週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

北原未夏子【あめのちともだち】を祝う!

2015年07月14日 | ☆文学のこと☆

 
  【あめ・のち・ともだち】
  著:北原未夏子 絵:市居みか
 2015/6/5 国土社刊 初版第一刷 

 
 ついに本物の夏が来た

 そのタイミング、まさに満を持した感で、期待の新人、北原未夏子がデビューした。

 同人季節風に入会したての頃、彼女の印象は柔らかな口調で、朗らかな笑顔の女性というものだった。

 ところが、合評が始まると、そのおっとりとしたイメージからは想像もつかない独自の視点で鋭く的確を言い得ていた。

 沢山のプロ作家がひしめく同人の中で、とっくに世に出ている存在のように映った。

 仕事柄、毎月多くの出版物を目にするが、

 自分の本を出すということが、いかに重労働で時間のかかるものだと改めて思い知る。

 準大手の取次が、版元が、書店が加速度的に無くなっていく時代。

 再販制の名の下、過剰に、無駄なものが多いのも事実だ。

 時間はかかったが、北原は本物だ。

 季節風で描き続けたモチーフは、段ボールに、小さな頭にきっと沢山詰まっていることだろう。

 大器は晩成、ゆっくりでいい。




 
 平和ボケの民を尻目に不穏な政治情勢の真っ只中だ。

 未来へ向かう子供たちの心に、ごく自然と寄り添うことのできる稀有な書き手だと思う。

 出版界は激動の時代なれど、目指すものを見失わなければ、本物は残る。

 自戒を込めて、書き続けることの大切さを学んだ。

 同世代の先輩の笑顔が、本当に嬉しい。

 北原さん、おめでとう。




 
 初出版のお祝い会には、業界の重鎮、編集者、大勢の仲間が集まった。

 新宿52階の高層からの眺め。

 忘れられない思い出の夜景だな。

 オレンジからブルーに色を変えた東京タワーが祝福してくれたようだった。









【鬼灯や友のやくそく忘れない】哲露
 

 オレンジ、橙色といえば、このほおずきの季節でもある。

 涼を求め、七夕、朝顔、鬼灯と下町は祭りが続く。

 浴衣は着ているものより、見るもののほうが涼しい。

 伝統の行事や季節の風物を書くのも、何気ない日常を描くのも、作家の大切な仕事だと思う。

 どこにでもある日常の機微を、見失いがちな世の中だ。

 友達と交わした約束のために、流した涙は甘さもしょっぱさも一生の宝になる。

 信じることができるって、幸せなことだよ。

 北原さんの本に、気付かされたこと、子供たちが忘れませんように。




 
 雲ひとつない青空が眩しい。

 お陽様が元気だ。

 梅雨明けはどうなったのか。

 今月25日は、両国からつづく、伝統の大川の花火。

 浴衣に、うちわ、夏の涼は、家族の大切な行事なのだ。

 この日ばかりは、受験も、仕事も忘れ、楽しみたい。

 皆さん、水分と塩はしっかりと。

 今年の夏は一度きり。

 ご自愛くださいませ


越水利江子【うばかわ姫】を読んで

2015年07月08日 | ☆文学のこと☆

 
      【うばかわ姫】
    著:越水利江子
  2015/7/10第一刷 白泉社刊
     招き猫文庫


 
 小暑を過ぎたというのに、例年になく涼しい


 天の川から溢れたのか、しとどに濡れるお江戸の夏が続く。

 そんな折、地元東武ビルの書店にふらっと立ち寄った。 





 
 あった、あった。

 同人の大先輩、越水の待望の一般文庫デビュー作が並んでいる。


 そういえば寄稿された文芸誌【読楽】の感想を書いたのは、2014年の幕開けだった。
  http://blog.goo.ne.jp/tetsu-local/s/%C6%C9%B3%DA


 こうして一冊の本になるまでの月日を思うと、駆け出しはホント途方に暮れてしまう。

 文芸誌の段階ではもちろん、お話しはプロローグでしかないと思っていた。

 新刊だ、新鮮な気持ちで頁を捲る。

 文庫特有の黄がかった軽い用紙の手触りが心地いい。

 一度読んだはずの文章だ。

 それがまるで、物語の中の姥ヶ淵の湿り気を帯びるように、私の心を徐々に濡らしていく。


 二章の月下の恋に入るともう止まらない。

 そして、この作品を読み明かしていくに従い、込められたモノの大きさ、静かなる熱い深淵を前に立ち竦んだ。

 物書きの端くれとしての何かが震えだす。


 誤解を恐れずに言うと、越水が一般を書いてこなかったことがずっと解せなかった。

 児童書の世界では、90冊を越える著作を持つというのに、だ。

 生きるとは、苦しみであり、悔恨の繰り返しである。だからこそ、刹那、快と愛を享受できる。

 「その御大将を見よ」と言った、豺狼丸の母、お濠の言葉。

 「たとえ道の途中で倒れようとも、どこへ向かおうとしていたかを知る者さえあれば、人は笑って死ぬことができる」

 これは生前の藤沢周平が漏らしていた言葉と類似する。

 娘として、母として、なにより人として懸命に、真摯に生きてきた小説家は、時代物の巨星に通ずる境地に至ったのかと不遜ながら思う。

 姥皮を纏った野朱は作者の分身であり、それを感じとることのできる我々の一部でもある。

 若気の至りと享楽の奢りは、人を狂わせ堕落させる。

 だが老皮を脱いでも再び謙虚に身を投じれば、愛の本質が垣間見える救いもある、

 野朱の姿を借りた作者がそう訴えているように感じた。


 越水が私淑する山本周五郎の珠玉【つゆのひぬま】を思い出しながら、

 いずれ古都の城下に住まいし市井の人々の暮らしを、愛の溢れる筆致で見事描いて欲しい、と切に願う。

 さすれば遠からず、宇江佐真理、杉本章子と並び称される日は近いと私は信じる。

 「一期は夢よ、ただ狂え。」

 この小説を書くために生まれた。そんなものを書ける日がはたして来るのであろうか。

 京の姫君、越水のメッセージを、肝に銘じて、私もそろそろ狂いたいものである。


 【崖っ淵濡れて踠いて皮一枚】哲露


 お江戸の寺町はまもなく、橙色のほおずきで染まる。

 利江子姐さん、おめでとう