週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

葉山の海。

2015年11月26日 | ★江戸っ子エッセイ★


         魚佐のアジ叩き定食


【路地抜けて冷たい海にカニ逃げる】哲露

 
 雑誌の取材で葉山を訪れた。

 いったい、何年ぶりだろう。

 まだ独車を売る前。

 由比ヶ浜の波乗りの帰り、 地元の雑貨店げんべいに次男のビーサンを買いに行った時か。

 げんべいは150年続く老舗なのだ。

 街道沿いの店のディスプレイに、初めての人は興味津々吃驚するはずだ。

 学生の頃、金持ちの近所のおじさんを慕い、マリーナに通った遠い記憶がある。

 駄菓子屋で売る揚げたての葉山コロッケを土産に、クルーザーに乗せてもらっていたのだ。

 空と風が良好なら、三崎まで走らせ、マグロやネギトロ丼を食った。

 苦手だった刺身が食えるようになったのは、まさに三浦半島のマグロのおかげだ。

 決まって帰り、ジュディオングの親戚が営むという支那そばを啜るのも欠かせなかった。

 釣りもしたり、ロープに引っ張られて海を泳ぐのも楽しかった。

 またある日は、塾の友達のお姉さんの家から、ウィンドを借り、サーフィンをした。

 海風を受けると、腕が千切れるほどだ。

 ひ弱な都会っ子が、自然への畏怖を学んだ第一歩だったのかもしれない。

 取材の合間に、磯料理の店でランチ。

 刺身もアジフライも飛びっきりの新鮮で、ネギトロもてんこ盛りに輝いている。

 わたしは地のアジを叩きでもらった。

 この定食が870円なり。

 東京では信じられない甘みと弾力、そしてボリュームと値段だ。

 ビールを一杯だけいただく。

 一同、プヒィと呻く。

 ゆっくりと再訪したいお店をみつけたよ。





 高台の家から坂をくだる。

 路地を抜けると、そこに白い砂地があった。

 透明な水が心を洗う。

 天からの後光が注ぐ波は穏やか。

 裕次郎灯台が葉山の海を見守る。

 元都知事さんが建てた。

 買ったはいいが、管理は役所任せだから無責任だ、と発泡酒を飲む仙人がいった。

 なるほど、いろんな意見、解釈がある。

 神輿もでるという神社が季節には車で満杯になる。

 犬と猫しか見かけない、平日の昼下がり。

 この季節ならではの爽快があった。

 ノスタルジーな気分に、懐が深くてセンチメンタルな海を想い出した。

 白いビーチ際には、あの人この人あらゆる芸能人の家があるらしい。

 カニを発見した地元の子供たちがはしゃいでいた。

 あ~、やっぱりおいら海が好きだ。 


椎名誠さんのこと

2015年11月16日 | ☆文学のこと☆





 日曜日、築地の朝日新聞社に行った

 朝日ホールで、椎名誠氏の講演会があるのだ。

 爽快に晴れ渡る陽の下、 築地場外を抜けると、たくさんの観光客がひしめいている。

 中国語、関西弁、中国語と、およそこの街のイメージにない言葉が飛び交う。

 ああ、耳学問で知ってはいたが、ここもインバウンド効果なんだ。

 かつて、日曜の昼間なんぞ築地はガラガラだった。

 欧米人にマグロの競りが人気と聞いたのはすでに過去のこと。

 井上(ラーメン屋)以外のラーメンを啜る中国人と関西人。

 地元でなく観光客のためにできた海鮮丼の店でも中国人と関西人が丼メシをかっ込んでいる。

 観光立国に立候補した日本だが、あまりの性急に街が人がついていけないのではないか。

 長いこと単一民俗でやってきた鎖国体質の日本人。

 とはいえ、今後30年で3割は減ると言われる日本の人口。

 日本らしさを見失わず、フランスのような観光立国になれるや否や。

 そんな矢先に飛び込んできたパリのテロ。

 安保法案を通したがいいが、その覚悟が、政を司る人たちにどうも見えない。

 大きな時代の転換期。

 私たちはどこへ向かう。




 
 社会人成り立ての頃、椎名さんの本に出会った。

 怪しい探検隊の行動様式そのものも興味深々だったが、小説の面白さには手が止まらなかった。

 SF好きが高じて、アドバードで日本SF大賞を取られたときは僕も誇らしかった。

 デビュー曲からファンになったマドンナが、爆発的に売れ出したときのあの心境に近いかな。

 彼の銀座のカラスを読んで、出版社で働こうと本気で思った。

 そして、大川にたくさんの水が流れた。

 アウトドアの本に創刊から携わり、いまもこうして出版社で働いている。

 もっとも、あの頃と時代背景は一変してしまったが。。。

 あのやんちゃな男の作品が教科書に載っているなんて、隔世の感がある。
 
 憧れの作家に生でお会いしたのは初めてだ。

 チベットの鳥葬のこと。

 アメリカのこと。

 モンゴルのこと。

 孫のこと。

 放射能のこと。

 中国のこと。

 興味深いお話しの数々を聴いた。

 野田知佑さんらしき先輩のことも話された。 

 本の雑誌が、菊池寛賞をもらうとか。

 継続することが如何に大切か、ここでも学ばせてもらった。





【波除の市場の空や七色に】哲露


 ホールを出ると、雨上がりの空に虹がかかっていた。

 椎名さん、やっぱ本物の男だ。

 カッコよかったな。

 自分の身に置き換えると、情けない限りだが、自分なりに一歩ずつ進むしかあるまい。

 彼はまた新しい雑誌にチャレンジしているという。

 いい仲間が周りにいるから面白いことが巻き起こる。

 すべては彼の行動とお人柄から始まったことだろう。

 虹の向こうに進もう

 


薩摩の蔵屋敷

2015年11月08日 | ★江戸っ子エッセイ★




 慶應4年3月14日、薩摩の蔵屋敷で幕府と薩摩の会談が行われた。

 この膝談判のおかげで、100万都市お江戸八百八町が焼かれないで済んだのだ。

 言わずと知れた、江戸無血開城を決めた、陸軍総裁勝海舟と薩摩西郷隆盛の会見である。

 当時田町のこの地は、海岸線が残っており、薩摩藩は国元の物資をここで陸揚げしていたという。

 薩摩屋敷へ乗り込んでの談判とは、さすがに肝の座った勝だ。

 最近、この町を訪れる機会が多々有る。

 会見のことは有名だから知ってはいたが、この石碑に気づかなかった。

 学生の頃から車で何十回と通っていたのに。

 排気ガスひしめく第一京浜沿いに、嬉しい発見である。


【大海に市井を思い城渡し】哲露





 ところで歴史に埋もれがちだが、 この会談を整えたのは幕末の三舟の一人、山岡鉄舟。

 戦地のなか敵陣にたった二人で乗り込んだという意味では、胆力ではこの人の右に出るものはいるまい。

 もちろん、裏方で動いたものも多々いたはず。

 江戸を焼け野原にせずに済んだこと、この二人と裏方に感謝する。その後の太平洋戦争では結局焼かれてしまうが。

 海の町の蔵屋敷。

 さぞ眺めもよろしかったろうな。




 鉄舟二十訓というものがあり。

 一、嘘いうべからず候。
 二、君の御恩を忘るべからず候。
 三、父母の御恩を忘るべからず候。
 四、師の御恩を忘るべからず候。
 五、人の恩を忘るべからず候。
 六、神仏並びに長者を粗末にすべからず候。
 七、幼者を侮るなかれ候。
 八、己に心よからざること他人に求めべからず候。
 九、腹を立つは道にあらず候。
 十、何事も不幸を喜ぶべからず候。
 十一、力の及ぶ限りは善きほうに尽くすべく候。
 十二、他を顧みずして、自分のよきことばかりすべかざる候。
 十三、食するたびに稼しょくの艱難を思うべし、すべて草木土石にても粗末すべからず候。
 十四、ことさらに着物を飾り、あるいはうわべたけを繕うものは心に濁りあると心得ばく候。
 十五、礼儀を乱るべからず候。
 十六、何時何人に接するも客人に接するよう心得べく候。
 十七、己の知らざることは、何人にでも習うべく候。
 十八、名利のために学問技芸すべからず候。
 十九、人にはすべて能、不能あり。一概に人を捨てあるいは笑うべからず候。
 二十、己の善行を誇り顔に人に知らしべからず、すべて我が心に恥ざるに務むべく候。

 たしかに、ごもっとも。先人に学び多し。 





 現在の三田から望む東京タワー。

 高さや最新こそスカイツリーに奪われてしまったが、エッフェル塔を模しただけあって、センスがよい。

 エレベーターを使わずとも、歩いても登れるところも無骨であり素朴である。

 この塔に希望をもらったように、現代のツリーは光となっているだろうか。

 急速に失われ、消えていくお江戸。

 季節の風物や情緒、気風や心意気は残していきたいものである。

 時代物の名手で現代でもっとも信頼していた作家宇江佐真理の訃報が朝刊に載っていた。

 新聞連載を準備中だっただけに心残りだったろう。

 けだし、作品群は永遠である。

 ご冥福を祈り、合掌。




本郷の合宿!

2015年11月01日 | ☆文学のこと☆


    東大の安田講堂


 「本郷もかねやすまでは江戸の内」

 大岡越前守は、享保の大火を教訓に、土蔵や塗屋造りを奨励した。

 かねやすより北は茅葺や板壁のまま。

 かねやすとは、京が出の口中医(歯医者)が興した店で、元禄の頃「乳香散」という歯磨き粉を売り大繁盛した。

 ゆえに、こんな川柳がうまれた。

 今年も東大そば、その本郷の旧宿に、日本から外国から同人たちが集まった。

 それぞれ、思い思いの小説を持ち寄って。



         愛の物語分科会


 畳敷き、膝突き合わせ、互いの小説を論じ合う。

 30代の頃に信奉した作家が同じ分科会に顔を出してくれる。

 作家越水利江子姐さんの計らいである。

 こんなご縁もあるから、人生おもしろい。

 それにしても、みんな作品をよく読み込んできていること。

 思わず、その姿勢にタジタジとなる。




 そして、1日目の懇親会。

 秋田からの豪華な差し入れ。

 天寿はすっきりとした大吟醸だが、この秘蔵酒のトロリとした濃密に舌が歓喜している。

 牛タンの笹かまぼこ、いぶりがっこ。

 敦子先生、ご馳走さま。

 作家の率直が聞け、さらには全国各地の逸品が飲める。

 毎度、贅沢な宴会だわ。



         季節風大会の総会


 この後ろにも作家、作家、作家。

 物書き以外のひとには、面白くも痒くもない、およそ真面目な集い。

 開会にあたり、作家あさのあつこが言う。

 勉強になったなんて甘っちょろいことを言っててはいけない、

 どうか傷付き、涙し、たくさん血を流してください。

 そうでなければこうして集まる意味がない、と。

 至極その通り。

 なまけもの海光は悩みこそすれ、血を流す覚悟もなく、ただ項垂れるばかり。


            三四郎池
 

【銀杏踏む陽だまりの池三四郎】哲露


 大兄と散策していたら、あちらこちらで同人たちの群れとすれ違った。

 漱石はこの池を眺め、何を思ったのだろうか。


 
 浅草寺とツリーと十三夜


 久しぶりに大兄と飲み、語った。

 帰りには、十三夜が江戸の町をほのぼのと照らしていた。

 37回もの歴史を持つ、季節風の集い。

 5年目の参加。

 俺は、何を得、何を失う。

 結局、書き続けることしか、答えはない