羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

「星がきれいだよ」

2011年02月04日 | Weblog
先生が亡くなった、という事実をどうしても受け入れることが出来なかった。
どうしても信じられない、と呟いたら「私もそうよ」と奥さまがおっしゃった。
今日は、ようやく先生のお墓参りに行くことができた。


先生と出会ったとき、わたしは13歳だった。
現国の授業に現れた先生はいきなり黒板に風船の絵を描いた。
先生はお名前とその飄々とした雰囲気から「フーセン」と呼ばれていた。

わたしが思春期突入した中学生だった頃、いちばんなついていた先生。
そしてわたしが書いた詩や感想文を次々とどこかに応募郵送してくれた。
「入選したよ」と笑顔で先生に言われるのが嬉しかった。
朝礼で表彰されるのはなるべくやめてもらったけど、、。
そう、先生がわたしにとって「書くこと、それを発表すること」の出発点。
「読んでくれるひとがいる」という原動力。
父親には反発していた娘だったが、学校には先生がいてくれた。

けれど月日は瞬く間に過ぎた。
何十年もの空白のあとまた詩作を始めたとき、真っ先に思い出したのは
先生のことだった。
再会して御礼を言いたい、手がかりを探して何年も過ぎ、ある日、
ミニコミ誌に中学の同窓会の記事を見つけた。
その編集部に連絡して、投稿者を教えてもらい、そこからさらに人伝に、
ようやく先生の現住所がわかった時には本当に嬉しかった。
すぐに手紙を書き、届いたその日に先生は電話を下さった。

何度も手紙が行き交い、ようやくわたしは先生に再会した。
奥さまがたくさんのお料理を作って待っていてくださった。
あの日、帰りのバス停まで送っていただき、
バスに乗ったわたしをいつまでも見送ってくれていた事を思い出す。
むかしと変わらないひょろりとした長身、優しい笑顔。
何十年もの歳月が流れたとは思えないほど、若々しい印象だった。

健脚で活動範囲も広く、そのお話も楽しかった。
不慮の死を遂げる数日前にはパスポートを更新されたらしい、10年。
海外や国内の山行きの予定がすでに四つあったという。

その日も、山梨にハイキングに行くからと奥さまを誘ったとのこと。
絵本の講演会があるからと、迷いつつも同行しなかった。
いつも、玄関先で「行ってらっしゃい」といってそこの角を曲がるまで
見送っていたという。
その日は夜明け前に出発したので「星がきれいだよ」と言われ、
外まで出て、空を見上げているうちに早足の先生はもう角を曲がって、
姿が見えなかったという。だから、それが最後に聞いた言葉だったと・・・。

お墓の前で手を合わせていると「おお、来たのか」という先生の声が
聞こえてくるようだった。
帰りには奥さまと美術館に寄った。
わたしたちを見守るように春の日差しがすみずみまで輝いていた。
先生が用意してくださった時間なんだ、、、と思ってゆっくりと歩いた。

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