週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

一文銭で食らう!

2011年11月29日 | 呑み屋探訪(浅草、根岸、本所界隈)

                         江戸前の盛り合わせ

 この秋のこと

 山手線内のドアーの上にあるTV映像に、恵比寿のCMが流れたそうな……。全そ連の天女姉さんがポツリと、いきたい!

 てなわけで、新吉原も近いあっしの地元でありんすが、全そ連の面々とねぎま鍋で有名な「一文」の暖簾を潜った


             サッポロ黒ラベル生

 まずは一杯、ぐびっと黒ラベル。グラスがいいと生は美味しいね

                  こちらが一文銭

 この店の特徴がこちらの木でこさえた一文銭、十文銭。一文=100円のレート。飲み食いに現金は通用せず、すべてこの木銭で支払うのだ。おもろいでしょ

                  竹酒器にいれた冷酒

 岩手の辛口純米を、冷やした竹筒にはいったものでいただく。野趣の香りに、こころも芳醇になる。酒がすすむ

            朝獲れ魚の盛り合わせ

 盛られた穴子に、コハダなどはこの日の朝、江戸湾で獲れたもの 

 うしろに見える赤い身は、マグロの中落ち。ハマグリでしゃくって取るかんじ。

 当時の江戸っ子は酒ばかり食らっていたから、昼日中からほろ酔いで喧嘩も多かったとも云われる。

        

 竹笊豆腐は天然塩で、一文シュウマイは秘伝のタレで食す。
 
        

 くじら料理もこの店の自慢。くじらの刺身に、くじらの煮込みを木銭で頼む。酒の発注が止まらない

              

 店のなかは江戸情緒たっぷり。厠を出たところにある、お手水も風流でしょ

                    行灯 

 暗めの照明の店内に行灯が燈り、ぼんやりと浮かぶ仲間の顔がまたいい

                  
                         名物江戸ねぎま鍋の大トロ

 江戸の頃、マグロと云えば赤身を指した。冷蔵設備のない時代だけに、脂の多い大トロは当時の料理に適さなかった。現代は高級ネタの大トロがほおって捨てられた。

 そこで、考案されたのが、この「ねぎま鍋」なのだ

 大川に程近い、千寿(千住)で採れたネギはなんと糖度15度。この太くて甘いネギが、大トロの脂をまとうと驚くほどに様変わりした。また、濃い口の醤油で味付けされた大トロも鍋に入れることで、脂臭さが抜け、絶妙な弾力を残したことに柔らかい歯応えとなるのだ。

 この味を堪能したあっしたちは、言葉も少なに、手と口を動かし続けた。シメの特製うどんは稲庭系のもっちり。濃い口が沁みた小麦の細きりが、ふんわりと玉子でとじられる

 江戸のねぎま鍋。江戸の町人たちの贅沢を雄弁に物語っていた

                 
                               銅製の鍋

                   
                              シメの特製うどん

 浅草の六区まで小雨のなか、歩くと俄かに晴れてきた

 気分も陽気に、六区街のJAZZ BARへ立ち寄った。今宵もいい夜だ。

 一日一生。今日も悔いなし


              「小ぬか降る 落ち葉踏みしめ ねぎま鍋」
                                海光
 

     浅草 酒膳「一文別館」

 ◇浅草 酒膳「一文別館」◆

 東京都台東区浅草3-12-6
 03-3875-6800
 http://www.asakusa-ichimon.com/bekkan/info.html


   2011年TOTAL RUN 1971.5km    11月29日現在  

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市井を描く!

2011年11月27日 | ☆文学のこと☆

                                 
                           合評の同人誌とレポート

 霜月もおわりに近づいた26日(土)、旧暦でいうところの11月2日
 
 この日は三の酉。その昔は寒さに震えたこの時期も昨今はだいぶに暖かい
 新吉原も活況だが、内藤新宿の酉の市も靖国通りまで人が溢れ盛況な様子だった 

 その内藤新宿のとある部屋で、わが同人季節風の合評会が行われた 106号と107号に掲載の創作9編評論1編と不掲載1編。名うての書き手が集っての季節風伝統の合評である。辛辣と率直、愚直と真摯な言葉が飛び交った。相変わらずの熱さが、同人でいることの喜びでもある。

 あっしは23日の午後をつぶして、寸評を書いた。咄嗟に指名されると真っ白になってしまうから、アンチョコの答弁を用意した。官僚任せじゃありませんぜ、一応自分の感ずるままに

 手前が一冊も本を出したこともないのに、人様の作についてあれこれ語るのはおこがましいのだが、そこはそれ、季節風の慣習にのっとって何作かレポートを読み上げさせていただいた。

 現役で活躍する作家や同人たちの肉声が聞けるこの同人の質たるや、文学を志すものなら言わずもがなの昇天級である。関西から飛んできた同人はあさの代表のレポートを宝物のように鞄につめていた

 あっしは、好き勝手に評を論じながら、はたまた気楽に同人の手厳しくも愛のある指摘を聞きながら、そのたびに目を通す投稿評にある自作の評に感慨に浸っていた。106号のファンタジー、107号の昭和の下町話。書いた原稿の枚数分の痛み、悔しさ、落胆、才能のなさ自覚ゆえの渇望と絶望。けだし、いまここにいることが、継続の証なのだ。

 二次会は、某居酒屋。三次会道産子まで夜を徹した話し、笑い、語った思いはここでは云うまい。

 ただ、学生時代から物語を書いてきたという同人、また10年、20年と書いてきた同人たちのその思いの結晶に圧倒され、屈服され、次第に言葉少なになった。近々デビューする同人二人も挫けずに書き続けてきたのだ。その勇気と不屈に乾杯!

 駆け出しには、駆け出しのハイハイしながらの濃密さしかないのだな、と自覚する。

 108号に掲載していただいたのは、江戸は文化文政の裏店の話。あれから、今戸金蔵店の子どもたちや町人たちが己のなかに息づいている

 ささやかな日常の一遍を拾いたい。何気ない一言に傷ついたこと。見た目怖い兄さんの人助けに遭遇した日の爽やかさ。たくさんの人がそれぞれの何かを背負って、一生懸命生きているんだ。けっしてヒーローなんかじゃない……。地味だが、確実に生きている証。それをいまは無性に書きたい。

 師藤沢周平亡きあと、浅草の市井を書くのはあっししかいないんだ。そのくらいの気概なくして、ここには踏みとどまれない。

 酔いに任せてここまで云って……。

 有言実行しなきゃ、同人たちに笑われちまって寝覚めが悪い。

 書くしかないな あはは。。


             「新月や 集う思いの 三の酉」
                          海光
 
<追記>

 大兄ひでじぃさまが終電逃し、みなと一緒に新宿駅まで歩いた時のこと。
 沈黙で柱に立ち、詩集を売る若い女性に出会った。その詩集に300円コインを出しながら、徐に名刺を差し出し、ブログに載せるよと云った。その姿がかっこよかった。また同人の推薦に満面で応える姿に、ひでじぃさま書くところの作品の主人公が重なって見えた気がした。こんなお人だから人が書けるんだな。そう思った。あっしなぞ、まだまだだ。とほほ。。



   2011年TOTAL RUN 1961.5km   11月27日現在  

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横須賀から浦賀まで!

2011年11月25日 | ★江戸っ子エッセイ★

                   
                                           戦艦三笠と東郷平八郎の像

 11月20日(日)奇跡的に晴れた

 この日は「よこすかシーサイドマラソン大会」に出場するため、早朝に浅草駅を発った。

 前夜までの土砂降りの余韻を残す空模様だ。湿度がとても高い。マラソンにはキツイ環境だが、晴れただけで救われた。贅沢を云ったらバチが当たるね。

    

 浅草から都営、京急を一本で汐入駅まで はじめて降り立った。幹線道路を歩き商店を見ると、英語表記の店が目立った。三笠公園のアーチをくぐると、米軍基地の立ち入り禁止の札があった。この先はアメリカなんだな

   
          レースに向かう人々の群れ                        よこすか名物の看板

                        ハーフ男子21.1kmの受付

 戦艦三笠を見上げつつ、受付を済ませる。体育館は比較的スペースもあり、着替えはしやすく楽だった

                 スタート前 70分を切る選手たち

 8時45分のスタートを前に先頭集団に微かな緊張が走っている。

 気温25℃、湿度80%のコンディションは厳しい あっしの過去の記録は1時間45分台。走り込み不足と気温と湿度から、2時間を切ることを目標に並んだ。

                 スタート地点 

  カウントダウンがはじまった。踵が浮いていたので結び直していたら、最後尾からのスタートになった。

  その分、気が楽になる

                         一路観音崎へ

   
                国道16号 

         
                沿道の声援                      よこすか海岸通り

 潮風が吹いている。ピーヒョロロと鳴きながら、トンビが舞う海沿いのランニングロードは気持ちいい。これで湿気さえ下がれば云うことなしなんだが……。沿道の方、とくに子どもたちの声援がうれしい。その声に押されて、呼吸を整えて走る

                  
                               猿島が見える

                  
                              観音崎がみえた

  

 黒船が姿をみせた浦賀へ向かう。

 二年前に走った三浦海岸から三崎への三浦国際マラソンで苦しんだアップダウンに継ぐ、登りに苦しんだ。

 走り水では皆さん苦しいようで、歩いている方がいるくらい急勾配だった。日頃のトレーニングを思ったら、歩かず走り抜けた。ここでも継続は力なり


 観音崎が近づいてきた。岸壁に打ち寄せる波しぶきがミストとなって、湿度をより高めている見ただけで息苦しくなる

 観音崎の灯台を越えると、ようやく折り返し地点

                       復路

 
 折り返して向きが変わると、途端に元気になる。気はこころ。現金なものですなあ

 ある女性ランナーを意識しながら、ラストスパートの時期をうかがう。最初は気にしてなかったのだが、登りや給水所で抜く度に、一生懸命にあっしを抜いていく。最後は彼女をベンチマークにして、ラスト2kmを越えたところから仕掛けて、1kmを切ったところで追いつけないようにスピードを上げた。正直、あっしの顔も上がっていたと思う。きつかったあ

 往路は写真をたくさん撮ったりして、タイムが落ち気味だったので、復路は真面目に走ってゴール


                 「波しぶき 冬の朝霧 トンビ舞う」
                             海光
 
                       

 ネットタイム1時間51分台、公式グロスタイム1時間53分37秒。

 総合順位は、571位/1399人らしい。

 家族が出迎えてくれる。二男が後ろ姿とゴールをパチリと撮ってくれた

                    

 SL前で表彰式が行なわれた。

    
    
                 海軍カレー                       これぞ、ぶた饅!
                軍艦を背に、青空のレストラン

 走ったあとは、選手も応援にかけつけてくれた家族も、お決まりのお楽しみは出店の食い物

 横須賀名物の海軍カレーは辛いのと甘いのと2種類が左右に分かれて入っていた 福神漬けが盛り放題なのがうれしい。

 この時点でまだ10時台。同じ日に横浜では国際レースが開催されている。せっかく横須賀まできたので、通り道。見学していくことにしよう

           
                    桜川橋の畔                馬券場近くはいずこも同じ     
   
            小さな飲み屋がたくさん                    川からみると2階までびっしり

 乗り換えも面倒だったので、横須賀中央から京急に乗り、日の出町駅へ。

 ここは通天閣か、浅草の馬券場か。競馬中継の流れている町並みに、ホッピーやもつの店が立ち並んでいる。

 桜川沿いに、どこかで見たような、飲み屋が密集したビルがあった。あっしの名前の看板も入れて撮る。1階も2階もリバーサイドはスナックだらけ…。これも黄金町、日の出町の懐かしき昭和の香り 

                  
                                   トップ集団

 大さん橋にいくと、カメラマンや聴衆が待ち構えている。聞くと、まもなくトップ集団が通過すると云う。

 七里ガ浜に本店のあるカレーの名店、珊瑚礁の前で「横浜国際女子マラソン」を応援できた。

 なんと、トップ集団に、尾崎、木崎と日本選手が頑張っている。その速いこと、速いこと

 結果は木崎選手が2時間26分32秒で優勝!尾崎、マーラ・ヤマウチと続いた。アフリカ、南米の競合を抑えての好成績は素晴らしい。

                    

 山下公園まえは、銀杏がきれいな黄金色で輝いている

 スポーツをして、スポーツを観戦する。

 この日は、走ったランナーすべてに拍手したい。

 午後には澄み渡った冬晴れの空が港町の人々を笑顔にする。

 都会で汚れたこころを浄化してくれた休日だった


                 「港町 ヨーコはどこへ 駆け抜けた」
                              海光

 

   2011年TOTAL RUN 1921.5km   11月25日現在  

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江戸の暮らしぶり!

2011年11月22日 | ☆文学のこと☆

      

 ご存じ江戸は平安後期に江戸氏が居館を構えたのが始まりと説に云われている。太田道灌、扇谷上杉氏の知行を経て、家康公が東の都としようと苦心したうえに、実に260年余の太平が花開いたのだ

 裏店の長屋は、戸と畳、家財は個人の所有であった。建物の基礎が同じだからできたのであろう。地方から身をたてようと上京する独身所帯が多かった。自然、元手いらずの棒手振り商売から始めるのが目立ったようだ。長屋の障子戸には屋号を書いて、宣伝も兼ねていた。中でも、しじみ、あさりの棒手振りは安価に始められたからどの長屋にもいたようである。江戸は湾を目の前に発展した水の都であったのだ

                     表通りから裏店へ通じる木戸口

 町を隔てた町木戸と、表店から裏店へ通じる木戸の二つを抜けて、住民はようやく長屋へ帰ることができた。大家さんがいて、表札も掲げられている。怪しい人が来たら、目立ったことだろう。これも自衛手段に一つであったようだ


        師匠の家

 三味線や和歌などお稽古事を教えてくれる長屋。深川の資料館にあったのは女性のお師匠さん。裏店にも寺子屋はあったようだ

 寺子屋の形態も様々。裏店の女の子は掛け持ちで師匠のもとへ通っていた。さながら、現代の教育の基礎がこの時代にできていたのも皮肉なことである。勤勉さを求めるのはいつの世の親も一緒。これをもって日の本はエコノミックアニマルとなり、いまや欧米に追随するかのごとく浮沈に喘いでいる。                         

                  

 大店の家だろうか。立派なひな壇飾りの前で、女の子が着飾ってあられを食べている。男の子たちが力いっぱい打っているのはメンコか、コマか。いつの時代も子どもの元気は、働く大人たちの源なのだ。浮世絵にある、愛情溢れる母親たちのまなざしがあったかい

                       

 江戸の子どもたちは数え10歳頃になると丁稚奉公に出された。絵は小僧さんが酒を買いにいくよう使いに出されたのか。子ども心に外に出られるのは嬉しかったのではないだろうか。えらいよね、この頃の子どもたちは・・・。

 右はもう少し小さな男の子。ケンカして泣かされたのか、おっかさんに叱られたのかな

             水桶と柄杓    
                  へっついと洗い場

 表戸と上がり框の間に、へっついと云われた竈(かまど)や炊事場があった。下駄や草履をつっかけて、朝ご飯の支度をしたり、洗い物をしたのだろう。

 裏店の家の米は、天然肥料でできた玄米を長屋内の暇な男衆があいよとばかりに小遣い賃で搗いてくれた。このぴかぴかの精米したてを薪で焚いた白米は何よりの贅沢ではないだろうか 野菜も川(大川)向こうの村から、取れた無農薬の極上。白魚が泳いでいた大川や目黒川から、汚染の心配などいらぬ活きのいい魚やしじみが取れ放題だった

 肉などの栄養価や調味料を駆使した料理法はともかく、現代の食のほうが豊かとは、一概に云えないのではないか

                       一人分のお膳

 長屋でも一人ひとりお膳があった。狭いながらも決まった席に鎮座し家族団欒で食事をしていたようだ。お膳にすることで、一人分の取り分けもでき、かつ後片付けもコンパクトにできた。まさに理にかなった食事風景である。一汁、一菜に、江戸っ子は当時全国でも稀な白米を食した。これぞ江戸の狭い裏店の知恵。素朴ながらも、一人、レンジでチンするかぎっ子なぞはいなかった。なぜなら、一つの裏店全体が、家族も同然だったのだから。。

 
                    「新米を 頬張るほどに 脚気かな」
                               海光



2011年TOTAL RUN 1906.5km   11月22日現在  

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人生初の屋形船!

2011年11月19日 | 呑み屋探訪(品川界隈)

                 
                           お台場 舟からレインボーブリッジの眺め

                 
                        フジテレビやお台場海浜公園前に建つビル群の夜景

 これぞ粋な大人の夜遊びである

 お台場はかつて江戸の砲台跡くらいで、なにもなかった。学生時代はよく仲間とバーべQで狼煙をあげたもんだ。海上保安庁に注意されたこともあった。江戸湾の潮騒を聞きながら、のどかな昼寝を貪ったりしていた懐かしき思い出の地である

 鈴木都知事を継いで、都市博の中止を叫んで当確した青島都知事時代の半端な再開発ではあったが、平成の若者の憩いの場となっている。お台場海浜公園の海岸から眺めたことはあったが、舟からのんびり眺める江戸湾もまたいい

 同人の先輩でもありわが全そ連のお仲間でもある弾前さんからお声がかかり、連の仲間を8名引き連れて、人生初の屋形船へ乗り込む。屋号や船清。乗る舟は、その名も弁慶とな。ここの舟頭と飲み友達というところに、酒豪弾前の面目躍如たる。さすが


              「屋形船 夜景が霞む 月光る 揺れる波間や 天ぷらと酒」 (連歌)


        
              
                    弁慶という名の舟          今宵のイケメン船頭さん
 
             

 はじめての乗船だったが、いやあ綺麗なもんですな。どこぞの料亭のように畳も真新しい。カラオケが付いているのは、さすがに平成の世だ。どうも、あっしのイメージが古かったようで、まったくいい意味でおったまげた。

             「屋形舟 秋月煙る 風寒し さざなみの月 ○○○○○○○」 (連歌)

                                                                                                       *○部分は個人名のため伏字に


     
  
                       

 突き出しから始まるお料理の質が高い。刺身も新鮮。そりゃそうさ、考えたら、ここは築地も近く、近海ものはそばの漁船から。

 キスや海老、イカなど江戸前の天ぷらは、揚げる油も新しいものを使っているようで、端麗な衣も薄く、香ばしい。三種の天然塩でいただく。酒はビールから焼酎、ワインまで飲み放題。まったくぬる燗が進みますぜ

                   

 以前、句会の賞品にもした檜の酒器。山の匂いをまとった酒が、海上で味わえるのだ。なんとも贅沢だなあ
                                      
             
      
              撮る人                     観る人                 たそがれる人

       
           聴く人聴かない人                      歌う人               コブシを効かせる人   


            「屋形船 カモメが鳴くよ 霜月や カモメがとんだ お台場デート」 (連歌)


           
                     全そ連の仲間                         仲良し姉さんたち
      
          商店街チームの幹事殿          愛すべき俳聖鶴輪              同人の先輩方と

 弾前さん所属の商店街チームは、大人の酒の飲み方を心得ていらっしゃる。歌い出せば、百戦錬磨のツワモノ揃い。チーム対抗とばかり、全そ連チームからも、天女、江戸嬢、鶴輪、あっしと防戦す。今宵は仕事にたまりにたまった弾前さんと商店街チームの熱唱に勝ちを譲ろう。

                      
                         江戸湾を疾走す           東京タワーはクリスマスの装い

 お台場では屋根に登って内湾を一望できる。夜風がほど良く、酔い醒ましとなって気持ちいいこと

 浜御殿ごしに、元祖東京タワーがピンクのライティングで聖夜が近いことを教えてくれる。あっしは思わず、宮城で復活ライブを行った桑田圭祐氏のホワイトクリスマスを選曲したのであった お粗末。。


             「屋形船 いつか行きたい 君となら 品川の海 波に消えゆく」 (連歌)

                    
                                 レインボーブリッジと飛行船 (鶴輪撮影)    

 夜の飛行船をみるのは初めてのことだ。虹の橋を行く月夜の飛行船は、なんとも幻想的。波間に揺れる屋形船の提灯の灯りと相まって、つい隣にいる人にひょいと惚れちまいそうだ

 結局、お決まり。下船しても、商店街チームは地元のマスターの店へ直行。あっしたちは、南は肥後の国の店に入り、焼酎を愉しんだ。弾前さん、執筆が気になってたようだが、土台飲み始めたらむりってもんだ。

 商店街チームの皆さんありがとう。今からお願い、来年もよろしく



                                  「紅葉狩り 橋の天地に 浮かぶ舟」
                              
  海光


  *連歌は二次会で。隠しながら5人ずつ書いた歌を対抗戦で詠み合いました。あしからず。。

                  
2011年TOTAL RUN 1875.4km   11月19日現在  

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旧東海道を往く 後編! 鯨があがった!

2011年11月17日 | ☆文学のこと☆

                  
                          鯨塚隣公園内の鯨の石型
 
 1774年(安永3年)から始まった埋め立ての地は、利田新地と呼ばれ、以後人々の居住の場として庶民を支えた

 1798年(寛政10年)5月、この海浜に鯨があがった

 ここ品川沖で暴風雨によって迷いこんだところを土地の漁師に捕らえられたとか。体長は約16.5m(9間1尺)、高さ約2m(6尺8寸)の大鯨。当時の魚市場は近海ものが主流だったろうから、さぞ江戸の人は度肝を抜かれたことだろう。第11代将軍家斉まで見物にきたというから、その驚嘆ぶりがよくわかる。浜御殿まで引かれた鯨も迷惑な話しだろう。

 元祖瓦版も相当刷られ、見物用の舟の値が吊り上げられたとか一儲けできたとか、有象無象の輩やらなんやかや。

 何事もおおらかな時代であった

                   
                           自然石で作られた鯨碑

                       
                               利田神社

 全国に鯨を祀る神社は数多くあれど、都内ではここ品川「利田神社」と、三宅島の鯨神社とある。

 利田神社のもとは、洲崎の弁天さま。広重も書いた弁天様は、沢庵和尚が建てたのが由来と云われている。

 魚の豊漁と重なることから、鯨には霊力があると考えられた。漂着する鯨を神格化して、恵比寿さまの化身とも例えられた。

 午後から始めた旧街道散策も、日が暮れてそろそろ雰囲気もでてきた。

 東海道の出発点を確認し、船着場に向かう

 高層ビル群の谷間、目黒川の舟着場に屋形船が鎮座している。

 往時の俳人、素外の句があった。

                 「江戸に鳴 冥加やたかし なつ鯨」
 
 さあ、ようやく宴会だ

 今宵は飲もうぞ

 次回は、屋形船。 ご期待を

                  「目黒川 歩いた果ては 秋鯨」
                             海光



                     北品川橋から眺める屋形船 


  2011年TOTAL RUN 1870.4km   11月17日現在 

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旧東海道を往く 中編!

2011年11月15日 | ☆文学のこと☆

                

 旧東海道を青物横丁から歩き、目黒川を渡り北馬場へ遡ると品川宿の本陣跡がある

 ここに江戸の大名から小商人まで骨を休めたのだろう。

 どうやら伊藤博文など時の政治家も品川の妓楼をよく利用していたらしい。政ごとの中心地から離れて密談の場所も兼ねていたのだろうか

                    

 この日は「養願寺」の縁日だった

 品川神社に続く、養願寺界隈の寺道にたくさんの露天商や、落語やら、大道芸やら催されている。

 朝とりの寒しじみは目黒川に停泊する漁船から取れたもの。目黒川の河口のものやいかん、未確認。

                          幕末太陽傳のポスター

 縁日の屋台や桶屋を冷やかしていると、映画の告知ポスターが目に入った奥では寄席が始まる直前だ。

 1957年(昭和32年)に封切られた「幕末太陽傳」という映画。フランキー堺主演、ポスターのセンターには左幸子。南田洋子、高杉晋作役の若き石原裕次郎という豪華キャストの面々。

 デジタル復刻版で、師走の12月23日に都内各所で上映予定。この日みて歩いた、品川宿を舞台にした一作。

 これは断然観るっきゃないねえ。モノクロですが、お正月映画にぴったりじゃねえですかい


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                   品川神社

 大黒さまがお守りくださるのは、源頼朝以来の土地の鎮守「品川神社」

                         急な階段

 本社神輿は平成の今上天皇明仁さまが皇位継承された時以来、老朽化のため出ていない。

 当時の写真をみると、この階段を神輿が宮出し、宮入りしていたようだ。

 荒い担ぎ手の多い三社祭には慣れっこのあっしだが、この階段をよくもまあ。それを想像するに、氏子たちの熱気と活気が伝わってくる。

 南の天王社「荏原神社」に対し、北の天王社と呼ばれてもいるそうだ

                    お富士さん

 浅間神社でもあるのだろう。富士講があった

 それにしても、かなりご立派な富士山である。

                      登山道
                             足神様

 まずは登山道に足を踏み入れる。急坂を、一合目から登る。草鞋を奉った足神様が見守ってくださった。

 品川宿から東海道をのぼる頼朝公、家康公、大名や商人などたくさんの人々が参って旅に出たのだろう。

 いったい、先代たちはこの祠にどんなことを願ったのだろうか。

           
                  峻烈な坂                      見下ろすと怖いほど


                             山頂から参道の眺め

 第一京浜は幾度も通った道だが、品川神社にこんな眺望があったとは。

 線路がなければ参道が、さぞいい風景とみえたことだろう

 屋形船から、東海道を散策する計画が、思わぬ収穫となった

 縦札にあった、品川ねぎにかぶ、大崎にんじんに、戸越たけのこと往時の入植者が苦労して育てた名産も知れた。

 江戸の息吹を感じるために、あちらこちらを歩いてみるのもよかしかろう


                    

        
                   「旅立ちの 秋ぞ参るか 北の寺」
 
 

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旧東海道を往く! 前編

2011年11月13日 | ☆文学のこと☆

                    荏原神社のお祭り
                    海に入る御神輿
                    元気な子ども神輿

 11月12日(土)のこと

 全そ連のお仲間、弾前さんから誘われ、北品川の屋形船に乗る事になった

 せっかく品川宿に行くのだからと、元祖歴女であり、時代考証の達人、同じく全そ連のお仲間、優女さんと旧東海道を歩く

 街道沿いの宿場案内所で、このあたりの昔の写真が展示されている。

 荏原神社は御神面をつけて天王洲沖海に入る渡御することでつとに有名。あっしも一度は担いでみたいが・・・せめて来年は見学くらいしたいなあ。

               
                   恵比寿さま                   荏原神社

 地元三社の大人も子どもも人手が足りなく、神輿同好会に頼る情けない昨今。ご覧の写真のように、いなせで威勢のいい町の衆はどこへやら。東北でも祭りは復興への活力になっているようだ。まずは、こんなところに日本人の強さを再確認したらどうか。 

                    浮世絵にみる洲崎品川宿
                          沖合いの舟の数に驚く

 歩いた旧東海道は、すぐそこが海であったのだ

 松に妓楼に、なんとも風情があるではないか。

                     
                                   品川の汐干狩り
                     
                             東海道の海を行く蒸気機関車
                     
                               大正5年の品川駅前広場
                   
                                   都電に安全地帯

 ついこの前、明治生まれの曾祖母が生きていた時代には、浮世絵のように潮干狩りができていたのだろう。

 あさり汁、書き上げたばかりの創作にも出した。交じりっ気のない汐の香りが堪能できた江戸の食はさぞ贅沢なもんなんだ。

 ヘドロに、水銀、ダイオキシン、はてはセシウムやらプルトニウムやらなんとやら。。

 人は進歩しているのか退廃を辿っているのか・・・、文明は進化しているのか退化しているのか・・・。

 大きな父の手に引かれ、雷門の仁丹塔の安全地帯で都電を待ったセピア調の思い出が、いま妙にあったかく思い出される


   
                「洲崎採る あさりにしじみ 笑い声」
                              海光

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バスケットボールst.の夜!

2011年11月12日 | 呑み屋探訪(恵比寿、渋谷界隈)

                      
                              渋谷のスクランブル交差点

                     
                          センター街=バスケットボールストリート

 ご存知渋谷のスクランブル 有象無象の若者たちの狂気と狂騒、進化と退廃の象徴なんだ。

 かつてエンターテインメントの目印だったHMVも、ネット売買に追われ、今は米国のセレクトショップFOREVER21にその座を譲っている。これも時代の趨勢。

 センター街の悪いイメージを打破しようと、お役人たちが名付けたバスケットボールストリート 長い はたして若者たちに馴染むのだろうか。

 その昔、江戸の頃は渋谷村と云い、草深い土地だった。祖父のいた時代もその名残を聞いた。春の小川はこの町の上流にある。懐かしの唄の舞台を復活させようという運動があるのを何かで読んだ。お江戸の象徴、目抜きの日本橋の上にかかる役人が建てた醜悪な首都高速をどかそうという動きもあると聞いた。あっしは・・かつての新吉原、大川からつながる山谷掘の猪牙舟を再建したいと願う。人と町の闇は決してなくならない。そうであるなら、闇を人生の一部と認めたほうが何かといいのでは、そう思ってしまう。

                      
                                 シーサーのタンブラー

                     
                                    オリオンの生
               
                     
                                  琉球の音に癒される

                           
 
 そのセンター街のど真ん中に、ひっそりと自宅のように寛げる沖縄料理屋に入った

 オーストラリアへの留学を斡旋する女性企業家の方のオススメ。う~ん、なるほど。こいつは癒される場所だ。

 まるで、喧騒の町中にいるとは思えない居心地に、オリオンの生と、泡盛野郎と書かれた古酒の土瓶が次々と空になる

                    

              

 この日は、登山部「ローゼンピークス」のオフ会

 高尾山しか参加してない、元来海派!?のあっしは肩身がせまいが、企業家3人の溢れんばかりの前向きな生き様にエネルギーをもらう。

 東大卒の秀才の先輩が白馬山の露天風呂で声をかけた、正真正銘の山ガールがなんと4人も参戦し、なんとも賑やかな飲み会となった。

 同人誌もそう、登山部もそう、これからは(すでに)女性たちの時代と認めるしかないですなあ。

 男たちよ、安焼酎片手に、静かに時代小説でも読もう。あっしも頑張って書いていきやす。ひっそりと息づく市井の民の日常を坦々と綴る覚悟はできた

 でも、隣の女社長が読みたいと云ってくれて創作を一つ手渡したが、バッグに入っていたのは、池波正太郎の鬼平犯科帖。

 この分では、時代物も本格的に女性読者をターゲットとする時代なのだなあ。

 昨今売れている時代文芸はなるほど、女性作家の料理手帖のごときものが大流行。う~ん。

 ま、あっしはあっしにしか書けない浅草市井物を専門に切り開こう。

 今宵は江戸の伝統屋形舟。愉しみだなあ。乗り心地は来週ご案内しやす。お愉しみに

                   
                   「霜月や 飲み干す古酒 山ガール」
                              海光
 

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江戸のヴェニス 深川 vol.2

2011年11月09日 | ☆文学のこと☆

                                           
                             江戸蕎麦切りの屋台 

 今日は全そ連らしく、そばのはなし

 江戸の中期頃から、それまで蕎麦がきなどで食していた蕎麦が、本格的に現代のような麺状で商売されるようになった。すると、新しもの好きの江戸っ子たち。一躍、町人たちのファーストフードとなったのだ。

 前述、品川宿まつりでも紹介したが、蕎麦切りの屋台というものは重い

 当時のお人は、あっしよりも背も低かったはず

 その体で陶器の器やら、茹でる釜鍋やら、食材をのせてよく運んだものだなあ。

 もっとも、出す場所も決まっていたようだから、近くに常置していたのかもしれない。そんな文献もある。

              
                 器やそば猪口に箸               釜に七輪

 江戸は男やもめが多く、ゆえに外食産業も盛んだった。それはいまでも東の都となって受け継がれている。

 夜っぴて寒空のなか、南部風鈴の音に惹かれ、蕎麦屋を目指す人も多かったのではないかな。

 虫売りや風鈴売りを真似て、風鈴を鳴らし始めたことから、風鈴そばとも云われた。
 
 廓に売りにくる夜鷹そばを、新吉原の言葉で「御神楽」と呼ぶ。御神楽の獅子(四四)から十六文そばが生まれたのかもしれないなあ。

 昼間の蕎麦屋は待ち合いに使う江戸の喫茶店。

 大人の夜は夜鷹そばの出番ってやつでさあ

                    稲荷すしの屋台 

 裏店の女房、子ども、大店の小僧さんたちのファーストフードは、稲荷すしや天ぷらだったのだろう。

 小腹が空いたときのおやつは、いつの時代も庶民の味方なんだ
 今夜は、天下御免の手打ち蕎麦で、一杯飲りに、鶯の里へ参る

 蕎麦屋でぬる燗。やっぱりいいもんだなあ

                     「新月や 急ぐ旅なし 夜鷹そば」
                                                     海光 

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生を描く!

2011年11月06日 | ☆文学のこと☆

                     
                           「末期の水と夏の庭」 しなおかななし著 

 圧倒された

 2010年の季節風大会「はじめの一歩」分科会でご一緒した同人から、2011年の大会作品を送ってもらった。推薦作に決まったという作をどうしても読みたかったのだ。

 私小説に近い作者の内に肉薄した手応えを感じた。

 独白形式で進められる作風に忽ち引き込まれる

 懐かしい故郷の佇まい、懐かしい人の匂い、窮屈さと開放感を併せ持つ、親族の集まり。

 一見親密で屈託ないけど、どこか他人行儀で慇懃無礼な感じが、親戚付き合いだろう。あの感覚はしなおかさんの描く主人公にとっても同種のもののようだ。

 人は生まれながらにして、死に向かっている。池波氏はそれを時代を超えた普遍として、犯科帳や剣客商売に書いた。

 しなおか氏は、坦々と綴る、簡素な文体と綿密な構成でそれを描く。死をこんなにも安らかで鋭角に抉る文章を書く人が現れたのだ。

 ご本人は謙遜して暗としたが、昨年の作品の蒙昧とした暗さはない。少なくとも筆者にはそう感じた。

 そう、この作品はどんなことがあろうとも今日を生きる強さと明日をむかえる脆さを訴えているのだ。

 まだ荒削りだが、世界は完成されている。

 こんなにも見事なまで、死に立ち向かえるなんて、震えたぜ、しなおかさん。

 洗練、優雅、純潔、清浄、沈黙、幸福の意味を持つクチナシこそ、しなおかさんに相応しい花だな、そう思った。
 
 才能に出会った。

 描き方はちがうが、書くことの真の意味の根底に共感する。

 魂が奮い立つ。

 しなおかななしさん、大会推薦、季節風への掲載おめでとう。

 そして、素敵な作品を書き上げてくれて、ありがとう

 あっしも書くしかないな


                  「くちなしの 花より香る 命かな」
                              海光




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一の酉の賑わい!

2011年11月04日 | ★全国蕎麦屋飲み好き連★

                       天賞にいただいだ熊手

                     「かっこめと 仲間と笑う 酉の市」 海光 (天)

 11月2日、霜月最初の酉の日

 新吉原の鷲神社と長國寺にて、酉の市が開催された。

 例年家族で繰り出す一の酉だが、2011年は全そ連の面々で市で賑う境内へ。この時刻に神社へ参拝するのははじめてかもしれない。2010年は早朝のRUNNINGに参拝した記憶がある。

                       夜店と恵比寿様

             「一葉の 生きたる闇か 一の酉」 優女 (地)
 お多福、一文などを通って、夜店がひしめくなか、恵比寿ビールでまずは祝杯

 夜祭りは夜店や熊手屋の灯りのなか、幻想的で気が高ぶってくるな


                        

            「新参に おぼろ月夜の あたたかさ」 愛蹴 (人)                                        
 
 
おぼろげは月が浮かんでいた

 明日は雨だろうか。

 

                   

     

 人の波が切れない。そんな人混みの雑踏でもケータイのある現代は、待ち合わせが可能なのだ 

 1771年の明和年間と、2011年の平成。新旧時代の隔世を感じる。花又が本の酉。千寿が中の酉。そして新吉原に移った新の酉。じつに240年にも及ぶ酉の日、最大の賑わいとなっている。当時は、竜泉の鷲神社と新吉原の商売のコラボレーションだったのだろう。当初は公の賭場が開かれてもいたのだ

 地元の浅草から神田、人形町の老舗まで高張提灯の灯が煌々と参拝客を照らしていた。
     
            
                     演歌の大御所も、都知事一族も縁起を担ぐということ。

                  
                      小判の孔雀のごとく

               「人波に 埋もれし宵や 酉の市」 草露
  
                     

                 「つなぐ手に 力がこもる 酉の市」 野武士

              
                      炉端焼きの夜店    

                     「いつの世も 熊手が集める 人の縁」 恋狼

 鷲神社に参拝した後は、仲間と一緒にかっこめ熊手やかんざし熊手を買い込んだ。いつの世も、神頼みとご縁にあやかりたいという人の思いは変わらないのである。

 炉端焼きで一杯やった後、吉原神社、お歯黒溝、見返り柳とあっしのルーツを辿って歩いた 実家の酒屋に寄り、会長やメンバーに、父を紹介する。隣の松葉楼の話など、優女さんが熱心に質問していた。あっしの季節風掲載作もこのあたりの話。父に尋ねるのも照れくさいし、面倒がるだろうが、やはりここで生きた人の話は興味深い。時代ものを書いて新鮮な感覚で父の言葉を聞いた。

 祖父が書いた、見返り柳の石碑を眺めて、二天門に向かう。夜のライトアップされた五重塔を、みんなに見せたかったのだ

                       吉原神社


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 沖縄料理「ぬちぐすい」の二階個室で、後から加わったメンバーと合流し、句会を行なった 

 苦節数年、全そ連の句会で、久しぶりに天賞をいただく。 自信はなかったが、そんなもんなんだなあ。

 愉快で気のいい仲間たちと酒を酌み交わせること。それが何よりの幸せだと思う 新しいメンバーも二人加わった。甲乙付けがたい句作が勢ぞろい。あっしはスランプを脱出し、今までの悩みはなんだったのかと、創作欲が湧き上がる。

   
            ゴーヤチャンプルー                      黒糖いりの玉子焼き

                            二階個室

                「熊の手を 借りて繁盛 人の活き」 天女

  
     
 
 生まれてはじめて買った熊手を、賞品にもらった。

 2012年もさらにいい年になりそうだ


 
   *二の酉は14日、三の酉は26日
 

 ◇酉の市HP(http://www.torinoichi.jp/

 ◇鷲神社HP(http://www.otorisama.or.jp/

 ◇浅草「ぬちぐすい」◆

 東京都台東区浅草1-20-5
 03-5828-6788
 http://r.gnavi.co.jp/g748501/

 

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別れても好きな人♪

2011年11月02日 | 呑み屋探訪(銀座、新橋、築地界隈)

 ちょっぴり寂しい乃木坂~、いつもの一ツ木通り~ ここでさよならするわ、雨の夜だから 

 1979年の懐かしいメロディーを思い出す。そう、旧い世代にはカセットやレーザーディスクのスナックで口ずさんだ記憶もおありだろう。

 ロス・インディオス&シルヴィアの「別れても好きな人」の一節である。作詞作曲は佐々木勉氏。

 シルヴィアさんは元バレーボールの実業団出身。残念ながら肺ガンのため52歳の若さで天国へ召された。

 菅原洋一とのディエット「アマン」も昭和の甘さを運んでくれる歌だ。

 傘もささずに原宿、思い出語って赤坂~

 赤坂と云えば一ツ木通り、一ツ木と云えばこの曲を思い出すのだ。かつて毎日のように仕事で通った町。

                     
                      HOOTERS
                      25周年記念のお土産

 時代は飛んで、2011年11月1日

 話題の「Hooters」で、雑誌「Tarzan」の創刊25周年パーティーが行なわれた

 ご招待を受けて、いそいそとでかける。

 マガジンハウスと云えば、文芸出版社とは対極だが、20代憧れの版元であった。

 本社屋にお邪魔すると、ポパイやオリーブの絵の自動ドアーがあり、愉しませてくれたもんだ。

 なかに入ると、90年代当時、金髪にピアスの男性が普通に仕事していて驚いた。

 まあ、版元に勤めてみれば、雑誌屋なんて、ヤクザな稼業だけどね・・・

     
      
               HOOTERS TOKYO http://www.hooters.co.jp/index.html

 90年代に流行った、アンナミラーズさながら巨胸の谷間の店は、女の子がタメ口をきくのが客に受けているという。ミニパンツにルーズソックスがいまだ衰えない中高年世代に支持されているのだろうか。歌あり、踊りあり。

 この感覚はバブルそのもののような気がして、冷静に眺めてしまった

 それにしても、華やかなパーティーを開くマガハの活力には脱帽する。25年という歳月、雑誌の栄枯盛衰のなか隆盛を保ちながら一線にいて、他の追随を許さないオリジナリティーあふれる遊び心はさすがの一言に尽きる。

 90年代を満喫したが、やはりいまの筆者には長時間馴染まないようだ。

 煌びやかな赤坂を後にし、ネクタイを緩めることのできる親父の町、新橋に移動。

 いつもの「あるばか」に落ち着いた

                     
                        ひとり歩き、くじら(鹿児島)不次オ(宮崎)

 鹿児島と宮崎の甘藷の焼酎をロックで3杯いただいた。それぞれに芋の香りに特徴があり、毎度の事ながら愉しめた。

 Hootarsでアメリカンジャンクフードとプレミアムモルツとウォッカトニックをたっぷり腹にいれたため、ここでは控えめ。

 ケータイ片手に立つと、久里浜の野球青年けんじ君がさっとドアーを開けてくれた。

 学生なのにいつもしっかりしている代表のもっちーが焼いてくれた卵焼きは、味付けが通好みの塩加減で思わず唸る。

 自然と友との会話も弾んで、80年代90年代のJポップが錆びた心を和ませてくれた。

 今夜は懐メロの日みたいだなあ

                      塩のみの卵焼き  
                      もっちー&けんじ    
           一周年おめでとう
                学生居酒屋「あるばか」 http://ameblo.jp/bar-arubaka/
                           
 霜月の心地良い風が、背中を押ししてくれる

 この風に乗って、書こう

 素敵な夜に乾杯

     
                  「バブルから 平成生まれに 変わる秋」
                                   海光


                          

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