週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

本物の島唄♪

2012年11月30日 | 呑み屋探訪(赤坂、六本木界隈)

  

 本物の島唄である

 八重山古典民謡保存会の大浜安則氏のTOKYO初ライブを聴いてきた。

 大浜さんは、竹富町新城島出身。父の良光さんは島の地謡(じかた)の一人。血が脈々と受け継がれるのは、昨今の政でなければ稀少なことなのだな、と思う。

 笛は北海道から大浜さんの歌声に惚れてきた、脇を固める伴奏の女性も東京とか。門戸を広く開いていらっしゃる気質も素晴らしい。

     

 超久しぶりの六本木に降り立つ。目指すビルは、アマンドの斜向かい。歓楽街のど真ん中に会場の店がある。かつて、何百回と通った、首都高速渋谷線を見下ろすことができる素敵なロケーション。

 そんな夜景を見ながら、八重山や石垣島の唄を聴くというのも不思議な感覚である。

 まずは、石垣フリークの友と、オリオンの生で乾杯。

   

 乾いた音が香ばしい、島の魚を揚げたグルクンの空揚げがうまい。

 頭までかぶりつける、南の海の味。

    

 沖縄といえば、肉。それも豚殿の極致、ミミガーが泡盛をひき立たせてくれる。

 南国の風が、脳裏を掠めた。

      

 巨大なシーサーさまがお出迎えしてくれる。

 まだ景気のよかりし頃、取材で訪れた石垣島で現地のカメラマンさんと一緒に撮った写真が我が家に残っている。懐かしい青写真だ。

   

 友の息子くんの手が、やたら止まらないとは、このポテト。おいらは、イカリングだと思ったぜ。幾度も訪れている沖縄地域だが、この形は初めてみた。いかにも子供が好きそうな形と味である。米軍の影響よろしく、ジャンキーにたっぷりのケチャップでどうぞ。

   

 島唄の第一人者として受賞歴も輝かしい、大浜さんの歌声が五感を揺らし、三線の弦の音が魂に呼応する。

      

 大好きな琉球グラスで味わう泡盛は、石垣島そのものだ。

 本物に触れる、古典を聴くことの大切さを思う。

 誘ってくれた友と、友の家族の笑顔に感謝。

 ライブのラスト、あの島踊りを浮かべながら、一句捻ろう


    「滔々と島々泳ぐ渡り鳥」 海光


◇島唄楽園 六本木

〒106-0032
東京都港区六本木7-14-10誠志堂ビル4F
03-3470-2310
http://www.shimapara.com/


おとりさま

2012年11月23日 | ★江戸っ子エッセイ★

 
                一の酉(鷲神社境内にて)

 この活況ぶりが伝わるだろうか
 
 今年も霜月(11月)の8、20の酉の日に、市が開催された。

 暦ではいわゆる二の酉で、両日とも好天に恵まれ、不景気風の吹く最中、たいへんな賑わいでござった。

 葛飾郡の花又の大明神から起こった酉の市も、新吉原の新の市になってから隆盛を極めたといわれている。祭神は天日鷲神 日本武尊。鷲神は天手力男神の息子で、弦という楽器を司っており、その弦の先に鷲が止まったので、ここから開運をもたらすと祀られるようになったそうな。

 幼い頃、いまより広範囲の道路が通行止めになった。家のまん前の車道で寝そべることがとにかく嬉しかった。ロウ石で丸や四角を書いて、いろんな遊びに興じたものだ。大きな熊手や湯気を立てた頭芋を手に、道をゆく人々の顔もホクホクして温かかった。

  

 会社帰りの遅い時刻(酉の市は深夜0時まで)でも人の波は途切れない。

 通勤の自転車を降り、長國寺に向かうと、長蛇の列である。

 その波に流されるように、逆らうように掻き分けて進むと鷲神社の社がみえた。

  

   

 運を掻っ込もうと、でっかい熊手が我が物顔に往来する。

 其角が詠む、「春をまつことのはじめや酉の市」。

 八つ頭の芋は縁起もの。

 かつての下谷田圃に、あわもち、切山椒と並んで、どれも霜月の市の風物詩だ。

   
  
  

 中央図書館にある熊手、森下みの家にある熊手もでっかいが、さすが本家本元、鷲神社正面にかけられた熊手の巨大さは度肝を抜く。

  
                 鷲神社の巨大熊手

 福福しいお多福顔が、日本の美。忘れちゃ困る江戸の粋。

 鷲神社そばの記念館では、一葉祭りが開催中である。

 観音裏の一葉桜には、一斉にイルミネーションが輝き、スカイツリーと競演している。

 もう一つ、昨日弊社刊U字工事の刊行記念のサイン会があった浅草東武ビル(松屋上)の屋上に、お神輿が飾られている。ここでも、スカイツリーと2ショットするチャンスですぞ。

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           二の酉(巣鴨大鳥神社)

 二の酉は、昼の散歩と会社帰りに巣鴨の大鳥神社に寄ってみた。

 普段、ひっそりと佇む社だが、この日ばかりは、ご近所さんで賑わっていた。

 旬を感じることの大切さを、まだまだ日本人は持っている。

  
               大鳥神社(夜)

  
          秋田肉巻きりたんぽの屋台

 珍しかったので、パチリ。秋田名物のB級グルメ。

 屋台を冷やかす笑顔が、人の心を明るくさせる。

 鷲大明神も、きっとどこかで弦を奏でていらっしゃることだろう。

 おいらはせいぜい言葉を選んで、書物で闇を照らすことができたらと思う。紡いだ文章に鷲が止まるかどうかは、この先の精進にかかっている。

 毎度のこと。やるしかないのだ。やるしか。

 今年も残すは、師走、浅草の羽子板市

 12月17、18、19日に開催される予定。

 しめか、飾りか、橙か、雑器に、木鉢に、摺子木に、火打ち石や、火打鎌、五徳…。

 江戸の正月前は大忙し、いまの比でなかったはず。心ばかりが急いて、いっこうに身の回りが片付かない。ご先祖さまが見たら、さぞ嘆くことであろう。

 穏やかなる正月を迎えるべく、師走の準備に取り掛かりたい

  
  
 
   
     「江戸の市愚痴を売っては売れ残り」 海光

 


TOKYO BAYの海を走った!

2012年11月18日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
             全線通行止め 海の上

 2012年10月21日(日)のこと

 初めて、TOKYO BAYを横断するアクアラインの上を走った。

 千葉県知事森田健作氏の肝いりのマラソン大会だ。

 なんといっても、暑かった。スタート時で23.5℃。ハーフポイントを過ぎる昼頃には、26℃を記録した。この時期の気温としては異例であろう。

 毎年潮干狩りにくる木更津の海浜公園が会場。

 第1回ちばアクアラインマラソン大会に、じつに1万4000人が参加したそうだ。

 10時、号砲が鳴ってスタートした。

   
               木更津 号砲直後

   
      千葉真子さんや森田知事の立つスタート地点

 はるばる尼崎から来た同窓と、東京から一緒に着いた友人と3人での参加だ。
 
 同窓のかみさんとご家族の大応援団に見送られ、元気に出発する。

 8キロ過ぎ、ようやくアクアラインが見えてくる。

     
               高速料金所

 普段はまず脚で走ることができない、アクアラインの高速料金所をETCもなしに潜る。

 何とも言えない快感だ。

 雲ひとつない、スカイブルー一色だ。

   

 ハーフまで尼崎の友とランデブー。マラソンを走ってこんな楽しい経験は初めてだ。

 お互いに写真を撮りあい、語りながら、海の上を抜ける潮風を胸いっぱい吸い込む。

 なんて気持ちいいんだろう。

   

 洋上には、たくさんのヘリが飛び交う。

 TBSやNHKの特番が組まれるみたいだ。

 秋なのに、汗が吹き出す気候を除けば、快走といっていい、ハーフまでのRUN。

 ダラダラと続く上りのアクアラインに罠があった。海ほたる前の急な下り。抑えたつもりだが、膝を痛めるには十分の急角度。

 アクアラインを降りるあたりでちょうどハーフライン。ここまでは快調だったのだ。

 膝のバネが飛んでしまった。苦しいレースが始まった。マラソンを走って初めてというくらいの辛さがあと半分つづく。

 赤飯のおにぎりやら、地元の冷凍ブルーベリーの給食と、沿道の声援だけが支えだった。

 サブフォーどころか、サブファイブも危うかった。

 その分達成感は高かったが……。

 大会当日に日本陸上競技連盟の公式計測員が計測した結果、42.195kmよりも22.78m長い42.21778kmだったというオチも加わった。

 通常、市民マラソンは90%以上の完走率。このアクアラインマラソンは、74%だという。

 各所にある救護室は満杯で、氷も足りていなかった。それだけ、おいらと同じく、膝を痛め、熱中症になるランナーが多かったことを物語っている。

 ほとんどのランナーが、自己記録を大幅に後退したという。

 おいらも、友人たちも屈辱的な記録になったが、3人ともともかく完走した。

 ゴール直後は、ビールすら飲みたくなかった。ひたすら水だけを欲する。

 だから、東京駅で飲んだビールは最高の味。

 一緒に走ってくれた、友2人。ありがとう。

 声援してくれた友人ご家族に感謝、沿道の声援に感謝である。

 今度の週末は、2012年の締めくくりのレースが待っている。だけど、まったくの練習不足だ。酒のためのRUN、創作のためのRUNなのだ。致し方あるまい。

 とにかく、横須賀の海軍カレーとビールを楽しみにしている。

 いろんな意味で、走り続けるしかないなという、今日のこの頃である


  「海ほたるカモメになっていわし丼」 海光

 

 


河童の遠足

2012年11月14日 | ☆文学のこと☆

  
                  曹源寺の河童さま

 ここんとこいろんなものに追われている。地に足がついてないとはこのことか。そんな折、ご近所に住む作家高橋うららさんから愉しい遠足にお誘いいただいた

 なんでも、拙作みの吉の貝独楽が季節風に載って、このブログで河童寺こと、曹源寺を紹介したのがきっかけになったそうな。これも嬉しいことだ。

 一番近い駅なのに一度も乗ったことのないつくばEXPRESSの改札で、河童の会の皆さんと、待ち合わせる。一同ぞろぞろわいやわいやと、合羽橋本通りを上野方面へ向かった。かつて新堀川という掘割があったとおりを越えると、右手に曹源寺の入り口がみえる。

 入ってすぐ、一種異様な河童のギーちゃんが出迎えてくれた。

      
      水木ワールドに出てきそうな河童のギーちゃん

  
                   ご奉納のキューリ

 禅寺の中にある、河童のお堂にくると、ご覧のリアルな男女?雄雌?の仲睦まじい河童の夫婦が鎮座している。

 お賽銭箱にのるキューリを見て、カブトムシと好物は一緒なんだなと妙に納得してしまった。

    

 安永年間の古地図にものる禅寺曹源寺だが、河童の伝承は文化年間の頃のこと。

 たびたびの洪水に対処するため私財を投げ打った合羽屋喜八(川太郎)。彼の窮地を、かつて命を救われた大川の河童が助けたのがこのお堂ができた由来。そして新堀川が完成する。

 以来、禅寺に祀られた河童大明神を参詣すると、商売繁盛するということになった。
 
      
                  河童大明神

      
                  河童のミイラ

 矢追純一、川口探検隊よろしく、ミリテリアスな匂いがプンプンする、河童の水かきらしきものも撮影できた。

      

 道具街にある黄金の河童さまにご利益を祈願し、池波正太郎記念館にご案内する。

 池波師匠の執筆時そのままの机やペンを見て、河童の会の方々も感得するものがあったらしい。
         
     
     
                どぜう鍋ぬき
  
 遠足の後は、愉しい会食が待っている。

 初めての方が多かった、どぜう鍋。丸はキツイだろうと、骨抜きを注文。賢明ですな、うららさん。

 このお鍋。父譲りのこだわりは、ゴボウとネギをお代わりすること。

 泥鰌の滋養が滲みたゴボウとネギが、最高の酒の友となるのだ。

 風邪気味の方も一発で治ったという泥鰌の力。予防にもなったはずだ。

 きっと江戸の頃は、田んぼや水辺にたくさん泳いでいたであろう、泥鰌。庶民の家々では、味噌汁など安価で手軽に栄養の取れる食材であった。それが今ではこうして頂く、お出かけ用の食材になってしまった。これも世の趨勢か。

 この飯田屋は以前にも紹介したが、東京の三大どぜうと云われている。

 建替え前は、寅さんの撮影にも使われた。そう云おうとしたら、お隣の会の方から立ち会ったことがある、なんて貴重な話も飛び出した。

   

 近郊も遠方も、各々お土産を買って、観光気分でお帰りに。

 あっという間の遠足でござった。

       

 河童堂にあった幟に、気になる文字が書かれている。

 今度海に行くときには、ここにお参りすると、波乗りが上達するかもしれない。

 一人そんなことを思ったおいら。

 嵐のような息抜き。刺激はビンビンいただいた。

 うららさん、河童の会の皆さん、お招きくださりありがとうございます。

 冒頭の写真奥に、川太郎の墓がある。

 河童さまのご利益がありますように
  

   「てっぺんへ手向けの水や川太郎」 川太郎の墓にあった句
 


希望の国

2012年11月08日 | ★映画★

      

 10月のこと

 同人の大会作品をレポートするため、どうしても観ておいたほうがいいな、という映画に出会ってしまった。

 それが園子温監督の希望の国である。

     

 直近ではヒミズが話題となった。国際的にも国内のクリエーターたちにも評価の高い監督だが、おいらはこの作品が初めての鑑賞である。

 あの震災から随分経ったようで、まだ一年半だ。人の気持ちは移ろいやすい。それを的確に表現した作品だった。

 衝撃を通り越した映像を見てからその後、時折特集されるドキュメンタリーを無意識に避けるように生きていた。いつのまにか……。

 あの日からかの土地では不条理、理不尽、矛盾が有象無象に渦巻き、血の通う人間の尊厳を踏みにじってきた。

 過去は消えない。ただだからといって過去に生きるのではなく、流されず傷や思い出や悔しさや不条理を忘れずに進む大切さを教えてくれる作品である。

 映画のあと、原作も読んでみた。撮影の舞台裏も書かれている。撮影の前後ですら変化する監督はじめ、スタッフ、家族の行動とセリフがリアルに伝わって、人間の強靭さと狡さを考えさせられた。

    

 多くは語るまい。おいらにはそんな資格も無いだろう。

 ただ、おいらも考えていたことを、あさのさんも思っていたんだ、とすんなり心に入ってきた。

 それぞれのあの日。それを語らず、伝えずして何が物書きか。

 それぞれの物語に向き合おう
 
    

 
   「そぞろ寒言葉に宿る温かさ」 海光


糸子目立ってます!

2012年11月04日 | ☆文学のこと☆

     
           童心社本社まえ

 雲ひとつない晩秋の空に吸い込まれそうだ

 文化の日があけ、今年もあと2ヶ月残すとなる。先達たちのお言葉通り、まこと月日は矢のごとし感である。ついこの間、洗足池で花見をしていた気でいたら、来週はもう酉の市だ。

 今年は2の酉。8日と20日でござるよ。

 とはいえ、今日は旧暦でいうところの9月20日。気分よろしく、一つひとつの用事を片付けて前に進みたい。

 ここのところ、職場環境の急激な変化で、散歩する余裕もなかった。久しぶりに、早々と昼飯を済ませ、巣鴨まで散策に出かける。マラソンで膝を痛めて以来、大事を取っていたのもある。

 オイラの勤めるオフィスから坂を登ると、すぐに千石界隈。銭湯も残る下町と山手が混在した高級住宅街でもあるのだ。

 その銭湯を左手に過ぎると、童心社の綺麗な社屋がみえる。道沿いの展示スペースを覗くと、いとう氏の「糸子の体重計」があった。

 なんとなく嬉しくなって、スマホでパチリとしていたら、ランチ帰りのSさんに見つかってしまった。ちと恥ずかしかったなぁ。あとでメールして言い訳を。オイラは下着ドロボーでもストーカーでもないっす、はい

 自分の出版物が、こうして版元の顔として飾られている。これは誇りにすべきもの。いとうさん、早くもすごいなあ。

 やっぱり外にでるといいことがある。個性豊かな家々の庭に、渋柿や名前の知らない実がなっている。収穫の秋に、そろそろと食い気も増してくる。時間を無理やりこさえて、走らないといけないな。

 皆さんも、こんなに素敵な天気。たまには散歩に出てみたら!!

 秋の散歩の嬉しいニュースをご報告まで
 

   「坂道を登るとそこに秋みつけ」 海光