『マンザナ、わが町』
1993年初演の井上ひさしの戯曲。
2015年再演は第23回読売演劇大賞
優秀作品賞を受賞したほか、
鵜山仁が最優秀演出家賞、
熊谷真実が優秀女優賞と三冠
舞台は米国カリフォルニアの
マンザナ強制収容所で、5人〜
ジャーナリスト、浪曲師、奇術師、
歌手、映画俳優〜の女性たちの物語。
本家(?)こまつ座をはじめ
数多くのカンパニーが上演しており、
また女性5人で創ることが可能なので
養成所や研究所の演目としても……。
故人・井上の遺志から
著作権が取りやすいことも上演に拍車。
(井上ひさし作品全般に言えること。
大前提として作品が良いから、だが)
そんな『マンザナ、わが町』を見た。
創造ユニットTaiyo公演
5月15日(水)から19日(日)
シアター711にて。
ダブルキャストのTEAM melonを。
この公演が旗揚げ。
2022年に小池恵子、竹内しのぶ、田中淳子、豊田薫の
平均年齢65.5歳の4人が立ち上げた演劇集団。
〈仕事に家事,育児,父母・義父母の介護に看取り……
怒涛の人生も半世紀越え。だからこそ、舞台への情熱は
冷めるどころか勢いを増す。そりゃ身体にガタもくる。
だけど、そんなこんなもそっくりそのまま
役者としての深みと味わいと開き直り、
きっとどこにもない舞台を創りだせるはず。
(中略)人生楽しまなきゃ、楽しませなきゃ—
だって、私たちは原始太陽だったんだから。〉
と、気合入りまくり
であれば、メンバー4人のチームを見ねば。
そして見事に楽しませていただきました。
シニア劇団と侮ることなかれ。
まず、この時世に第二次大戦下の、
アメリカでの日系人の苦悩を描いた作品を
チョイスし旗揚げした気概が素晴らしい。
配役も鮮やか
役者が登場人物とドンピシャだった。
スタッフもプロフェッショナルを揃え、
また制作目線でいえば、
パンフレットの充実や、
舞台客席外の場所に作品関連の展示など
楽しませる努力がハンパなかった
早くも次回公演が楽しみな創造ユニット
Taiyoであった。
昨日綴ったblogに登場した病院の
とある入院棟の「食堂」は、
新型コロナウイルスの影響で
今は家族との面会などに使われ、
本来の機能は果たしていなかった。
各自、部屋食の模様
その、かつての食堂の見晴らしの良い
遠くにサンシャイン60も望める席で
少し前の雑誌をパラパラしていたら、
懐かしいフォルムが目に止まった。
週刊Sの広告のページ。
大学の卒論はワープロで書いたし、
パソコンが身近になる前は、
かの「Dr.中松」が発明したと知られる
フロッピーディスクも大活躍だった。
嗚呼、それもまた懐かしい……。
写真で明解なように回顧記事ではなく
「広告」で、全国津津浦浦を網羅する
大手雑誌に出稿されているのだから、
想像以上に今も愛好されているわけだ。
同じラックに刺さった週刊Gでは
もっと高い出稿料の裏表紙に掲載。
それは撮らなかったけれども
デザインはまったく同じだった。
お金の話になったついでに、
そのワープロのお値段はといえば
下は3万円台からあり、高くて8万。
こりゃ、お手頃
いや決して安くはないけれど、
パソコンの機能をほぼ必要としない
「書く」に特化したアイテムが
嬉しい御仁にはワープロがお得。
私はシャープ「書院」を愛用していた。
あと早見優がコマーシャルしていた
東芝「ルポ」にも愛着がある。
個人的にはまるっきり記憶にないが、
確認のため〈ルポ、CM〉で検索したら
唐沢寿明にもヒット!
今、昭和な喫茶店に
行列ができる時代のようだが、
ワープロ健在はそれと似ているようで
まるで次元の違う麗しい発見
いや昭和レトロにハマる若者が
麗しくないとは言わないけれど
ここは深堀りせず。
当たり前だが、もう生産されていない
ワードプロセッサ。果たしていつまで、
愛好家に届くのかしらん。
3日前にちょいと書いた「看護の日」
一部繰り返しになるけれど、
トスカーナ大公国フィレンツェで生まれた
ナイチンゲールの誕生日に由来。
それが5月12日なのだが、
今年は日曜日ゆえイベントは
前日の11日だったり、明けて月曜だったり。
勿論、その日に賑々しく当日開催もあり……
とある病院は、昨日だったり。
1階の回廊型の廊下に相談コーナー、
体力測定、ハンドマッサージ、
震災時に関する展示(英語版もあり)
などを展開していた。
あとは普段慣れ親しんだ食品に含まれる
塩分や糖類をディスプレイ。
さるそばとカツ丼の塩分が同じなのは、
おもに蕎麦つゆが要因、と聞けば納得。
あくまで塩分でカロリーじゃないと係の方は
一言添えてくれた。
色々気になるアラ還な筆者であります。
だんだん刺激的なアートよりも
健康につい触覚が向きがちです。
末筆になったけれど
クリミア戦争での負傷兵たちへの
献身的な看護にとどまらず、
その統計に基づく衛生医療改革で
有名な彼女のファーストネーム
フローレンスは「フィレンツェ」を指す。
また肩書は、wikipediaには
ナース以外にも社会起業家、統計学者、
看護教育学者とある。
1820年5月12日〜1910年8月13日。
享年90歳・・・さすがの長命。
さて、何故病院かは別の話。
それは別の稿にて。
みていないのです、その放送は。
ネット上で、池井戸潤原作の
某ドラマに半沢直樹が出る、と。
「誰だろう?」と話題になって、
劇団ひとりだった。
で、賛否様々な声があがった。
天知茂、石立鉄男、小野寺昭、
神田正輝、高島忠夫、高嶋政伸、
高橋英樹、宝田明、内藤剛志、
夏木勲(当時/のちの夏八木勲)、
萩原健一、船越英一郎、三橋達也、
若林豪、渡瀬恒彦と、五十音順。
題名からもお察しのことでしょう、
十津川警部を演じた俳優たちです。
(こぼれていたらごめんなさい)
局で並び替えると、日テレ=夏木。
TBS=宝田、若林、渡瀬、内藤。
フジ=石立、小野寺、高嶋政。
テレ朝=三橋、天知、高橋、高嶋忠。
テレ東=萩原、神田、船越。
初代が三橋で1979年。45年前になる。
最多はやはり渡瀬で54作品。
つまりそういうことである。
名探偵・金田一耕助も映画テレビ
で色んな役者が長髪をボリボリ搔いた。
映像のみならず舞台にもしばしば。
石坂浩二とともに「金田一と云えば…」
でトップを争う古谷一行が東宝製作で
『獄門島』『犬神家の一族』『女王蜂』等。
76年『犬神〜』の角川映画以外は東宝が
石坂・金田一で創ったのに、
演劇では古谷なのがユニーク
そういえば。西村京太郎の生み出した
警視庁刑事部捜査一課のノンキャリ
40歳の名前って?
恥ずかしながら小説を一冊も読んでいない。
ゆえに調べて、省三と判る。
1973年『赤い帆船(クルーザー)』で
デビュー(?)した当時30歳警部補は、
なるほど〈昭和な名前〉だったんだなぁ
さて、これから演じる俳優は
さらに増えるだろうか。
十津川警部に限らず、金田一も半沢も。
今年のゴールデンウィークが終わり、
「もう」なのか「まだ」なのか、
一週間ちょい、日にちが経った。
はて、何をしたか自分のことは
思い浮かばないのだけれど、
山手線で遭遇した鳥栖のユニ、
あるいはドラゴンズのレプリカが
何故か印象に残っている……。
前者はJ1のレイソルvsサガンの、
ゲーム終わりの夕刻の山手線で、
水色と桃色の鳥栖カラーを
たくさんみた。4月28日になる。
恐らくホームの柏サポーターは
千葉県内に散らばって帰り、
常磐線から乗り換えて
都内のホテルに向かう家族らは、
なんなら明日は夢の国ないしは
豊洲あたり、はたまたサンシャインの
常設である水族館やナンジャタウン、
特別開催のコナン展とよりどりみどり。
……そんなスケジュールを組んで
九州から見参したのじゃないかしら。
もちろん、柏イエローも車内には居た。
ただ、2012年の昇格以来J2降格のない
唯一のクラブ・サガン鳥栖(※)が
数では大きく勝った。
……アウェーの鳥栖サポーターは
スタジアムの街を去り、
レイソルを愛する者達は周辺の馴染に
流れたからなのは言うまでもない。
ちなみに試合は1対1のドロー。
(※)オリジナル10の横浜F・マリノス、
鹿島アントラーズもJ2降格がない。
合わせて3クラブになるのだが、
サガンが「唯一」と記したのは横浜と
鹿島はJ2経験がそもそもない為。
5月3日、渋谷。
ドラゴンズブルーが大挙。
地下鉄から山手線に流れてきた。
(この写真は、なし)
我が燕に敗れた中日ファンが
肩を落として……という印象はなく。
何故ならその時点で結果を不知。
のちに、代打塩見の劇的な
サヨナラホーマーでの決着を知った。
(あぁ塩見の怪我が心配です)
翌4日は、ラグビー・リーグ1の
サンゴリアス対スピアーズ。
5日、ブラックラムズ対ヴェルブリッツ。
ともに神宮球場の隣、秩父宮で。
ほかにも鈴鹿や花園ほかで
6日は10日のblogに書いたが、
バレーボール黒鷲旗。
女子は岡山が悲願の初優勝
男子はサントリーサンバーズが
リーグ制覇とともに二冠
・・・COVID-19禍明け
(終息はしていないけれど)の
スポーツを列記したけれど、
ほかにも大いに賑わいだ
弐阡弐拾肆(2024)年黄金週間。
昨日は、北海道でオーロラが見えた
とか、広島のスタジアムのバトンが
落ちたとかのニュースが朝に伝えられ、
また「看護の日」でもあった。
日本看護協会のサイトを丸写しすれば、
《近代看護を築いたフローレンス・
ナイチンゲールの誕生日にちなみ、
5月12日に制定されました。
1965年から、国際看護師協会は、
この日を「国際看護師の日」に定めて》
いるのだそうで、日本においては
《旧厚生省により、「看護の日」が
1990年に制定されました。
市民・有識者による
「看護の日の制定を願う会」の運動が、
きっかけでした》と書かれている。
そして、母の日。正確を期せば、
昨日がというより5月第二日曜日が
母の日
在フィラデルフィアの
アンナ・ジャービスが
亡き母が働いていた教会に送った
白いカーネーションが始まり。
つまりアメリカの「母の日」を
日本が輸入(?)していて、
例えばスペインやハンガリーは
5月第一週、エジプトは3月21日
などなどワールドワイドに見れば
母に感謝する日は様々なようです。
さて一葉目の花は、
我が家の近所のたばこ屋さんの
おかあさんが店の脇に展開している
数多い植物のなかから勝手に
(撮影は5月上旬)
どんなところにもベテランはいる。
例えば劇団でいうと、
創立メンバーで座歴50年超の俳優。
さすがに台詞覚えは落ちたものの、
言い回しの間(ま)だったり
技は衰えず、さらには、
「旅公演二日目にミーコが倒れて、
東京からワカちゃん呼んだのが
1970年5月、長野の伊那だったな〜。
そのあと7月からロシアで『どん底』。
モスクワ、レニングラード、オムスク
回ったけれど、ミーコは行けなくて、
私がどん底よって死ぬまで言ってた」
みたいに、やたら昔のことを明確に、
何なら日付まで覚えていたりする。
ラテン語のvetusが語源で、
意味は「古い」「年老いた」。
接尾語anをつけたのがveteran。
英語の国では第一義が
〈退役軍人〉だそうで、我々が
ベテランに込める「経験豊富な」
にはexperienced、skilledなどを
使う、らしい。
姪が看護師なのだが、
病院にもベテランはいて、
それは先輩ナースにもだし、
ドクターもだし、ペイシェントにも。
はたして患者に「ベテラン」が
相応しいか戸惑いもあるけれど
若い看護師より余程詳しくて、
「それじゃ点滴うまくいかないよ、
基本中の基本」と、
専門知識にまで言及できて、
「お、新顔さんだね。宜しく。
ランチなら駅の反対側だけど正膳!
…って私はこんなだから、
食べちゃないけど情報整理すると
特に魚系の定食が人気だね」
など界隈にも精通している、
そんな患者さんがいるそうだ。
4月1日付で退社届を出す、とか、
退職代行サービスが繁盛などを
見聞きする今日この頃。
それは数としては少ないだろうから、
横っちょに一度置くとしても……
勤め上げるのが当たり前ではなくなり、
働き方にも多様性のベクトル。
となっても、スキルアップの中で
専門の「職」は積み上がるから、
そこにもベテランは生まれる
・・・わけだけれど。
どんなところにもベテランはいた。
にならないことだけは、願う。
【приписка】(ロシア語の追記)
レニングラードは当時の名称で、
現在はサンクトペテルブルク。
また「例えば」なので話の中身も
フィクションです。あしからず。
東演に在籍された「笹爺」こと
故・笹山栄一がモデルではありません。
両国の寺社境内に「喜昇座」として
始まったのが1850年頃。
73年、日本橋久松町に移り、
78年の大改築とともに「久松座」。
しかし2年後に火災で焼失。
85年「千歳座」と改称し新築開業。
初代市川左團次が座元となり
「明治座」となったのが93年。
以降の歴史はハショるけれど、
日本橋浜町に鉄筋コンクリートの
ビルヂングとなった芝居小屋で今、
上演中なのが『儚き光のラプソディ』
地球ゴージャス三十周年記念公演だ。
岸谷五朗と寺脇康文により1994年
結成された演劇ユニット
2002年VOL.6『カルテ』から
岸谷の脚本となり、大和ハウスが
06年から冠スポンサー。
これまでに、小泉今日子、
石田ひかり、本田美奈子などなど
豪華なゲスト陣を迎えてきた
プロデュース公演が今月26日迄。
演歌歌手のお芝居と歌謡ショーに
全国からバスで団体さんが来る!
かつての興行からは時代とともに
変化してきて……とはいえ、
今月8日〈2025年の幕開けは
純烈が登場! 芝居とコンサート
2本立てでお贈りします〉と
発表があり伝統も守りつつ。
なので、地球ゴージャスも
幕間はたっぷり。
ゴロちゃんテラちゃん、イチオシ!
「鶏の照り焼き」など“ゴージャス”な
御膳をいただくことも可能だ。
最近は、演劇人ですら幕間を
「まくま」と読んだりする。
「まくあい」が正しいけれど、
興行形態に演目、はたまた
そもそもの演劇スタイルも
変容していくので……
【昔はマクアイと読まれたが、
2050年代にはマクマが定着した】
などと辞典に載る日も近いのか……
《有機合成におけるパラジウム触媒
クロスカップリング》の研究成果で
根岸英一、鈴木章がノーベル化学賞の
栄誉に浴した2010年、
バレーボール全日本女子に選出された
宮下遥は、当時15歳。
この年齢での代表入りは史上四人目。
前年「黒鷲旗」と「プレミアリーグ」、
要は日本排球界最高峰のトーナメントと
リーグでの史上最年記録を成した
178cmの大型セッターには、
大きな大きな期待が集まった。
結論からいえば。
宮下の才能は、代表では
発揮されることなく終わった。
ある世代のバレーファンは
古川靖志を彷彿するのではないか。
川崎市立生田中学校から
藤沢商高(現:藤沢翔陵高)に進み、
春高バレーで躍動
前衛では小気味よいスパイク、
下がれば強気のトス回しで
藤商を牽引し、第9、10回大会で
史上初の連覇を達成
1982年、順天堂大学3年時に
全日本入りすると、
翌年のアジア選手権でベスト6、
セッター賞も獲得。チームは優勝。
低迷を始めた男子バレーの救世主
……と思われたが、当時の攻撃陣は
「天才・古川」のセットアップに
残念ながらフィットしなかった。
翌年のロス五輪は7位
猫田勝敏、竹下佳江らに代表される
打ちやすいトスが、
日本バレーのセッター像として
長らく続いている。
大型化も何度か試みられたが……。
同様に宮下は全日本で当落があり、
招集時も必ずしも主戦ではなかった。
そんな「ハルカ」も気づけば29歳。
昨今のバレーボーラーは、
他競技に倣い移籍も増えた中、
岡山シーガルズでのみプレー。
今季での「早すぎる引退」発表を
誰よりバレーの神様が驚いた……
のかもしれない。
1971年創部の東芝(横浜)の
活動停止を受け、日本バレー界初の
クラブチーム「シーガルズ」として
Vリーグ参戦。拠点を富山県黒部市に。
1999年のことだ。2001年岡山市移転。
06年から名称を「岡山シーガルズ」。
以来、プレミア準優勝もあれば、
チャレンジリーグ降格と、
悲喜こもごものクラブの歴史。
2024年5月6日。第72回黒鷲旗
全日本男女選抜バレーボール大会
女子決勝。デンソーエアリービーズを
ストレートで破り、初優勝
チーム初のビッグタイトルであり、
(国体5連覇などはあったが)
ワールド・グランプリ2014の銀が
最高順位だった宮下にとっても
初めての一等賞となった。
「上げる人の右側が強すぎて、
あれぇって」 と、初胴上げが
かなりローリングした感想とともに
「もう一生ないな、この経験。
3回上げ終わった、上げてもらった後に
感じました」と宮下は語った。
遥か遠くから、多くのバレーファンが
その胴上げに加わっていたことだろう。
……筆者を含めて。
冒頭、化学の一等賞から始まったのは
根岸岡山大学名誉博士との「岡山」繋がり。
【文中敬称略】