週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

東京マラソンの日に想うこと。

2016年02月28日 | ★江戸っ子エッセイ★




【蕎麦香る胃袋いっぱい春嵐】哲露


 まもなく弥生に入る

 早いもんだ、もう今年も6分の1が過ぎたということだ。

 とある午前中の商談を終え、四ッ谷駅まで戻る。

 ランチ時、旨そうな看板メニューが多い。

 駅前の十割りそばの店に決めた。

 九条ネギと会津豚に誘われたのだ。

 しかも大盛り無料。

 そば粉100%の蕎麦は、弾力があって噛み応え十分。

 仄かに香る蕎麦の実、会津豚の甘い脂身がそれを包む。

 九条ネギの青みがいいアクセントだ。

 なんて素敵な組み合わせ!


 


 これだけでもボリュームがあるのに、どうしてもひかれてしまった。

 葉わさびご飯。

 ツーンと抜けるわさびの潔さが白米と相まって素晴らしい味に。

 半熟の玉子をのせるともうたまらない。

 旨いもんを食べられる至福を満喫した。

 これがいまの楽しみなのだ。

 目下の課題やら目標やら、あれもこれも考えは止めどない。

 まずはこのカロリー、走り込んで消費せねばなるまい。

 十割りそば蔵やさんやるね。ごちそうさま。





 週末は、東京マラソン2016の観戦。

 朝から両国から浅草にかけて大会関係者と警察の方がわんさと。

 ご苦労様です。

 トップ集団が銀座を過ぎたので雷門へ。

 彼らの速いことといったら。

 こいつらは化け物だな。

 ボルトも凄いが、二時間で42.195kmなんてやはり尋常じゃないよ。





 さらに最近流行りのペースメーカーの彼ら。

 本気で走ったら、彼らだってメダル取れる実力があるんだろう。

 トップより速いペースで、この30km付近まで引っ張っているんだ。

 とにかくすごすぎる。

 これは自分が走って初めて実感すること。

 そして、今回は箱根駅伝の猛者の活躍があった。

 青学の天下はまだまだ続くらしい。

 おいらは、摂り過ぎたカロリーを消費すべく、土日30km。

 朝ランしてシャワー浴びて、スタートをTV観戦。

 スマホで東京マラソンを検索するとびっくりポンの発見!

 なんと友人のゼッケンを入力すると現在走っている位置がリアルタイムで判るのだ。

 こりゃ、高くなるはずだわ。

 しかしまこと便利だが、これってじつは怖くない?

 雷門から神谷バーへ移動しながら観戦ポイントのベスポジを確保。

 そのおかげでカープ姿の友人を応援することができた。

 来年こそ走ろう。

 そう固く誓った東京マラソンの日である。

 次は花見の計画だな。

 春よこい 

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魑魅魍魎の妖怪たち。

2016年02月21日 | ★江戸っ子エッセイ★




 さる如月の週末のこと

 新吉原に妖怪たちが集まった。

 花園公園に入るとたくさんの人だかり。

 そこに混じって人でないものがいた。

 前年よりパワーアップした節分お化けたちに、子供が笑ったり、泣いたりしている。






 オープニングは、地元でも働く二丁目のオカマが笑わせ、

 お三味線の姐さんが、踊りも披露してくれる。

 浅草は演芸の町でもあるのだ。

 日頃、演芸ホールで磨かれた芸で沸かせてくれた。

 






【闇を裂き魑魅魍魎が豆を撒く】哲露

 
 鈴娘の凝った装飾に目をみはり、八咫烏の粋に拍手が起きた。

 心中しちまったお侍は幸薄く、百目の目は一つずる大きさがちがう。

 それもそのはず、紙粘土で目ん玉を一つずつ作ったらしい。

 百均のグッズを工夫したもの、

 何日もかけて衣装を縫いあげてきたなど涙なくしては語れない苦労での登壇だ。

 この節分のお化け祭り。

 元々は子供が島田髷に結ったり、男性が女装したりするお化髪からきた語源という。

 京都の祇園や先斗町など花街やら、北新地で盛んに行われている行事なのだ。

 江戸の廓の妖怪たちも凝りに凝ったコスプレで頑張っている。








  歌あり踊りあり、書道パフォーマンスあり、玄人はだしの芸達者が動き回る。

 仮装だけの沈黙のお化けもいたけど。

 屋台や抽選大会もあった。

 プレーヤー、観客、審査員とそれぞれに楽しむ。

 寒風の中、皆さんよく頑張った。

 思えば、江戸から闇は去り、長らく昼と夜の区別すらつかなくなった。

 畏れを抱くことで、人は自然界に畏怖を持てたのではないか。

 神仏を崇める気持ちもまことコンビニエンスになっちまった。

 24時間スーパーで買いたいものが買える。

 この利便と引き換えに、大切な何かを失ってしまったのではないだろうか。

 妖怪たちすら寄り付かない現代において、

 人間こそが魑魅魍魎ではないのか。





 吉原七丁にあった廓の守護神稲荷社は五つ存在した。

 五十間通りに「玄徳稲荷社(吉徳稲荷社)」、

 廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていた。

 九郎助稲荷は時代小説でもお馴染み、花魁が様々な祈りを捧げた社である。

 この五つの社と吉原弁財天(火事で亡くなった花魁を祀る)を合祀したのが今の吉原神社。

 この日はお狐さんがお出迎え。

 妖怪たちが活躍できた時代の謙虚さが今こそ望まれているような気がしてならない。
 
 雨水過ぎ、梅も香る。

 春は近い

  

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闇医者おゑん秘録帖

2016年02月14日 | ☆文学のこと☆


   闇医者おゑん秘録帖
 あさのあつこ著 中央公論新社 


【青い目に眩しき一陣春嵐】哲露


 封建の世は取り上げ婆という、お産婆さんが赤子を拾い上げた

 明治から昭和を経て、その仕事は医師に引き継がれ、助産婦がその一端を担っている。

 一方、貧しい家の子、訳ありの子を堕す(間引き)のも産婆の仕事であった。

 封建から科学の時代になってもそれは変わっていない。

 あさのあつこは闇医者という新たな用語で女性の哀しみと強さに焦点を充てる。

 鎖国の時代に、遠い異国から浜に流れ着いた者の無常は常人には計り知れない。

 異人の血を持つおゑんの祖父や末音の諦念は如何程のものだろう。

 暗闇のなかで生きる彼らの気力は、敬虔なほどの渾身によるものか。

 外国籍の船医としての医術が祖父を救い、調香の技術が末音の生きる術となった。

 この時代にそうした交流を受け入れる町があったことに新鮮な驚きを憶える。

 けれどあさのは徹底的に、人の欲への浅ましさを書いてゆく。

 長年の血と汗を信じた果てに、容易に騙し騙される人間の傲慢と愚かさ、闇の深さに読み手は絶望を感じるはずだ。

 女性の社会的立場の弱さと悲惨は物語の時代特に顕著だが、希望を見、定を受け入れた時の強靭さは、この両者が対になることで成り立つものであるかもしれない。

 おゑんやお春もまた希望を失いかけた女を救うことで、自らを救っているのだ。

 銭で子を堕すことを生業とする闇医者だが、その実態は世の女たちを解放することにある。

 ここにこの物語の特異性がある。

 石見銀山が舞台の「ゆらやみ」でも、定に抗い、子宮で男を愛し、一筋に生きる女性の逞しさを描いた。

 鉱山の底の暗がりと銀の煌めきは、子を宿す子宮そのものであるかのように思えた。 

 タイトルほどに暗さは感じられない。

 それはおゑんの捌けた立ち振る舞いと、女たちの気丈な生き様によるものだろう。

 ラストの語り、おゑんの饒舌はちと気になるが、先がどうしても読みたくなった。

 上手い切り口をみつけたものだ。

 おゑんの続編に期待したい
 

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薄情とは!?

2016年02月07日 | ★江戸っ子エッセイ★


   「薄情」(新潮社)
     絲山秋子著
   

【豆を撒き心の鬼に豆食わす】 哲露


 久しぶりに絲山秋子の新作を読む
 
 文芸誌の連載をまとめたものだが、普段文芸誌の最新刊など高くて読まないからこの小説初の体験である。

 相変わらずタイトルが巧い。

 絲山作品で最も好むのは「海の仙人」。

 「薄情」の主人公宇田川に、河野と少し近い感覚を憶える。

 もちろんファンタジーは出てこないし、まったく別の話で目指すベクトルも違う。

 心地よい文脈のリズムに、沁みいるように引きずり込まれる。

 九州と群馬、絲山が意図的に意欲的に描く土地が舞台。 

 この作品では土着からみる群馬の内部を境界区域として余すところなく照らしている。

 またバツイチUターンの後輩蜂須賀と、都会からきた鹿谷からの群馬と、それぞれの視点の対比も面白い。

 よそ者が作る「変人工房」と名付けた場所に集い、憩う宇田川たち。

 日常に非日常を求める田舎暮らしのツボを心得ている。

 しかし事が起きたときには、親しくした「よそ者」がいた事を容赦なく忘れていく(忘れたふりをする)。

 それは果たして情が薄いということなのか!?

 いや、その薄情さが群馬土着の優しさなんだと、絲山は書く。

 敢えて話題にしない、忘れ去ることでその人を自分のうちに受け入れるということだろうか。

 彼女がこだわってきたたくさんのメッセージが随所に込められている。

 宇田川の日常と非日常が超現実的なセリフで埋められる迫力。

 叔父の家業神職をこなしながら、夏は嬬恋で強烈な疲労に襲われるほどハードなキャベツ収穫のバイトに出かける。

 不安定なフリーターという設定だが、仕事に向き合う姿勢はストイックでもある。

 かつての友人から誘われ、その妻子と食事中にお互いの人生のチューニングが違うことに気づき、宇田川は孤独感に苛まれる。

 蜂須賀やバイト先で出会った女吉田に安らぎと苛立ちを憶えつつ、淡々と時間が紡がれていく。

 絲山作品には欠かせない、ドライブのシーンが心地よい。

 車のなかでかかる曲に委ね、想像を膨らませるのも彼女の楽しみ方。

 一見重いテーマをさらりと描くことで実際をあぶり出す。 

 好きな作家を貪る至福を味わえた。

 脳の内が徐々に活性していく。

 時代物の名手、杉本章子、宇江佐真理の新作はもう読めなくなってしまった。

 哀しいことだ。

 宇江佐の遺作となる連載が夕刊で読める。

 毎夜、複雑な気分で読んでいる。

 自分には何がある? 

 不埒な自分にスイッチを入れてくれた「薄情」。

 節分が過ぎ、立春も過ぎた。

 前に進まなきゃ 

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