週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

リジェクションを読んで。

2016年11月27日 | ☆文学のこと☆


    リジェクション
    佐藤まどか著


【拒絶とは心の葛藤銀杏踏み】哲露


 秋たけなわ、それとも初冬に入ったか。

 酉の市も二の酉を過ぎると、今年も冷える習わし通りだ。

 予てから読みたいと思っていたまどか氏の「リジェクション」を読む。(この先ややネタバレ)

 主人公はミラノの美術高校に通う16歳の女学生アシュレイ。

 ネイルガンで心臓を打ち抜かれるという凄まじい事故の後、他者の心臓を移植される。

 その若きドナーの心臓を拒否する反応が、リジェクションというらしい。

 移植後に性格が全く変わってしまったアシュレイ。

 よく聞く話だが、興味をひく。

 ありきたりな言葉でしか対応しないカウンセラーや医者にうんざりしてしまう。

 人間は規定を外れると拒絶するのは万国共通らしい。

 ある日、図書館で読んだ米国の脳神経学者の記述に激しく納得する。

 「・・至福体験は、脳に記憶されると同時に、血液や器官、筋肉、組織、および骨格に生じる」

 この言葉に、アシュレイは自分の中にドナーの記憶が入って来ていると確信する。

 読者である私も至極頷いた場面だ。

 そして、物語は進み、A1ライセンスでは乗ってはいけないはずの、

 125ccだが出力のデカい単気筒2ストロークでボローニャ地方へ向かう。

 ところが、思わぬ交通事故に遭遇し、モデナとボローニャの間の小さな町に降りる羽目に。

 そこで出会ったのが、運命の人、ルカだ。

 療養の話ではなく、旅にこそ物語の何かが潜んでいると思ったが、

 まさか死体を運び事件に巻き込まれていくとは意表を突かれた。

 自分ではうかがい知ることのできない、等身大のイタリアの姿がそこにある。

 あー、面白かった。

 それにしても、女も男も内面までよく書けているなぁ。

 また、バイクの記述が詳細で気になった。

 原作者まどかさんのライダー姿が目に浮かぶ。

 まさに時速200kmで読み切ってしまった。

 アシュレイとルカのその後が気になる今日この頃である。





 外苑の銀杏並木が見頃。

 新しい職場から散策できる。

 分科会で推薦していただいた小説を入稿。

 読むこと、書くことだけは、やめられない。 





 こちらは横網公園の銀杏並木。

 北斎展をやっている。

 まさに芸術の秋ってわけだ。 


  


時の過ぎゆくままに☆

2016年11月20日 | ★江戸っ子エッセイ★




 過ぎ去りし、10月某日。

 荒川を走る。

 吹く風は穏やかで、12年ぶりの有給休暇というのを楽しむ。

 実際、同僚や世間の皆さんは仕事している方がほとんどだから、心は休まっているようで休まらない。

 それでも、室内にいるよりはマシと、走ることにした。


【ぶつかって避けて走った秋の土手】哲露



 どこまでも真っ直ぐな道。

 走るようになって初めてフルマラソンを走ったのもこの荒川だった。

 6月という気候の初チャンレンジは、今思えば無謀のひと言。

 全身から塩が噴き出して結晶となり、炎天下なのに寒気がし、仕舞いには心臓がばくばくしていた。

 あれは、熱中症というやつなんだろう。

 それでも完走したら、それまで感じなかった別種の何かが見えた。

 あれから、何年経ったろう。





 貨物船の駅の名残か、国鉄のような案内看板が随所に立つ。

 江戸の頃は、千葉や全国からこの川を下り、上って荷が届いたという。

 まさに交通の要所だ。

 そんなことに思いを馳せて走る。

 晩秋の陽光だが、どこまでも優しい。





 ついに東京湾へ出る。

 遠くに見えるのは、葛西臨海公園の観覧車。

 川幅は優雅に広がり、潮の香りが鼻腔を刺激する。

 ああ、ここまでよく走ったなぁ。

 両手を広げ、胸いっぱいに潮風を吸い込んだ。





 一年ぶりに描いた小説世界では、主人公が荒川を走る。

 川沿いに野球場とサッカー場が上流まで続く道。

 土手には、犬を釣れる人、走る人、猛スピードでスポーツ自転車が過ぎ去る。

 まもなく日が沈む。

 ボールを蹴っている親子が微笑ましい。





 12年間走ってきた会社を辞めた。

 出版社に転職して20年以上、この業界に携わってきた。

 国内はもちろん、海外も単独で取材に飛び回った20代が懐かしい。

 スーパームーンから二日後。

 新しく勤め始めた会社の帰り、クリスマス色のツリーと屋形舟が祝福してくれた。

 版元を離れるのは、いい仲間と別れることでもある。

 一抹の寂しさはあるけど、前に進むと決めた。

 これからは、尊敬する兄貴とともに、グルメサイトを盛り上げていく。

 もうアラフィフ。

 気張り過ぎず、飄々と、柳のように生きていきたい。

 時の過ぎゆくままに。  


「セカイの空がみえるまち」を読んで

2016年11月08日 | ☆文学のこと☆


  「セカイの空がみえるまち」
  工藤純子著 くろのくろ画


【冬枯れのホームに匂う異国臭】哲露


 久しぶりに読書の時間が持てた。

 工藤純子氏の新刊を読む。

 本を開く前に、仕事柄で表紙の装丁をまじまじと見てしまう。

 まずタイトルに惹かれる。

 セカイを、世界としないこと、みえるまちを、見える街としないことにこだわりを感じる。

 カッコいいと思った。

 絵もいい。

 期待に急かされるまま、ようやく頁を捲る。

 新大久保は、大好きなサムギョプサルの店があり、15年くらい前から通っている。

 ここでも触れられているように、その間嫌な事件がいくつも起こった。

 怪しさと活気、隠微と表層はいつでもどこでも同居する。

 新宿歌舞伎町の隣町、多国籍が織りなす怪しさが人々を惹きつけて止まない。

 韓国アイドル好きが高じて、異国の言葉を話して暮らす人がいる一方で、

 安いナショナリズムを声高に踊る輩もいる。

 今や抑圧され肥え太った巨大な怪物が、世界中で安易な道を選ぼうとしている。

 もう目を瞑り、知らん顔をしている時は過ぎた。

 現状と真実を知り、深く広く考えることが喫緊の課題だ。

 そして本論に戻せば、小説を書く上で、無駄な文章を省くことは常に命題として存在する。

 私が知る限り、作者の中でも傑出した文章が連なる。

 それにしてもこの骨太のテーマによくぞ挑んだものだ。

 読み終えて思ったのはまずそこ。

 工藤氏の常時の言動を見ていれば判ってたはずなのに、改めてその潜在力に驚かされる。

 丁寧な街の描写が物語をリアルにしている。

 間違いなく現時点での彼女の代表作だろう。

 主人公の高杉翔、藤崎空良の周辺の人々の魅力が満載だ。

 物語の大きな流れの中の、それぞれの小さな物語が重いはずのお題を小説世界として見事に結実させている。

 もっとこの世界を知りたい。

 同人の工藤氏に書くことの大切さを教えられた。

 ただ一つ、工藤さん、ひとみは三丁目の住人だと思ってたよ。

 その当ては見事外れたが、このお話しに厚みを持たせた一番のキャラだと感心した。

 やっぱり小説は最高のエンターテイメントだな。

 そう思えたことが何よりも嬉しい。


  


「まんぷく寺でまってます」を読んで。

2016年11月03日 | ☆文学のこと☆


  「まんぷく寺でまってます」
   高田由紀子著 木村いこ絵 
   

【山寺のブランコ揺らし秋の暮れ】 哲露

 
 週末、高田由紀子氏の新刊を読む。

 佐渡の情景が全編に溢れる力作だ。

 郷土愛に満ちた筆致で、そこに暮らす人々の営みを丁寧に描いている。

 家業であるがゆえのリアルがすごい。

 私の町も寺が多く、中学時代は寛永寺の墓地が延々と続く道を通っていた。

 部活のあと、暗闇を歩くと確かに薄気味悪い。

 美雪の素直な言葉に共感したが、寺が自宅の裕輔にとってはそれが日常なのだ。

 亡くなった人は空でなく、お墓から語りかけてくる。

 掃除をする裕輔を労う声は異界との交信というより、人を想う愛に満ちている。

 この作品の中で最も好感を持てたくだりである。

 彼女の故郷という舞台設定も相乗し一気に高みに上った感がある。

 謙虚の中で貪欲に学ぶ姿勢を貫いた証だろう。

 そしてここでも継続の力をまざまざと考えさせられる。

 書き続けたものだけが得られる愉悦。

 地元では静かなブームとして飛ぶように売れているらしい。

 未だ知らぬ佐渡のお話し、仲間の筆で読めるって幸せだな〜。

 お祝い会の時は未読だったので今更なんだけど。 

 高田さん、おめでとう。

 次作が楽しみだわ。