伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

懐かしき亡友の手記を読む

2016年05月10日 | 三金会雑記

5月10日    (火) 

 この齢まで生き続けていると、多くの親しかった友達を喪ってしまっていることに思いが至る。

誰の言葉だったか忘れたが「長生きして一番辛く悲しいことは親しい友がいなくなっていること」だと。

まさしく実感である。思い出せば、いいようのない心のやるせなさ、淋しさ。しかし、かすかに残るのはそうした友と一緒に紡いでくれた過去の思い出。

共有した時間を思い起こさせてくれるのは、写真であったり、一緒に起居した場所だったり、ともに眺めた景色だったり……。

それにその人の手紙やその人が書いた文章。

そんな切っ掛けでブログに載せるにはちょっと場違いの感じもあったが、亡くなった友青野君の「三金会雑記」の古い文章を載せたら、なんと二三の方がコメントで彼の文章を絶賛してくれたではないか。

いつも過去の思い出を特別に大切にして文章を書いていた青野君ことだけに、私はとても嬉しかった。

そんな彼が酒席で愛唱していた歌。

「子供の頃に遊んでた 学生時代に付き合った いろんな友がいたけれど みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔

夜遅くまで座り込み 笑って飲んだものだった あの仲良しの飲み仲間 みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔

恋をしたっけ素晴らしい 美人だったあの人も 今は会われぬ人の妻 みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔 」

(彼の子供の頃は知らない。でも「美人だったあの人」には会えないどころではなく、みな「三金会会員」としてしょっちゅう会っていた。)

2017/4/20の「イン遁予定地視察」の記事から4年後に青野君の書いた文章を、風邪でベッドにいる間に読んだ「三金会雑記」から見出した。 25年前のものである。

  

 


 

「三金会雑記20号」のこの記事に続いていたのが、同じように親しくしていた赤野君(彼も亡くなった)の連載記事である。

「雑記」の記事は氏名の「アイウエオ順」で掲載されるから、青野の次は赤野ということになる。彼の筆力もなかなかのものだった。

 

 

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