☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

京都③ 鴨川沿い 三条大橋と瑞泉寺

2022年06月05日 | Weblog

1泊のホテルは鴨川沿いの場所が良いのでソラリア西鉄ホテルにしました。
前にこのホテルに泊まると、風呂とトイレが別で、普通の家のように風呂の外で洗う所が付いています。
昨日は2万歩も歩いて大変疲れて大浴場に行けず、この部屋の風呂でゆっくり入って寝ました。
でも朝は元気になったので、大浴場に行ってゆっくり浸かりました。

ホテルの回りが食事所なので、このホテルの夕食は付いてません。
疲れたけどホテル前の高瀬川沿いを歩いて3分の高瀬川沿いの店PIZZA SALVATOREに入りました。
高瀬川は深さが浅く下の石畳が見えて、綺麗な流れを見ながらの食事は良かったです。
     
夜と次の日の朝はホテル前の鴨川沿いを散歩しました。
朝、川沿いをサイクリングで走っている人も沢山いて、信号機が無いし、川みながら気持ちよさそうです。
現在の三条大橋1950年に完成して木製欄干は1973年更新されていても老朽化やシロアリなどの被害の橋です。
京都市は欄干の取り換えだけで3億円、歩道の整備を含めると4億円の費用の捻出に苦慮しているそうでうす。
   
鴨川に架かる三条大橋の袂のスターバックス前に旧三条大橋の石柱と案内板高札場 跡を示す説明板があります。
この石の柱が豊臣秀吉が三条大橋を改修した時の石柱で、「基礎は地中に五尋(いつひろ,約9.1m)に埋め込まれ,
切石の柱は63本あり、日本の石柱橋としては最初のものらしいで?。」
強固な長大橋の架設が,豊臣秀吉の支配権の象徴であるそうです。
      
ここのスターバックスで朝ご飯を食べて、三条大橋から高瀬川沿いに戻ってすぐの所に小さな寺がありました。
慈舟山瑞泉寺と言う寺で豊臣秀次公の墓があるそうです。
鴨川の三条河原にあった中洲に、すでに自害していた豊臣秀次や正室んの一の台と側室、若君4名と姫君1名、侍女、乳母ら計39名が
豊臣秀吉の命により斬首され埋められて塚がありました。
それが1611年に京都の豪商角倉了以が高瀬川を開く工事の時に「秀次悪逆塚」の石櫃が偶然発見されました。
江戸幕府の許可を得て秀次の菩提を弔うために塚があった場所に出来たお寺だそうです。
三条大橋を作った豊臣秀吉の大きな力と、橋の袂近くにあると豊臣秀次家族の小さな墓寺が傍にあるの知って、歴史を感じました。

朝法事のお寺近くの国際会館駅で降りて10時半ごろまで宝ヶ池周りをを歩きました。
大きな鳥が木に止まっていました。
カメが池の外に冒険に出て、柵に首を入れて戻ろうとしていました。
でもだめで歩いて通れる柵の隙間をさがしていました。
やっと通れる所があり、柵を抜けた所がまた断崖絶壁です。かなり高さがある池にジャンプして飛び降りて家に帰りました。
     

姉弟妹等でゆば泉で美味しい食事をして法事に行き、また皆でのんびりお喋りしながら帰りました。
両親が亡くなってから何回かの法事の度に京都に行きます。
転勤族の私は京都は祖母が暮らしていた場所ですごく馴染みがある土地です。
子育てでしばらく京都とは縁が無かったのですが、
親の法事でまた時々京都に行けて色々な寺を回ってます。
生きていれば100歳近い父が昔、学生時代京都で御朱印巡りをして何冊も集めたと言ってました。
今回御朱印帳を忘れてしまい残念です。

コメント (2)
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