妹が木の名札が並んでいる写真を見せてくれました。
終戦の年に52才の若さで亡くなった医者だった祖父の名札がその中にありました。
明治村に移築された金沢の第四高等学校道場の柔道部部員の名札の写真でした。
祖父は柔道部だったと言う事を初めて知りました。
2列目に実業家で読売新聞の社主であった正力松太郎の名前があります。
ここには写ってませんが1列目に作家の井上靖さんの名前もあるそうです。
金沢の高等学校武道場は「無声堂」と言う名前だそうです。
剣道部の部屋の名札に土川元夫の名があり、「明治村」の生みの親だそうです。
土川元夫は名鉄の社長、会長を歴任し、名古屋商工会議所会頭も務めた実業家です。
終戦の時に亡くなった祖父は会った事も無く、祖父の話もあまり聞くこと無く過ぎていました。
柔道部員の名札の形で祖父の名前が残っているのを知りました。うれしいです。
この名札の人達はさらに自分に目指す大学に進学し色々な人生を送って人生を終わったと思います。
孫に当たる私達も60才前後で、祖父の年齢を逆算すると下記のようになるのかな?
明治 26 | 1893 年 | 123 歳 | 己(み) |
続けて両親が亡くなりたくさん写真が出てきました。
父の幼い頃の兄弟との写真、そして我々兄弟の子供の頃の写真、さらに父の孫達の写真、そしてさらにその次の世代が生まれいます。
古い写真はスキャナーでパソコンに入れて各自で印刷できて便利になりました。
我々が親に送った物も残っていて持ち帰りました。
大きな熊さんは足の裏に私が北海道に行った月日と名前も掘ってありました。
ドイツで買ったアマリリスのオルゴール素敵です。。
我々の結婚式の引き出物の七宝焼きの壺です。我が家のは割れて接着剤で繋いで状態です。良かったです。
色々なものが出てきますね。
私も実家の整理をしなくてはいけません。
自分の家の整理も中々はかどりませんが・・・。
寡黙な父なので父の家の事もあまり知らずに60才半ばになってしまいました。
井上靖さんは自叙伝の「北の海」で第四高等学校の柔道部の事を書いているそうです。