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Altered Notes

Something New.

山下洋輔トリオに聴くフリージャズ

2022-05-25 13:32:00 | 音楽
一般の方々の山下洋輔氏の印象と言えば「あの肘打ちの人」といったものかもしれない。これは主にテレビ屋が山下氏を出演させる時に「フリージャズ」「肘打ち奏法」といったキーワードで紹介するからである。もちろんピアノの鍵盤を肘打ちすればフリージャズになる訳ではないし、フリージャズは肘打ち必須ということでもない。そんな低次元な話ではないのだ。

フリージャズはその名の通り好き勝手に音を出してその場で音楽を作り上げるものである。通常は音楽を作るとなればメロディがどうで和音がどうでリズムがどうだ、という一種の枠組みの中で紡ぎ出してゆくものであるが、フリージャズではそれらのルールを全て外して自由な立場と発想で演奏するものであり、バンドであれば一人ひとりが自分の思うように音を紡ぎ出したものが重なり合う事でバンド全体の音楽として成立してゆくものである。各人が演奏するものは即興故にその場限りのものであり、ある瞬間の音がとても良かったからと言って「同じものをもう一度やる」のは不可能である。

自由に音を出すということなら、例えば、猫がピアノの鍵盤上を歩いたり走ったりする事で音が出たらそれはフリージャズか?…と言うとそれは違う。(*1) 偶然性をコンセプトにした音楽ならば無い事もないかもしれないが、ここで俎上に挙げているフリージャズはあくまで「人間が音楽として演奏するもの」なのである。

好き放題に演奏すればいいなら簡単だ、と思われるかもしれない。だが、ちょっと考えてみてほしい。仮に今日、素敵な演奏ができたとしてもプロならばその演奏を明日も来週も来月も来年も同じレベルでやり続けなければいけないのだ。自由な演奏とは言ってもスキルの低いプレーヤーだとすぐに手詰まりになってしまう。自由にやるのは良い。だが、総合的に「良い音楽」を作り出せなければ失格である。好きにやればいいのだが、人を納得させる音楽を提供できなければ良い音楽家とは言えないのだ。そう考えると結構厳しいものがあることが判るだろう。

音楽として成立させるものであれば、自分が好き勝手に音を出すと同時に共演者もまた今この瞬間に彼が思う通りの演奏をしている訳で、自分が演奏しながらも同時に相手が何を演奏しているかは聴かなければならない。そして相手が演奏している内容に反応することができる技術も必要であり、演奏している音楽全体を俯瞰して全体の流れを考えた上で自分が何をどのように演奏するかを決めていく必要性もある。

そうなると、フリージャズではない(敢えて言うが)普通のオーソドックスなジャズ演奏とそれほど変わらないじゃないか、と思うだろう・・・そういうことだ。すなわち、山下洋輔トリオの演奏は伝統的な4ビートジャズ音楽の作り方と実はさほど変わりはないのだ。山下洋輔トリオの演奏には自ずと存在するフォーマットがある。(*2) 大きく捉えれば

「テーマ」→「アドリブ」→「テーマ」

という流れがあり、しかも「アドリブ」部分は各ソロイストが順にソロをとってゆくスタイルが基本である。これはそのまんま普通の4ビートジャズ演奏と全く同じだ。ただ、山下洋輔トリオが普通と違うのは「アドリブ」部分に特定のルールが存在せず、そこは好き勝手にやってよろしい、というところだ。各奏者がソロでアドリブ演奏を好きなように展開させ、共演者はその音を聴いて反応することでその瞬間・その一瞬を音楽として成立させてゆくのである。


余談だが、ジャズと言うとどうしてもアメリカのものであり、それを日本人が演奏するというのは物真似でしかないのでは?という疑問が呈される事があった。それがきっかけで、かつて日本人が演奏するジャズをどう捉えるかが議論になったことがある。「日本人らしいジャズとは一体何か?」という大きなテーマである。そこでは日本の民謡由来の音楽を作るとか、日本の伝統的な音階を使うことで日本風になる、といった意見が出たが、どれも決め手に欠けており議論は煮詰まった。そんな時に山下洋輔氏が放った言葉は決定的だった。

「演奏からあらゆるルールを外してゆけば、最後に残るのは”手クセ”だ。日本人なら日本人の”手クセ”が残る。」

コロンブスの卵か…これには誰も反論できなかった。そういうことなのだ。その意味でも山下洋輔トリオのフリージャズは正に「日本人のジャズ」として世界に伍して並べられる音楽として評価されうるものとなったのである。


ベースレスのピアノトリオ(ピアノ、サックス、ドラム)で演奏されるフリージャズと言えばセシル・テイラーのそれが有名だが、方法論は全く異なる。セシル・テイラーのフリージャズはあくまでセシル・テイラーが中心に存在しており、彼の一存で音楽は始まり、展開し、そして終わる。どのように始まって終わるのかは全く分からないのだ。山下洋輔トリオに見られるようなインタープレイ(相互触発に依る即興演奏)はそれと判るような形では起きない。明らかにコンセプト・方法論が異なるからである。ちなみにヨーロッパのフリージャズも概ねセシル・テイラーと同様のコンセプトで演奏されていた。

リスナーの中には「山下洋輔トリオはセシル・テイラーのマネである」として批判する向きもあったのだが、上述のようにコンセプトが全く異なるのでマネとは言えないだろう。セシル・テイラーのバンドでは全てがフリーなのだが、山下洋輔トリオの場合は必ずテーマがあって、前テーマと後テーマの間はフリーになる、というフォーマットが存在している。ここがセシル・テイラーとの決定的な違いである。

その「違い」の部分をもう少し掘り下げる。

山下洋輔トリオのフリージャズはフリーとは言っても凄まじいスピード感がある。そのスピード感の主な部分はドラムの演奏に依って生み出される。山下洋輔トリオの初代ドラマーであった森山威男氏が編み出したドラム奏法は画期的である。いくらフリージャズとは言っても森山威男氏の頭の中ではある一定のテンポが流れているのだ。森山氏は「テンポが無いとスイングしない(グルーヴしない)」と考えているからだ。

言ってもフリージャズである。生半可な奏法では特定のリズム(4ビートやワルツなど)が生じてしまってフリーにならない。ドラムでは通常は右手がシンバルのレガートを打って基本的なリズムを鳴らす。この右手を出来るだけ速く演奏する。しかしそれだけだと単純であり普通のリズムが聴こえてしまうので、左手が打つスネアドラムのリズムを5連符で演奏する。さらに足(バスドラムとハイハット・シンバル)を好きな場所で打ち鳴らす。左手もスネアドラムだけでなく、盛り上がれば他のタムタムやバスタムなどを打ち鳴らし、好きに暴れさせる。これらが総合することであの凄まじいスピード感がありながら特定のリズムパターンを感じさせないドラミングが成立するのである。

さらに言えば、森山氏は音楽理論よりも人間の人格や感情の方に重きを置いて演奏しているのだ。森山氏から見て山下氏がどういう人間か、そういうところを見て演奏のこの先の展開を予測し、今この瞬間に何をやるのかを決めるのである。決め所の合図の出し方は様々であり、そこを分かり合うのがメンバー間の機微と言えよう。フリージャズではあっても本当に好き勝手(自分勝手)にやってるのではなく、メンバー相互の気遣いは自ずと必要なのである。

こうして森山威男氏に依って生み出されたフリージャズ・ドラム奏法は山下洋輔氏に言わせれば「森山の叩き方はフリージャズとしての普遍性がある。このオリジナルなスタイルは人類の宝と言える」ということであり、極めて高い評価が与えられている。(*3) そしてこの奏法はトリオの2代目のドラマーである小山彰太氏にも受け継がれてスイスのモントルージャズ祭やアメリカのニューポートジャズ祭での伝説的な演奏に繋がってゆくのである。


ここまで縷々述べてきた山下洋輔トリオのフリージャズだが、その普遍性故にヨーロッパでも大反響を生んで熱狂的に受け入れられた事実はお伝えしておきたいところだ。
下記の演奏をお聴きいただきたい。1974年にドイツはメールスでのジャズフェスティバルに出演した際の演奏である。メンバーは山下洋輔(p)、坂田明(Cl、As)、森山威男(ds)。特に2曲目、28分45秒あたりからの”CLAY”の演奏を聴いてほしい。「凄まじい」という形容がこれほど似合うアコースティックなアンサンブルが他にあろうか。このスピード感・破壊力・緊張感・先鋭的な攻撃力は比肩するもののない日本のジャズとして世界に誇れるものである。曲が終了した瞬間にヨーロッパの聴衆から沸き起こる「ウォーッ!!」という地響きのような大歓声が山下洋輔トリオが紡ぎ出した音楽の凄さと普遍性を証明している、と言えよう。(*4)

「Yosuke Yamashita Trio (山下洋輔トリオ) - Clay」





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(*1)
実はこれは評価が難しい問題でもある。厳密に偶然性・必然性を重視した演奏であるなら猫が鍵盤上を歩くことで紡ぎ出される音群もまた一つの音楽として捉えられる、とう考え方もある。

(*2)
かつてNHK交響楽団で主席オーボエ奏者として活躍された茂木大輔氏は若い頃に山下洋輔トリオに出会って大きな衝撃を受けたそうである。茂木氏の音楽体験の中でも一番大きなものだったそうだ。山下洋輔トリオのジャズについて茂木氏は「あの演奏は譜面があったのでは出来ない」「3台のスポーツカーが各々勝手な方向に物凄い速度で突っ走るような」と語る。茂木氏の言わんとすることは判るのだが、実はちょっとだけ違う。「各々勝手な方向」ではなく、好き勝手なアドリブをしつつも実は3人共向いている方向は同じだったりするのである。それは、言ってもアンサンブルであり、最低限のフォーマットは存在している。3人で作り上げる音楽に他ならないからである。
だが、そうは言ってもジャズでありフリージャズである。時にはその最低限のフォーマットすら外して飛びまくるケースもあり得る。音楽的に良いものが出来るならそれは「有り」とするのがジャズなのである。
ちなみに、茂木大輔氏は山下洋輔氏に心酔し、後に「山下洋輔の超室内交響楽」その他で何度も共演している。他にも山下氏は茂木氏の為にオーボエのソロ曲を作曲し献呈するなどしている。

(*3)
かつてジョン・コルトレーンのカルテットで演奏したレジェンドのドラマーであるエルヴィン・ジョーンズは森山威男氏が好きで憧れる存在でもある。エルヴィンの何に惹かれたのかと言えば、森山氏曰く「エルヴィンの演奏は民謡だ」「民謡は西洋音楽のルールや枠では捉えられないものがある」「エルビンジョーンズの演奏は小節をまたぐバー(*3a)を感じさせない」、ということであり、森山氏もそれを意識して自分の演奏スタイルを築いていったのである。どの国の民謡もそうだが、西洋音楽流には捉えられない音楽世界である。西洋音楽的にエルヴィンの真似をしてもエルヴィンにはならないのだ。
そんなエルヴィン・ジョーンズであるが、彼が日本滞在時に森山威男氏の演奏を聴いて「森山、シンバルは楽器だぞ。敵みたいにあんなに叩くんじゃない」と説教した。だが、森山氏にしてみれば、「あんたに言われたくないよ。あんたの真似をしてこうなったのだから」ということだ。(笑)

(*3a)
小節をまたぐバーとは楽譜上に記される各小節を区切る縦線のことである。

(*4)
聴いて頂ければ判ると思うが、全体を通してきちんとした流れがあり、山もあれば谷もあって音楽としてのストーリーがその場で作られているのである。好き勝手にやってはいるがデタラメではなく、実はかなりお互いを聴き合ってその瞬間に何が必要かを瞬時に判断して音を出している事に気がつくと思う。その上での力の爆発なのである。だからこそ深い音楽文化を持つ欧州の聴衆をも魅了したのだ。







ヴィレッジ・ヴァンガードはNYのジャズクラブ

2022-02-21 05:55:00 | 音楽
近年、若年層に広く認知されているヴィレッジ・ヴァンガードといえばオシャレな書籍店/雑貨店だが、中高年世代でジャズが好きな人たちにとってはヴィレッジ・ヴァンガードと言えばニューヨークの老舗ジャズクラブである。


日本のヴィレッジ・ヴァンガードは設立が1998年(平成10年)だが、本家ニューヨークの方は1935年(昭和10年)であり、あの名門レーベルのブルーノート創業の4年前である。なお、日本のヴィレヴァン創業者の菊地敬一氏は元々ジャズ好きであり、自分の店(書籍店)でジャズのライブをやりたいという夢があった。音響の関係でライブこそ断念したものの、店名やBGMにジャズを流すなどすることでジャズ的な雰囲気を残すようにしたということだ。

前述の創業者菊地氏が好きなアルバムにヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ盤がいくつかあるそうだが、例えばテナーサックスの大御所であるソニー・ロリンズの名盤である「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」(1957年11月3日録音)もその一つだ。このライブはコード(和音)楽器がいないピアノレスのトリオ(サックス、ベース、ドラム)での演奏である。ジョン・コルトレーンのグループでの演奏で有名なエルヴィン・ジョーンズ(Ds)との初共演が聴ける。コード楽器がいない…つまり和音が奏されないということはサックスのアドリブにとってはイマジネーションがより自由になる、ということでもある。この日のロリンズもエルヴィンも素晴らしいプレイをしており、永遠に色褪せない素晴らしいライブレコードである。

また、名ピアニストのビル・エヴァンスの名盤である「Sunday at the Village Vanguard」(1961/06/25録音)も菊地氏が好きなアルバムとのことだ。このときのエヴァンスのトリオにはあの名ベーシストのスコット・ラファロが在籍している。ラファロは若くして交通事故で亡くなってしまうが、エヴァンスのトリオ在籍時には数々のモダンで美しく、しかもイノベーティブな演奏を残している。

そして、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ盤と言えば、忘れてはいけないのがジョン・コルトレーンの2つのレコードだ。
一つは「Live At The Village Vanguard」(1961/11/2,3録音)であり、エリック・ドルフィーがバスクラリネットで参加したクインテットでの演奏である。1曲目の「Spiritual 」というタイトルにも表れているが、深い精神性を感じさせる演奏には普遍的な価値が感じられる。3曲目の「Chasin' The Trane」はずっと後の時代にチック・コリアのアコースティックバンドでも演奏されているが、曲自体はオーソドックスなブルース(キーはF)である。コルトレーンのアドリブもかなり自由に飛翔しているが、ここでマッコイ・タイナー(ピアノ)は故意に演奏(バッキング)をしていない。コードを鳴らさない方がサックスのアドリブがより遠くへ飛ぶことができるからである。ドラムでリズムを鼓舞するエルヴィン・ジョーンズの凄まじいグルーヴ感もあって曲の後半になると鳥肌が立つほどの盛り上がりを見せる。



ジョン・コルトレーンの傑作ライブアルバム「AT THE VILLAGE VANGUARD」ジャケット



もう一つは、「Live at the Village Vanguard Again!」(1966年5月28日録音)である。冒頭に掲げた画像がそのジャケットだ。メンバーはほとんど入れ替わっており、妻のアリス・コルトレーンがピアノ、もう一人のテナーサックスにファラオ・サンダースが入ったクインテットである。よりスピリチュアルな領域に入っている演奏になっている。なお、この時のヴィレッジ・ヴァンガード出演の2ヶ月後にコルトレーンはこのメンバーで最初で最後の来日を果たしている。コルトレーン自身は翌年(1967年)の7月に亡くなるが、その前年の演奏である。日本でもJR東海の「そうだ、京都へ行こう」CMで有名になった「My Favorite Things」も演奏している。ソプラノサックスで演奏されるが、コルトレーンが好んで演奏した曲の一つである。



もう一つのビレッジ・ヴァンガードでのライブ盤である「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN!」



このニューヨークの老舗ジャズクラブであるヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ盤は数多い。「Live at the Village Vanguard」で検索すればAmazonでもYouTubeでも多くのライブ盤がヒットする。名演奏が生まれるジャズクラブ、それがヴィレッジ・ヴァンガードなのである。




* * * * *




ヴィレッジ・ヴァンガードの日曜日のマチネー(昼公演)を告知する新聞広告。時期的に1957~1958年頃と思われる。ジョン・コルトレーンがセロニアス・モンク・カルテットに加わって出演する、というものだが、今から見れば凄すぎて鳥肌が立つほどの組み合わせである。







ウェイン・ショーター「ネイティブ・ダンサー」

2022-01-18 17:11:17 | 音楽
最近はついにオペラの作曲(E.スポルディングとの共作))まで手掛けるウェイン・ショーターであるが、過去にブラジリアン・テイストを感じさせるアルバムを4枚リリースしている。

・『スーパー・ノヴァ』 - Super Nova(1969年8月、9月録音)(Blue Note)
・『モト・グロッソ・フェイオ(アマゾン河)』 - Moto Grosso Feio(1970年4月録音
・『オデッセイ・オブ・イスカ』 - Odyssey of Iska(1970年8月録音)(Blue Note)
・『ネイティヴ・ダンサー』 - Native Dancer(1974年録音)(Columbia)

この内、上から3枚はジャズ色が強くフリーフォームも取り入れた音楽になっている。折しもこれらの作品が作られた時代はフリージャズの勃興期と合致しているが、一口にブラジルと言ってもウェインらしい個性の強い音楽になっている点は興味深い。ここでは深く触れることはしないが、「モト・グロッソ~」ではチック・コリアがドラマー・パーカッショニストとして参加(ピアノは一切弾いていない)しているのが面白い。また、和音楽器がギターが中心であるのもウェインの楽歴の中では珍しいと言えよう。


そして、今回ここで取り上げるのは、ウェインの長い楽歴の中でも異色の存在であるアルバム「ネイティブ・ダンサー」である。

これは正に一般的な意味でのブラジルを感じさせる音楽になっているのだが、ウェインの音楽にあまり理解のない方々や、そもそもジャズという音楽の理解が不足している方々から見れば、これは「ミルトン・ナシメントの音楽じゃないか」という意見を持たれる方も多いと思う。表面的な形だけ見れば(聴けば)確かにミルトン・ナシメント的ではあるが、それで片付けられるものでもなく、勘違いは禁物である。

確かにこのアルバムにはミルトン・ナシメント自身が参加しており、音楽のフォーマットとしてミルトン・ナシメントの流儀に則ったものにはなってはいる。だが、それはフォームをそのように設定しただけであり、その音楽をちゃんと聴くならば、ウェインがミルトンの音楽を正しく吸収・消化した上で間違いなく「ウェイン・ショーターの音楽」として昇華させたものである事がわかるはずである。

当時の妻であったアナ・マリア・ショーターの推薦でミルトン・ナシメントと親交を持つに至ったウェインだが、1974年に本作を発表した後、1991年にはウェインとミルトンのセッションがよみうりランドEASTで開催された LIVE UNER THE SKY で実現している。そこには本作録音時のメンバーでもあるハービー・ハンコックも参加している。

アルバムに収録されている曲はウェインの作曲によるものが3曲、ハービー・ハンコック作曲分が1曲。そしてミルトン・ナシメントの作曲によるものが5曲であるが、全ての曲が統一されたコンセプトの音楽として作られており、ブラジル音楽とジャズが自然に融合したウェインならではの世界が紡ぎ出されているのだ。


本作に収録された曲の中で「アナ・マリア - "Ana Maria"」は妻であるアナ・マリアに捧げられた曲である。ト短調(Gm)の非常に美しいメロディーが印象的であるが、興味深いのは1970年に録音された『モト・グロッソ・フェイオ(アマゾン河)』の2分50秒あたりに「アナ・マリア」のモチーフが(少しだが)登場する。ウェインの中で当時から育てていたモチーフだったのであろう。

また、「ミラクル・オブ・ザ・フィッシュ - "Miracle Of The Fishes"」の後半部ではウェインの「命の躍動」を感じさせるアドリブが素晴らしい。最初はテナーサックスでアドリブを始めるが、途中でソプラノサックスに持ち替える。特に3分41秒あたりからのフレージングはアドリブ・スピリッツに満ちており、躍動感と浮遊感のある真にポジティブな息吹を感じさせるものがあって鳥肌が立つほどの凄みを感じさせる。


本作を評する時に「楽園的な音楽/サウンド」といった言葉で形容する人も居るが、単なる楽園ではなく、人間の心の奥底から迸るような肯定的な生命の喜びを感じさせる音楽であり、単なる楽園では済まない音楽として尖ったセンスを感じさせるニュータイプのジャズとして仕上がっているのである。
機会があれば聴いてみていただきたい傑作の一つである。











ジャズに名曲なし…その心は…

2021-10-04 15:15:00 | 音楽
音楽界で有名な言葉に「ジャズに名曲なし」というのがある。

誤解しないでいただきたいが、実際に名曲と呼べるものが無い訳ではない。そういうことではなく、ジャズでは「曲の良し悪し」よりも「演奏の良し悪し」の方を重視していることを表している言葉なのだ。例えばスタンダードナンバーと呼ばれるポピュラーな曲は多くのジャズミュージシャンに依って演奏されている。そこで重要なのはスタンダードナンバー曲それ自体ではなく、それを素材にしてミュージシャンがどれだけ優れた即興演奏を生み出せるか、にあるのだ。従って、「ジャズに名曲は無い。名演があるだけだ」と言えるだろう。

ジャズに見られる特色として、多くのミュージシャンが同じ曲を演奏している、という事実がある。例えば「枯葉」という曲は往年のシャンソンの名曲だが、ジャズではこの曲自体に価値を与えるのではなく、それを「どのミュージシャンがどのように演奏したか」に価値基準を置いているのである。曲(素材)は同じ「枯葉」なのに演奏者に依って全く異なる曲に聴こえたりするのがジャズの面白さである。
マイルスが演奏する「枯葉」とチェット・ベイカーが演奏する「枯葉」は違うし、ビル・エヴァンスの演奏する「枯葉」も同様だ。素材は同じ曲なのに、各々全く別の価値を持つ演奏になっているのだ。マイルスの場合でも初期の演奏とハービーやウェインが加わった頃のクインテットの演奏ではまるで違う。

これは例えばポップスやロックなどではあまり見られない現象である。ロックの場合だと、例えばイエスの「危機」や「ラウンドアバウト」はイエスというバンド(メンバー)の演奏やイメージと一体になって認識されていて、イエスが譜面通りに演奏するところに価値があるとされているのが一般的だ。形式(演奏内容)も基本的に同じあり、聴衆も同じスタイルで演奏される事を期待している場合がほとんどである。シカゴの「長い夜」や「サタデー・イン・ザ・パーク」もシカゴのメンバーが譜面通りに演奏してこそ(リスナーにとって)価値のある音楽となる。ビートルズも同様だ。ロックでは曲とそれを演奏するミュージシャンは対になる関係として捉えられるのかもしれない。ジャズでは対照的に曲は単に素材でありモチーフとして捉えられることが多く、それを数多のミュージシャンが演奏し各々の個性を発揮した表現が為されることが求められているのだ。

クラシックの場合も大筋でロックと同じである。確かに同じ交響曲でも指揮者によって表現のニュアンスは異なるし、ベルリン・フィルの演奏とモントリオール交響楽団の演奏では随分印象は異なる。同じバッハのピアノ曲でもホロヴィッツとグールドでは全く印象が違うのは確かだ。それでもクラシックの場合も基本的には「曲」がメインなのである。

ジャズだけが「曲」という素材よりも、その素材をネタにしてどのようにアドリブを展開し、今までに聴いたことのない世界に連れて行ってくれるのか…という即興性に主眼を置いた価値基準で評価されるのである。(*5) だから聴く側も「曲」へのこだわりではなく「演奏者」へのこだわりが先にくるのだ。このような評価方法はジャズだけだ…と思ったら、インド音楽もある意味でそうかもしれない事に気付いた。インド音楽もラーガと呼ばれる旋法を素材として即興でどのように展開してゆくかを競う(敢えて”競う”と表現する)音楽であり、同じ曲(ラーガ)であっても演奏者によって評価は異なってくるのだ。

ジャズに於ける最も典型的な「曲」はブルースだろう。…と言っても、いわゆるリズム&ブルースの類ではない。ジャズで言うブルースとは1コーラスが12小節で完結する典型的なコード進行のことである。およそジャズミュージシャンなら絶対に必ず演奏するもので、ジャムセッションではやらない筈がないというほどのものだ。なぜか。誰もが知っている形式でありコード進行なので、打ち合わせ無しで誰でもすぐに演奏に参加できるからだ。ブルースにもテーマと呼ばれる特定のメロディーが付けられて各々曲名が付いている(*1)が、ブルースに於いてはそれらメロディーは単なる符牒のようなもので、大事なのはそのブルースをどのキー(調性)で演奏するか、である。よくあるのはキーが「F」の場合と「B♭」だろう。「その12小節で1コーラスのブルースの中でどんな即興演奏ができるか」が、ジャズの面白さなのである。(*3)

余談だが、ブルースの演奏でセッション相手に少しだけ意地悪したい場合はやり慣れていないキー、例えば「B」とか「D♭」とかで演奏を始めてしまうのだ。あまり経験の豊富ではないミュージシャンはここでボロが出る。やり慣れていないキーだとアドリブ演奏がしにくいったらありゃしない…な状態になって下手な演奏家なら早々にグリコ(両手を上げる=降参)になるだろう。リズム体にも影響する場合がある。キーが「B」や「D♭」だとベースのウォーキングライン(*2)も開放弦が使いづらくなるので演奏で楽ができない事態となる。(笑)
まぁ、たいがいのプロ演奏家なら「エニーキーOK」(どのキーでも演奏可)な筈であるが…。

閑話休題。

素材がブルースであっても美しいバラードであっても、ジャズという音楽に於いては曲それ自体の価値もさることながら、演奏者がその日その場所でどのようにアドリブを展開させていくのか…に注目するのであり、そこで演奏された即興演奏は二度と繰り返されない。同じことを二度演奏することはないし、できないのだ。即興演奏とは、その日にその場所でそのミュージシャンがどのような体調や気分で、その曲にどんな思いを込めているか、その瞬間に何を感じ何を考えているかに依って全て変わってくるものである。ジャズでは一度演奏されたものをそのままなぞることはしない。なぞる事に意味は無い。同じ即興内容が繰り返されることはないのだ。一期一会である。(*4)

また、リスナーには「好みのミュージシャン」というものがある。「最高の即興演奏」を聴きたいのだが、それ以前に「誰の演奏」を聴きたいのか、という願望がある。ジャズでは例えば「酒とバラの日々」を聴きたいのではなく、誰それが演奏する「酒とバラの日々」が聴きたい、ということだ。演奏者が誰か、というところに主眼が置かれるのであり、そのプレイヤーの最高の即興を聴きたい…そういう気持ちが強いのだ。これは実は落語でも同じである。落語を聴きたい人は単に「寿限無」を聴きたいのではない。特定の落語家が演じる「誰それが演じる”寿限無”」が聴きたいのだ。それと同じである。


このように、ジャズでは即興演奏の内容に価値判断の重きが置かれており、それは素材となる曲そのものの評価よりも遥かに大きいのだ。これが

「ジャズに名曲なし。名演だけがある」

と言われる所以である。




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(*1)
チャーリー・パーカーで有名な「ナウズ・ザ・タイム」やセロニアス・モンクの「ストレート・ノー・チェイサー」、ミルト・ジャクソンの「バグス・グルーヴ」などは全てキーがFのブルースであり、ミュージシャン側の認識としてはどの曲であっても「Fのブルース」として捉えられている。コルトレーンの演奏で有名な「ベッシーズ・ブルース」やソニー・ロリンズの「テナーマッドネス」などはキーがB♭のブルースであり、これも演奏者側では単に「B♭のブルース」として捉えられている。これ以外のキーではデューク・エリントンが作った有名な「Cジャムブルース」がある。これはその通りキーがCのブルースだ。

(*2)
4ビート曲ではベースはたいてい4分音符を並べたベースライン(1小節で4分音符が4個)を演奏するが、それをウォーキングベースと呼んでいる。ベースのチューニングは開放弦で低い方から[E・A・D・G]となっており、キーがFやB♭だとウォーキングラインを進める上で開放弦を使用できる機会が多いので左手が少しだけ楽に演奏できるのである。

(*3)
ロックでブルースを演奏する場合はキーが「A」であるケースが多いかもしれない。これはギターで演奏しやすいキーであることから来ている。
j
(*4)
高名なプロの演奏家であっても、即興演奏が常に最高の状態をキープできるかは判らない。ある日はコンディションが悪くてあまり良いアドリブができなかった、という場合だってあり得る。聴きに来るお客さんにとっては損したような気分かもしれないが、しかしそれがジャズであり、仕方ない。逆に別の日には最高にして至高の即興演奏がなされる場合もある。その日がいつ来るか誰にも判らないが、ジャズを聴きに来るお客さんは今日がその日であることを期待して聴きに来るのである。一種の賭けではあるが、それがジャズなのだ。

(*5)
だから他のジャンルではマスメディアで紹介される時に「曲名」が最初に来たりするのだが、ジャズの場合は曲名よりも「演奏者が誰か」が重要なのだ。だが、ジャズを知らない多くのマスメディアはこれに気づいていないのが実態である。





コルトレーンに捧げるコンサート(1987)に思う

2021-07-30 15:51:00 | 音楽
ジョン・コルトレーンはサックス奏者だが、とりわけテナーサックスの奏法については独自のスタイルを確立したことで、彼以後の(モダンジャズを目指す)テナーサックス奏者は多かれ少なかれ影響を受けている。偉大なサックス奏者であったマイケル・ブレッカーもまたコルトレーンの影響を深く受けた一人である。

また、サックスの奏法だけでなく、音楽としてのジャズを本質的に深化させていった功績は非常に大きなものがある。音楽の創作という面でもコルトレーンの影響は大きく広い。

コルトレーンは1967年7月17日に病気で亡くなったが、その20年後の1987年に日本のジャズフェスである LIVE UNDER THE SKY で没後20周年を期してトリビュート・コンサートが行われた。


「Tribute to John Coltrane (Live 1987 Full)」


メンバーは

Wayne Shorter(ss)
Dave Liebman(ss)
Richie Beirach(p)
Eddie Gomez(b)
Jack DeJohnette(ds)

曲目は

Mr.PC
AFTER THE RAIN
NAIMA
INDIA
IMPRESSIONS

である。

デイブ・リーブマンはコルトレーン・スタイルを色濃く受け継ぐ演奏者であり、コルトレーンの研究家でもある。
ウェイン・ショーターは演奏スタイルはやや異なるが、コルトレーンのジャズ・スピリッツをしっかり受け継いだインプロバイザーと言える。
ウェインとデイブは共にマイルスのバンド出身者でもある。

ベースのエディー・ゴメスとドラムのジャック・ディジョネットは共に数多くのバンドやセッションに参加してきた優秀な音楽家であり、あのビル・エヴァンス・トリオのメンバーであった。その時代に名盤「モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス」を残している仲でもある。ピアノのリッチー・バイラークはデイブ・リーブマンの盟友であり、モダンジャズの革新者の一人である。

このコンサート。東京の よみうりランド・オープンシアター East で開催されたのだが、筆者もこの会場で聴いていた一人である。現場の熱気は凄かった。

普段は一緒に演奏する機会がほとんど無い顔ぶれのセッションでもあり、その意味でも貴重な記録と言えよう。

コンサートには実はこのメンバー以外にもWSQ(ワールド・サクソフォン・カルテット)が加わって「MY FAVORITE THINGS」が演奏されたのだが、なぜか発売されたビデオソフトには収録されていない。極めて残念である。裏にいわゆる大人の事情があったとしても、音楽的・歴史的意義を考えるとノーカットでリリースすべきであった事は間違いない。


1曲目の「Mr.PC」が始まってすぐにデイブ・リーブマンのソロが始まる。ジャズ界でも特にコルトレーンの影響が濃いプレーヤーなので、そのフレージングはコルトレーン・スタイルが極めて濃厚である。ひとつ残念だったのは、特に高音域(サックスのスプーンキーを使用する音域)がほとんど音にならず(リードが振動してない)、かすれた音になってしまっているのは残念なところだ。意気込み(熱情)が先行するあまり、リードのコントロールがうまくいかなかったのかもしれない。デイブのソロ全体としては熱気あふれる内容であったが、前述の音のかすれもあってか、デイブ自身はやや不完全燃焼だったかもしれない。

続いてウェイン・ショーターのソロである。こちらはウェイン独自のスタイルを貫いていて白熱化した。ジャック・ディジョネットのドラムがバンド全体を鼓舞するようにグルーブしていたのもウェインのソロが焚き付けた炎に依るものだったと言えよう。

その後の曲目ではコルトレーンに造詣の深いデイブ・リーブマンの演奏を中心に展開されていくが、全体として豊かな音楽を鑑賞できた充実感に溢れる一夜であった。


このコンサートについては「もっとコルトレーンにゆかりの深い人選の方が良かった」、という趣旨の意見も少なからずあった。それは評論家や一般リスナーに共通して見られる傾向であった。しかし、ここに集結したミュージシャン達は「コルトレーン音楽保存会」ではないのだ。そこは認識しておいた方が良い。

よく、「○○民謡保存会」というのがあるが、そうした団体のほとんどは「○○民謡」の「形」を残す事に特化しており、「○○民謡」を「今の」「現代の」生きた音楽として捉えて創作し活動している訳ではない。「形式」だけ残されても実はあまり意味はないのだ。言っちゃ悪いが「仏作って魂入れず」のようなもので、それが「保存会」なのである。真の意味で残したいのなら、往時の音楽を今の生きた音楽として改めて創作し直すクリエイティブな作業が必要になるのだ。

その意味で、このトリビュート・コンサートもまたコルトレーン・ジャズの「形式」だけを再現するのでは何の意味も無い。当夜のメンバーはコルトレーンのジャズ・スピリッツを受け継いで見事に「現代」のジャズとして提示したのである。

当夜の演奏が始まる前にウェイン・ショーターが語っている内容は象徴的で本質を言い表している。ニューヨークの老舗ライブハウスであるバードランドでコルトレーンに会ったウェインに対して、コルトレーンは「多少の相違はあっても、僕らは同じ道に沿って演奏している」「音楽理論の研究や技術なんてどうでもいいことだ。真理を求める感性だけがあればいい」と語っている。ウェインがコルトレーンに感じていた大きなサムシングは「コルトレーンが音楽を演奏する以上の何かを感じていたこと」であり、コルトレーンは「生きることの本質、その崇高さを”知って”いた」のであり、優れた音楽の核になる部分が言語化・理論化できない人間の”魂の領域”にこそ存在していることを述べているのである。


そうしたスピリチュアルで大切な何かを内包した演奏だったから、だからこの1987年の演奏は今の時代でも色褪せず、人間の核心に迫る音楽として生き続けているのであろう。