週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

紅玉忌といちばん蝉

2014年07月25日 | ☆文学のこと☆


            自由学園明日館

 7月19日。わが同人にとって大切な日、紅玉忌があった

 いまでも書き手に大きな影響を与える後藤竜二氏の作品を語り偲ぶ集まり。

 JR池袋から近いと思ったら、案外離れた場所にあるのね。

 不安になりながらも住宅街をずんずん歩く。すると婦人の友社の看板があり、そのすぐ先にあった。

 学園に入ってからも迷った。そう私は都会育ちの田舎者である。

 アロハ柄にストローハットで扉を開けたら、いとうみく氏に笑われた。

 洋平大兄の隣に座る。かつてこの近所に暮らしていたと知って驚く。


『紅玉忌鳴く蝉いずこ雨のなか』 哲露




 広瀬恒子さんが後藤文学を語る。児童文学を永く見つめてきた洞察は深い。

 丹治京子さんが読み語りをしてくださる。丹治さんは新日本出版社で数々の後藤竜二の本を編集された方だ。

 鈴木びんこさんが絵描きと作家の距離を、エピソード交えて話してくれる。

 他に、画家の佐藤真紀子さん、津久井恵氏、高橋秀雄氏、土山優さんが知らない話をたくさん聴かせてくださった。

 メールと封書のやり取りしかない私。

 電球色の効用か、そんな私にも後藤さんの気配が感じられる。

 隣の大部屋では盛大で親密な結婚式が行われていた。

 庭の芝生で深呼吸した。

 今年初めての蝉の声を聴いた



 池袋の町を、西から東へ同人たちが民族大移動。

 JRの高架を登ったり潜ったり、ビール目当てに宴会場を探す。

 あちらこちら膝突き合わせて語り合う女性たち。

 むせ返る熱気に、私は気圧され、ただ鍋にサーモンを足し、うどんを盛る。

 雪女が白鹿の冷酒を頼み、文学のこと、子育てのこと、四方山話に花が咲く。

 思いついて、同じテーブルの面々に、紙を配る。

 即興の句会を提案。

 文句いいつつもそこは活字のプロたち、10分で、575が8句集まった。

 天地人の各賞の俳句でしめる。


『紅玉忌天上で彼おだあげる』 いとうみく 

  さすが流行作家。あっさりと天賞なり。

『紅玉の色づくまで苦節あり』 なやむつお 

  なやさんのお人柄がそのまま伝わるいぶし銀の句。

『紅玉忌心に白い花一輪』 雪女 

  素直な心を詠まれた高田さん。いとう氏から創作について突っ込まれるオチがあった。

 
 部長、幹事、お疲れさんでした。



【翌日】


 結局、3次会の午前様。

 朝型のじじいだが、日曜日は8時まで起きられなかった。

 仕方なくRUNを諦め、インドカレーを作る。



 ゴーヤを入れて、カルダモンとシナモンを大目に入れた。

 青唐辛子も足してみる。

 うん、スーとする辛さがいい。

 ゴーヤは別盛りがいいと、次男が機嫌を損ねた。難しいお年頃なのね。


【木曜日】

 
 たまの出張にでる。

 震災の年に、被災地へ行った時は動いてなかったスーパーひたちに乗る。



 田園風景のいわき市へ。

 自販機しかないローカル駅は素朴そのもの。



 神田明神下の弁当を買う。

 今年はじめての鰻は一口サイズ。

 明日は、いよいよ隅田川の花火。

 昨日のフットサルはゲリラ豪雨で中止。

 今年こそは、大川に大輪を咲かせてほしいものである
 

  


鍵のゆくえ。

2014年07月19日 | ☆文学のこと☆


      【白い自転車、おいかけて】
     著:松井ラフ  画:狩野富貴子 
     2014年7月22日 PHP研究所発行 

 
 平日の夜、残業して帰宅すると一通の封書が届いていた

 封を開けると、河童の会の松井ラフさんのデビュー作が入ってる。

 弱輩にまで気遣って送ってくれる、松井さんの優しく強い目元を思い浮かぶ。

 表紙には、白い自転車、おいかけてという可憐なタイトル。それに似つかわしくない女の子の目が気になって頁を捲る。


  


「仕舞ってたこころの鍵や虹の空」哲露

 
 この小さな鍵が重要なモチーフとなってくる。

 どこの家庭にもある平凡な日常。

 だがその平凡な毎日の暮らしのなかにも、時折不協和音が忍び寄る。

 静かな営みの池に、暗い感情の石が落ちてさざ波が立つのだ。

 幼いゆかのなかにある独占欲が一つのきっかけで複雑な感情が発動する。日常は平凡に見えて、その実各人の行動と感情により波乱に満ちる。人生はいわばその連続とも云える。

 

 淡々と、丁寧に紡がれる描写は幼年物の基本なのだろう。

 モノクロとカラーの効果により、ゆかの気持ちを対比させる狩野さんの手法が活きている。

 モノローグが続いたあとのこの絵。ゆかの孤独と不安が胸に迫る。

 水辺を好む私は、自然物語世界に入っていく。
 
 

 そしてこの夕焼けのシーン。

 姉妹それぞれに思う気持ちが、松井さんの文と一体となって迫る。

 第14回創作コンクールつばさ賞の優秀賞(幼年部門)というのも合点がいく。

 膨大な紙の消費があって、この作品が誕生したのだと察する。

 文字の少ない幼年物の難しさを、物書きの下積みも少しは理解できるようになった。

 松井さん、デビューおめでとうございます。素敵なお話をありがとうございました。



 それにしても、自転車の鍵というのは、どうして突如消えてしまうのだろう。

 コロボックルが隠して遊んでいるのだろうか。

 そして忘れた頃に戻ってくる。

 創作も、人との出会いもその繰り返しなのかもしれないな。

 今日は、同人たちの心の故郷、後藤竜二氏を偲ぶ【紅玉忌】がある。

 大勢の作家や絵描き、編集者に囲まれて、また新たな触発があるだろうか。

 例年より早まった足立の花火に後ろ髪ひかれつつ、無限のエネルギーが集う会場へ向かうとしよう 


河童の願い。

2014年07月12日 | ★江戸っ子エッセイ★


       合羽橋本通り商店街

 毎年文月に入ると、はじまるイベントがある

 言わずと知れた、入谷鬼子母神の朝顔市と合羽橋の七夕祭りである。

 あ~、浅草に夏が来たって感じ。

 国際通りから昭和通りにかけての長い本通り、七夕幟が本家に負けじと壮観にたなびくのだ。

 さあ、内輪に浴衣に、ベビーパウダーを鼻につけて、夏祭りに出掛けよう。


「夕涼み河童の祭り下駄鳴りて」哲露




 封建時代、度々の洪水に立ち上がった合羽屋喜八が埋葬された曹源寺がある。

 同人の河童の会の面々とここ2年つづけて参拝している。

 そう、ここは河童大明神の見守る河童の町なのだ。

 かつての新堀川を越えて様々な店が連なる。

 下町風はもちろん、珍しい各国の露店も見物。

 色とりどりの大道芸が世相に疲れた人々を笑顔に戻している。




 女の子たちの可愛らしいフラに癒され、起き上がり河童にパンチする男の子に微笑む。

 これ、ちっちゃい頃よくやったなぁ。

 こんな単純なもんが楽しかったんだよね。昔も今も子供の遊びは単純がいちばん。

 何もなければ、子供は安上がりの想像力で楽しめる。



 懐かしいポン菓子の大音響に吃驚し、きびだんごのおじさんに少年の目が輝く。

 妹の的当てをそっと覗くお兄ちゃんは、まるで昔の自分を見ているようだ。 

 コロッケを買い、唐揚げを食い、冷えたビールを飲む。

 梅雨の干ぬ間の午後、こんな幸せはない。



 夕刻になり、叩き売りが増えた。

 三丁目の夕陽よろしく、JAZZをつま弾くおっさんたちがカッコいい。

 料理も酒も余ってはならじと売り子の声がひびく。

 歩きながら、あっちこっちと目移りしてしまうわ。 




 兄ちゃんの熱心さに、おもわず、釣られて買ってしまった。

 残り三個のソフトクリーム。

 兄ちゃん、冷ゃっこくて旨かったよ!



 バイオリン弾きもいたし、こんな芸術も見られるのは、上野の森が近いから。

 そう私の学んだ上野中学のお隣は、芸大なのだ。

 いろんな才能がある。

 それに気づき、活かすも殺すも自分次第。

 羨ましいことに、若者にはチャンスと時間がたくさんある。

 思う存分やって欲しい。



 震災と政府間のいざこざもあり遠のいていた観光客も戻ってきた。

 私が書いている横で、欧州のどっかから来たとおぼしき外国人数人が短冊に記している。

 七夕の願い、理解しているのだろうか。

 その真剣さ、微笑ましいことこの上ない。

 こうした文化の交流と、人間同士の友好が平和につながることを祈った。



 東京スカイツリーがずっと眺められる河童ストリート。 

 妖か忍術か、お面が一瞬に変わる大道芸に拍手が起きていた。

 一年中祭りのある浅草においても、このイベントは至極愉しい部類に入る。

 続けて行われたほおずき市は台風に祟られたが、売り子のお客も逞しい。

 台風の隙間に、橙とオレンジの鮮やかなほおずきがジャンジャン売れていた。

 来週の足立の花火は同人の大切なイベントで見れない。だが月末には隅田川の花火がある。

 夏はこれから。

 台風一過のあとの二重の虹が幻想的だったそうな。

 さて、一番海は何時いこうか。

 そんなことをつらつらと考えるのも、夏の愉しみのひとつであるな

 


自意識の問題。

2014年07月05日 | ★江戸っ子エッセイ★



 およそそう呼べる代物かは別にして、小説らしきものを書いている

 書くようになって変わったことといえば、読書への主体的な取り組みだったり、論理性、倫理性への追求だったり、知らずプロットの構築を巡らしたりするようになったことか。この作者はこれをどのように取材をしたのか、参考文献の選び方、研鑽の先にたどり着いたモノへの嫉妬だったりいろんなものを抱える病にかかったとも云える。

 圧倒されるそれらにいつまでも臆しては書けやしないし、そんな程度のものでしかないのなら、 そもそも筆を持つ必要もないのだ。


 師と仰ぐ小説家も、かつてカミュやサルトルをまえに、己の書くべき余地などもう残されていないのではないかと自問、葛藤していた。物書きのみならず、クリエーターとはそうしたものを大なり小なり感じて通過するものなのかもしれない。

 こと知見に関して云えば、 遅れを取ったものは先人の知識に一度は呆然を憶えるはずだ。だが、小説とは一筋縄にはいかず、その圧倒的な知識をそのまま転写したような文章に、反吐を憶える瞬間も訪れる。如何にはやる気持ちを抑えられるか、ひけらかしと見られたらこれほどの恥辱はない。物書きとしての資質に関わることなのだ。並べた小説群には本物と偽物がある。いまこの段階でそれを愉しみ、眺め、見極めている。

 西加奈子の[舞台]を読んだ。

 太宰の人間失格になぞらえる冒頭は挑戦的だが陳腐に思えた。だが、私小説に通ずるような自己憐憫、自意識への嫌悪の描写に知らずハマっていった。舞台はニューヨークとはいえ、じつに狭いブロックの中で起こる出来事を淡々と綴っただけ。ラストに向けて疾走をはじめる主人公葉太の憤悶、そして解放感は圧巻だった。人を描く。読後至極考えさせられる。久しぶりに、純粋に読むことを愉しめた一冊だ。 


「自意識や梅雨の干ぬ間に汗かけり」哲露





 先日、物書きの先輩ふたりと飲んだ。

 生肉を喰らい、マッコリを飲み、創作の辛みを味わう。

 忌憚のない遠慮で、言いたいことを言い合った。常に眼前にある小説をネタに、愉しい時間があっという間に過ぎる。

 ロックで飲む韓国と石垣島の原酒は、理性を飛び越え、本能を呼び覚ます。

 心地よい時間。けだし、祭りの後は、自意識への過敏な瞬間でもある。

 作家などというもの、元々自意識の塊なのだ。文章に紡ぐその自意識で満足しろ。実生活においての自意識を極度に畏れる。西加奈子、おそるべし。



 地元民に配られる台東区の区報。

 享保に始まり、昭和に復活した両国の花火。

 昨年は天候の急変に中止を余儀なくされた。

 今年も7月26日(土)に開催予定。

 不穏な空気を吹き飛ばす、江戸の大輪を今年こそ観たいものである