【ガラスの梨】
越水利江子 著 牧野千穂 画
2018年7月 ホプラ社刊
【逃げ惑う 空の彼方に 弾の雨】酒上乃不埒
昭和16年。
歴史を知る僕らは知っている。
少しずつ確実に暗い影が忍び寄る時代。
個人の領域が軽んじられる昨今だが、人の命の重さについては語るべくもない。
そして「ガラスの梨」を上梓した、越水利江子はそれを強く長く語り続ける作家の一人だろう。
主人公笑生子、華奢で元気な、兄やんを慕うどこにでもいる小さな女の子。
その周辺の日常が明るく丹念に描かれているからこそ、空襲警報と焼夷弾の雨によって血まみれになる戦時下の灰色がリアルに肉薄する。
東京に暮らすわたしの周りでは、この時期東京大空襲の特集や展示や催しが多い。
だが、戦争体験のない僕ら世代は、あくまで歴史の教科書、映画の出来事と他人事のように感じているように思う。
その証拠に、現代でも命を失う戦は中東だけでなく世界中で起きている。
震災が起こるたび、ニュースは連日報道する。対比して異国の命の重さはフィルムの向こうの遠い話しなのだ。
これは日々暮らすための、人間のなす防衛反応なのか。
越水が書くこの物語は、大阪で現実に起こった大空襲の話し。
開高健がベトナム戦争を描いた闇三部作に始まる一連の著作は有名だが、
大阪出身の開高は同じく「破れた繭」などに、年少期、大阪を襲った戦闘機の下に暮らす市井の民のことを書いている。
彼の豊穣にして辛辣な筆致は、ひたすら彼の飢えを通して語られるのが印象的だ。
暗い食卓の上の芋を囲み、手を伸ばす開高とその家族。
その野獣のような視線が本来なら優しいはずの母の眼を痛罵し泣かせてしまう。
生と死。
越水は大胆に、自らを傷つけ痛めつけながら、生々しい描写にこだわった。
68冊にも及ぶ参考資料が、まさに命を削って書いた証といえよう。
これだけの覚悟があるか。
越水の、何者か陳腐で汚い権力に対する憤りが迫ってくるようである。
そしてまた、それぞれの心にも問うているようにも思うのだ。
作家生活25周年の記念作品とのこと。
文学を通して伝えることの大切さ、越水が訴える筆の力をまざまざと感じる。
まだまだ僕らにはやるべきことがある。
姐さん、えらいの書かれましたな。
堪えましたで。