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キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

2013-09-07 | 映画(あ行)

■「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(2013年・日本)

監督=長井龍雪
声の出演=入野自由 茅野愛衣 戸松遥 櫻井孝宏

 テレビアニメーションの劇場版は所詮ファンサービスである。テレビシリーズを見ていないと劇場版のストーリーについていけず、単独の映画として成立できているかと言われれば、"違う"と思える作品が圧倒的に多い。それは仕方がないこと。しかしだ。日本の映画館で常に上映されている、単に続きを見せたいだけの安易なテレビドラマの劇場版と同じにしてはならない。多くの「劇場版」と題されたアニメは、作品のファンにとっての"イベント"なのだ。そこが大きく違う。

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」はフジテレビの深夜アニメ枠"ノイタミナ"で放送された。小学生のときの仲良しグループが、一人の少女の死をきっかけにバラバラになる。その出来事にそれぞれが個人的な思いや痛みを抱えて成長していく。ある日、主人公の元に死んだ少女が幽霊として現れる。彼にしかその存在は見えない。彼女は「願いを叶えて欲しい」と言う。主人公は迷いながらもかつての仲間と再会することになる。テレビシリーズは、毎回メンバー誰かがずっと抱えてきた悩みや死んだ少女への思いを口にし、涙なくして見られない。でもそれはいわゆる"お涙ちょうだい"なお話ではない。

 今の映画宣伝はやたらと"泣ける"ことを"売り"にしたがる(さもなければ賞などの権威を"売り"にしたがる)。泣けるかどうかは見る側個人の問題であって、宣伝でそれを訴えることは"泣けないあなたは間違っている"と脅迫しているようなもの。商品である映画の中身をどうして訴えることをしないのか。「あの花」もご多分にもれず、"泣ける"と世間では評判だ。しかし、この劇場版の"泣ける"はそんじょそこらの映画やドラマとは違う。「あの花」を観て流す涙は、登場人物たちの言動によって、過去の自分に向かい合う痛みがある。そういう意味では、昨年の話題作「桐島、部活やめるってよ」を観ていて感じる"痛み"に近い。観客ひとりひとりも、いつしか超平和バスターズのメンバーとして共感できる。こんなストーリーがアニメとして受け入れられるのは難しいのでは、という声も実際にあったと聞く。しかし、アニメであったからこそファンタジーな部分をすんなり受け入れることができたし、幽霊として現れた少女めんまが、姿だけは成長し少女のままでいる設定も無理なく表現されていると思うのだ。

 この劇場版は、テレビの最終回の1年後の物語。5人のメンバーが、めんまへの思いを込めて書いた手紙を持ち寄り、再び集まるという話だ。テレビシリーズの断片が散りばめられ、エンディングテーマだったsecret base ~君がくれたものが流れた瞬間に、銀幕のこっちでは涙がこらえきれなくなる。新たに加えられたシーンにはひとりひとりが抱えた思いが描かれ、台詞として語られる。観ている僕らも切なくて、でも嬉しくて。そう、これは観客もバスターズのひとりとしてめんまを弔うイベントそのものなのだ。夏の終わりの8月31日に封切られたこの劇場版。「また会えたね」という喜びこそが、再び僕らの涙となる。日常のもやもやした気持ちを抱えた僕らは、涙腺からその汚れたものを洗い流してもらったような気持ちで、映画館を後にできるのだ。この劇場版のポスターやチラシには、"泣ける"とも"涙"の文字もない。それでも世間が"泣ける"と言うのは、映画宣伝お仕着せの感動ではなく、作品が愛されている証なのだ。




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