週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

【連載】異国を旅して -韓国篇6 北へ-

2017年06月25日 | 【連載】異国を旅して




【凍てついたイムジン河の秋も枯れ】哲露


 市場から一夜明け、広場へ向かう。

 ロッテの免税店の先。

 抜けるような青空が清々しい朝だ。





 早朝のソウル中心部。

 民衆が少しずつ集まっている。

 今夜のデモの準備がもう始まっているのだ。

 国境へ向かう待ち合わせがホテルのトラベルセンター。

 割とまともなホテルのロビー。

 びっくりするほどデカいカップ麺をすする西洋人。

 マナーもへったくれもない。

 同じフロアでは、高級な朝食を供している。

 彼は残った汁をどうするんだろう。

 トイレが詰まるんだろうなぁ。

 なんて、余計なことを考えて待つ。





 これが国境ツアーのバス1号車。

 あっしは一番後ろの席を贅沢に陣取る。

 並びは、日本人の女性二人。

 見事な日本語のガイドさん。

 さあ、いざ北へ。





 高速のドライブイン。

 ここでトイレ休憩。

 この光景はどこの国でも変わらない。

 まだこの時点で緊迫は感じられない。

 なぜ、あっしはここにいるのか。





 ソウル中心部から板門店へ、国道沿いをゆく。

 電波の心配があったが、GPSは賢い。

 どこまでつながるか。





 車窓から有刺鉄線が見えてくる。

 監視カメラも見える。

 殺風景な景色が北へ向かう実感をもたらす。





 映画でも見た、JSA。

 韓国とアメリカを中心とする国連軍と北朝鮮軍が共同で警備を行なう800m四方の共同警備区域。

 撮影の場所は限られるが、写真も撮れた。







 背の高い兵隊さんの後ろ。

 この建物の間のコンクリが、幅20cmほどの軍事境界線。

 なんとも頼りない。

 



 彼の立っているところが北朝鮮の土地だという。

 微動打にしない兵隊さんを気の毒に思う。

 韓国では2年間の徴兵制がある。

 そういうことだ。


 日本は戦後の歩みの中、どこまでも平和なんだ。

 それにしても、ここにはイケメンの兵隊さんが多い。

 あっしも北の土地を踏んだ。







 こちらが北朝鮮の施設。

 ちなみに韓国側の建物は撮ってはいけない。

 カメラを反転させて撮っていたら止められた。

 この国境ツアーの場所で、アメリカ兵が打たれ、今は立ち入りが禁止された第3トンネルのような場所も存在する。

 日本では見られない緊迫がここにはある。





 帰路に立ち寄った国境付近の施設、臨津閣(イムジンガッ)観光地。

 断ち切られた家族を思い、人々が悲しい歌を唄う。

 肉親に会いたい気持ちは万国共通。













 1950年の今日、6月25日に朝鮮戦争が始まった。

 そこから分断された韓国と北朝鮮。

 北緯38度線。


 非武装地帯であるDMZ(Demilitarized Zone)は境界線を挟んで南北それぞれ2km、幅4kmにわたる。

 1953年に締結された朝鮮戦争の停戦協定。

 かつては両国を結ぶ鉄道も通っていた。

 錆びた車両。

 不思議なことに、半世紀一般人が立ち入っていないことにより、

 原生の自然が残り、貴重な野生動物が生息するという。

 人間の営みは自然に反するといういい例。

 人間とはなんと愚かな生き物なのか。







 板門店ツアーについている、プルコギ鍋。

 同伴を持たないあっしは、やはり一人参加のおじさんとお姉さんと鍋をつつく。

 西洋人につられ、わしもビールを。

 韓国在住のM嬢のおかげで、入国後美味い飯ばかりだった。

 さすがに、このツアーの食事は美味くも不味くもない。

 非武装地帯の味として、一生舌に残るのか。






 映画パッチギで流れた、イムジン河の唄。

 枯れた景色、悠久の流れ。

 この河を何人の人が渡り、死んだのか。

 極寒の地、凍てついた河の水。

 同じ人間、同じ血、同じ民族を打つ不条理。

 ああ、イムジン河。





 明洞の街に戻る。

 買い物に興じる若者たちがわんさといる。

 その一方で、朝の広場には群衆が集まっている。

 もっとも換金率のいい両替がある。

 そそくさと両替し、街をぶらつく。

 朝の広場へ行くと、有識者たちがあちらこちらで大きな声を張り上げている。

 アーティストたちが唄う。

 朴槿恵大統領を弾劾するデモだ。

 この国のエネルギーの源はなんだろう。

 怒りの放出は老若男女問わず、若さなのかもしれない。

 次回は、この旅でたまさか立ち会えたデモをレポートしやす。


【連載】異国を旅して -韓国篇5(広蔵市場へ)-

2017年06月18日 | 【連載】異国を旅して





【活気ある南の胃袋スンデかな】哲露


 韓国の旅、5回目。

 二日目の晩酌に広蔵市場へ連れてってもらう。

 地下鉄1号線の鍾路5街(チョンノオーガ)駅を降りる。

 そこから、ひょいと入るとアーケード。

 日本の地方都市でもあるような気軽さで歩いた。

 そこでとんでもない風景に出会う。





 


 それがここ。

 広蔵市場(クァンジャン・シジャン)。

 とにかく屋台の集合体の規模が巨大。

 様々な食材で作られたキムチ漬けはもちろん、豚の腸詰やら餃子やらアレヤコレヤ。

 お土産屋も豊富に揃うが何より、

 ここで生活する市井の人々のエネルギーに圧倒される。

 



 この広大な迫力。

 あちらで嬌声、こちらで怒号のような掛け声。

 麺屋からは湯気がモウモウと、揚げ物の音がジュージューと木霊する。

 ソウル市民になったつもりで、おもむろに屋台へ腰掛た。

 早速、hiteを頼む。




 
 ピンデトッは、緑豆の生地に野菜や肉が入ったお好み焼き。

 食感がしっかりと楽しめて、玉ねぎが大胆に入ったタレにつけると美味い。

 hiteの生に続けとばかり、炭酸の効いたマッコリにすすむ。





 キムパッはミニ韓国海苔巻き。

 具は沢庵、ほうれん草、人参と素朴。

 日本で韓国風海苔巻きといえば、太巻きのイメージであったが本場はこれだ、とあっさり突きつけられた感じだ。

 わさびでも唐辛子でもなく、特製の洋風辛子をつけて食す。

 シンプルな味がリピート必至ということで麻薬キムパッの異名がついている。

 あっしは土産ももらい、翌日の朝食にした。

 まさに癖になるお味だ。





 活きテナガダコの刺身(サンナッチ)。

 ウニョウニョと、生蛸の生きたままを口に入れる。

 残酷だが、究極の鮮度を誇る。

 韓国海苔が贅沢に盛られ、また、いい酒肴となる。

 それにしても、口中でもよく動く。





 このスンデ(豚の腸詰)が、Mお嬢さんのオススメ。

 美女は血の塊がお好きなようで。

 ソウル思い出の味とインプットする。





 日本では見たことない形の餃子。

 世界は広し。

 他に、ユッケやトッポギと、ソウルのおっさんと語り合う。






 最後にうどんを頼む。

 熱いのは美味いが、すぐに冷めてしまう。

 ソウルの冬が厳寒だ。

 冬はこの市場、閉鎖するの? と聞いたら、俄然盛り上がるとか。

 マイナスの気温の中で、啜るマッコリ。

 いやあ、恐れ入りやす。

 とにかく、どこの店に行っても、安定しているのはタダで食えるキムチ。

 あっしにはそれが何より羨ましい。

 我が国日本も、ぬか漬けくらいタダにしたらどうだろう。

 最近は、日本茶や水も有料。

 徐々に生きづらいと感じるのはあっしだけやろか。

 薬品の入ったような甘い焼酎に。

 ソウルの旅はまだまだ続く。

 次回はいよいよイムジン河を渡る。 






  




 


 


水神祭2017

2017年06月11日 | ★江戸っ子エッセイ★




【笑う声騒ぐ祭りも監視かよ】哲露


 最近、隅田川から荒川を抜けて走るのが週末の日課である。

 白鬚橋の先にある水神という橋を渡って行くのがいつものコース。

 その水神様のお祭りがやっている。


 


 隅田川神社は、古い堅牢のこじんまりとした創り。

 細長い団地のあちこちに門がある。

 ゆったりとした広場に、露天がたくさん軒を並べて、地元の子らを楽しませている。





 能のような舞をやっていた。

 模造刀はかつて本物の真剣だったのだろうか。

 祭囃子の太鼓の音が境内に響く。





 御百度参りの石碑。

 川の漁師の無事を祈っての碑だろう。

 小舟で両岸を渡った時代、大川の流れを人々は恐れた。 





 強面のカメ様に小銭が置かれている。

 大きな亀は、竜宮城の話にも描かれた。

 おとぎ話に出て来るほど、亀は敬虔な存在だったかもしれない。





 確か隅田川という品種が咲いている。

 艶やかな紫陽花とともに、川沿いをゆく人々の目を楽しませてくれる。

 心地よい風が抜け、本命の神輿が入ってきた。

 縁日のある日本の原風景。

 いつまでも監視のない、自由を願う。
 


湘南海岸を歩いた

2017年06月03日 | ★江戸っ子エッセイ★


江ノ電 鎌倉高校前の踏切


【浮き沈み初夏の海水に消えゆく】哲露


 ここが世界から観光客が訪れるスラムダンクの聖地、鎌倉高校前の踏切だ。

 この日も、外国人がカメラやスマホ、タブレットを手に待ち構えていた。

 早いものでもう六月。

 鮎も泳ぎ出したという水無月だ。

 GW湘南海岸を歩いたレポートを綴る。






 いつものように東海道線で茅ヶ崎へ。

 毎年この街を複数回訪れている。

 ブログ読者にはおなじみ、私淑する師匠所縁の土地だから。





 駅からビーチへ向かう途中、お神輿が見えた。

 浜降祭も来月に迫るから、もう準備が始まっているんだろう。

 祭り好きにはその浮かれようが痛いほどわかる。





 サザンビーチは、ほんと和む。

 桑田サウンドを口ずさみ、浜辺ウォーキングをスタート。

 羽毛の一羽が見えるほどリアルに接近する鳶。

 波乗りをしていた若い頃、モスバーガーの新作をかじろうとしたところかっさわられた。

 その時の手の痛み、衝撃はいまだ鮮明に覚えている。

 道すがらお気に入りの店で買った惣菜パンを鳶とにらめっこしながら食べる。

 これもまた湘南風。





 この広大な太平洋を延々と歩く。

 チャリにボードを乗せたサーファー、怖いほど真っ黒に日焼けした肌のおっちゃん、犬を連れた女たちと何人もすれ違う。

 潮風と波の音がたまらない。






 歩く、歩く、歩く。

 しばらく行くと、ラチエン通りの辺りについた。

 防風林の片隅で咲き誇るツツジが眩しい。

 駅に戻るように、内陸へ。





 久々に訪ねる師匠、開高健の暮らした家。

 心に焦燥が走り、筆を持つべき手に緊張が漲る。

 師の呼吸を捉えると、豊穣な語彙と思考の嵐に圧倒される。

 物書きになりたい、今現在しょうもない駄文を書いている己が情けない。

 この徹底的なまでの自虐に苛まれ、物を書く勇気をふたたび奮い立たせるため、何度もこの地に足を運ぶ。



 


 歩く、歩く。

 江ノ島が見えてきた。

 水族館はうんざりするほどの行列。

 およそ並ぶのが大嫌いな私には信じられない光景だが、子供のため、彼女のため人は並ぶ。

 思いの外、歩道をゆく人が多い。

 そろそろ鎌倉高校が近いのだ。

 ここで冒頭の話に繋がる。





 ちょいと気になる道案内が目についた。

 横道に外れ、右手を行くと江ノ電の小さな踏切があった。

 その踏切から生えるように寺への階段が続く。





 満福寺。

 幟を眺めると、義経、弁慶ゆかりの寺とある。

 まんぷく寺でまってます、という同人の高田由紀子さんの顔が浮かぶ。

 これはぜひ彼女に伝えたい、と思った。

 高田さん、知ってますか?

 なので思わず、ちい散歩パクり、鎌倉てつ散歩篇。

 さらに稲村ガ崎まで歩く。

 鶴岡八幡さまの先、竹林まで行きたかったが、この日は時間切れ。

 観光客の帰路のピークと重ならないよう、江ノ電で鎌倉駅へ。


 


 ITを生業とし、大企業に身を投じると、校了のないエンドレスな世界が待っていた。

 ある程度覚悟はしていたが、何事も体験してみないとわからないものだ。

 私は無力で、非力で、無学だ。

 歳をとるごとにそれは痛切に広がる自虐。

 ただ何もない私は、人には恵まれているとも思う。

 それは実にありがたいことだ。

 悠々として 急げ。

 心に何度もつぶやく。

 先週、友と年末の湘南国際マラソン大会へエントリーした。

 明日もまた、陽はのぼる。