今日は俳優の石原裕次郎の誕生日です。これは、映画「太陽の季節」が昭和31年の5月17日に封切りになり、石原裕次郎が俳優としてデビューした日という意味です。本当の誕生日は12月28日ですからね。司会をしながら歌を披露する時には「東海の裕次郎の私が歌います」と話しますが、最近は「東海の石原裕次郎」と言った方が良いとアドバイスを受けることもありました。それだけ裕次郎さんがなくなって年月が経つということでしょうか。
その石原裕次郎さんの葬儀で勝新太郎さんは「裕次郎は何もしないでも死ぬまで裕次郎だった」と弔辞を送ったのは有名ですが、何を演じてもその人であり続けることを言ったのでしょう。ある監督は裕次郎さんは何も構えないでカメラが回るとすうっと役に入るところが凄かったと話していますが、芝居とは、役者とはと難しく突き詰めないで、演ずることが出来る天性の資質なのでしょう。逆に前述の監督さんは、裕次郎さんのような役者さんは確実に現代では少なくなったと言っていますが、そうした俳優を探すことも大切な仕事ですね。
その石原裕次郎さんの葬儀で勝新太郎さんは「裕次郎は何もしないでも死ぬまで裕次郎だった」と弔辞を送ったのは有名ですが、何を演じてもその人であり続けることを言ったのでしょう。ある監督は裕次郎さんは何も構えないでカメラが回るとすうっと役に入るところが凄かったと話していますが、芝居とは、役者とはと難しく突き詰めないで、演ずることが出来る天性の資質なのでしょう。逆に前述の監督さんは、裕次郎さんのような役者さんは確実に現代では少なくなったと言っていますが、そうした俳優を探すことも大切な仕事ですね。