Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

リベンジ富士登山! 4日目 河口湖と周辺神社めぐり

2014-09-15 23:31:04 | Travel
富士山を巡る旅、4日目は午後から帰路につくのですが、
午前中はせっかくだから河口湖を軽く見てまわろうかなと。

もうすっかり山時間で目が覚めてしまうわたくしは
日の出時間に合わせて朝のお散歩


太陽が当たって頂上付近がほんのり赤らむ富士山。


ホテルで朝ごはんと食べて、
さっそく周遊観光バスにて河口湖まで。


逆さ富士で有名なポイントなんですが、
富士山すっぽり雲隠れ

残念ですがしょうがないので、
2つ目の目的地、河口浅間神社へてくてくと歩きました。




富士山麓で最古の神社。

貞観6年(864年)に富士山の大噴火が起こり、
かつて富士山の北麓で東西にわたって広大な面積を有していた大湖、「せの海」が、
おびただしい量の溶岩流によって大部分埋まってしまいました。
その噴火をおさめるために建立された神社です。

この時の噴火で埋まってしまったところは現在青木ヶ原となっており、
富士五湖に名を連ねる西湖と精進湖は、「せの海」の一部が埋まらずに残ったものなのだそうです。

富士山信仰の拠点として歴史が古く、
周辺に、最盛期には140軒もの御師が活躍していたとのことです。


河口浅間神社には県指定の天然記念物、七本杉があります。









いずれも樹齢1,200年以上だそうです。




さて、あんまり時間がない中、周遊バスと徒歩でもう1か所行きました。


湖畔をやや駆け足で・・・・


たどり着きましたのは、

富士御室浅間神社。






本宮。
富士山の山内には多くの社が祀られていますがその中で最古の社でしたが
こちらに移されました。

699年に藤原義忠公が霊山富士二合目へ奉斉したのが始まり。
噴火のための数次にわたる炎上と自然条件厳しい場所のための不朽が激しく、
その度皇室及び甲斐武田家をはじめとした
有力な武将等により再興が重ねられてたそうです。
現在の建物は、
1612年(慶長17年)に徳川家の臣で
当時当地方の領主鳥居成次が造営しその後4回の大改修を経たものを、
永久保存のため昭和49年に現在地へ遷祀したものなのだそうです。



里宮。
958年(天徳2年)、まだ本宮が富士山2合目にあった頃、
村上天皇が崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため現在の場所へ建立したのだそうです。



参道。



さっき入ったところは裏門で、こっちが表の入り口でした



河口湖、鵜の島。


ものすごい駆け足でしたが、
河口湖周辺にある世界遺産構成資産を見てまわりました。



周遊観光バスにて河口湖駅に戻りました。

お土産を買ったり、
最後のひとときを満喫・・・・。

締めはコレ

富士山ソフト!
下の青い部分は青いバラの風味だそうで、
とってもおいしかったです!

最後に富士山ちらっと顔出してくれないかなーと思ったんだけど、
隠れたまんまでした

まあいいか。

さて、帰りましょう。


ありがとう、富士山。
具合悪くなったけど、
それ以上に素晴らしい体験がてんこ盛りの4日間でした。

また登るかはわからないけど、
また来ます!


おわり。


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