tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

茹で蛙と自動警報装置

2009年04月01日 11時24分52秒 | 経済
茹で蛙と自動警報装置
 たとえ話によく出てくる「茹で蛙」は、
熱い湯に蛙を入れるとビックリして跳びだすが、水の中に蛙を入れて、水をだんだん沸かしていくと、蛙は跳び出す時期がわからずに、結局茹で上がって死んでしまう
と言う大変残酷なものです。

 バブル経済に対する人間の対応はこれによく似ているように思います。
 かつて日本が土地バブルを経験したときもそうでした。1985年までの数年間、6大都市の市街地地価の上昇率は年率6パーセント前後でした。経済成長もしていましたし、インフレもありましたし、賃金も毎年上がっていましたから、この程度の地価上昇は当然と思っていた人が多かったようです。

 86年に地価上昇率が10パーセントを超え、87年から3年は20パーセントを超え、90年には30パーセントに達しました。しかし地価は常に上がり続けるという土地神話を信じていた多くの日本人は、これを好況のしるしと喜び、金融機関、不動産業を始め、多くの企業が地価上昇で儲けることに熱心でした。そして、91年にバブルは崩壊しました。

 アメリカでもグリーンスパン神話が、好況はいつまでも続くという錯覚を多くの国民に与え、住宅の値上がりを担保にし、サブプライムローンなども利用して国民は消費景気を満喫しました。
 アメリカの主要都市の住宅価格上昇率は、1999までは年率5パーセント程度でしたが、2000年以降は10パーセントに達し、2004年以降は15から20パーセントにも達しました。

 いずれも後から見れば、長続きはしないし、ハジケて当然なのですが、残念ながら茹で蛙になるまで気がつかないのが、人間なのでしょうか。

 今の資本主義は、自由経済とかマーケットエコノミーとか言われますが、マーケットも人間がやっていることですから、茹で蛙になる危険は常に存在します。人間の自由にばかり任せず、メタボ検診と同じように、一定のところで自動警報装置が鳴って、茹で蛙を防止する知恵が必要だと、つくづく思うのですが・・・。