tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

組織風土と忖度、あまりに日本的な?

2017年04月05日 13時03分16秒 | 社会
組織風土と忖度、あまりに日本的な?
 最近「忖度」などという難しい言葉がマスコミにも結構頻繁に登場し、日本人の国語力の向上に貢献したなどといわれます。

 この言葉が使われた事件そのものが良く解らない事が多く、この言葉も何か後ろ暗いイメージで使われているようです。
 然し、本来「忖度」は日本人に特有な人間関係(人間と組織の関係)の在り方を表すもので、他者の思いを理解する意味を持つ美しい言葉ではなかったでしょうか。

 忖度を、和英辞書で引けば surmise と出てきます。推測、推量するといった程度の意味で、忖度の意味の深さとは些か違うように思われます。

 忖度とは「他者(通常は目上の人)の気持ちを密かにおもんぱかって(慮って)、人間関係(人間と組織との関係)の平穏や安定を維持しようとする意識(行動)」とでもいう事でしょうか。
 勿論、他者との個人的な関係がもともとですが、所属する組織に関わる問題になると忖度の度合いが一層強くなるのが、よく見られることのように思われます。

 人事管理の教科書に、経営者が「うちは従業員に不満があるといけないからと苦情処理委員会を作ったが、苦情などは全く無いんだよ」と言ったら、どう判断するか?というのがあります。
 答えは「苦情はあるけれども、経営者や上司の意向を忖度して、言えない雰囲気の企業です」といったことになっています。

  今春闘で、 クロネコヤマトでは、労働組合が、経営権に関わるようなことまで要求として発言し、経営側はまともにそれに応えています。過度の忖度は必要なかったようです。
 組織の健全性、風通しの良さにこのブログも感銘して取り上げたところです。

 解っていても、内部からなかなか声があげられない雰囲気、酷ければ「強圧」の世界、ソフトなら「忖度」の世界という事でしょう。
 忖度は、日本人にとっては、本来「美徳」としての意味を持っていたように思います。しかし、忖度が美徳から外れる境目は曖昧で往々行き過ぎるようです。

 コンセンサス社会と言われる日本の中では、個人と組織の関係は、欧米などより組織に重心が偏る気配があります。メンバーがいろいろと忖度してくれれば、リーダーはやり易いことは明らかです。
 しかしそれに安住しすぎると「権力の横暴・腐敗」が始まります。

 そうならないためには、リーダーが、メンバーの意見を常によく聞くことが大事なのでしょう。
 聖徳太子の十七条の憲法の 第十七条に見ますように、昔から、智者・賢人はそれに気付いています。

 「忖度」という言葉が、何か卑しい(いやらしい)感じで受け取られず、本来の「美徳」としての意味で受け取られるような組織や社会にしたいものです。