週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

留萌の海岸。

2013年08月27日 | ☆文学のこと☆

  
             「海のむこう」
         著:土山優 画:小泉るみ子
           新日本出版社発行
         2013年8月10日第1刷
 
 海が好きだ

 南国の柔らかい水も、北陸の猛々しい飛沫も、はるか地平線の彼方を眺め、波の音に耳を澄ませば、不思議と心が落ち着く。

 自然の力に油断はならないけど、畏怖と謙虚を忘れなければ、人は太古からこの膨大なる恵みを享受し、崇高なパワーと折り合いをつけてきたのだ。 

 20年以上前、留萌から稚内まで、海岸線を一気に走り抜けた。

 富良野回りで永遠と思える国道をゆくと、唐突に開けた大海原が見えた。あの感動は忘れない。

 後藤竜二氏が言っていたのだから、絵本はその描かれる線と点と色彩にすべてがあるのだろう。

 お隣の美唄で育った小泉氏の本領がまさに発揮されている。

 記憶に留めてある広大な国の空、土地、堅牢な家、糧となる舟、いずれも不可欠なものであり、自由と縛りのなかの表出の多彩に、リアルな映像以上に想像力が掻き立てられる。

 だがそのベースには、コタンの潮騒を聴いて育った少女の感性と体験が流れているのだ。結局、どちらが欠けても商品にならないのだから、生命の営みのようなものだ。

 絵本の奥深さを感じ、ため息する。

 頁を捲ると、多感で繊細で活発な少女があちらこちらに跳ねている。まるで絵本から飛び出しそうな勢いで。。

 海風が頬に当たるくらい伸び伸びと描かれたコタン浜、親密な家族の声、日々を生きる活力がそこかしかで息づいている。

 表紙の空の色が、鈍色に近い蒼、暗い印象を持ったが、そこが北海の本領だとするならば、誠に信を伝えていることになる。

 かつて海岸線を走っていると、ときおり波ごと引き込まれる怖さも味わった。

 海のむこう。

 少女はこの大いなる命の源泉に、どんな壮大な夢を託したのだろう。 


  

 
  「潮騒の音がコタンの子守唄」 海光

 
 巻末に添えられた、イラストをみたら、胸に迫るものがあった。

 子供の頃に仰ぎ見た大きな空。海の上を思う存分飛翔できたら、そのとき人は何を思うのか。 

 きっと読むほどに、読む年代によって、感じ方は千差ある。 

 内なる豊穣な語彙を削いだひと文字ひと文字に、土地の人の存在を感じた。

 誰よりも知的好奇心旺盛で、闊達な少女ここにあり。

 土山さん、初出版おめでとう。

 それぞれにしか紡げない物語はたしかにここにある

  


新吉原の芸者さん

2013年08月17日 | ☆文学のこと☆

   
            七好さんの幇間芸と、よし涼さんの三味線

 炎天下、短パン姿で久しぶりにハチ公前の待ち人を眺め、文化村通りを往く

 夏休みってこともあるが、相変わらず人混みの多い町だ。人種がまた浅草のおのぼりさんと違う。つまり若い!

 帰路H&Mに寄ると、モデルばりの女子がうじゃうじゃいる。そうここは原宿、青山の隣町だと思い出させる瞬間。かつて遊び、勤めた町、スペイン坂や公園通りまで行く気もしない暑さの中いそぐ。

 さて、今回は「吉原最後の芸者みなこ姐さん」の上映会。

   
        購入したみな子姐さんのパンフとDVD

 映画の中に、おいらの暮らした町、育った家が見える。

 土手から見える、見返り柳はおいらの亡き祖父ちゃんが書を認め寄贈した石碑が今も置かれている。あの日は、妹がテープカットして新聞にも掲載された。

 七五三、入学式、ハレの日にはこれも最後の引手茶屋「松葉屋」でかならず記念撮影した。

 この松葉屋に奉公し、15歳で半玉になった二三松さんは、みな子師匠最後のお弟子さん。

 二調鼓の唯一の継承者だという。

 衣紋坂を下り、五十間通りを通ったはとバスのツアー客を相手に育ったおいら。みな子姐さんや二三松さんのお顔を拝見したように思うのは錯覚ではないだろう。 

 今更、どうして、ひいじいちゃんはこの地を選んだのだろう?と思う。

 戦前、みな子姐さんが住んでいたという蕎麦屋大村の裏手は、幼い頃の遊び場でもあった。

 重曹で焚く、吉原の七町が煙で満たされていた。お歯黒塀が残る横手の吉原公園で、蠟石片手に麩菓子をかじっていた。

 当時はソープランドをトルコ風呂といった。

 二百軒もある数を不思議に思い、父ちゃんに聞くと、

 「あれは風呂屋だッ!」

 「銭湯にしては高いんだね?」(店の前に入浴料が書いてあった)

 「あれは高級なサウナなんだ」

 「サウナってこんなにたくさんあってどうすんの?」

 「…………」

 おいらもいま子供に聞かれたら困るだろうな。

 あの頃は、日本堤のいろは商店街の入り口に日活ロマンポルノの看板が眩しく、うちの並びにあったヌードスタジオのピンクのネオンがなにか怪しいと睨んでいた。

   
           
 大判小判を引っ提げなきゃ、そうそう見られなかった幇間芸が今日日はこんな形で見物できる。

 安原監督は、おいらとまったくの同世代。江戸に興味を持ち、みな子姐さんの追っかけになってくれた監督に感謝する。

 監督のエネルギーが同世代のパワーなら、おいらも書けるはずだ。勇気を頂いた。

 

 みな子姐さんは、7歳の時、北海道から上京、11歳でこの道に入り、なんと12歳で半玉、16歳で一本になった。それから80年という芸者人生を歩む。

 たくさんのご苦労もあっただろうに、この味のある親しげなお顔。

 芸は売っても、身は売らない。その気骨が芸一筋の生涯を支えたのだろう。

 ご近所だったという監督との交流も気さくそのものだったようだ。

 映画にあった「並木駒形」の一節♪

  山谷堀から ちょいとあがり

  長い土手をば 通わんせ

  花魁が お待ちかね

 どうです、粋な三味の音が聴こえてやきませんか。

 みな子姐さんは向こう岸に行ってしまったが、目を閉じ三味線に耳を傾ければいつでも会えるのじゃないか。

 全そ連の句会に、是非七好さん、よし涼さんのコンビをお呼びしたいものである。

 いい勉強になった。

 本物の江戸に触れられる、このDVD、今ならまだ手に入りやすよ。


  「猪牙やって引手通いも芸のうち」 海光

 
 最後は、吉原締めで、締めたい。

 ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな

 お後がよろしいようで


伝統の花火♪

2013年08月09日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
             隅田川の花火

 7月の最終土曜日は、毎年恒例の大川の花火大会なり

 享保18年(1733年)、時の将軍吉宗が、飢餓による大勢の餓死者の慰霊と、疫病の退散を願い水神祭を行った。その際、両国橋周辺の料理屋が嘆願し、公許を得て実現したのが、両国の川開きの始まりと伝わる。

 5尺玉の禁止に続いて、昭和37年に交通事情によりこれが一旦停止になる。伝統が途切れ、きっと下町の人々も淋しかったろう。

 おいらが小学生の時、 待望の花火が隅田川花火と改め、復活する。

 それから36年、毎年欠かさずに観てきた。友人、知人、家族、その他大勢。たくさんの想い出をのせた灯篭が橋の下を流れていった。

 それにしても、昨今の天候不順、世界的な気候変動、東京はTOKYOとなり、亜熱帯と化し、ゲリラ豪雨と呼ぶスコールが灼熱の太陽の下、襲ってくる時代となった。

 36年目にして、初めての中止は残念なことではあるが、自然には逆らえない。これは、3.11を経た日本人には周知の事実になった。

 人間なんてちっぽけで、些少な存在。でも、その人間の及ぼす大地への反逆は夥しい災禍との危うい均衡を作っている。

  
           足立の花火

  「過ぎし日の切なさ香る夏の花」 海光


 隅田川の前週に行われた、足立の花火。

 汐入の芝生から、のんびりと眺めたこの夏の華を締めに飾る。

 暦の立秋は、旧暦ならではの感覚。

 残暑見舞いとは名ばかり、新暦の夏はまだまだ続くのだ。

 心の残る、大切な人との思い出をどうか!

 昨日サッカーの練習中、長男の仲間が熱中症で倒れ、救急車で搬送。

 皆さん、ご自愛のほどを




マンチェスターUをLiveで!

2013年08月01日 | ★江戸っ子エッセイ★

  
              日産スタジアム

 イギリスは遠い

 かつて旅したロンドン、エジンバラの記憶すら遠いのだ。

 ある朝、朝刊にマンチェスターユナイテッドのツアーが掲載されていた。

 息子たちが夏休みに入ることもあり、 聞いてみた。

 「マンU観たい?」 

 二人ともサッカーをやっているわけで、生のルー二ーを見たくないわけがない。

 「じゃ、ちょっと早い誕生日プレゼントね!」

 「え~~~~ッ」

 ということで、父ちゃんは大枚叩いて入手した

  
            マンU vs 横浜マリノス


  「スコールも夏の想い出ボール蹴り」 海光
 
 
 スコールの中並んでいると、傘もカッパも役に立たず全身ずぶ濡れ、と家族からメールあり。 

 仕事を抜け、不快指数全開のスタジアムに向かう。

 「多摩川の落雷により、全線運転を見合わせております」

 渋谷で東急東横線のホームに降りたおいらに、無情にも流れるアナウンス。

 「なに~~~ッ!」

 地下深くまで降りてからラッシュのなかを再度JRに登って、横浜線を目指す。

 おれがいってぇ何をしたってんだ! 

 やり場のない怒りも空しく、乗り換えを目論んだ品川では東海道線も目の前で発車してしまう。

 スタジアムに着く頃には、スタート間近。でも、どうにか間に合ってよかった。

 トイレにダッシュし、ただでさえ高いプレモルをスタジアム値段で買い込み、席につく。

 いい動きをしていた俊輔が高熱で早々のリタイアとか、

 香川が後半大分経ってからの登場とか、

 そもそもルー二ーがタイで怪我してしまったとか、

 何よりマンUが負けていいのかとか(笑)、

 消化不良は多々ある。

 でも、ギグスは魅せてくれた。

 ザハ、ファンペルシー、リンガードと英国にいかなきゃ見られない、本物のプレミアムリーグの片鱗をみた。

 マリノス側もマルキーニョス、ファビオ、藤田と意地の活躍をした。

 帰りの小机駅は案の定不快指数120%のラッシュで、自宅に着いたのは午前様。

 いろんなことがあった観戦。  だが……。

 Liveは、やっぱりいいね