さて、会のイベントで萬☆さんのトークと狂言を満喫したあと 私達会員は近くのホテルに向かった。喜☆流能楽堂より歩いて目黒川を渡って歩いて数分の 目黒雅☆園(☆は叙です)である。

こんな感じの和風の建築の隣に高層ビルが融合し、宴会場などがあるメインの通りはこのようにデコラティブな装飾がほどこされたホテルである。

和食のコースはおいしかったし

会の30年の歩みを写したスライドショーや

会員の方(人間国宝のお嬢さん)の演奏などとどこおりなく行われた。
企画実行して会を成功させたFさんはじめとする実行委員の方たちは大変だったと思う。
ご存知の方も多いでしょうが ここはトイレが有名です
トイレ入り口
トイレ内部 川が流れてる(笑)
何でも2億かかっているとか?
そして 会が全部終わったあと、希望者にここのホテルの前身の建物の一部が残っている 百☆階段(☆は段です)の見学ができることになっていた。
どうせなら見ていこう くらいの軽いノリで参加したこの企画 これがすごくよかったのよね~~~~~~

階段の説明は古い記事だけど一番わかりやすいのでこちら
国の登録有形文化財指定の「百段階☆」は、目黒雅☆園に現存する唯一の木造建築で、江戸文化の贅を受け継ぐ昭和の色彩空間として、今も大切に保存されています。ケヤキの板材でつくられた99段の階段廊下をもつことから「百段階☆」と呼ばれ、階段廊下の南側には6つの部屋が連なっています。
各部屋には樹齢100年を超える床柱や、当時屈指の著名な作家たちによって創り上げられた世界が描かれている天井や欄間などがあり、昭和初期における美の競演と大工の高い技術力をみることができます。
2007年4月27日には、百段階☆の最上階に位置する資料室「頂上の間」がオープン。目黒雅☆園と百段階☆の歴史と伝統を物語る資料が展示されています
。
階段への入り口のエレベーター 扉も中も螺鈿の唐獅子牡丹の装飾
千と千尋~の宮崎アニメの舞台のモデルになったらしいです。
こんな感じの階段を登っていくといくつかの部屋がある(昭和初期の披露宴会場)
当時の腕のいい大工の棟梁や画家たちがそれぞれに趣向をこらした部屋たち、今でも当時の豪奢さを十分に味わうことができる。
漁樵の間 過剰なまでの装飾
他に鏑木清方の間など 彼の日本画が壁に組み込まれている。有名な道成寺、雪しぐれなどが見る事ができた。
で、祖母の話。
私の祖母は明治生まれだった。曽祖父が興した絹関係の会社が隆盛になったころに生まれて何不自由なく育って没落庄屋の次男でその会社に入った祖父を婿にとったらしい。美人だったし経営者の娘だってこともあって、明治男だったにもかかわらず祖父はそうとう祖母に気を遣っていた。
私は可愛がってもらっていたが、今思うと祖母のワガママぶりって結構すごかったから祖父も母も苦労したと思う。
そして極端な潔癖症で外出が大嫌いだったのでいつも家にいたし、家族の者(特に母や孫たち)も外に出すのが嫌いだった(今の私の出好きはこの頃の反動かもしれないわw)
祖父は商売でしょっちゅう京都や東京、名古屋などに行っていたが、祖母は遠出はしなかったらしい。
ただ、自分の姪が(去年90歳で亡くなった伯母)東京在住の銀行員と結婚した時、こちらの会場だったそうだ。祖母はほぼ70年前、こちらの雅☆園での結婚披露宴に出席したことになる。
私の幼い時、その時の雅☆園がどんなに素晴らしい建物だったか、壁も天井も螺鈿細工があって竜宮城みたいたったという話を何度も聞かされた。
私は幼いながら、そんなにすごいお部屋に私も行ってみたいな~と思って祖母の話を聞いていた。
考えてみると伯母は私の見た部屋のどこかで披露宴をしたかもしれない。
ってことは祖母が見て感激した景色を私もこの時みたのかもしれない。そう思うと、あわただしい日々でそんなにいつも思い出さなくなってしまった祖母の思い出がよみがえってきて目頭が熱くなってしまい、私はさり気なく同行の集団から離れて歩いた。
気が強くて我侭で女王様キャラだった祖母、だけど私をすごく可愛がってくれて、高校時代遊んでいてちょっと遅くなると門のところで待っていた心配性の祖母。
もう現実には会えないけど思いがけない所で祖母の魂がそばにいるように感じた。


こんな感じの和風の建築の隣に高層ビルが融合し、宴会場などがあるメインの通りはこのようにデコラティブな装飾がほどこされたホテルである。

和食のコースはおいしかったし

会の30年の歩みを写したスライドショーや

会員の方(人間国宝のお嬢さん)の演奏などとどこおりなく行われた。
企画実行して会を成功させたFさんはじめとする実行委員の方たちは大変だったと思う。
ご存知の方も多いでしょうが ここはトイレが有名です


何でも2億かかっているとか?
そして 会が全部終わったあと、希望者にここのホテルの前身の建物の一部が残っている 百☆階段(☆は段です)の見学ができることになっていた。
どうせなら見ていこう くらいの軽いノリで参加したこの企画 これがすごくよかったのよね~~~~~~


階段の説明は古い記事だけど一番わかりやすいのでこちら
国の登録有形文化財指定の「百段階☆」は、目黒雅☆園に現存する唯一の木造建築で、江戸文化の贅を受け継ぐ昭和の色彩空間として、今も大切に保存されています。ケヤキの板材でつくられた99段の階段廊下をもつことから「百段階☆」と呼ばれ、階段廊下の南側には6つの部屋が連なっています。
各部屋には樹齢100年を超える床柱や、当時屈指の著名な作家たちによって創り上げられた世界が描かれている天井や欄間などがあり、昭和初期における美の競演と大工の高い技術力をみることができます。
2007年4月27日には、百段階☆の最上階に位置する資料室「頂上の間」がオープン。目黒雅☆園と百段階☆の歴史と伝統を物語る資料が展示されています
。


こんな感じの階段を登っていくといくつかの部屋がある(昭和初期の披露宴会場)
当時の腕のいい大工の棟梁や画家たちがそれぞれに趣向をこらした部屋たち、今でも当時の豪奢さを十分に味わうことができる。

他に鏑木清方の間など 彼の日本画が壁に組み込まれている。有名な道成寺、雪しぐれなどが見る事ができた。
で、祖母の話。
私の祖母は明治生まれだった。曽祖父が興した絹関係の会社が隆盛になったころに生まれて何不自由なく育って没落庄屋の次男でその会社に入った祖父を婿にとったらしい。美人だったし経営者の娘だってこともあって、明治男だったにもかかわらず祖父はそうとう祖母に気を遣っていた。
私は可愛がってもらっていたが、今思うと祖母のワガママぶりって結構すごかったから祖父も母も苦労したと思う。
そして極端な潔癖症で外出が大嫌いだったのでいつも家にいたし、家族の者(特に母や孫たち)も外に出すのが嫌いだった(今の私の出好きはこの頃の反動かもしれないわw)
祖父は商売でしょっちゅう京都や東京、名古屋などに行っていたが、祖母は遠出はしなかったらしい。
ただ、自分の姪が(去年90歳で亡くなった伯母)東京在住の銀行員と結婚した時、こちらの会場だったそうだ。祖母はほぼ70年前、こちらの雅☆園での結婚披露宴に出席したことになる。
私の幼い時、その時の雅☆園がどんなに素晴らしい建物だったか、壁も天井も螺鈿細工があって竜宮城みたいたったという話を何度も聞かされた。
私は幼いながら、そんなにすごいお部屋に私も行ってみたいな~と思って祖母の話を聞いていた。
考えてみると伯母は私の見た部屋のどこかで披露宴をしたかもしれない。
ってことは祖母が見て感激した景色を私もこの時みたのかもしれない。そう思うと、あわただしい日々でそんなにいつも思い出さなくなってしまった祖母の思い出がよみがえってきて目頭が熱くなってしまい、私はさり気なく同行の集団から離れて歩いた。
気が強くて我侭で女王様キャラだった祖母、だけど私をすごく可愛がってくれて、高校時代遊んでいてちょっと遅くなると門のところで待っていた心配性の祖母。
もう現実には会えないけど思いがけない所で祖母の魂がそばにいるように感じた。