週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

田口ランディ氏と、3.11その後を考える。

2015年06月27日 | 呑み屋探訪(九段下、飯田橋、神保町界隈)




【赤い身を梅雨のひぬまに手で喰らい】哲露


 いつかのアフタヌーンの酒

 クラフトビールに後輩はゲンナリし、家の発泡酒のほうが美味いと力を込める。

 だが私自身は濃厚な苦味が好きなタチ。

 原宿、キャットストリートのアメリカンダイナー。

 異国の味わいを、夕刻前の時間に供するのは、なんと至福で贅沢なことだ。

 420mlで900円ってのはちとお高いけどね。

 ボイルしてスパイスを効かせて炒めたエビは、噛み応えたっぷりの旨さ。




 別の夜も訪れ、エスプレッソに浸けたビーフをもらう。

 ビールも、タレも、オリジナル4種類の味わいが楽しめる。

 気づいたら、男女の外国人に囲まれていた。

 彼らからしたら私たちも異邦人。

 これからの日本、居ながらにして異国だ。

 昼下がりの陽に、夏の夕暮れに、しばしヘタレのリーマンたちは羽を休める。


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【田口ランディ氏のダイアローグに参加す!】


   明大リバティタワー

 
 別の日、久しぶりに、明大の学食で蕎麦を食した。

 この眺めを、500円以下で楽しめる学食はほかにあるまい。

 私の隠れ家として、ときに利用している。

 そして、この明大のリバティータワーで先ごろ勉強会があった。

 作家、田口ランディ氏が主催するダイアローグ。

 参加するのは、3回目。

 20代の頃、よく読んだ彼女が仏教にハマっているのは知っていた。

 ちょっとおっかなびっくり、知的好奇心、怖いもの見たさですわ。

 原発について、2010年から市民を集めてのダイアローグ研究会を開いてきたという。

 今回は、イタリア人ジャーナリストのピオ・デミリオ氏がパネリスト。

 欧米人で誰よりも早く震災後の福島に入った愚直で勇敢なジャーナリストだ。

 ヨーロッパで放映された警戒区域の映像も見ることができた。

 日本のメジャーなメディアでは、流れることのない貴重でショッキングなドキュメンタリー映像だ。

 ランディ氏曰く、2011年3.11以降は、急激に参加者が増えたが、最近は減る一方だという。

 熱しやすく冷めやすい、日本人の気質ゆえだろう。ここでも。。

 震災の歴史の多いわが国では、それを肯定も否定もできまい。

 だが、私は知りたい。

 相馬市長の桜井氏の英断も語られた。

 偽政者を祀り、マッチョな啓蒙に毒された地上波と大新聞では決して知ることのできないエピソードがたくさん聞けた。

 極左のジャーナリストと原発に長く携わってきた教授のディスカッションはそれだけで参加した意義があったというもの。

 ピオ氏がいう。

 日本の大マスコミにはジャーナリストがいない。

 だから、肝心の核心が報道されないのだ。

 福島3.11のその後の現実を、そのまま伝えるメディアは日本のどこにある。

 イタリアでは、医者や弁護士と同じように、ジャーナリストの国家資格がある。

 だから、NHKや読売や朝日のような大マスコミを首になろうが自ら辞めようが、次の日に堂々と個人で名乗って国会でもどこでもへ取材に行けるという。

 これには驚いた。

 真のジャーナリズムを根付かせるために、とても貴重な話しではないか。

 権力、暴君と向き合うには、このくらいの仕組みが必要なのだ。

 時の権力者たちは、自分たちに異を唱えるマスコミを断つために、金脈を断つべきと経団連に働きかけるなどという勉強会を開く。

 知ることを放棄したら、負けだ。

 市井の民、小市民にできる最大の力の行使は、知的好奇心と口コミの継続なのだから。 

 いちばん心に響いた話し、本気で目指してみるのもいい。

 ピオ氏曰く、一部のネット、所謂小さなメディアでは気骨のあるジャーナリストも多くいる。

 希望はある。

 IT 、SNSの革命があったからこそだ。

 紙の文化に恩恵を受けてきた私も、その利便は否定しまい。

 時代は進んでいる。

 トーハン、日販に次ぐ、栗田出版販売が民事再生法を申請した。

 ショッキングなニュースだが、予想されたことでもある。

 小さな町の書店と社員さんの行く末を案じる。

 だが、時代は進む。

 いまは自らやれることに、真摯に取り組むしかない。

 あらゆる逆風にも屈せず、とにかく前に進もう。

 光はいつの時代もある

 


 


日々是日常

2015年06月21日 | 呑み屋探訪(新宿、四ッ谷界隈)


 
 大先輩へ連れられて、やってきたのは新宿二丁目

 老舗の蕎麦屋には珍しくよくお話しになるご主人と女将さんが出迎えてくれる。

 親方曰く「うちは乾麺じゃないよ、毎日わたしが打つ本物の小千谷のへぎ蕎麦だ!」

 春の嵐の日に、三丁目のへぎを食べた。

 二週間前にも御徒町のへぎを食べた。

 よほど私は好き者なのか。

 本物とはなんぞや!?




 この日は暑かった。

 迷わず、瓶でたのむ。

 汗の滴る赤星のラガーがあるとこなぞ、呑み助の常連が通っている証拠だわな。

 一人勝ちの百貨店の元トップ外商マンだけあって、先輩はいい店知っている。

 案内された琥珀色のテーブルがすでにそれを物語る。

 女将さん、もう一本ね!




 馬刺しがあると、迷わず発注!

 ニンニクですか?生姜ですか?などとチェーン店のような野暮は言わない。

 そう、どちらも出せば、どちらも楽しめる。

 呑み助のツボをよく心得ていらっしゃる。

 すでに夏バテのカラダには、馬の力は絶大なのだ!

 先輩の頼んだふろふき大根は、甘辛いのに柚子が効く。

 ここは、もう、ぬる燗しかあるまい。 




 八海山のぬる目は、内臓だけでなく、荒んだハートにも優しい。

 真白いシンプルな酒器が潔い!

 嬉しさ悲しさ、喜び辛さ、新しいの旧いの、書ける書けない、あらゆる思い出話しを北陸の酒で流し込む。

 世代は違えど、バブル景気の件は、笑いと涙なしには語れない。

 紹介した人の不手際に心が痛むが、それも世の常と先輩の懐は深い。 

 体温に近い雑味のない水がカラダの内から温めてくれる。
 



 白魚に塩、野菜に糠ときたら、寒い国の酒が合うのよ。

 日々、威勢のいいハッタリで動いている。

 だが結果が見えないというのは、是、苦しいこと。

 日常を癒すのは、私の場合も先輩の場合も、気を許す友と少しの酒と舌を洗う職人のツマミなのだ。





【磯の香や親父の汗は夏の海】哲露


 親方がその日に打った極上のへぎが、つやつやと踊って板にのる。

 出汁と返しの絶妙の二重奏、三重奏。

 こんなにも海と大豆の凝縮されたツユははじめてだ。

 蕎麦はもちろんだが、濃密なツユに感動した。

 海藻の香り高い蕎麦と密度の濃い汁に誘われ、箸がとまらない。

 これまでに食した蕎麦屋のなかでも特筆の味わいの汁だ。

 「こんなに味が濃く、美味い蕎麦つゆは初めてです」と言ったら、

 親方も女将さんも満面の笑みを浮かべておられた。

 三丁目に行った友も、連れてきたらさぞ喜ぶことだろう。

 新潟小千谷【昆】一押しのオススメだ!

 新宿の雑踏、ゲイバーの誘い、この町の更けるのははやい。

 T先輩、味わいのある夜を、ありがとうござんした
  


千貫御輿に憧れて!

2015年06月14日 | 呑み屋探訪(浅草、根岸、本所界隈)


        鳥越神社の千貫御輿


【夏の野に白いダボシャツ洗いたて】哲露


 浅草では、最初のお富士さんが過ぎると、今戸と鳥越の祭りが来る

 子供の頃、実家の町内が今戸神社の氏子だったので、鳥越は話しに聞くだけで担ぐどころか見た事すらなかった。

 三社祭の本社神輿の一之宮の重さが1060Kgの約1トン強、貫目に直すと、283貫。

 鳥越の本社神輿は、なんと3倍以上の、千貫(4トン)ある。

 三社祭の本社を担ぐのが浅草っ子の通過儀礼として、隣町の千貫御輿はいつか担いでみたい憧れだった。



 宮入の日曜日、家族で見学にいく。

 この神社の廻りに、数え切れないほどの露天商が出る。

 しかも、昨今見たこともない、全国津々浦々の食材の屋台があって面白い。

 図体だけ大きくなっても、そこは子供だ。

 食い物で釣ると、父ちゃんにも付き合ってくれるのだ。

 高張提灯は、鬼平の時代劇だけじゃない。

 下町では今でも健在!

 荒っぽさは、三社祭と双璧かそれ以上のようにおもえる。

 そのせいだろう、警官の数が半端じゃない。

 統率が取れた警備は、かなりの訓練の証。

 そろった掛け声に、日体大が多いんだろうな、という長男のひと声に笑ってまう。






 おかず横丁側から見ていたら、なかなかこない。

 蔵前橋通り、氏子と氏子を渡しながら、ゆっくりと行ったり来たりしている。

 ようやく目の前に来た!

 町会が渡御した瞬間、天に向かってさした。

 いよいよクライマックスだ。

 数年前は神社の鳥居傍で見たが、あちこちで乱入するヤンチャな男たちがいて騒然となった。

 今年はバリケードが張られ、近づくことは叶わない。

 いいんだかどうだか。これも時代の趨勢か。





 黒ラベルでホロ酔いになり、露天を冷やかしながら歩く。

 その脇を子供らは小銭を握って走る。すれ違う若者の活気がうれしい。

 大人たちは、地べたやらビールケースやらに腰掛けて、さらに本格的に飲もうという態勢。

 夕暮れ、明かりが灯る。
 
 お江戸の夏が駆け足でやってきた。



         角萬の冷やし肉南蛮そば

 
 一葉記念館のそばに、そば界のB級グルメがある。

 たまに無性に食いたくなる。

 遠方から来られる紳士諸君もたくさん。

 夏は麺がことさら旨いのだ。

 注文は、ひや肉と一言。大盛りは、ひや大と。

 祭りもひと息ついた。

 夕刻の日も伸びて、大層気分がいい。

 落ち着かぬ気持ちを沈めて、自分自身に向き合わないことにはいつまでも書けない。

 送別、壮行、打ち上げ、親睦、再会と宴会がつづく。

 どれもサラリーマンとしての人の営み、付き合いだけに仕方ないと諦めているんだが………。

 昨夜の同窓との会合は一次会スナック、二次会ボックスとカラオケ三昧、しかも午前二時半まで歌う通しの粋狂。

 カラダは疲弊し、酔いすぎの同期になぜだか憔悴した。ここはココロに喝をいれなきゃ。

 継続性、才能、どちらも泣きたくなるほどの乏しさ、小ささ。

 少しずつ、すこしずつやっていくしかない、そういうことよ



水無月の憂鬱

2015年06月07日 | 呑み屋探訪(上野、湯島界隈)



 ここのとこの陽射しで、冷たい麺類にばかり食指が動く

 久しぶりに、御徒町の地下、越後屋に降りる。

 迷わず、特刺身盛り定食をたのむ。

 たっぷりの海鮮に、揚げたての天ぷらがついて、1,250円也。

 海苔の香るへぎ蕎麦二枚重ねの大盛りは、知るヒトゾ知るお昼のサービス。

 この傍の出版社へ勤めたばかりの頃、敬愛する部長とよく連れ立ってきた。

 あの頃は、鮫皮に天然の山葵がついてきて、自分たちで擂ったものだ。

 ごまもかけ放題。

 うしろの小上がりには、世の先輩たちが吟醸を飲っている。

 そういえば、春にはYさんと来たっけ。

 若い時分と同じ量を食べると、夜がいけない。

 なんたって腹が減らないのだ。

 自ずとビールも不味くなる。

 健啖ぶりも老いた。

 食えることが生き物のバロメーターなら、下りに入ったということか。 

 食えないことが哀しいとは、とほほでござる。





 逆さ富士ならぬ、逆さツリーだ。

 浅草側からスカイツリーを眺めると、午前中は東向きになるので、逆光になる。

 かつて、新吉原へ向かうお大尽の舟が通った山谷掘は、諸般の事情から埋め立てられた。

 私が高校生のときに完全に埋まった。

 メタンとゴミの浮く大川は酷く臭ったから、当然だと思っていた。

 雨が降った翌日は、このように水が溜まり、掘割があった名残を彷彿とさせてくれる。 

 両岸にあった船宿が見えるようだ。

 ちなみに、写真の先が、浮世絵に描かれた今戸橋。

 花の散った桜並木の下には、熟れて落ちたサクランボの実がひしめく。

 ランニングする私のアシックスターサーの靴底は紫に染まった。


【太鼓の音天まで届く祭り子や】哲露

 今戸祭りのお囃子とともに、子供たちの元気な声が聴こえる。

 山車の太鼓のバチを奪い合った子供は、もうオトナ神輿を担げるようになった。
 
 本社が出ないので、今日は休んで執筆をちょっこし。

 夜は千貫神輿を観にいくつもり。

 小学生の頃は、雨ばかりで祝日のない六月が憂鬱だった。

 同じことを二男が言っている。

 親子って似るもんだね。





 待っていた。

 利便性と引き換えに、SNSの暴力的な拡散力で企業が潰れる時代。

 老舗の味は、懐かしい青春の味でもある。

 化学調味料ソースの浸みたキャベツの味は、まさに屋台の味でござる。

 桂文楽師匠と柔道着の学生のCMこそ、セピア色の思い出。

 まさにペアでヤング!

 「顔は四角でも味はまろやか~」

 変わらないものがあるというのも、大事なことだと思うよ。

 年齢を三で割ると、一日に換算した人生の時刻がわかるという。

 私はまもなく、16時。

 夕まずめの酒も悪くない