Altered Notes

Something New.

テレビ屋末期の醜いあがき

2018-04-14 19:22:47 | 放送
3月にBS民放局の企画で「池上彰のBIG対談」という番組があり、その中でビートたけしとの対談がBSジャパンで行われた。「テレビは死んだのか」というテーマであったが、予想通りの内容で退屈の極みであった。

視聴者がテレビから離れ始めている現象に対して色々なファクターをあげるのだが、最大にして最重要なファクターである「志」の欠如については全く語られなかった。当然であろう。テレビ屋にとっては最も困る「不都合な真実」であるからにほかならない。

一般視聴者がテレビをつまらないと感じ徐々に離れつつある実態に対して池上彰やビートたけしは様々な要因を挙げるのだが、それらは全て枝葉末節であり本質ではないことばかりであった。時代背景や技術的な問題、演出方法やセンスの問題、等々、細かく見ればあれこれ指摘できるのも確かであるが、最も指摘されなければならなかった最大にして最重要なファクターである『制作者の”志”が失われている』という厳然たる事実には一言も触れなかったのである。それはそうだろう。テレビ屋にとっては生存を脅かすくらいの大問題であるが故に誰も指摘できないのである。また、池上彰やビートたけしも既にステータスを築いた有名人であり、彼らにとって自らの足元を揺るがすような事実の指摘は避けて当然かもしれない。ビートたけしは問題を掘り下げることはできずに自分の個人的な体験やつまらない冗談しか言えてなかった上に、そもそも彼は滑舌が悪いので何を言ってるのか聞き取れなかったりもする。何をか言わんや、である。

また、この二人に対談をさせることで視聴者に対して「どうだ」「キャスティングをありがたがれ」「巨匠同士の対談を見せてやっている」という(放送局側の)おこがましい態度が滲み出ていて実に嫌らしいのである。この二人に語らせれば説得力が出るだろう、と。ここが既に上から目線の一つの証拠であり、自らに甘い姿勢を露呈してしまっている、ということだ。

現在のテレビ屋は国から与えられた「電波」という名の権力の上にあぐらをかいており、その特権階級たるポジションから一般市民を睥睨している。見下しているのであり、上から目線である。そこに「本当に良いものをお届けしたい」という「志」は皆無であり、むしろ「馬鹿にどう判らせるか」「数字(視聴率)を取るために何で引きつけるか」という視点で番組を製作しているのがせいぜいである。全てそこがベースに発想され作られるのでロクな番組が生まれないのは当然であろう。(*1)

こんな無意味な対談番組をもって視聴者一般を睥睨するテレビ屋は、ここに至っても未だ自分たちが置かれた状況が見えていないのである。
しかも問題を掘り下げるのではなく、問題を真剣に考えています、というポーズを見せているだけ、フリをしているだけであるところが小賢しくも卑怯で凶悪であり実に醜悪な姿である。あたかもテレビの滅亡を直前にした最後の悪あがきのようでもある。腐敗したテレビ屋は一度本当に解体・滅亡した方が良いのではないか。


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(*1)
テレビ番組では日常茶飯事である「間違った言葉や使い方を誤った言葉を平然と放送してしまう無責任と無神経」もまたこの「志の無さ」に端を発する問題である。


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<2021年1月30日:追記>
テレビ局の業績が悪化している傾向にあるが、そんな中、テレビ局の営業から一般企業に対して「格安のCM枠購入」の勧誘が多発しているそうだ。格安と言ってもローカル無名番組ではない。よく名の知られた情報番組ばかり、とのこと。嘘だらけの偏向報道や退屈な芸人ばかりのろくでもない番組など、「志」の欠如した番組ばかり作り続けた結果であろう。いよいよテレビ屋も断末魔の段階・最終段階にきたのかもしれない。まともな視点で見れば当然の成り行きだが、当事者たるテレビ屋には何が悪いのか全く想像もできないのだろう。国から借りた国民の共有資産である電波を無駄使いしているテレビ屋、本当に終わっている。