週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

亀は万年!?

2014年06月28日 | ★江戸っ子エッセイ★




 生憎の雨、今年二度目の植木市が開いている

 午前中は降りが酷いせいか、せっかくのお富士さんも人がまばらだ。

 商店街へ特売のオージービーフを買いに走る。自転車を漕ぐ私に、シワシワの雨が容赦なく降り注ぐ。

 

 一葉通りの屋台も、開店休業。

 ベビーカステラのお姉さんが雨がかからないよう、軒を調整していた。

 行政のなんらかの力か、かつてより規模が小さくなったことが賑わいを減らしている。

 至極残念なことだ。裏観音一帯を占めた、あの頃の植木市の復活を願いたい。



 お富士さんと親しまれる由縁は、浅間神社の信仰によるもの。

 浅草中の老舗の提灯が境内の緑に色を添える。

 濡れた鳥居に、玉砂利もまたオツなり。



 龍神さまの手水場から潤沢な水が溢れていた。

 恵みの雨のこの季節はやはり潤いをもたらしてくれる。



 右回り、左回り、右回りと、茅の輪をくぐる。

 半年分の罪穢と、疫病を祓う、大祓の儀式なのだ。

 私は家族と浅草の民の健康を願った。



 お昼を過ぎて、空が明るくなってきた。

 夕涼みにかけて、人が増えていくことだろう。

 サッカーから戻ったら、酎ハイ片手に子供らと露天でも冷やかそうか。

 何年か前のこと。

 地元の先輩は、亀掬いなるものにハマり、一家で8,000円も使っていた。

 ギャンブラーが多い。それもこの土地の習性なり。

 実家に住むミドリ亀は、ガメラのようにデカくなっている。

 亀は万年。

 先輩の亀はどうしたろうか。




「溝の先見えぬ柳や籠の鳥」哲露


 昨晩の朝日新聞の夕刊に、森光子「吉原花魁日記」が紹介されていた。

 明治期に地方から売られた悲しい女性の手日記である。

 決死の覚悟で廓から逃げる描写が生々しい。

 「花子とアン」に出てくる華族の百蓮の元へ逃げて、光子は救われる。

 晩年のことは知られてないが、幸せな生を全うしたと思いたい。

 功罪あろうが、封建の時代、吉原は多種多様な文化の発展をもたらした。

 落語に出てくるような若旦那で道楽者だった祖父が、見返り柳の再建に力を入れた。

 これも何かの因果か。

 たわわに実った柳とともに、祖父の筆による石碑の写真が掲載されている。

 忘れ去られた吉原のことを語るべく、今日も私は筆をとる

 

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きざみ鴨せいろのお味

2014年06月22日 | ★江戸っ子エッセイ★


         みとう庵

 仕事場の近くに話題の蕎麦屋があるので行ってみた

 二週続けての食い物ネタ。

 食券機が置いてある様は、立食い感覚だが、店内は白木のカウンターで席もある。

 お値段も立食いなのに、包丁切りのちゃんとした手打ちが食えるのだ。



 もりそばは300円から。せいろは田舎の太麺と細切りの粗挽きも愉しめる。 

 この日のお得セットは、穴子天丼ともりで780円。

 私は初会なので、いちばん人気というきざみ鴨せいろを購入。


        きざみ鴨せいろ 


「知るごとに夏至の明るさ背伸びして」哲露

 
 まず、何もつけずに香りごといただく。

 太さの違う蕎麦は、紛れもない手打ち。

 鴨の脂が浮いた濃厚な汁が、この蕎麦によく絡む。

 う~む、550円でこのお味は合格点だ。

 きざみは、本物の刻みで、肉感が味わえる量がなく残念だが、汁に溶け込む野生に近い鳥の存在感はたっぷりと味わえる。

 きちんと鴨肉を食したい方は、850円の鴨せいろをどうぞ。

 大塚はかつて、池袋より栄えた三業地を抱える。

 そこの手打ちについで、贔屓にしたくなるコストパフォーマンスだ。

 麺量も食べ応えあり、蕎麦汁も好きなだけ用意してある。

 次回はかき揚げを頼もうと思った。



 こちらの傍には、名刹天祖神社がある。

 年初、同僚たちは雑誌の成功を祈りにお参りする。

 商店街のど真ん中にあって、土地の人を見守り続けてきたのだな。



  
 この界隈の路地裏には、様々な店が雑多に競う。

 老舗から、都心から通う女性向けのワインバーや洋食屋までありとあらゆるものが揃う。



 バラも散り加減。

 来月には、この都電に三駅いくと、雑司ヶ谷の神社で朝顔祭りだ。

 大塚、なかなか侮りがたしである。



 話しが飛ぶが、地元に帰った週末は、次男の運動会。

 浅草中学校伝統の組み体操は、迫力と若者の気概が込められている。



 私のときは、土のグランドだった。

 スカイツリーの眺めも美しい整備された競技場に、子供たちの汗が光る。

 全力疾走をしなくなった大人たち。

 たまには、若い汗に刺激をもらって、何かに熱中したら、巷の閉塞感も吹っ飛ぶかも。

 観戦した長男と一緒に、大川沿いを走って身体の毒素を流した。

 W杯を観ていて思う。

 懸命の迫力には、誰にも勝てない。

 なにかが足りないなら、まずは全力疾走をしてみたらどうか。

 そう自分に言い聞かせ、今日も駄作を綴るのだ

 

 

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銀座の寿司屋。

2014年06月15日 | ★江戸っ子エッセイ★

 
       鮨 方舟

 10年前の2004年、高校の同期が一軒の店を開業した

 今をときめくスカイツリー。その母体である東武鉄道を若くして退職し、株式会社セオリーを設立したのだ。

 1号店は汐留の囲炉裏居酒屋の方舟。高校時代の友達数人でお邪魔した。厳選された海鮮を自分で焼いて食べる。最初こそ興味を持って焼いていたが、途中から面倒になった。

 こだわりの北陸4県の日本酒は、口当たりを考え、錫であったり、竹であったり趣向を凝らしている。こちらは旨すぎてどんどん進む。

 このスタイルは、疲れたサラリーマンにとってどうなのだろう?と懐疑的に思ってた。

 ところが、私の心配などいらん世話だった。

 TVの取材を受けたりした辺りから、この囲炉裏スタイルに火がついた。銀座のど真ん中にあって、自ら炭火で鮎や蛤を焼ける。そのことが癒しになるのか、望郷を呼び起こすのか、はたまた田舎暮らしへの憧れか、見る間に店舗を拡大していく。

 私からしたら、法外と思えるような金額の自己投資は今でも怠らない。そうした不断の努力が結実した。

 ある日、方舟オリジナルの小冊子の相談を受けて、信頼できる友人を紹介する。

 その冊子も数冊目になり、慰労に、初めて開いた鮨方舟で一杯やろうという。

 旨いツマミに、良質の酒とあって、呑んべはのこのこと出掛けた次第。

 オバマ大統領と安倍首相が会食した数寄屋橋近くの地下に潜り込んだ。



 扉を開けると、和服姿がにこやかに微笑んでくれた。

 ベルリンで銀熊賞を受けた黒木華さんによく似た美人仲居が席へ案内してくれる。

 こちらが、鮨方舟である。



 ヒルズ倶楽部から引き抜かれた親方も至極気さくな方だ。ネタについて質問すると快く魚のこと、仕込みのことを教えてくれる。

 

 極限まで薄く冷やしたグラスは、ビールの味をストレートに楽しめる。

 さすが、酒飲みのツボ、わかってまんなぁ。

 富山名産ホタルイカから始まり、白海老など能登の逸品がつづく。




 カウンターで、親方の見事な手さばきで目を潤し、素材の味を引き出す技を堪能する。

 一品ずつ供される魚は、丁寧に仕事され、北陸の酒によく合う。


「冷酒注ぎ大人の街の海三昧」哲露




 清潔な白木は疲弊した精神まで洗ってくれるような輝き。

 掃除の行き届いた店内は、銀座の寿司屋ならではのいい意味での緊張感がある。

 職人の心意気、どうぞ味わってくだされ。



 こうして大人の街で、ゆっくりと盃を口にするのは何年ぶりだろう。

 年頃の子供たちの成長につれ、馴染みの安酒すら遠のくようになった。

 今更30代の勢いは望むまいが、たまには精神を刺激するのもいいものだ。

 まだ時間が早かったので、5年以上無沙汰をしていたBarに立ち寄った。

 バブルの頃を思わせる盛況ぶり。

 憶えてくれていたママに、景気いいじゃないの、と問うと、今日は特別よと返された。

 銀座のママのことだ。真実はどうでもよく、友人との心地よい時間を何より貴重に感じた。



 鮨と酒を贅沢に腹に収めたのに、巻物と赤出しの締めがこれまた嬉しい。

 これだけのコースを、1万円前後で愉しめるのは銀座としては破格である。

 貸し切りや出張も出来るそうだ。

 青木や次郎は手が出ない諸兄淑女も、こちらなら銀座の鮨を十分に堪能できるはず。
  
 
 
 池波正太郎もこだわった口直しのデザートの甘露にも、職人の遊び心がある。

 銀座ソニービルのすぐ裏手。

 親方と仲居さんのお人柄も特筆もの。

 大人の夜を過ごすにはうってつけの店を一つ発見できた。

 同期のオーナーは、銀座を中心に飲食店10店舗、宿泊事業5施設、物販として道の駅まで多角経営に乗り出した。まさに、同期の誉れである。

 原ぽん(オーナー)、どうもごちそうさま


◇銀座「鮨 日本酒 方舟」

〒104-0061
東京都中央区銀座5-4-14 国松ビルB1

03-6274-6597

http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13164583/ (食べログ)

http://www.ceory.co.jp/shop/shop10/ (方舟HP)

 

 

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熱田宮のお祭り

2014年06月07日 | ★江戸っ子エッセイ★


       宮神輿の宮出し

 浅草弾左衛門の著書で有名な塩見鮮一郎の記述にも出てくる熱田宮

 熱田神社の遷座三百七十年と氏子吉野町会の創立百周年を記念して、宮神輿が20年ぶりにお目見えした。

 朝早くから、お祭りに沢山の人々が集まる。

 

 2014年6月1日朝の9時、宮司さんが祭礼に際し型通りの儀式を行う。

 これぞよくいう神輿に神様をのせる恐れ多い時間である。

 町会青年部を中心に宮神輿を担ごうと、意気盛んの男衆たちが熱い。

 幅の限られた鳥居を通る。外棒を担ぐ担ぎ手は、中に肩を入れ直して宮出しするのだ。

 熱田さんならではの規則はそれごと面白い。



 この日は30℃を超す真夏日。

 立っているだけで汗が吹き出るというのに、男も女ももみ合いへし合い、渡御を開始した。

 小さな町会だというのに、三社祭を終えた近隣住民も押し合いへし合いの歓声を上げる。

 

 三社様の宮神輿もサラシを巻いた喧嘩神輿だが、熱田さんのサラシはまた別の装い。

 太平洋戦争の戦火も逃れた御神輿は強運で、頑丈で、ご立派だ。

 氏子に御神輿の職人がいるから細部の意匠がすごい。

 堂々とした鳳凰も御殿も神様の重みとともに、担ぎ手の肩にずっしりと。

  

 棒が短いから順番を争う男衆がもみ合うシーンもあったが、その重さからか、人の足りない時間も現れた。

 吉野町会の半纏を背負った私は、思う存分担ぐことができる。

 渡御は清川のほうまで出張って休息した。



 ありふれた駐車場の片隅に祠がある。

 もしやと思い、長老に声をかけた。

 やはり。

 ここは鳥越町から移転してきた際の、かつての熱田宮があった場所だ。

 塩見の描く車善七にも熱田宮のそばに暮らす非人がいた。

 

【新町の橋を流るる紫陽花や】哲露

 そうか、ここがあの場所だったか。

 小説を書いていると、執念が引き寄せる偶然のような必然がある。



 熱田神社には、この陰陽丸という伝家の宝刀が鎮座する。

 全長3.7mの大太刀は、幕末安政5年(1858年)コレラが流行った折、厄を祓うよう浅草新鳥越町を廻った。



 弘化4年(1847年)、川井(藤原)久幸の作と言われる。

 元鳥越の祭礼は今週行われているが、この雨だ。人の出はどうだろう。

 20年前は叶わなかった熱田宮の宮神輿が担げた。

 楽しいお祭りもひと段落。

 この熱を、創作へ打ち込めることができれば本望だ。


                 浅草山谷堀の紙洗橋


                   隅田川大橋

 晩年の荷風が暮らした傍で、隅田川などたくさんの品種の紫陽花が艶やかに花を咲かせている

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