて小ずるいと思うのですが・・・
まして50代のツマの出歩きに文句を言ったり いつ帰るのかしつこく尋ねたりするさまは私の感覚では私の父親年代 少なくみつもってもover70の感覚である。(個人差もあるんでしょうけどね)
vol.1にも設定の違和感ってことで登場人物の会話が変って書いたんですけどね。
40代の人妻が「先生に接吻された」だのその小学生の子供が「ママ 何か口ずさんでいたね」とか 変でしょ。
この作者ってのはどの年代 どの職種を書いてもなんか一律に自分の年代と自分の価値観に持ち込んでしまっているような気がしてならない。
そうそう、この本に出てくるデートクラブの27歳の女性なんてのもそうとう変だよ。デートクラブに登録して客のオヤジのマンションについてきながら妙に潔癖な貞操観念をお持ちで、妙に言葉づかいが綺麗で、妙に家庭的。それでいてこれから結婚するにもかかわらず その後も会う気満々。変なの・・・
それに大手の広告代理店の執行役員までやったオトコなら当然時代を読む目ってのがもっと鋭いんじゃないだろうか?
甘いヴィジョンで会社を辞めて、定年後にたくさんの時間を過ごすのが見えているはずのツマとの関係をどうするかも想定せず 悪化するにまかせている。
といっても自分の財布もツマに握られこづかいもままならず。(2000万超の年収があった設定なんだし、退職金もたんともらったんだろうからその辺もどうにか対策を講じてなかったのであろうか?)
と 何しろ疑問だらけの話であった。ホント 編集者って何してんの? 「ちょっとおかしいっすよ先生 」とか言えないの?
それにさ、小説ってのは作品は作品と単独で見て評価するべきものかもしれないけどさ、この作者って医師を途中でやめて作家になった人ですよね?
多分若い頃からあまり人には頭を下げないで済んできたはずだし(今の医者ってのは淳一先生の頃より患者に気を遣い、パラメディカルにも気を遣いでもっと大変とは思うが)その上未だに現役で稼いでらっしゃってるんですよ。
サラリーマンの悲哀なんて経験せずに過ごしてきたお人である。
こういう人が定年後の悲哀を描くからどっか他人事つーか上から目線になって主人公のみじめさを書いてるから読んでるこっちの不快感をも催させるんじゃないかいな?
同じ境遇の団塊オヤジたちは怒っていい本だと思います。
予想はしていたもののやはりあちこちひっかかって腹を立たせてくれました。
ここまで予想があたるとむしろ爽快であります。
今回はこれ ↓
結構新聞や週刊誌の書評で取り上げられて(案外好意的だったような気がする)いたので図書館にあったら借りようと思っていた。
団塊の世代のオヤジの定年後の話。
オヤジ(威一郎氏)は大手の広告代理店で執行役員にまで出世したが 最後に取締役になり損ねて大阪の関連会社の社長職を提示されたにもかかわらずブチ切れて60定年で退職する。
これから悠々自適 あれもしよう、これもしようと思っていたのに現実は思うように行かず、日常に楽しみも見つけられない。
一方オットの不在に慣れていたツマと今更共に楽しむすべもなく、ツマが自分の用事で出かけると帰宅時間をしつこく尋ねたりで嫌がられ、あげくの果てには夫婦喧嘩になって独立した娘の所に家出されてしまって一人で取り残される。
そこでインターネットでデートクラブを見つけて27歳のOL小西佐智恵と出会う。自腹を切って高いホテルのレストランで食事させて懐柔しようともくろむが、自宅に来させて家事は手伝ってくれるまでにはなったものの恋人としてには発展せず。
やがて家出したツマは戻ってきて 佐智恵も結婚することになってチャンチャン。
つまんねえ話w
発行元の集英社の宣伝文句 ↓
「なんと 男とは 孤独な 生きもので あることか。」
仕事ひとすじだった人生から一転。
定年退職したとたん、すべてがギクシャクとしだした。
今まで知らなかった妻の日常。
かわいかった娘も独立し・・・・。
「俺はそんなに厄介者なのか」
寄る辺なくさまよう威一郎は一人の女性と出会い、再び、輝き始める。
定年後の夫婦のかたちを問う、著者渾身の長編小説。
だそうで。
↑こんな男の悲哀感も伝わってこないし こんな主人公たちに定年後の夫婦のかたちを問われたくないですぅ。
一番違和感を感じたのは 威一郎の年代設定である。
60定年後何もやることがなく生き生きと自分の時間を過ごす50代半ばの奥さんに対しての態度
団塊の世代のオヤジ友達はいるが、こんなに情けないオトコはいないなあ。
あの世代ってもっとしたたかでもっと若々しくて小ずるいと思うのですが・・・
まして50代のツマの出歩きに文句を言ったり いつ帰るのかしつこく尋ねたりするさまは私の感覚では私の父親年代 少なくみつもってもover70の感覚である。(個人差もあるんでしょうけどね)
vol.1にも設定の違和感ってことで登場人物の会話が変って書いたんですけどね。
40代の人妻が「先生に接吻された」だのその小学生の子供が「ママ 何か口ずさんでいたね」とか 変でしょ。
この作者ってのはどの年代 どの職種を書いてもなんか一律に自分の年代と自分の価値観に持ち込んでしまっているような気がしてならない。
そうそう、この本に出てくるデートクラブの27歳の女性なんてのもそうとう変だよ。デートクラブに登録して客のオヤジのマンションについてきながら妙に潔癖な貞操観念をお持ちで、妙に言葉づかいが綺麗で、妙に家庭的。それでいてこれから結婚するにもかかわらず その後も会う気満々。変なの・・・
それに大手の広告代理店の執行役員までやったオトコなら当然時代を読む目ってのがもっと鋭いんじゃないだろうか?
甘いヴィジョンで会社を辞めて、定年後にたくさんの時間を過ごすのが見えているはずのツマとの関係をどうするかも想定せず 悪化するにまかせている。
といっても自分の財布もツマに握られこづかいもままならず。(2000万超の年収があった設定なんだし、退職金もたんともらったんだろうからその辺もどうにか対策を講じてなかったのであろうか?)
と 何しろ疑問だらけの話であった。ホント 編集者って何してんの? 「ちょっとおかしいっすよ先生 」とか言えないの?
それにさ、小説ってのは作品は作品と単独で見て評価するべきものかもしれないけどさ、この作者って医師を途中でやめて作家になった人ですよね?
多分若い頃からあまり人には頭を下げないで済んできたはずだし(今の医者ってのは淳一先生の頃より患者に気を遣い、パラメディカルにも気を遣いでもっと大変とは思うが)その上未だに現役で稼いでらっしゃってるんですよ。
サラリーマンの悲哀なんて経験せずに過ごしてきたお人である。
こういう人が定年後の悲哀を描くからどっか他人事つーか上から目線になって主人公のみじめさを書いてるから読んでるこっちの不快感をも催させるんじゃないかいな?
同じ境遇の団塊オヤジたちは怒っていい本だと思います。