つい先日、尖閣沖の日本了解内で中国公船が領海内に入り57時間39分も居座った。これは尖閣が中国領土であることをアピールするためのアリバイ作りの一つである。こんなことを許してはいけない。
今や尖閣諸島に対する中国の凶悪な姿勢は新しいステージに入ったようである。尖閣諸島は沖縄を侵略する為の第一歩である。最終的には日本という国全体を中国の「東海省」にしてしまう為の段階「その1」なのである。
今、政治や国際情勢に関心の無い人々は、いざ中国人民解放軍が攻め込んできてから慌てふためいても遅い事を認識・自覚すべきであろう。冗談でも妄想でもない。中国共産党はやがてそうした行動に出る意思を既に公表している。そんな重大な事実を日本のメディアは故意に報道しないので、ほとんどの日本人は知らないだけだ。TikTokに興じている無知な若年層もTikTokを使うこと自体が「情報漏洩を通じて、日本侵略を画策する中国に協力する」利敵行為になっている事実をしっかり認識していただきたいものである。本当に国土が蹂躙され日本国民が命を落とすような事態になってからでは遅いのだ。そうならないようにする為にも基礎知識は持っていてほしい。
そもそも尖閣諸島は明治時代に公明正大な姿勢と正しい手続きで日本の領土となった事は歴史的な事実であり、他国から非難される筋合いは微塵もない。
ウェブサイトまで作って「俺んとこの領土だ」と主張している中国だが、実は1958年と1975年の中国の地図には尖閣諸島が日本の領土である事が記されているのである。「俺の領土」と言い張る中国自身が「尖閣が日本の領土であること」を公に認めていた動かぬ証拠である。
この件について、静岡大学の教授である楊海英(よう かいえい)氏が虎ノ門ニュース出演の際に解説しているので、これを紹介したい。
中国で出版された古い「世界地図集」がある。中国の地図出版社(国営)の発行である。発行年月は1958年11月となっている。
編集にあたってはソ連が発行していた各種の地図を参考にした、としてろい、さらに1958年1957年にソ連が出版した「外国の行政区画」を示す書籍や東ドイツや英国の関連書籍など世界中の地図関連書籍を参考にしている事が記されている。このような経緯で作成された権威ある地図、ということだ。
もちろん注目すべきは日本を表したページである。日本の領土を示す島々の中に南西部の琉球群島があり、その上方に「尖閣群島」の表記があり、ご丁寧に「魚釣島」の表記もある。そしてこの領域はちゃんと日本の領土の範囲内として記されているのである。
現在の中国は魚釣島を釣魚島と呼称しているが、ちゃんと1958年の中国自身が国が作った権威ある地図において尖閣諸島・魚釣島を日本の領土として認めている確かな証拠である。
しかも当時の中国はソ連という共産主義国の先輩から各種の指導を受けていた立場である。地図内容は少なくとも当時のソ連・東ドイツ・イギリスはこれを認めていた、ということになる。それを中国も踏襲した、ということだ。
この地図のような資料は他にも沢山存在する。中国はかつて情報公開に前向きだった時期があり、国営の資料館でこうした地図などを多く公開していた。だいたい1970年代までは概ねこのような形(尖閣諸島は日本領土であるという認識)であった。
もう一つの地図がある。「知識青年地図」というもので、出版社は前例と同じ地図出版社である。
発行年は1975年(文化大革命末期)である。だが、この地図では尖閣諸島の存在が書かれていない。しかし台湾との国境線が北へ真っすぐ伸びているので、この辺の海域が日本の領海である認識は1975年の地図に於いても示されていると考えられる。
ただ、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのが1971年頃である。なので、1975年の地図に於いては尖閣諸島・魚釣島の表記を消しているものと推測されるところだ。
一時期はこのような地図も含めた資料が多く公開されたのだが、日本のマスコミなども取材に訪れるようになり、中国もそうした動きに気づいて「これはまずい」ということで公開を禁止にした。「学問の自由」が失われたのである。元々無いのだけど。(蔑笑)
楊海英教授は前述の古い地図を古書店で発見購入して、それを基に新聞に記事を書いたところ、瞬時にそれが中国に伝わったそうだ。その年(2009年)の冬に中国へ行ったら拘束されて記事内容について厳しく尋問された、とのことである。中国側はこう言ったそうである。
「貴方がチベットやモンゴルについて書くことは我々は怖くない。ただ、尖閣諸島の件はこういう地図を根拠にして記事を書くのは許せない」
楊海英教授は問いただした。
「尖閣諸島はモンゴル・チベット・ウィグルよりも重要である、ということですね?」
すると中国側は「そうだ」と言った。
中国にしてみればモンゴルやチベットは既に解決済み(侵略済み)、という認識であり、今は尖閣の獲得に全力をあげている、という事だ。その状況で「貴方(楊海英教授)が余計なことを書いてくれたら困る」と警告を受けたのである。
繰り返すが、日本は正当な手続きをもって尖閣諸島を領土としており、他国から批判される筋合いは一切ないのだ。ここで示したように、中国も己が出した地図にて尖閣が日本の領土であることを認めている。
中国が尖閣の領有権を主張し始めたのは1970~1971年頃である。その時期に海洋調査が行われてこの海域の海底に資源が豊富に存在することが判明した途端に中国の主張は始まったのだ。「資源があるなら俺によこせ」という態度であり、粗野で卑しく図々しい主張である。
そこから中国は明確に尖閣を侵略する意図を持つようになり、それは最終的に日本全土を侵略して中国の領土として編入するところまで行く事が目標として示されている。これだけ凶悪な意思を明確にされているのに、この状況下で中国に配慮し忖度するメディア・政治家・官僚達は日本人の生命を危険に晒す「内なる敵」に他ならない。
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<2020年12月17日:追記>
「尖閣は日本領」地図を対外発信へ 日本政府検討、中国主張を覆す 19世紀後半に欧州で作製
尖閣諸島を日本領と記した19世紀後半のイギリス製とドイツ製の地図が新たに確認された。日本と台湾との中間に国境線が引かれている。当時のヨーロッパに既に「尖閣は日本領」という認識があった、ということだ。1970年の国連調査で海底資源の存在が明らかになるまで全く関心が無かった中国。大切なことは忍耐強くこうした真実を発信し続ける事である。こうした資料は日本政府の対外的な情報発信に活用される。
今や尖閣諸島に対する中国の凶悪な姿勢は新しいステージに入ったようである。尖閣諸島は沖縄を侵略する為の第一歩である。最終的には日本という国全体を中国の「東海省」にしてしまう為の段階「その1」なのである。
今、政治や国際情勢に関心の無い人々は、いざ中国人民解放軍が攻め込んできてから慌てふためいても遅い事を認識・自覚すべきであろう。冗談でも妄想でもない。中国共産党はやがてそうした行動に出る意思を既に公表している。そんな重大な事実を日本のメディアは故意に報道しないので、ほとんどの日本人は知らないだけだ。TikTokに興じている無知な若年層もTikTokを使うこと自体が「情報漏洩を通じて、日本侵略を画策する中国に協力する」利敵行為になっている事実をしっかり認識していただきたいものである。本当に国土が蹂躙され日本国民が命を落とすような事態になってからでは遅いのだ。そうならないようにする為にも基礎知識は持っていてほしい。
そもそも尖閣諸島は明治時代に公明正大な姿勢と正しい手続きで日本の領土となった事は歴史的な事実であり、他国から非難される筋合いは微塵もない。
ウェブサイトまで作って「俺んとこの領土だ」と主張している中国だが、実は1958年と1975年の中国の地図には尖閣諸島が日本の領土である事が記されているのである。「俺の領土」と言い張る中国自身が「尖閣が日本の領土であること」を公に認めていた動かぬ証拠である。
この件について、静岡大学の教授である楊海英(よう かいえい)氏が虎ノ門ニュース出演の際に解説しているので、これを紹介したい。
中国で出版された古い「世界地図集」がある。中国の地図出版社(国営)の発行である。発行年月は1958年11月となっている。
編集にあたってはソ連が発行していた各種の地図を参考にした、としてろい、さらに1958年1957年にソ連が出版した「外国の行政区画」を示す書籍や東ドイツや英国の関連書籍など世界中の地図関連書籍を参考にしている事が記されている。このような経緯で作成された権威ある地図、ということだ。
もちろん注目すべきは日本を表したページである。日本の領土を示す島々の中に南西部の琉球群島があり、その上方に「尖閣群島」の表記があり、ご丁寧に「魚釣島」の表記もある。そしてこの領域はちゃんと日本の領土の範囲内として記されているのである。
現在の中国は魚釣島を釣魚島と呼称しているが、ちゃんと1958年の中国自身が国が作った権威ある地図において尖閣諸島・魚釣島を日本の領土として認めている確かな証拠である。
しかも当時の中国はソ連という共産主義国の先輩から各種の指導を受けていた立場である。地図内容は少なくとも当時のソ連・東ドイツ・イギリスはこれを認めていた、ということになる。それを中国も踏襲した、ということだ。
この地図のような資料は他にも沢山存在する。中国はかつて情報公開に前向きだった時期があり、国営の資料館でこうした地図などを多く公開していた。だいたい1970年代までは概ねこのような形(尖閣諸島は日本領土であるという認識)であった。
もう一つの地図がある。「知識青年地図」というもので、出版社は前例と同じ地図出版社である。
発行年は1975年(文化大革命末期)である。だが、この地図では尖閣諸島の存在が書かれていない。しかし台湾との国境線が北へ真っすぐ伸びているので、この辺の海域が日本の領海である認識は1975年の地図に於いても示されていると考えられる。
ただ、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのが1971年頃である。なので、1975年の地図に於いては尖閣諸島・魚釣島の表記を消しているものと推測されるところだ。
一時期はこのような地図も含めた資料が多く公開されたのだが、日本のマスコミなども取材に訪れるようになり、中国もそうした動きに気づいて「これはまずい」ということで公開を禁止にした。「学問の自由」が失われたのである。元々無いのだけど。(蔑笑)
楊海英教授は前述の古い地図を古書店で発見購入して、それを基に新聞に記事を書いたところ、瞬時にそれが中国に伝わったそうだ。その年(2009年)の冬に中国へ行ったら拘束されて記事内容について厳しく尋問された、とのことである。中国側はこう言ったそうである。
「貴方がチベットやモンゴルについて書くことは我々は怖くない。ただ、尖閣諸島の件はこういう地図を根拠にして記事を書くのは許せない」
楊海英教授は問いただした。
「尖閣諸島はモンゴル・チベット・ウィグルよりも重要である、ということですね?」
すると中国側は「そうだ」と言った。
中国にしてみればモンゴルやチベットは既に解決済み(侵略済み)、という認識であり、今は尖閣の獲得に全力をあげている、という事だ。その状況で「貴方(楊海英教授)が余計なことを書いてくれたら困る」と警告を受けたのである。
繰り返すが、日本は正当な手続きをもって尖閣諸島を領土としており、他国から批判される筋合いは一切ないのだ。ここで示したように、中国も己が出した地図にて尖閣が日本の領土であることを認めている。
中国が尖閣の領有権を主張し始めたのは1970~1971年頃である。その時期に海洋調査が行われてこの海域の海底に資源が豊富に存在することが判明した途端に中国の主張は始まったのだ。「資源があるなら俺によこせ」という態度であり、粗野で卑しく図々しい主張である。
そこから中国は明確に尖閣を侵略する意図を持つようになり、それは最終的に日本全土を侵略して中国の領土として編入するところまで行く事が目標として示されている。これだけ凶悪な意思を明確にされているのに、この状況下で中国に配慮し忖度するメディア・政治家・官僚達は日本人の生命を危険に晒す「内なる敵」に他ならない。
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<2020年12月17日:追記>
「尖閣は日本領」地図を対外発信へ 日本政府検討、中国主張を覆す 19世紀後半に欧州で作製
尖閣諸島を日本領と記した19世紀後半のイギリス製とドイツ製の地図が新たに確認された。日本と台湾との中間に国境線が引かれている。当時のヨーロッパに既に「尖閣は日本領」という認識があった、ということだ。1970年の国連調査で海底資源の存在が明らかになるまで全く関心が無かった中国。大切なことは忍耐強くこうした真実を発信し続ける事である。こうした資料は日本政府の対外的な情報発信に活用される。