羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

捨てないでほしい

2011年10月05日 | Weblog
すこし前「全部捨てる」のところで母がいろいろゴミ化してしまう事を
書いたがいちばん衝撃的だったのは電話がゴミ袋に入っていたことだ。
子機がていねいに赤マジックで「使えない」と大書されて
間違いなく不燃物の袋に入っていた。
ゴミの分別は難しく、プラスチック、不燃物、ビン、缶、燃物、、等など、
有料袋に入れるものもあるし、入れなくてもよいものもあり
収集日ももちろん高齢者には難解なので、わたしが出していたほうがラクだったかもしれない。
でも母がじぶんで出来ることは自分でしたい意向だし尊重したい。
最初は何もかもゴチャゴチャで、仕分けするのにイライラすることもあったと思う。
(そういうのは声にださなくても態度でわかるから母は感じとるのだ)
やがて母がうまく分けてくれることも多くなりわたしも一覧表を作成した。

そしてイライラしないコツは例え間違って出していても仕方がない、と思うのだ。
外の違う場所に出されると面倒なので「玄関に置いておいてね」という。
それで混入を未然に防げる。しかし早起きの母がさっさと外に出してしまう事もある。
そのときは自分のゴミを出しながらチェックすればよい。
ところが、せっかく仕分けしてバケツ内で行儀よく待っているゴミを
母がわざわざ引っ張り出してる事がよくある。
何をしているのかというと新たに追加したり「仕分け方」を眺めたり?しているようだ。
早く収集車がくれば良いのに、とそれもやはりイライラしそうになる、が、
最近はもういいや、と思うことにした。そこまでは追跡できない。
収集されない物があったら置いていくだろうからその時考えればいい、と
思えるようになった。

そして最近は「玄関に置いておいてね」という約束は忘れ去られている。
今朝もプラスチックが有料袋に入っていたけれど、
ゴミ車は持っていってくれた。(今日は不燃物・・有料・・の日だからそれも
混ざっていたのかも)

でも「まあいいや」とウッカリしていると時々驚くことがある。
子機は充電しなければ反応しないから使えないと思ったらしいが、
母は何故かコンセントを抜くのが好きなのでそこに原因があった。
大事な何か、はこうしている今もゴミ袋に入れられているかもしれない。
日々何かしら「小さな事件」は起きる、が張り付いて見ている訳にもいかない。
昨日も「三度目のトイレ事件」があった。

そういえば昨日、「三鷹・認知症家族の会」というのに行ってみた。
こういう会や似たような集まりがあるのは知っていたが躊躇していた。
誰かに聞いて欲しい、と思うことはもちろんある。
でもうまく伝わるかどうかわからないし、切実な助言を求めている訳じゃない。
100人いれば100通りの認知症患者と介護者がいるのだと思う。
対応の仕方や先輩の話が聞けると思って行ってみた。
たしかに聞けた、のかもしれないけど。ちょっと違うかな。
あ、でもわたしがいちばん若年者だったみたい。

難しいよね。
思ってること感じてること状況やこれまでや環境やすべて、、、。
「ひとりで抱え込まないで」とか「息抜きをして」ってよく言われるけど、
それほど四苦八苦して「看護」や「介護」してるとは思わない。
でもやっぱりカンペキに離れられたらラクだ、と思う。
一日やそこらではなくて。。最低でも2、3日。。やっぱりそう思うのはこの日々に負担を
感じているからで負担の感じ方だって人それぞれ違うんだと思う。
「ラクに思える」考え方や捉え方を身につけたい。

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