羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

新聞の投書

2013年04月08日 | Weblog
ある朝、電話が鳴った。
電話はたいていお墓はありますか?とか外壁を塗り替えませんか?と
いうのが多い。「もしもし」というすこし年配の女性の声がした。
わたしの名前を確認し「八木です」と仰った。
瞬時にパッとそのお名前を思い出した。
おわかりになりますか?と聞かれた。はい、覚えています、と答えた。

たくさんのことをものすごく忘れる。
それなのにそのお名前、たった一度頂いた電話のこと、20年のときが
あっというまに甦った。

彼女は朝日新聞の家庭欄に「自分の腎臓を移植した娘が出産した喜び」を
投書されていた。
わたしは長女の病気について何も分らずただ不安でよく泣いていた。
そのときその投書を読み、「移植」という選択、さらには出産という希望、
何も諦めることなく前向きに進んでいけばよい、という事を知って嬉しく、
記事を切り抜くとともに手紙を書いたことを記憶している。

若い母親だったわたしに50代だった八木さんは電話をくれて、
励ましてくれた。
今回、身辺整理をされていて記事や手紙がでてきて懐かしく、
電話をしていただいたとのことだった。そう、あれから20年。

どうされていますか?と聞いていただいたので娘は結婚して元気ですと伝えた。
こちらもいろいろありました、と電話の向こう。
いろいろありました、わたしも、、。そうですよね、20年です。
実は娘は交通事故に遭いました、という事を正直に伝えると息を呑む気配があった。
後遺症もあります、でも今は元気で旅行にばかり行ってます、、。
そうですか、とお互いのことをポツポツと話した。
あのときお生まれになったお孫さんは大学生だそうだ。

気にかけていただき、電話をかけていただいて本当に有り難いと思った。
泣いてばかりいる母だったわたしはやがて「行動する母」になった。
頭痛薬を飲みながら、そして周りに助けられながら。。。
「食事療法をする患者のためにすべての食品に栄養表示を」と新聞に投書を
したこともあった。投書には少なくない反響があった。
そして今度はわたしが、病気の子どもを抱えるお母さんを励ます立ち場になったりした。

新聞は侮れない。こうして誰かがちょっと元気になりつよくもなり、
縁も生まれる。

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