麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ギャンブル~少し古いお話その1

2009年01月15日 | 身辺雑記
 僕はギャンブルをしない。
 向いてないのか勝ったことがない。
 勝つも何も競馬を数回、しかも1000円程度。パチンコもやはり同額。
 どちらも10年以上前にやったきり。
 ともに瞬時に0円になった

 逆に。
 本格的にやったら凄く向いている、とゆ~可能性が残されているのかも。
 ただ。
 ギャンブルとは別に、煙草が駄目なので、喫煙率がモウレツ高い、その手の場所に近づかないってこともある。

 さて。
 そんな僕が08年の大晦日に大型パチンコ店に行った。

 両親と兄弟親戚8人の食事会のあと、酒の勢いで親父と叔父さんが50万稼ぐとホザきだし、かみさんの実家に帰る弟夫婦はノガれたが、我々夫婦は巻き込まれたのだ。

 で、ドラゴン(店の名前です)。
 東名川崎インターそばのアミューズメントパークは、ほんとに、至れり尽くせり。
 年末でドリンクは無料、漫画や新聞雑誌も置いてあり、だから結局僕はひとつの玉も弾かず「漫画喫茶」として利用した。
 しかも、何もかもタダの漫喫ダ。



 ご覧のような広い休憩エリアは、見た目だけならちょいとしたホテルのロビー(?)だ。
 大音量で音楽が流れ、時折近くにヘビースモーカーが来ることを除けば快適だった。

 漫画や新聞の合間に、区民演劇祭の打ち合わせも進んだし(メールや電話で)、後半は持っていた帚木蓬生の文庫本『賞の柩』を読んでいた。

 色んな意味で、社会勉強になった。

 冒頭、ギャンブルをしないと書いたが、大当たりすればウン億円、外すと一千万超の赤字を背負う「演劇製作」は、十二分に「賭事」の要素を孕み、まだヒット作を世に送り出していない僕は、やはり向いてないのかもしれない……。

 あるいは。
 東演12年で主席制作を務めた9作品で、赤字を一度しか出していない点では、バツグンの勝率とも言える。
 あ
「演劇製作」以外でも、好きなギャンブルがひとつだけあった。
 アメフトの“ギャンブル”
 ・・・これは大変見応えあるよネ

***アメリカン・フットボールは4回の攻撃権が与えられ、その間に10ヤード以上前進できれば、その地点から更に4回の攻撃権を得ることが出来ます。
 通常は、4回目で「パント」と言うキックで相手の攻撃を不利にさせるプレイを選択しますが、攻撃を強攻することを「ギャンブル」と言います。***

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新年会と新婚賛

2009年01月13日 | 東演
 
 1月10日(土)の新年会の、レパートリー紹介に使うBGMの音源が欲しかったので、柳原さんに連絡した。
『いちゃりば兄弟』や『紅いに洗濯機』などでプランナーをお願いしている音響家さんだ。
 今春、旅公演のある『臨時病室』も彼の手による。

      ※      ※

 東北のマタギはツキノワグマを「イタヅ」というらしい。
04年、史上初めて直木賞と山本周五郎賞を『邂逅の森』でダブル受賞した熊谷達也氏の短編集で知った。
 もう一昨年になるが、訪中公演に音響オペレーターとして帯同してくれたのが、柳原グループの若手、板津(いたつ)くんだった。

      ※      ※

 訪中公演のレパのひとつ『臨時病室』が板津くんの担当だった。
 風の冷たい7日の夕刻にMDを届けてくれた柳原さんは「板津が結婚したんです。それで仕事も変えました」と、新春早々驚かせてくれた。

 で。4月の旅公演は、柳原さん自身がオペをしてくれることになった。

      ※      ※

 新婚といえば、08年3/30付の弊ブログに書いた“33才年の差婚”のSさんが東演新年会に、フランスでの挙式の写真を携えいらっしゃった。
2人が並んだ写真は解っていても、新郎新婦には見えず“花嫁とその父”以外のナニモノでもなかった。

      ※      ※
 
 その新年会は、お陰様で大盛況
 若手中堅による、ダンスで始まり・・・50年の歴史を振り返りつつ、今年のレパートリー紹介まで、約2時間の楽しい時間であった。

 新年会の様子は、昨日も書きましたが「役者ブログ」に詳細あります。


      ※      ※
  
『萩家の三姉妹』
 初日は2月3日。東演パラータにて、2月8日まで。
 チケット好評発売中!!!

      ※      ※

 新年ってことで、1/4~1/9まで、テレビでいうところのお正月特番的に“未来へのメール”なんぞで遊んでみましたが、昨年末の『未来からのメール、過去からのメール』から連動していたりもした企画でした
 ので。明日からは過去時制のシリーズをお届けする・・・あくまで予定です。



 
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充実の三連休

2009年01月12日 | 東演
読者諸氏は、この連休をいかが過ごされていますか?

 僕は。。。

 まず10日、劇団の新年会。16:00~18:00。
 於:東演パラータ。
 役者ブログに写真入りで内容あります。

 この日は世田谷区民上演グループ「さぎそう」の本年最初の稽古日でもあり、有志でこちらも新年会(^ー^)
 

昨日は、さぎそうの稽古前に打ち合わせ。
 美術プランの青年座根来嬢と、今回久々に区民グループの舞台監督を務める弊団の南保に、演出の鷲田氏と僕で、主に道具について。

 ここで言う「道具」とは、
 やっぱりノコギリは○○社製がいいよネ。
 うん、切れ味が違うよ!
 的なのじゃなく、大道具(いわゆる舞台セット)と小道具(劇中に出てくる、今回で言えば古代ギリシャの武器だったり水瓶など)に関する話し合い。

 その後稽古。
 途中劇団にも顔出し
 『萩家』もチェック。
 チャリで五分もないので便利。

 そして今日は、劇団東演P.I.C4『萩家の三姉妹』と、さぎそう『女の平和』の、それぞれ衣裳打ち合わせがある。
 
 どちらもプランナーは竹内嬢。
 今や東演になくてはならない若手の衣裳さんだ。

 。。。てなわけで飲んで食べて語りその内容は芝居づくめの、何とも充実の72時間でした。

 本音を言えば、迷子になって、石神井公園に舞い降りた(?)白鳥一家を見に行きたかったりもしたんだけどネ(^_^;)

 ではボチボチ、さぎそうの稽古場へ移動ダ。
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未来へのメール~2059年の東演へ

2009年01月09日 | 東演
 【このブログは昨日同様フィクションであり
  登場する人物・団体等はオオムネ架空のものです。
  何の根拠もありゃしません。
  でも夢はいっぱい詰まってます

 100周年おめでとう
 と同時に、東演が誕生して一世紀を迎える、歴史的瞬間に生きて立ち会おうとは思ってもみませんでした。

 ま、最近は制作のスミス・ヘンデルスン・勅使瓦くんに、一番前の席を取ってもらっても、あまり見えないし聞こえない。

 いや聞こえてはいるが意味が解らない。
 特に若手のニッポン語は、まぁ今更ながらの国境レスで、致し方ないのだが。

 そのへんはべテランの飯田光あたりにしっかり指導して欲しいものダ。
 ヒカルも74歳になるというが、ちょうど今から半世紀前の、東演創立50周年記念の『どん底』に出演した笹山栄一師が、九州全県を巡り、さらに本多劇場での凱旋公演した時、確か今のヒカルより4~5歳は上だったはず。
 2ヶ月以上のツアーを、楽勝でこなしておられたゾ。

 MX大河で準主役を務め、今や東演の看板といえる桜井勘衛門Minerva程度には、せめてニッポン語を語れないと役者とは言えまい。

 そうそう、MX大河といえば、昔は、NNHKの前身のNHKで日曜日の夜に放送していたのダと若手に話して笑われた。
「それ、アナログの時代でしょ」と。
 
 近頃の若手は《訪古知新》など知らぬのだろうナ。
 これだって、《温故知新》だと意味がワカラネーって連中が増え「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」だったらいっそ解りやすく、と屁理屈を……

 こちゃいかん。ちゅいちゅい年寄りじみた・・・
 あれ? 今風に「コチャ」とか「チュイチュイ」を使ってしまった。
 聞かれたら、笹山師に怒られる

 私が93歳で、ここ「パラータIKS」にいるのも驚きだが、まさか創立メンバーの笹山師が、128歳でお元気とは。。。

 思えば2009年(古いことは良く覚えている)、50周年を機に当時世田谷区代田(現ディストリクト-Sud@代田)にあった「東演パラータ」を改装

 これをきっかけに利用者が少しずつ増え、2018年の「公☆民芸術協同法」で、豊島区池袋-杉並区高円寺-世田谷区下北沢(すべて当時の名称)の3カ所に新たに開場。
 3つの区と親密な関係を歩み築きながら、それは劇団として何度目かの隆盛期となった。

 数年前の“TOKYO新構築の詔”発布に伴い、東京23区は、Central、Nord、Sud、3つのディストリクトになったことは子供でも知っているが、これを契機に、
これまでの実績とそれに付随する少々の蓄えによって、個性の異なる「パラータIKSつつじ」「パラータIKSさざんか」「パラータIKSさぎそう」を集約することになった。
 
 こうして、エコに特化した藁葺高床式の「パラータISK」が、北沢総合支所跡地に堂々完成したのが、昨年9月20日。
 地上60Mの芸術の塔は、東演の長い歴史で初の女性代表となった山田珠真子師の、奇しくも誕生日だった。

 大・中・小の劇場と6つの稽古場にオフィス。
 学校法人になって久しい「演劇工房」は来年、いよいよU-3クラスとO-90クラスを新設する。さらには東演の歴史を中心に日本新劇や世界の演劇まで網羅したアーカイブ。世界各地から観劇にいらっしゃる方々の宿泊施設(僅か120室ですが…)と、それとは完全分離された劇団員の住居エリアまである「パラータIKS」。

 この新しい城で、100周年を祝える喜びは大きい。

 光陰矢のごとし。 
 だが、まだ「宇宙公演」の実現には時間がかかりそうで、さすがにそれを目にはできないだろうな~。

 と同時に、屋上にプレハブを建て「制作部」が使っていた、1970~2008年頃も、それはそれで妙に懐かしいものじゃわい。

 確かにアナログの時代ではあったが・・・。

 (劇団東演100周年記念誌より転載?!)
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未来へのメール~2014年の東演へ

2009年01月08日 | 東演
 2014年の東演の皆さん、
 2009年の東演・制作の高橋です。

【このブログはフィクションであり
 登場する人物・団体等は
 オオムネ架空のものです。
 過去の話は史実ですが、未来に関しては
 何の根拠もありゃしません】

 創立55周年おめでとう!
 昨年の、3度目の訪中公演も無事終了!
 今年のロシア-エジプト-ブラジルの3大陸横断公演にも大きな期待を寄せています。

 さて。『浄瑠璃の庭』中国6都市公演は、珍道中だったとのこと。

 02年は上海-武漢と長江を遡り、広州へ。
 中華人民共和国の下半分を巡った三週間でした。
 作品も、このツアーにふさわしく『長江-乗合い船』と、初チャイナらしく『そして、あなたに逢えた』の二本立て。

 07年は北の大連-長春から、北京-武漢-上海と南下。
 そうそう、あれは北京五輪の前年でした。
 北島が「何も言えねえ!」と泣き、上野が413球を投げきった、あのオリンピックの期待に湧く中国に丸々1ヶ月の、けれども弾丸のようなツアーでした。

 我々は日中国交正常化35周年記念公演のカンパニーのひとつであり、その中で唯一「第8回中国芸術祭」に招聘されたのでした。
 3年に一度、全中国の芸術の最高峰が結集する「中国芸術祭」に、ブロードウェイの『42番街』らとともに招かれる栄誉に浴しました。

 あれから5年・・・。
 
 武漢では「今度はここで公演しよう!」と誓った、中国でも屈指の劇場のひとつ、琴台劇院のステージに立つことが出来ました。
 あの現代の技術の粋を集めた舞台と、手作り感満点の「麓文弥節人形浄瑠璃」のコラボレート、非常に面白い趣でした。

 また川崎市と姉妹都市である瀋陽には、多忙の中、同行いただいた川崎市長が、レセプションで頼んでもないのにブレイクダンスを踊られた姿、新聞各紙に大きく載ったのには参りましたネ。

 瀋陽は「満州」だった時代、多くの日本人が在留した地でもあります。
 今度は『紅い荒野に洗濯機』を持って、訪れたいものです。
 
 とにもかくにも、今年の『どん底』3大陸ツアーは、2ヶ月に及ぶ長丁場(正確には58日)。
 くれぐれも健康には気をつけて。
 なんたって、地球のてっぺんの方から、赤道付近、そしてお尻の・・・まあ、これは地球儀的にであって、実際はどっちがアタマでケツか知らないけどネ。

 あ。宇宙規模で考えれば・・・創立100周年は「宇宙公演」と行きたいところですね(笑)

 
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未来へのメール~32日後の東演へ

2009年01月07日 | 東演
 拝啓 今日から32日のちの東演へ。

 P.I.C-4『萩家の三姉妹』(作/永井愛、演出/篠本賢一)は千秋楽を迎えていますネ。

 さて。今日で4日経ちますが「第85回東京箱根間往復大学駅伝競走」で、歓喜の胴上げの代わりに、長距離部員56人が一列に並び頭を下げた東洋大学の姿の感動はまだ薄れることがありません。

 あんな清々しいシーンが『萩家』ラストステージのカーテンコールにも訪れていることを確信しています。

 1933年の初出場から77年。出場67回目にしてようやくなしえた総合優勝は、史上最も遅い記録だそうです。
 早稲田・竹沢、東海・佐藤、山学・モグス、日大・ダニエルといった大砲を擁するチームを向こうに回し、総合力で勝ち得た栄冠

 思えば弊団も“文俳民”と呼ばれる新劇の大劇団が次々とスターを生み出す中、地味ながら着実に、アンサンブルの妙で歴史を重ね“創立半世紀”に辿り着きました。
 そして、これからも歩み続けます

 1~3区を最上級生で回し、期待の新入生2人に繋いだ往路は、予想外の大逆転でトップで芦ノ湖に駆け上がった東洋大。
 復路は大きな勝負に打って出て、チームを引っ張って来た主将の大西(一)を当日のエントリー変更で外すなど、5区に4人の2年生を配するオーダーがドンぴしゃり!

 『萩家』も若手を大いに重用したキャストで臨んだわけですが、この公演の成功に止まらず“これからの東演”に繋がる「自信」を手にいれて、打ち上げの美酒に酔っているのが目に浮かびます。


 また。鉄紺のビッグランは、東洋大が04年の中越地震後、山古志の被災者支援に延べ約4000人の学生ボランティアを派遣したこと、昨年8月には長距離部が強化合宿地にした縁から「恩返しに」と住民の一部が応援に駆けつけた、心温まるエピソードを伝えもしました。
 不祥事により、集団応援の制限などがあった逆風のチームは、沿道からの野次も覚悟の「スタートラインに立てる感謝の気持ち」で、ただ前を向いて走ったと各メディアが伝えているけれど、そんなランナー達を後押ししたのは、山古志の人々たちばかりでなく、すべて温かい声援でした。

 振り返れば東演も、多くの人々に支えられて130本の本公演、30本以上の自主公演や研究公演、その他全国各地、時には海外でも・・・演劇創造を続けて来られました。  
 そして、この『萩家』でも・・・。

 そうそう。今年の箱根は第85回の記念大会。
 奇しくも今年、東演もメモリアルイヤー

 その第一弾『萩家の三姉妹』。。。“山の神童”柏原が、佐藤監督代行の指示を「シカト」してトップスピードで突っ込んだように、この後に続く『イカロス』『どん底』へ弾みをつける快走だったと信じて、こちらは荒立ち稽古に入っています。
 ちょうど湯本あたりからの、本格的な登りと言える時期です。

 これから先、永井愛さんの手恐い戯曲にも、大平台のヘアピンや最高到達点からの一気の下りのような難所が出てくることだろうけれど、ゴール目指してひた走ります。

 末筆ながら、そちらは2月8日。
 益々寒さが厳しい折につき、ご自愛くださいませ。敬具。

 千秋楽から約46000分前の制作担当より

 追伸
 今日も飯田光を織り込むことができませんでした。
 でも、大丈夫。
 このシリーズはまだ続くのです
 
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未来へのメール~1ケ月後の東演へ

2009年01月04日 | 東演
新しい年が始まりました
 
東演にとっては50周年の記念の年

 そして今年は、昨日3日から早くも始動しました
 P.I.C-4『萩家の三姉妹』が来月3日初日を迎えます。
 【以上、前書き。
 以下表題通りのブログ】

 
 前略
 篠さんの熱い演出で練り上げられた舞台はどんな評判ですか?

 12月、約2週間をテーブル稽古で、丁寧にじっくりと作品と向き合ったあと、年明けの、明日5日からいよいよ立ち稽古に入る『萩家の三姉妹』。
 そうそう
 昨日、箱根駅伝の復路があって、我が母校の東洋大が悲願の初優勝に輝きました。

 ランナー一人ひとりの一歩一歩をつないでの、そして襷を掛けなかった多くの部員やスタッフすべての力で切ったゴールテープであったのだけれど・・・。
 
 やはり、スーパールーキー柏原竜二の爆走が大きかったことは言うまでもありません。

 そして、この『萩家』には08年4月入団の、いわば柏原の同期となる。。。東さわ子、小川由樹枝、野二紗子。。。の劇団期待の新鋭が3人もいる。
 この女優達は、彼に負けない走りをしただろうか?

 あるいは、また。
 復路を走った5人のうち2年生4人(6区富永光、8区千葉優、9区大津翔吾、10区 高見諒)が、若い走りで、往路優勝の貯金を守って総合優勝に貢献したが。

 入団10年以内の若手。。。姶良勇一(4年)、江上梨乃、原野寛之(ともに7年)、星野真広、安田扶二子(ともに9年)。。。は、何度抜かれても抜き返す粘りで、パラータの舞台で台詞のタスキリレーを見事に展開しただろうか?

 さらには。
 日大3年のギタウ・ダニエルが“花の2区”で見せた20人抜きのように、上級生の岸並万里子(1991年入団)、能登剛(1993年入団)は、駅伝の醍醐味=ゴボウ抜きのような“演劇の醍醐味”をパラータに謳いあげたろうか?

 北京五輪代表の竹澤健介(早大4年/主将)は、さすが世界レベルの走りで、ライバルを寄せ付けず、貫禄の区間新を樹立し、いよいよ本格的に、日の丸を背負っての闘いに踏み出すが。

 『萩家』唯一のベテラン山田珠真子も国際女優の力で芝居を締めてくれたことは間違いないだろう。
 若き日、1965年の第二次新劇訪中団(滝沢修団長)に参加したのを皮切りに積んだキャリアは、東演単独での2度の訪中公演(02年と07年)で劇団代表として座を率いる結実に至る。
 特に『長江~乗合い船』での方先生役で中国の観衆からも浴びた喝采は今も耳に残っている。

 おそらくパラータに集まった観客も、『萩家』に大いに満足して、駅までの道程で会話が弾んでいることだろう・・・。
 あるいは、ジェンダーについて、夫婦のあり方について…深く語っていることだろう・・・。

 残りのステージも、体調を気遣って、さらに良い作品にしてください。
 匆々

 『萩家の三姉妹』制作担当・高橋俊也

 【以下、補注】
 文中に、実は『萩家』出演の12人中11人の名前があり。
 つまりは一人=飯田光の名前がないのダ。
 うまく文中にハマり込まなかったのです
 決して、忘れたとか、嫌いとかではありません。
 「未来へのメール」シリーズで必ず登場させますのでご期待(?)ください。

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