羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

傷だらけのあたしたち

2013年03月22日 | Weblog

先日、朝日新聞夕刊に伊藤比呂美さん「閉経記」の書評が載っていた。
伊籐さんは同世代のカッコイイ女性で有名な詩人ながら親近感がある。
いつだったか近代文学館ですごいメンバーの朗読会があったときに、
伊藤さんの自作の朗読を聴く機会があったが素晴らしかった。
長いたっぷりとしたスカートもよく似合っていた。
介護のためにカリフォルニアから熊本へ通っていらした頃だと思う。

朝日の記事のなかにこういう一文があって胸が苦しくなるほど感嘆した。
「不幸の種があれば、指でほじくり返す。かさぶたをはがしていくと詩のもとがある。
書いているうちに、現実のつらさや苦しさを忘れる。ずっと自分の体の声に耳を澄ませてきた」


そうだったんだ。何となく思いながらもうまく表現できなかった思いがここに書いてあった。

「働きたいし、家庭も持ちたい、育児もしたい。何でも欲しいしやりたい。
それが、私たち世代の女」。あれもこれもと求めて戦い続けた。
中心にあるのは自分の体、――〈あたしたちは満身創痍だ〉


そうだよね。あたしたちは満身創痍。闘い続けて傷だらけ。
子育てに奮闘し、仕事でくたくたになり、更年期を迎え、親の介護に疲れている。
でもわたしたちには「言葉」がある。書く言葉、読む言葉、呼びかける言葉。

闘いつかれた傷をみつめて詩を書いていく。
それが拙い詩でも、詩にもなれなかった言葉たちでも、「よし、がんばってきたね」と
思えることでまたどうにかやっていくんだと思う。
からだの声に耳を澄ませて、ひっそりと夜を過ごす。