伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

現代の「回文」、なかなかの出来。

2016年12月06日 | 雑文

12月5日    (火)    

上から読んでも下から読んでも同じ音になるという「回文」には昔から関心があった。

幼稚園児の頃か、小学一年生の頃だったかに「タケヤブヤケタ」(竹藪焼けた)という言葉を教えてもらって得意になっていたら、近所の女の子が「私もそうなのよ」と言われたことを今でも思い出す。

その幼女の名は「コイケケイコ」(小池恵子)、いまだに忘れずにいる。微かな記憶に残る幼かったあの子は今はどうしているだろうか?往時茫々。

その後、戦争があったり、戦後以来の慌ただしい生活があったりして、「回文」のことなどすっかり忘れ去っていた。

その「回文」の存在を思い出したのは60歳を過ぎて大学で法律解釈を講じるようになってから……。

小難しい法律の解釈をめぐって、学生の息抜きに「言葉遊び」として「折句」、「パングラム」「アナグラム」「回文」などの「言葉遊び」を喋るようになったのがきっかけだったように思う。

その頃知った「回文」として面白かったのは

「 力士 塩舐めなおし 仕切り 」 (リキシシオナメナオシシキリ)

「 時計は叫ぶ 今朝は行け 」 (トケイハサケブケサハイケト)

「 世の中ね 顔か お金か なのよ 」 (ヨノナカネカオカオカネカナノヨ)

など。

それに古くからある上品な歌

「 白波の 高き音すら 長浜は 必ず遠き 潟のみならし 」 (シラナミノタカキオトスラナカハマハカナラストオキカタノミナラシ )

「 群草に 草の名は もし備はらば なぞしも 花の咲くに 咲くらむ」 (ムラクサニクサノナハモシソナハラハナソシモハナノサクニサクラム)

 など。

うまく作るものだと感心していたら、この度、偶然のことから現在も回文を趣味として作る人がおり、なかなかのものを作っていることを知った。

以下がそれ。

「 遠く闇の音 星の下 私の死 骨のみ焼く音」 (トオキヤミノネホシノシタワタシノシホネノミヤクオト)

「抱いていた卵 対だったがしぼみ 星がたった一個 瞬いていた 」 (タイテイタタマコツイタッタカシホミホシカタツタイツコマタタイテイタ)

いずれも福田尚代という人の作。

ちょと写実からはなれた象徴的というか、暗示的な言葉の流れが不思議な趣を醸している。

現代詩ならぬ現代回文詩というべきか。

読み捨てるには惜しいので、私のブログに転載した。


「回文」=「Palindoromes 」を含む「遊び言葉」について以前ブログに書いたことを思い出した。あれからもう5年を過ぎたか!

2011/5/7 blog  < 「いろは」からの連想 ①~⑥ >

 

 

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