9月23日 (月)
運転免許更新のため70歳を超えた者に義務付けられた「高齢者講習」と75歳以上の「認知機能検査」を自動車学校に受けに行く。この年齢になって試験めいた講習や検査を受けるというのは、この程度のものであってもなんとなく気が重い。
「認知機能検査」ではまさか運転できないほど惚けてはいまいと思いはしたが、視力判定、視野判定、運転適性など身体的機能については、加齢による低下がいかほどのものか不安がないといったら嘘になる。
視力検査としては、静止視力と動体視力、それに「眩光下視力」の検査があり、別に「視野測定」というのがあった。「眩光下視力」は「劣っている」と出たが、そのほかはいずれも71歳~75歳の平均値を上回っていた。これは夜間の運転はなるべく避けろというこであろう。(各年齢別・性別平均値として表にあるのは「71歳~75歳」が上限でこの年齢を超えた者の平均値は記載されていない。これは75歳以上は本来的には運転するな、ということにつながるのかもしれない。)
視力のほか聴力検査はなかったが、これがあればやや難聴の私のこととて「かなり劣っている」と出るはずだ。
ところで肝心の「運転適性結果」については、いろいろ運転模擬器械によるテストがあって、その結果は30~59歳との比較 「やや注意」、同年代との比較 「優れている」と出ておおいに満足した。
講習が終わって、指導員から「これから3年、またここでお会いしましょう。それまでお元気で」と言われた。
次の免許更新は3年後か。この調子なら86歳になっても免許更新ができそうだ。
思えば、数年前までは平均寿命プラス健康余命で85歳まで、なんとか元気に生きることに思い定めて、常々家内に話してきた。しかし、85歳といえば後2年しかないではないか。
なんだか、もう少し生きれそうな気がしてきた。「米寿」の88歳が区切りとしては妥当なところかもしえない。
さはさりながら、これまで病気らしい病気で寝込むことなく今日まで来たのだから、もう少し欲をだして90歳としてはどうだろうか。
先日、2020年オリンピックが東京に決まったという嬉しいニュースに接した。あと7年である。よし、いっそのこと90歳までは元気で生きてオリンピックをTVで見たいと、思い切って「人生定年」を90歳「卒寿」に決めることにした。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックで感動した経験を持つ世代であってみれば「夢よ、もう一度」である。
これまでは東京にオリンピック招致にさほど関心を持たなかったのは年齢からしてやむ得ないことであったが、2020年東京オリンピックが決定してから俄かに現実味を帯びてきたのだ。オリンピック開催だけではない。開催の決定が日本人に自信をつけることになり、それが長引く不況を打破し飛躍する起爆剤にもなるのではないか。
東京オリンピック招致の成功により、日本だけでなく私自身も所謂「元気をもらった」ということになる。
更に思えば、オリンピックの開催だけでなく富士山の自然遺産登録で「三保松原」を含ませることを成功させた最近の日本の強力な発信力を踏まえて2020年を見据えてみると沢山の明るい日本の未来が見えてくる。
成功裡に推移しているアベノミックスの成果はもとより、あと数年で実現可能とされる日本テクノロジーがもたらすものへの期待も大きい。
数年後に実用化されるという日本近海でのメタンハイドレートの開発、レアメタルの採取などによる「資源のない国」から「資源大国」への脱皮、リニア新幹線の開通、エプシロンが先駆けた衛星ビジネスの躍進、日本が得意とする「人型ロボット」の行く末、などなど2020年までには希望に満ちた姿がかなりはっきりみえてくるのではないか。
生き甲斐もみえてきた。よし、これから健康保持に一層の意欲を燃やして頑張るぞ。