週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

グリーンブックを観て

2019年03月24日 | ★映画★




【日の当たる小枝の先に蕾かな】酒上乃不埒


 菜の花の和え物が艶やかな季節になった。

 梅の朱が、桜の淡い朱にとって変わる。

 また一つ歳を重ねた。





 ふわりと湯気の立つ焼いた空豆。

 殻ごと焼き上げるので、旬の甘みをそのまま体に吸収できる。

 中の皮も柔らかい。





 白胡麻味噌のソースがまた大地の土を感じさせてくれる。

 空が徐々に低くなる秋、身も心も凍る冬は大嫌い。

 だが、こうした旬の味覚を口にできる幸せは和食の国ならでは。

 話題変わって。

 気になっていた映画「グリーンブック」を観た。

 ヴィゴ・モーテンセン演じるイタリア系移民のトニーの熱演がいい。

 マハーシャラ・アリの気品がこの作品を質の高いものにしている。

 脇役陣も多彩で、久しぶりに良心が歓喜でき、堪能できた。

 かつて、雑誌の取材でオクラホマ州など中南部を旅したことがある。

 組み立て工場は黒人たち、精密機械工場は白人たち。

 もちろん、レストランも黒人用、白人御用達と当たり前のように分かれていた。

 一部のエリートを除いて、支配階級を白人たちが牛耳っている。

 それもわずか20年前のこと。

 そして、現在も、トランプが唾を飛ばして、国境に壁を作っている国。

 黄色人種であるわしは、白人のレストランに招待されたが、果たしてその本心やいかに。

 そんなことを思い出した休日。

 単純な黒白だけでなく、ありとあらゆる場面に差別は蔓延っている。

 かくいう自分の中に、学歴、男女、運動などなどそうした意識が眠っていることを忘れてはなるまい。

 人間とは愚かなる生き物。

 だから、書物を読み、映画を観て、絶えず学ばねばいけないのよ。

 楽しく、真面目に。

 さあて、次週は花見の句会。

 旧交を温めて、江戸の華を楽しもうぞ。 


最後のジェダイ

2018年01月06日 | ★映画★




【闇深き朝陽輝く年の明け】酒上乃不埒


 元日は毎年の恒例、映画鑑賞なのだ。

 満を持しての「スターウォーズ 最後のジェダイ」。

 レイア姫を演じるキャリー・フィッシャーの遺作になった。

 前作で劇中のハンソロもいなくなった。 

 小学生の頃からのファンとしては寂しいかぎり。

 作品の前半はイケてない役柄だったが、後半のルークは神がかっていた。

 レイ役のデイジー・リドリーがいい。

 次作もたのしみ。





 3日は箱根駅伝復路の声援。

 伝統の母校の襷が2年ぶりに復帰したのだ。

 シード権は難しかったが、箱根に帰ってきたことを素直に喜びたい。

 そして、青学強いな。

 強い寒風にさらされ、熱いものが食べたくなった。






 蒲田の名物、羽根つき餃子で有名な「你好」へ。

 熱々のサンマー麺が野菜たっぷりで沁みる。

 もちろん、ビールもね。

 長い休みもあっという間に過ぎていく。

 スマホなどいじっていたら、人生まさに走馬灯だなぁ。 




 
 お正月、和服で銀座をぶらぶらと。

 のんびり歩くことが少なくなった。

 2018年は、もっとゆったりと俳句など詠みたいものだ。 

 さて、小説の手直しを少しやろう。

 ではまたの機会に。


美女と野獣

2017年05月03日 | ★映画★




【醜悪な心も変わる五月晴れ】哲露


 美女と野獣。Beauty and the Beast。

 連休の初めに鑑賞。

 言わずと知れたディズニーの不朽。
 
 Wikipedhiaによると、1740年ガブリエル=スザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ作が初とある。

 現在私たちが知っているものは、短くした1756年ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン版らしい。

 人に迎合しないベル。それは芸術家であり、不幸な過去を持つ偏屈な父親の影響とも言える。

 その彼が仕事帰りに摘み取った一輪のバラから物語が走り出す。

 誰もが知っている話し。

 安心してみるも、演技者とミュージカルがその主軸だ。

 ところがどうだ。

 演技とあいまった丁寧で巧みな表現力を前に、落涙してしまった。

 人物にしっかりと感情移入したということ。





 アリアナ・グランデの歌にも魅了される。

 ベル役のエマ・ワトソンもハマり役だった。

 そして、野獣より醜い心の悪役を演じたガストン役、ルークエバンスの演技が光っていた。

 筋をわかってても、泣けてしまう。

 こんなエンターテインメントを作れたらどんなに素晴らしいだろう。

 シンプルで、人の醜さと再生が全てが込められいる。

 観終わった後、考えさせられた。

 そんなことを思う、GWの午前である。

 みなさん、リラックスした休日をお過ごしくださいまし。


「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」と「ローグワン」

2017年01月08日 | ★映画★





【摩天楼夜明けにかける魔法かな】哲露


 元日は、恒例の映画の日。

 今年は、二本はしごした。

 一本目は、「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」。

 ハリーポッターの世界観の続編くらいに思っていたから、その面白さに驚いた。

 新作の舞台はニューヨーク。

 お馴染みのテーマ曲がかかる中、摩天楼をゆく一人の男。

 英国人であり魔法使いの、主人公の野暮ったさが胡散臭く好感が持てる。

 主人公は、「リリーのすべて」で気持ち悪いほどの女装役を好演していたエディレッド・メイン。

 魔法動物学の魔法使い、ニュート・スキャマンダーを演じている。

 目を合わせて話をしない、シャイとも斜に構えたとも言える演技もなかなかのものだ。

 ティナことポーペンチナ・ゴールドスタイン役のキャサリン・ウォルターソンがいい。

 とても35歳とは思えない、可愛さだ。 

 また、パン屋さんを目指すノーマジ(イギリス的にマグル、人間)コワルスキー(ダン・フォグラー)がいい味を出していた。 

 ティナの妹のクイニーと終盤交わすくだりには、ほろりとしてしまった。

 また、MACUSA(アメリカ合衆国魔法議会)の長官、グレイブスこと、コリン・ファレルの悪役とは面白い。 

 物語自体はわかりやすい設定ではあるが、期待以上に楽しめた。





 5分休憩し、「ローグワン」を観る。

 前作のキャスティングが秀逸だったので、この作品も楽しみにしていた。

 やたら戦闘シーンが多く、人が殺し殺される場面が続く。展開も早い。

 零戦は、大和人の特権という認識が多数だが、アルマゲドンやインディペンデンスデイにも見られた現象がここでも。

 スルスルとリーダー格になったジンアーソに、最後はついていくキャシアンアンドーのセリフが忘れられない。

 大義がなくなったら、これまで反乱軍のために犯してきた数々の汚れ仕事が報われない。

 ISに流れる若者の言葉を聞く薄ら寒い気持ちになった。

 収穫もあった。

 チアルート・イムウェ役のドニー・イェンがカッコいい。

 わしは、イップマン以来のファンだ。

 これはネタバレになるが、ラストの終わり方は、これまたディープインパクトと同じやんけ。

 期待しないで観た方が○ということか。

 予期せぬサプライズが、人生の花束としたら、フラッと立ち寄るのが通というもの。

 それは、映画鑑賞も、飲み屋も、ある種男女の出逢いも変わらぬセオリーかもしれないね。

 それにしても、レイア姫こと、キャリーフィッシャーが亡くなって悲しい。

 そしてお母さんがデビーレイノルズとは、新聞で初めて知った。

 時代は移っていくものとして、年を経る寂しさを最近身にしみている。

 次は単館ものがいいな。

 成人式あたりは、いつものごとく冷える。

 さて、雨雪が降る前に走ろっと。

 

 


帰ってきたヒトラーを観て

2016年07月03日 | ★映画★




 帰ってきたヒトラーを観た。

 時空を超えて、ヒトラーが現代へ蘇ってくる話しだ。

 劇中(本物の)ヒトラーが当時の考えそのまま真面目に語れば語るほど、大衆はコメディと捉え、社会問題、政治問題への風刺に笑いが止まらない。

 もちろん、それは芸と信じているがゆえだ。

 アメリカでトランプ現象が起こり、英国の国民投票でEU離脱が決まるこの世に、彼の言動が共感を呼ぶ。

 どこかの国の首相より数億倍上手いそのスピーチは、資本主義の行き着いた末の利己主義、排他主義の世にあって、たしかに支持されるものかもしれない。

 民族浄化はいまの移民問題に直結する課題なのだ。

 現代に蘇った独裁者の言葉が、メディアやSNSを通じて狡猾に広がっていく様は痛快で、そして不気味だ。

 ヒトラーは映像を撮る旅の中で、ドイツ国民と真面目に対話し、その不満を吸収していく。

 大衆の不満を代弁することがすなわち政治行動の発端とすればまさに的を得ている。

 カメラはドキュメンタリータッチで撮っているようで、本気で俳優のヒトラーに食ってかかるもいる。

 日本人より戦中の行為に向き合ってきたと言われるドイツ人だが、ヒトラーとユダヤの問題は風化しているわけではないのだ。 
 
 蘇ったヒトラーはテレビで受け、執筆した本がベストセラーになり、映画化される。

 原作では最終的に緑の党に共闘を申し入れるなど政治活動にまで進展していく。

 世界中でテロが増え、平和に根ざした理想郷EUが揺れている。

 ヒトラーの愛国心は本物だからこそ、いつの世も大衆の心に響くのだろう。それが行き過ぎたものに変質するまで人は気付かないふりをするのだ。




 
 戦争という大義を掲げた殺し、破壊行為、虐殺は絶対に許されることではない。

 だが、誰の心の中にも圧倒的な力に委ねたいという欲求があることを忘れてはならない。

 かの日に独裁者を選び、支持したのもまた大衆であり、国民なのだ。

 ヒトラーは我々の心の奥底にある。

 娯楽の合間でもいい、この夏は政治について真剣に向き合うべきではないか。

 街へ出よう、そして投票をしよう。
 
 若者の、子供たちの未来のために。 

 治安が維持される平和な国を誰しもが求めているのだから。

 方法論は人の数だけ様々だろうが、

 大勢の目指す理想がそうであることを願う。

 この夏必見の映画。

 痛快で、考えさせられること多し。 


日本で一番悪い奴ら

2016年04月24日 | ★映画★


 綾野剛のイメージをぶち壊す体当たりの演技を見て、彼に対する印象ががらりと変わった

 発端は「覚醒剤130キロ、大麻2トン、拳銃100丁」と帯巻きされた講談社文庫、

 北海道警察の元警部稲葉圭昭が書いた「恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白」だ。

 現役の警部として道警史上初めて覚醒剤使用で逮捕されたツワモノだ。

 その後、懲戒免職、覚醒剤取締法違反、銃刀法違反で懲役、9年の刑期を満了する。

 柔道で鍛えた体で、S(=スパイ)たちを手なずけ、すすきのでのし上がり警察内の点数を稼ぎまくる。

 でっちあげ、やらせ逮捕、おとり捜査、拳銃の購入、麻薬の密輸などなど。

 拳銃(チャカ)を挙げるために、歪んだ正義がはびこっていく。

 事件が生々しいゆえ、撮影は北海道で行えず、三重県四日市の桑名で敢行されたという。

 当初、映画化は不可能といわれた所以だ。

 Sの一人、黒岩役の中村獅童とのコンビが面白い。

 ところで、題名の悪い奴らだが、

 モデルの著者は刑務所に入ったとはいえ、本当に悪い奴らはいつも高見にいる。

 沈黙の組織の怖ろしいこと。

 子供の頃は、大人は警察は先生はみんな聖人君子の偉い人間だと思っていたよ。

 ところが現実はどうだ。

 地上波のドラマに骨太を求められなくなって久しい。

 だが日本映画、まだまだ捨てたもんじゃない。

 それにしても、獅童はともかく、綾野のやくざ紛いの衣装は、まるで浅草やくざそのもの。

 それがまた格好いいから憎いね。

 昭和ノリたるジーを感じさせる作品は、6月25日から全国一斉ロードショー。



【はなみずきリアルな悪は上を向く】哲露






 
 さてはて、流感後、気力体力がガタ落ちだわさ。

 次男の入学式の帰路、精をつけるために立ち寄る。

 勝海舟や龍馬も通ったといわれる老舗、やっ古だ。

 日本の鰻は何年ぶりだろう。

 甘すぎず、濃すぎず、あっさりといただけれるタレは俺好み。

 ステンドガラスの大正モダンの様式はじつに落ち着く。

 老舗だがランチは庶民派だ。

 気っ風のいい女将さんから笑顔の祝いももらった。

 さて、次回も日本映画を推しやす


ハロルドが笑うその日まで

2016年03月20日 | ★映画★




【眩しさやビューと吹く風花開き】哲露


 世界最大の家具販売店といえば、言わずと知れた「IKEA」である

 わが伝統工芸の国、日本でもいまやファストファッションとIKEAが隆盛を誇る。

 主人公はノルウェーで40年に渡り家具店を営んできたハロルド。

 その店の前に、ある日突如IKEA」が出現した。

 職人気質のハロルドは強気で商売を続けた。

 街の名士でもある彼は自分の方針の正しさを疑わなかった。

 しかし、わずか半年後には閉店に追い込まれ、認知症の妻も先立ってしまう。

 IKEAはまさにハロルドにとって、北欧の黒船だったのだ。

 築き上げてきたものをすべて失った初老の男の喪失が切ない。





 思えば、幼年期に暮らした町の商店街もいまや死滅してしまった。

 通学路にあった電気屋さんのおじさんおばさんは元気いっぱいだった。

 近所の喫茶店のマスターの作るカツサンドはどこよりも美味しかった。

 自営業の忙しさからよく出前を頼んだ中華屋の五目そばやとんかつ屋のヒレカツ弁当ももう食べることはできない。

 取材で訪れた北陸の商店街は、10年前にすでに寂れていた。

 東北は震災と放射能による人災で過疎化にさらに拍車がかかっている。

 世界各国、資本主義の行き着く先は、大資本の勝利、株主と資本家の天下でしかないのだろうか。

 そんな虚しさでハロルドを追っていく。

 焼身自殺も失敗した男は、ふとしたことで、その資本家と遭遇する。

 代々の家具店を潰された男と潰す要因を作った男が出会ってしまったのだ。

 ときに、シリアスに、またコメディタッチに物語は進行する。

 酒乱で寂しがり屋の母を持つエバが、「IKEA」創業者のカンプラードの誘拐に加担する辺りから動き出す。





 それぞれの信念は違えど、それぞれに確固たる考えを持つ二人の男。

 そこには懸命に生きる人間の姿が投影されている。

 そして、独りよがりの母を突き放せないエバの健気が愛おしい。

 現代のあらゆる悲劇、喜劇、およそ時勢が凝縮されている。

 ハロルドがふたたび笑える日はくるのだろうか。

 ほぼ三人で構成された作品、金をかけずともヒューマンドラマを描ける。

 いいや、金がかかっていないからこそ、市井の日常を映し出せるのだ。





 ハロルドが笑うその日まで。

 形あるものはいつか崩れる、その刹那を等身大でセンチに、じんわりと包んでくれる。

 4月16日より公開スタート!

 静謐な大気、大雪原に放たれた花火やネオンの煌めきの一瞬が美しい。

 花開きの週末、北欧の男の温かな白い息を思い浮かべる

  

 


孤独のススメ。

2016年03月06日 | ★映画★





【ひとりぼちしがらみ外し梅香る】哲露


 試写で不思議な作品に出会った

 オランダの美しい田園風景が印象的だ。 

 最愛の妻を失い、天使の声を持つ一人息子とは音信不通。 

 空いたバスで仕事に通う、主人公フレッド。

 彼の孤独が画面いっぱいに染み入る。

 ある日そこへ現れた謎の男。

 その名前も判らない男と時間を共有することで、彼の生活リズムが少しずつずれていく。

 色彩を失くした彼の孤独な日常が徐々に温かみを帯びていった。 

 フレッドの笑顔に、田舎町の偏見が立ちはだかる。

 だが決して暗いだけの作品ではない。

 所詮誰もがみんな孤独なのだ。

 果たして、孤独であることを受け入れることが人生を謳歌する要諦なのか。

 孤独を認めることは誰しも怖い。

 私も孤独をススメるわけではない。

 しかし、認めることで豊かになるものがあるのもたしかだ。

 お互い孤独であることに気付くことで近づく縁もあるのだ。

 敬虔な彼が呪縛から解き放たれる瞬間がハラハラとし魅了する。

 4月9日から上映がスタート。

 ロッテルダム国際映画祭、モスクワ国際映画祭の観客賞などを受賞。

 不思議な魅力に溢れた作品である


ボヴァリー夫人とパン屋をみて。

2015年12月20日 | ★映画★



 
 気持ちの張りが切れた年の瀬に、早稲田へ出向く

 喫茶店でカレーうどんを啜り、仏映画の二本立てに飛び込む。

 ギュスターヴ・フローベールのボヴァリー夫人をパロディー化した作品である。

 田舎に飽きて結婚したものの、その夫との平凡な暮らしにも膿み、

 やがて不倫と借金による苦悩から自殺する女性の話しだ。





【枯葉踏むそばかす顔にパン焦がし】哲露


 パリで学術系の編集を長く勤めた後、故郷に帰り家業のパン屋を継いだマルタン。

 彼の家の空き家に、イギリスから若い夫婦が越してくる。

 文学だけが退屈しのぎのマルタンは、新しい住人である女がジュマ・ボヴァリーという名であることに驚く。

 奔放なジュマは、マルタンの焼くパンに魅了され親しくなる。

 犬の散歩で会うたびに妖艶さを増していくジュマをみて、マルタンの妄想はいよいよ膨らんでいく。

 そこへギリシャ神話のアポロンのような青年が現れる。

 夫チャーリーとの倦怠が、ジュマと青年を急速に近づけていく。

 マルタンは自分の目で古典の小説が現実と同化していくのを感じ、とんでもない行動に出る。

 ジュマの妖しい美しさより、このマルタンの飄々とした表情が面白い。

 ノルマンディーの優しい風景とフランスパンの香りが、この映画をうまく味付けしている。 

 ユーモアのあるラストも風刺が効いていた。

 たまには仏映画もいいもんだ。 

 ボヴァリー夫人とパン屋 http://www.boverytopanya.com






 例年より暖かい。

 歳の市の羽子板市に訪れる人々の表情が柔らかいのもその陽気のせいであろうか。

 話題をさらった五郎丸選手の羽子板もお目見えしていた。


 


 浅草六区のドンキの前に、まるごとにっぽん館が建った。

 この羽子板市に合わせてオープン。 

 新しいものを吸収する貪欲と寛容が浅草らしさとはいえ、せめて現代の凌雲閣のような捻りが欲しいとこだ。

 気持ちの騒つくことが続くが、正月くらいは平穏でいたいもの。

 今週はクリスマス。

 ほんとうに時間の経過がはやい。

 あと数日だ、がんばりまひょ 


森のカフェ ♪

2015年10月12日 | ★映画★





【木漏れ日に豆の香りは黄金色】哲露


 また映画の話し

 銀座コリドー通りの地下で、試写を観た。

 自然科学の発達が人類に、物質的豊かを与えたのは否定しまい。

 だがこの頃、行き着いた利便が、人の営みをはるかに超えてしまったのでは?と感じる。 

 ボタン一つで街を滅ぼす爆弾ができてなお、まだ兵器を開発し製造を続ける愚かさ。

 ダイナマイトも核兵器も科学の発達からできた。

 ITの発達が、人々から仕事を奪っていく。

 偽政者は国立から文学の学びを減らすことに必死だ。

 要は哲学的思考を持つ人間が増えるのが怖いのだろう。

 So What?

 この「森のカフェ」の榎本憲男監督は実際に郊外に移り住んで発想が浮かんだという。

 現代人の失ったもの、西洋的な合理主義とは対極の何かを提起している。

 論文が書けない哲学者が森で出会ったのは、果たして本物の妖精なのか。

 マーチンのD35が奏でる音は透明感に溢れ、珈琲の香る森に沁み入る妖精、ヒロイン若井久美子の声が心地よい。

 ハリウッドの豪華絢爛でなくとも、撮り方次第で映画は面白くなるのだ。

 悩める哲学者に光を届けたヒロインの歌詞は、きっと観るものの心にも届くはず。

 その音と光は、ほのぼのと温かい。

 森のカフェは、12月12日からヒューマントラストシネマにて公開予定。





 いつかの赤坂の蕎麦屋の定食。

 10年ほど前から通う、町の蕎麦屋だ。

 気取った蕎麦屋の多い赤坂にあって、良心的で味も安定している。

 この日は穴子丼のセットを。

 肉厚のアナゴは甘すぎないタレが沁み、茄子の天ぷらとともにボリュームたっぷり。

 本日は体育の日。

 12kmほど隅田川沿いを走った。

 昼はネギどっさりのシンプル醤油ラーメン。

 晩ご飯用に、大根とツナのサラダを仕込んだ。

 こんな長閑な毎日がいちばんの贅沢なんだな
  


更年奇的な彼女☆

2015年10月04日 | ★映画★



 
【更年期カノジョもカレも冷やおろし】哲露

 
 知り合いに招待され、中国映画の試写に行く

 この作品は2001年「猟奇的な彼女」や「僕の彼女はサイボーグ」で有名なクァク・ジュヨン監督がメガホンを取っている。

 猟奇的なの、チョンジヒョンの可憐さとぶっとんだ演技は忘れられない。何度観たことだろう。

 その郭監督の作だから、かなり期待していた。

 それを裏切ることなく、テンポも、構図やカメラワークも進化していてグイグイと世界へ引き込まれていった。

 思わずホロっとしたシーンでは、隣の同行もメガネを取りハンカチをあてていた。

 感覚が同じなんだな、と共感を憶えた瞬間である。

 編集長でもあるその友人が上映が始まった冒頭、興奮しながら、このアモイ大学が出身校だと明かしてくれた。

 なんと、世間は本当に狭い。

 きっと彼は私以上に、臨場感を感じ、青春の甘さとほろ苦さを重ねて観たことだろう。

 そんな彼が日本へ来て26年。

 そんな冒険が日常になったのだ。

 私は羨ましくも、浅草から一歩も出たことのない身に置き換えて途方に暮れる。

 今年の夏は、息子の受験もあり旅どころか、海へすら行けていない。

 でも、身近にいる友人から故郷のこと、過去旅した思い出など聞くことはいつでもできる。

 何もお金をかけて移動しなくても、旅をした感覚を味わえるのだ。

 そうして、私は遠い異郷に思いを馳せた。






 主演の周迅 (ジョウ・シュン)がたまらなく可愛い。

 いまや中国のトップ女優というから、それも頷ける。

 中国映画があまり公開されない日本の現状を憂います。

 そして、相手役の佟大为(ダーウェイ)は国民的なアイドルだという。好感度の高い演技は落ち着いていた。


 世の麗しい女の子は、奇抜な題名に臆することなかれ。

 野郎である男にも、更年期はある。

 若年性更年期という妙な設定が、どのように物語を構成していくのか。

 中国本土では、公開5日間で20億円の興収を上げた。

 原題「我的早更女友(Meet Miss Anxiety)」

 疲れた日常に、心を灯すようなラブコメ。

 その目で確かめる価値は大ですわ。



        銀座「天龍」の餃子ライス
 

 ある日のランチ。

 同僚と、お互いに懐かしい思い出の餃子屋へ。

 開店50年にもなる、銀座の老舗「天龍」

 ジャンボ餃子は上野の「昇竜」に軍配があがると思っていたが、思い出の味はそれを上回る。

 噛むと肉汁が溢れる。

 このジューシーさは、小籠包の親玉のようだ。

 しかし、このデカさで8個。

 己の胃がオッサンである現実を思い出させる。

 一皿をシェアするようになっちゃあお仕舞いよ。

 映画も、餃子もオススメの逸品でござる 


はじまりのうた ♪ と ONCEダブリンの街角

2015年08月29日 | ★映画★



 
 また映画の話し

 目黒の小さな映画館で、二本立てを観た。

 二つとも、ジョンカーニー監督の作品だ。

 最初は、全米でも単館系から俄かに広まった話題のはじまりのうた。


 摩天楼ニューヨークが舞台だ。


【サンバの音熱過ぎ去りし虫の声】哲露






 掴み、キーラナイトレイ(グレタ役)の掠れた声音がいい!

 静かな出だし、ギターのたよりない旋律が聴かせる。

 ネタバレになるが、この冒頭シーンが複層的に撮られ、演者の視点と心の動きの変化を捉えているのが見事。

 ジョンカーニー監督の才能だろう。

 キーラは好みの女優だが、ギター片手に本格的な弾き語りを聴くのは初めて。

 気のせいだろうか、いつものスクリーンより自然体な印象を持った。

 ハリウッドにしては低予算だから、こうした気取りのなさが醸されるのだろうか。





 ニューヨークのローカルな街角で、アルバム用の録音をしていくのだが、これがカッコいいんだね。

 恋人役デイヴには、グラミー受賞のロックバンド、マルーン5のボーカル、アダムレヴィーン。

 アカデミーこそ取れなかったが、ボーカルにさすがの貫禄をみせている。楽曲はきっとラジオでも耳にしたことがあるはず。

 そして、大好きなキーラ以上に輝いていたのが、ダン役のマークラファロ。

 かつての名プロデューサーも今ではどこにでもいる呑んだくれのオヤジ。

 成り上がった感じの彼のジャガーがニューヨークを疾走するシーンに胸が踊る。

 ビリークリスタルの剽軽さ、ウォルターマッソーの酔っ払いのお惚けを想い出す。

 マーク曰く、ウェインコインをお手本にしたという。

 ウェインは、ザ・フレーミングリップスのシンガー。

 モシャモシャ頭と奔放さがうまく映像に活かされている。

 ユーチューブで聴いてみた。

 緩い感じのボブディランって感じで、自由な空気を感じられる。

 ホームレス寸前のダン、堅実な人生から転落したグレタ、成功へ上り詰めた挙句彷徨うデイヴ。

 憧れの彼のために背伸びするダンの娘バイオレット、一度の裏切りから乾いた関係の妻ミリアムも好演。

 とにかくストーリーの構成、キャスティング、楽曲、どれもが心地よい。

 個人的には、グレタの心の友、スティーブ役のジェームズコーデンの配役がお気に入りだ。

 彼がいい繋ぎになり、映画の質が保たれている。





 恋、裏切り、親子の葛藤と絆、男女の複雑な関係、努力、成功、落ち目、友情、 ニューヨークの風、そして極上の音楽。

 その心地よい音の中に、役者ごとの物語が、絶妙なバランスで描かれている。 

 女性には男の僕からみても可愛らしいグレタのファッションも見もの。

 気丈で一本気な彼女がこんな格好をしていたらイチコロだわ。

 ギャップ効果ってヤツさ。





 久しぶりに、気分の晴れる104minだった。

 グレタは何よりも真っ直ぐでセンシティブ、ダンの男っぷりはキュート。

 同じ曲を、2本のジャックで聴きながら街を行くダンとグレタのシルエット。

 なんて、粋な演出なんだ。

 とにかくこのムービーのセンスを観て欲しい。

 原題は[Bigin Again]、読んで字の如く、もう一度始めるってこと。

 俺も今からまた始められるってことかな。

 20代の頃のように、何も恐れることなく、知らない国を一人旅したくなった。

 こんなに音楽への愛が溢れる映画って久しくなかったよ。

 何度も観たい。

 そんな作品に出会えるって人生も捨てたもんじゃないな。






 はじまりのうたの、ジョンカーニー監督の出世作

 こちらは暗いよ(笑)

 さすがアイルランド、ダブリン。

 北の街に立つ30代のストリートミュージシャン、グレンハンサード。

 彼の歌を熱心に聴く、チェコの移民マルケタイルグロヴァ。

 花売りで生計を立てている彼女の唯一の愉しみは、楽器店でピアノを弾く時間。

 掃除機の修理をきっかけに、急速に近付く二人。





 台詞も最小限で、カメラワークはアマチュアのような親しみを憶える。

 お金をかけなくても、こんなにじんわりと心に沁み入る作品ができるって素敵だ。

 何かを置き忘れてきたような想いに、私自身も胸を締め付けられる。

 U2のような迫りくるグレンの声はときに過剰を感じたが、

 一人夜のダブリンの街で歩きながら歌う、マルケタの旋律はノスタルジーな悲しみを誘う。

 寒々しいアイルランドの荒海、

 アマチュアながら、プロのスタジオエンジニアを魅了し、徹夜で仕上げたデモCDの完成を祝って、

 浜辺でフリスビーをするシーンがとても映像的で素敵だ。

 暗く、哀しみ満ちた作品だけど、心に迫る何モノかがある。

 完璧でないありふれた日常は、ハッピーだけでもなく、哀しみばかりでもない。

 家にこもりがちな、ダブリン的厳寒の季節に、オススメの一作だ。





 20代の始め、一人でスコットランドに降り立った。

 本場の安いスコッチ、テイクアウトの中華、バグパイプの音、エジンバラ城、寝台の出会い。

 二度と戻らない青春。

 たまらくなく退屈で、たまらなく孤独でいたあの頃。

 いろんなことを思い出したよ。

 ミュージカルでない、こんな楽曲だらけの映画もいい

 
 


【戦争のない20日間】【道中の点検】アレクセイ・ゲルマン監督

2015年08月15日 | ★映画★




 世間はお盆の真っ只中、今日は終戦記念日である。

 蝉時雨が緑に映え、ひと時の静けさが訪れる。

 灼熱の土の上では高校球児が必死の汗を流し、四年ぶりに再稼動された川内原発や国会周辺、各地では老若男女が切実の声をあげている。

 首相が独りよがりの声明を読み上げる中、桜島や箱根では地殻変動、噴火への警戒がそこで暮らす人々を不安にさせている。

 人が人を殺す道具やお膳立てを抑止力というなら、同じ金で人を守る道具や支援に力を入れないのは何故だろう。資本主義経済の名の下、たっぷりと肥え太った偽政者や金満家は儲からないものには汗を流さない。

 話題のターミネーターの最新作を観た。核兵器の保有を抑止力だと競い合う人間の愚かさを皮肉るように、人が作った道具(機械、ターミネーター)が人を殺していく。使用しないことを前提での抑止力だが、およそ、人が制御できない核、それを兵器として持つことはいつでも使えることもまた前提であるはずだ。この終焉が絵空事と思えるほどに、浮世は単純ではない。

 憲法9条、ベトナム、過去の経験がキーワードとして人々の心の根にある限り、人が人を殺すことへの忌避感が強まっていることもたしかなのだから、ターミネーターのように、人の代わりにロボットが戦争をする時代も決して否定できるものではない。

 果てして、娯楽映画の世界だけだ、と割り切ってよいものか。


 

 
 早稲田松竹で、アレクセイ・ゲルマン監督の作品を上映していた。

 【道中の点検】は1971年、アレクセイの父ユーリーゲルマンの原作を映画化したものだ。かつてのスターリン体制を批判するものとして、ペレストロイカ以前の共産主義国では上映が禁止された事実がある。

 人が自由に芸術を発表できない体制下の恐怖、偽政者がマスコミや社会へ口封じを声高に叫ぶ現代において、このことをいまこそ熟考すべきではないか。

 物語は1942年、ナチスのソ連北西部への侵攻を背景とする。すでにユダヤと反ナチスのロシア人に対しては徹底した殺戮と食料すら与えられない過酷な強制労働が行われていた。

 ナチスとそれを支援するロシア人が闊歩する占領下において、ロシア軍が支援するパルチザン(ゲリラ)が暗躍していた。捕虜となったユダヤ系ロシア人は、裏切り者とされ、同血に捕縛され辱められ殺される。
 自ら投降したラザレフもその一人だった。ナチスを殺すテストを強要され実行しても、ロシア人将校から一向に信用してもらえない。ラザレフはかつての同胞にもう一度信じてもらうため、一緒に戦うために、危険な任務につく。

 戦前には一介のタクシードライバーでしかなかったラザレフのような男が何故人殺しをしなければいけないのか。反共、反ファシスト、どこに違いがあるのか。結局、殺戮と略奪でしか手段がないことが救いのない愚挙である。

 合法的?な人殺しの明確な答えは、戦争でさらに大きな力を得ようという権力者の傲慢と、それを許した大衆の無知と無関心ではないだろうか。

 ラザレフの孤立した寂しさ、それを救おうとしたパルチザンのロコトコフ隊長の最後の眼差しの映像が印象に強く残った。




 
 もう一作、【戦争のない20日間】。

 この作品でゲルマン監督はようやく日の目を見る。フランスのジョルジュ・サドゥール賞受賞した。

 原作は、コンスタンチン・シーモノフの「ロパーチンの手記より」。

 孤独で寡黙な少佐役の主人公ロパーチンは喜劇界のベテラン、ユーリー・ニクーリン。戦場から戻る汽車で出会うヒロインのニーナ役はリュドミーラ・グルチェンコが扮している。内に込めた感情を抑えた演技、ときに垣間見せる激情が素晴らしかった。マルチェロマストロヤンニ、ソフィアローレンのひまわりを連想した。空爆の音の再現にまでこだわった活写リアリズムは、地味だが渇いた土に染み入る汚濁のように心に広がる。

 帰国の車中、従軍記者のロパーチンに浮気された女房への思いの葛藤を告白し、手紙を書いてもらう兵士の割り切れない切なさ。ロパーチンもまた再婚する女房との手続きのための帰省でもあった。ニーナも亭主が逃げて舞台衣装の縫製の仕事をしながら男の子を育てる気丈でか弱い女。ロパーチンにとって、ニーナにとって束の間の休暇の持つ意味を考えると、観る者もやりきれない思いに駆られることだろう。
 
 戦地へつながる土地での僅かな休暇のなか、ロパーチンは妻と新しい夫のために冷淡なほど優しく清算をする。その同じ男が夫に捨てられたニーナに淡い恋心を抱く。二人が荒れた道を離れがたく歩くシーンが微笑ましくも切ない。戦地へ旅立つ日の素朴で楽しげな食卓風景が悲しみを誘う。戦場の場面は少ないが、その日常にこそ抗えない暗黒の時代がそこかしこを覆っている。すなわち、これが戦争なんだ。

 ロパーチンが冒頭にいう台詞。スターリングラードや各地の戦を経験したはずだが、いまは朧げで何も思い出さない。思い出すのは、20日間の休暇の前に、仲間と海岸の砂地を歩いたシーンだけである、と。

 昭和四十年代浅草に生まれた私は当然ながら、戦争に参加したことはない。ベトナム、アルゼンチン、アフガニスタン、イスラエルで起こったことを、ニュースや文学で学ぶしかないが、あたかも体験したかような戦記リアリズムの映像から滲む、監督の戦争への冷酷なまでの憎しみと愚かさの訴えを感じた。

 残念ながら、監督は亡くなってしまったが、作品は永遠だ。DVDでも観られる。この映像をぜひ体験されることをオススメする。

 何のために人は生まれ、何を為すのか。


【終わりなき拳の果てに蝉時雨】哲露


 一人ひとりがそう問う束の間の休暇もまた必要な時期なのだと思う。

 ぼくもまた本当の殺し合いについて何も知らないのだ。

 それでも知ることを恐れたり、無しくてはいけないことだけは判る。

 様々な思いを込めて、合掌



おいしい葡萄の旅。

2015年05月24日 | ★映画★



 5月23日サタデーナイト

 夏の陽気にほだされ、行って来ました、TOKYO DOME!

 ブドウって書ける? 恥ずかしながら、私は書けない。

 サザンオールスターズのニューアルバムが【葡萄】

 ってことにちなみ、2015年のツアーは【おいしい葡萄の旅】という。





 昨夜はドーム初日。

 紫の水玉、紫色の文字、ワインボトルを捩ったTシャツやタオルが水道橋の駅からいっぱい。

 そ、そしてファンの年齢層が恐ろしく高い!

 そりゃそうや。うちらより上の方もいらっしゃるんだから。

 茅ヶ崎はもっと若い娘と兄ちゃんもいたのにな。



 やっぱ買っちゃうわ。

 タオルはサッカーの試合でいけない二男へのお土産だす。


【蛍舞うドームのなかの麦高し】哲露

 
 ドームはビールが高い。

 小コップ一杯800円だもん。

 30分並んで、悔しいから、角ハイにしといた。なんのこっちゃ。




 
 アリーナ、しかも予想以上に前のほうの席でうれしい。ポールのときは遠かったから。

 サザンのLIVEは、おととしの夏の茅ヶ崎球場以来。

 潮騒を感じながらの海辺のLIVEは最高だったが、ドームは家からの近さがありがたい。

 宮崎出身の松田弘は、ジャイアンツのキャップをかぶり、ホームと言った。

 まさに、栄光の男の舞台だもんね。

 弘さん、原監督にそっくりで、会場中が大爆笑!

 原由子がステージ中央でダンスするパフォーマンスも。

 彼女がキーボードを離れるLIVEは初めてじゃないか。

 そして、桑田の話題はSNSと、ドローン!

 ドローン!

 LIVEに行った人にしかわからんネタでごめん。




 茅ヶ崎と同じく、入り口でリストバンドを渡される。

 LIVEも中盤を過ぎた頃、曲とともに無数の灯りがドーム内に覆う。

 後ろを振り向いたら、ゾワッと鳥肌もん。

 人工の蛍、めっちゃ感動やわ!

 Happy Birthday,栞のテーマ、あなただけを、Soul Bonber、マチルダBabyと往年の名曲がつづく。

 青春番外地、道、に至っては、桑田が精と魂をすべて吐き出した熱唱!

 昭和世代は歌謡曲を流す歌番組がそれなりにあった。

 桑田の作る歌詞は、難解で複雑、シンプルにエロく、卓越した活字の組み合わせはセンス抜群で先鋭的!

 その早口な言葉の放射で、時代の空気を置き換えていく。

 同時代に生きる僕らの気持ちをそのまま、サウンドと相まって本当に心地よい。

 還暦(毛ガニさんは還暦とか)近くになって制作したアルバムがオリコン一位になるのも頷けるわ。

 だが、実際曲だけ聴いていると、何を言っているのかわからない時がままある。

 おろらく、日本人の歌手で歌詞のテロップが流れたのはサザンオールスターズからだろう。

 桑田の作る詩が、この夜も流れ続ける。

 天才的な歌詞とはよく言われることだが、この詩を書くために彼は血のにじむような研鑽をしてるんだろう。

 凡人には思いつかない言葉や文字の組み合わせの巧みに唸るしかない。 

 陳腐で稚拙な羅列しかできない私も、いつしかこんな言葉を紡げるのだろうか。

 37年という月日そのものが、魔法のような歌詞になって通り過ぎ、楽曲が心とカラダにリフレインする。




 アリーナからスタンドを埋め尽くすリストバンドの灯り。

 ラストにかかる曲は、【蛍】

 サザンファンの喜びと熱気から発する、無償で無数の蛍が舞う!

 めっちゃ綺麗やね。

 目の前のちっちゃな女の子も睡魔に打ち勝ち、大きく手を振っている。

 夏のワンピースに、無邪気な仕草がカワイイ!

 歳をとったリアルファンのおじちゃん、おばちゃんは少しずつヘバってきた。

 座る方もちらほら。

 関口和之は淡々と演奏。

 毎週土曜日の朝、流れる彼のラジオは心地よい。




 マンピーのかぶり物がなかったのと、天国オンザビーチがかからなかったのが少しの心残り。

 愛媛から宮城、全国を回り、桑田もメンバーも披露が溜まっているんだろな。

 息をつかせぬパワフルな連打の構成だが、顔にそれが現れていた。 

 ドーム初日で緊張していたのもあったようだ。

 メンバーの方々は、ゆっくり休めたかな。きっと今夜も盛り上がるだろう。



 サザンオールスターズと同時代に生きられる幸運に感謝。

 いつまでも彼らとともに老いたいものだ。

 そのためにお互いに元気でいないと、ね。

 サザン最高♪

 次は夏の屋外LIVEがええな~


アメリカンスナイパーに想う。

2015年03月01日 | ★映画★

 

 話題の映画【アメリカン・スナイパー】を観た。

 クリントイーストウッド監督作品。

 許されざる者から私のなかで彼の印象が変わった。

 イラク戦争に異を唱えた彼をして撮らしめた映画だろう。

 国家を、仲間を、家族を守るためにライフルの引き金を引くクリスカイル。

 だが打たれたアラブ人の少年と女性もまた何かを守るために身を投じたのだ。

 この出来事に直視することを避け、クリスは160人以上の敵(仮想)に銃弾を打ち込み続ける。

 派兵の合間の休暇。

 戦地で伝説と呼ばれる彼は家族の元に帰る。

 守るべき場所安堵すべき場所に戻れたはずなのに、かつて信じた正義感の歪みが真っすぐな青年だったクリスの心を蝕んでいた。

 はたして、その荒んだ精神に安息する場所はなかった。

 仲間も、弟も、クリスをヒーローと称える。

 その言葉がさらに彼を孤立へと押しやる。

 妻であるタヤも、傀儡と化したクリスを心配し、心に訴える。家族の希望が絶望に変わった瞬間である。

 もはや、クリスには戦場だけが唯一存在価値を確かめられる場所なのだ。

 しかし同じその場所で、もっとも敵に狙われる存在にもなっていた。

 この作品に現実を知る事の大切さを痛切に教えてもらった。

 正義とは? 愛とは? 生きるとは? 守るべきは国家なのか? 家族なのか? 友なのか? 

 そして、自分とは何者か?

 クリスはヒューマンな心を取り戻すことができたのだろうか。

 敵の敵は己であり、仲間であり、家族であり、国家だ。

 彼が引き金を引くことは、即ち己を、仲間を、家族を、国家を撃つことになる。

 この大いなる矛盾に偽政者は目を瞑ったまま、命令を下す。

 自らを晒さない偽政者はいつでも高みの見物。

 ベトナム、ニューヨーク、アフガニスタン、イラク、魂の叫びが増えるほどに、憎しみと哀しみの連鎖は続く。

 戦争はスポーツでも茶番でもない。

 こちらの正義はあちらには殺戮であり、向こう側の理屈はこちら側の怒りと悲劇になる。

 それが戦争というものではないのか。

 そこには本物の勝者などいない。

 本当の強さとはなにか。

 善良なるアメリカ人が正しいのか、清く生きようとしてもアラブの人は悪なのか。

 肌の色を識別することに無頓着であってならない。

 そして、福島を中心とした国家の、利権者たちの横暴と傲慢を、もう一度私たちは直視すべきではないのか。

 COREDO室町の劇場に訪れた人で、スクリーンは満席だ。

 エンディングで知る。これは実話なのだ、と。

 子供が親より早く死ぬ、この現実こそが人類の損失であるならば、オトナは潔くならなきゃいけない。

 哀しみと絶望の連鎖を絶つことは人類には不可能なことなのか。

 鈍く乾いたライフル銃の音がいまも私の胸に響き残っている。