何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

コレステロールに薬はいらない!

2008-07-30 22:52:56 | Book Reviews
「コレステロールに薬はいらない!」 浜六郎・著、角川oneテーマ21、2006年9月10日
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JR西日本が取り組むサービス

2008-07-29 22:48:04 | JR西に学べ
売り上げ以上にサービス重視 城崎温泉駅 7月29日11時19分配信 産経新聞

笑顔、心配り、明るさ-。JR西日本福知山支社(京都府福知山市)が、管内の主力駅である城崎温泉駅(兵庫県豊岡市)の運営を、従来の売り上げ目標重視からサービス重視に転換した。「快適なサービスを提供することが利用増につながる」という、JR西管内でも初めての取り組み。8月4日からは、駅員が浴衣姿で業務にあたり、夏の温泉情緒演出に一役買う。

 同支社は京都、兵庫県北部の71駅(無人駅を含む)が営業エリアで、全国的に知られる城崎温泉の城崎温泉駅は主力駅。近年は年間の利用者が延べ約74万人(平成19年度)前後で推移しているが、典型的な観光駅だけに駅員の営業努力は雪や雨などの気象変化に左右され、年間の営業目標が立てにくかった。

 管内の各駅は、売り上げとサービス、安全の面で総合評価されているが、昨年度から同駅の方向性を検討。「駅の特性をきちんと見つめ、安全はもちろんだが、サービス重視にすることが最適」(植村貢・営業課長代理)と、今年4月から売り上げ目標を外した。

 独自の営業方針は、駅員の接客態度や設備面の改善などについて、利用者アンケートで「満足度」を数値化し、5段階評価する。

 サービス重視になったことで当初、平岡英志駅長ら駅員9人も「何から始めたらいいのか」という戸惑いもあったが、駅舎内を明るくしたり、案内表示を分かりやすくするなど工夫を重ねた。また季節感を大切にして、今夏はすだれや風鈴などで涼感を演出した。

 取り組みの中で駅員の意識も変わり、「駅の案内アナウンスのスピードを聞き取りやすいようにもっとゆっくり」「笑顔を忘れず、心のこもった対応をする」など、利用者の満足度を高める意見やアイデアが積極的に出るようになったという。

 平岡駅長は「駅は地域の“玄関口”として、利用者に好印象を持ってもらい、リピーターが増えるよう努力します」と話している。


 サービス向上を進める、売上げよりサービスを優先する、一見良いことのように見える。売上げは結果だ。どのくらい結果が出たかを活動の目標としているより、顧客に評価してもらえるような取り組みに活動をシフトするのは正しいと思われる。

 しかし気になることがある。JR西日本の体質は福知山線の事故によって衆目の知るところとなった。顧客が求めているのは、早さというサービスよりも安全輸送なのだ。安全思想あって、サービス向上が生きてくる。

 安全はもはや大前提であって、それは十分果たされている、改善されている、というのだろうか。それはそれ、サービスはサービスだということだろうか。JR西日本がアピールすべきは、観光地や旅行先の心地よさや楽しさではなく、安全性を改善したことであるはずだ。それが払拭できないうちは、旅案内は控えておくくらいでちょうどよいのではないのだろうか。

 安全体質が理解されれば、いよいよ温泉情報も紅葉も、さらに魅力的に映るだろう。

 城崎温泉周辺のJRの駅員がサービスに取り組むのは、特別のことではなくて、これからのJR西日本の職員の取り組みとして、過去にはなかったことなのにやって当然のこととして受け止められるのではないか(社員には酷かもしれないが)。それが新鮮に見えても、当然のことと思われるのではないか。

 JRが素晴らしいから旅行するのではなくて、観光地が呼ぶからJRを使うのではないかと思う。マイカーよりJRと思われるよう、変革を期待したい。
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石橋を叩けば渡れない

2008-07-29 22:14:42 | Book Reviews
「石橋を叩けば渡れない」 西堀栄三郎・著、生産性出版、1999年3月30日

p.19 知識を得ることが科学である、としますと、その知識を、何かの目的に使うことが技術なのです。われわれの役に立つ、自分の生活が豊かになる、あるいは危険が減るとかいうことは、みんな技術を通じてのみできることなのです。

p.86 もとの個性というものは変えられないのですからそのままにしておいて、その代わりに短所になってあらわれているあらわれ方だけを、長所にふりかえるようにするしかないのです。
 欠点を直すと個性まで直してしまいますから、個性のあらわれ方だけを直したらいいのです。

p.92 (目的達成のための)手段方法についてのみ、考える余地を与える。しかも、それをある制限のもとに与える。そこで考える自由の度合いが問題になってきます。与えられた人は、与えられた自由の度合いの分だけ、責任を感じ、その責任をとった分だけ、意欲を感じる。意欲を持てば、その人はそれだけ能力が増してくる。能力を増すことによって、向上心という人間の本来持っている人間らしさというものを満足させることができる。

p.94・97 仕事をしていても、命令により行っているのと、自主的に行っているのとではその中身が全く異なる。
 片一方はやらされていると思うから疲れるので、もう一方は自分でやっていると思うから、ちっとも疲れない。それどころか疲れが直る。つまり自発的にやるというところに、非常な意義があるわけです。

p.105 人が人を使うという考え方は捨てなければならない、といいましたが、これは、リーダーがほかの人を使ってやってるんだということではない。みんなが一緒に共同の目的を果たしましょうぜ、ということなのです。

p.117-8 上役だけが人間で、下役は牛か馬だから、お前たちは何も考えなくてもいいのだ、おれのいうとおりにすればいいのだ、というふうにもしやったとするならば、下役はこの創造性のはけ口を、どこかに探すに決まっています。
 下役は、創造性を仕事のうえで発揮しないまでも、レジャーで発揮したっていいじゃないか、という人があります。その人は、仕事の報酬、つまり給料というものを、我慢をして仕事をするから、その償いとしてもらっているのだという考え方をしているのではないでしょうか。つまり、仕事というものはおもしろくないものだ、いわれるとおりに動いていればいいんだと、そういうことになってくるわけです。この考え方は全然まちがっていると思います。

p.119 働きたい、考えたい、喜ばれたい、人間性はこういうところにあります。これを生かしてやれば、意欲というものはますます強くなっていきます。それを手足をくくってしまって自由を与えないでおいて、そして責任を果たせ、責任をとれといっているのは、いいことではないのです。

p.124 会社の経営に、人間性をいささかでも無視するようなポリシーがとられるならば、その会社は間もなくつぶれるでしょう。

p.129 まず古いものをこわしてから新しいものを作ろう、という考え方をする人がいますが、私はそうではなしに、新しいものを作ったら、自然と古いものはなくなっていく、という考え方を持っています。

p.139 従来の教育には「教」はあっても「育」がありません。知識を授けるだけのものでした。したがって、「知識」はあっても「智恵」はない、ということになります。知識を「応用する才能」というものは、教えられるものではなく、失敗を恐れずに修業させて、育てるものなのです。
 育てるということは「成功」の味をしめさせ、「失敗」に学ばせることです。

p.143 創造性開発をやるときの、一番大きな方法は何だろうか、という検討をしました。その結果、それは、成功の味をしめさせることが唯一のトレーニングの方法だという結論に達しました。

p.148 創造性というのは、目的そのものにあるのではなく、むしろ、その目的を実現するための手段というものは自由であり、ここに創造性を発揮する余地があります。しかし、目的には自由はありません。これは絶対です。(創造性をふさがれると、仕事を投げてしまうことになりかねない)

p.150-1 創造性には、不満、要求、切迫感から生まれるものと、知識がもとになって生まれてくるものがある。

p.187 自主主義。一方は、やらされていると思わない、一方はやらされていると思わない、つまり「人が人を使う」のではなく、みんなでやりましょう、この「みんなで」という考え方を基本としているのです。

p.188 自由度(その人自身の判断によって行ない得る余地)を持つことによって、その人が創造性を発揮し、それによって自分の責任を感じ、その責任を感じた分だけやる気、意欲が出てくる。

p.205-6 企業の人事部は従業員全員の個性を尊重せず、画一的な扱いをしようとします。仕事の内容を無視して同じ服務規定を押しつけます。画一という一番安易な、平均値的な考えだけですべてを片付けようとするのですから、研究などできるわけがありません。

p.208 人間というものは、仕事をしている中で創造性を反映することができたとき、その仕事に本当に愛着を持つようになるものです。従って、リーダーは目的を十分に納得させ、その遂行ということさえしっかり押さえていれば、そのための手段、方法は部下の創造性にまかせればいいのです。

p.208-9 リーダーが、部下が失敗しても責任は自分が負うんだ、という気持ちでやれば部下は必ず育つものです。反対に、「俺が使ってやっているんだ」という気持ちがある間は、部下は育ちません。


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10倍速く本が読める

2008-07-27 19:40:34 | Book Reviews
「あなたもいままでの10倍速く本が読める」 神田昌典・監修、フォレスト出版、2005年6月2日
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察知力

2008-07-26 21:25:00 | Book Reviews
「察知力」  中村俊輔・著、幻冬舎新書、2008年5月30日

 あることへの到達はゴールではなく、さっそく次の段階に向けてスタートである。

 全く同じ場面(局面)は二度と現れないとはいえ、もし訪れたら次はもっとうまくやろうと反省を積み重ねる。毎日が引き出しを増やすための準備。実践すれば反省。目標を高くすることで、危機感も変動する。

p.17 壁があるほうが僕は落ち着く。どんなに分厚い壁であっても、それから逃げることはない。逃げようという気持ちも起きない。どんなに困難で、たとえ、ぶつかって砕け散ったとしても、“ぶつかった”ことで得るものがあるから。

 準備も充電も計画的に行う。足りないものがあれば補い、間違っていれば修正する。
 危機感から準備が生まれる。悩むことが成長を促す。24時間すべてを今の自分に向けているか。

p.110 新しい環境に馴染む努力をしないのなら、環境を変えた意味がない。たとえそれが修行のような毎日であっても。修行を経たからこそ、成長できるのだ。

p.152 違うタイプの選手から自分にないものを学びたい。いろんなことを吸収しながら、引き出しを増やしつつ、自分のやり方、プレーの質を高めようと考えている。
 トップレベルで戦っている人の多くが、そういう感覚だと思う。他人を妬んでいる人は、伸びない。自分の足りない力を分析せずに、他人を妬んでいても意味がないのだ。


p.165 未来に活かすことができれば、どんな失敗でも「成功」だ。確かに、“その瞬間”“ある時期”は、失敗だったと思うかもしれない。でも、それを次に活かすことができれば失敗にならない。

p.178 大会が終わったときにたくさんの課題を見つけたかった。今まで感じていたことを再確認することもあるだろうが、できれば「新しい課題」を見つけたいと思っていた。これまで気がつかなかった短所を知ることができれば、新しい引き出しを増やせるから。

 ある結果に対して、日頃からやってきたことが、貯えたはずの力が発揮できればよいが、そうでなかった時、わかりきっていたことを反省するのは残念だ。こんなはずじゃなかった、けっしてできないことではなかった、後悔が先に立つ。
 そうではなくて、まだまだ自分に足りないものが見つかって、それを身につけることでさらに上に進めるという、原因の再確認より「新たな発見」を楽しみにしている。
 その引き出しが自分には欠けていた(持ち合わせていなかった)と。どこまでも「原因自分論」のナカシュンだ。
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心がだんだん晴れてくる本

2008-07-24 22:14:09 | 薬害は人災だ
「心がだんだん晴れてくる本」中山庸子・著、新潮文庫、2002年5月1日
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なぜ君は絶望と闘えたのか

2008-07-22 22:52:55 | 心に残ること
【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 なぜ絶望と闘えたのか 産経新聞 2008.7.22(火)08:15

 光市母子殺害事件の遺族、本村洋さん(32)が犯人の死刑判決を勝ち取るまでの9年間は、司法への義憤と自らの死のはざまで揺れる過酷な日々であった。

 その青年の胸に刻まれた言葉は、「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」だったという。天に張る網は粗いが、悪人は漏らさずに捕らえるという老子の言葉である。

 妻子を殺害されながら、なぜ彼は3300日を闘い抜くことができたのか。誰もが抱いていた思いは、おそらくこの言葉の中に隠されているような気がする。

 ジャーナリスト門田隆将氏の新著『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮社)を読み、彼を何度も「闘いの場」に引き戻し、支え続けた人々がいたことを知った。

 世間には人をだまし、訳もなく人を刺し殺す不逞(ふてい)の輩(やから)がいる。それでも門田氏の筆は、いまだ、決然と正義を貫こうとする人々がいることを伝えてくれる。

 絶望との闘いは、むろん本村さんのたぐいまれなる精神力によるところが大きい。テニス好きの彼は、多感な中学時代にネフローゼ症候群を発病し、以来、この難病と闘ってきた。このとき、彼に勇気を吹き込んだのは主治医の佐藤克子医師であったという。

 「あなたは病気と結婚しなさい。それ、覚悟するのよ!」

 幸運だったのは、妻、弥生さんとの出会いだ。「無理かもしれない」と宣告されていた子供を授かったことでもある。それだけに、突然、愛妻と子供を無残に殺された喪失感はいかばかりか。

 その年、平成11年の年が明けると、本村さんは再度のネフローゼ治療を終えて病院を退院し、新日鉄の職場に復帰した。そこに襲った悲劇-。犯人は18歳の配管設備会社の社員だった。

 新たに少年法の壁が立ちはだかる。奥村哲郎刑事は本村さんの心理状態が極限にあることを察知すると、神戸・酒鬼薔薇事件の遺族である土師守さんに彼への励ましの電話を依頼する。2人は内面の葛藤(かっとう)を吐露しあい、被害者無視の司法に怒りを向ける。

 生きる意欲をなくし、上司に辞表を提出したこともあった。しかし上司は「君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる」とそれを許さない。「君は社会人たれ」と辞表は破り捨てられた。

 1審の山口地裁判決で犯人が死刑にならなければ、「命を絶とう」と思い詰めていた。それは「被害者が2人なら無期懲役」という司法の世界にある相場主義への挑戦である。1人であろうと人を殺(あや)めた者が、自分の命で償うのは当然ではないかとの思いだ。異変に気づいた上司がかけつけ、自殺を思いとどまらせている。

 山口地裁の1審判決は、相場観どおり「無期懲役」になった。このとき、本村さんは会見で司法への絶望を語った。しかし、吉池浩嗣検事は「100回負けても、101回目をやる」と目頭を赤くして本村さんらに訴えたという。

 門田氏の報告は日々のニュースが追えない事実の積み重ねで、舌を巻かざるをえない。

 こうして9年の歳月が流れ、ことし4月、最高裁の差し戻し控訴審で死刑判決が下された。判決の翌朝、門田氏は広島拘置所で犯人に面会する。男は「胸のつかえが下りました」と述べ、憑(つ)きものが落ちたようだったという。

 どんなに司法制度が加害者に甘く、大弁護団が加勢しても、本村さんに対する物言わぬ支援者たちは、一貫して「疎にして漏らさず」を支持していた。(ゆあさ ひろし)
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感動の経営

2008-07-22 22:30:59 | Book Reviews
「感動の経営 大事は理、小事は情をもって処す 高原慶一朗・著、ダイヤモンド社、1994年6月9日

p.5 「あらゆる変化は成長と進歩の因子であり、人も企業も、自分の考え方・行動・習慣の中で具体的に変化したぶんだけ新しい価値が生まれる」

p.7 メーカーとして消費者のニーズに合わせた生産技術を、たえず開発していくことが何よりも大切である。

p.7-8 確かな技術力による高品質の商品を適正な価格とタイミングで発売できれば、消費者の変化はさほど怖いものではない。それによって、需要を追いかけるのではなく、消費をリードする主体性を企業が得られるからである。

p.10 「人が協力してくれれば自分は人使いの名人だと思い、商品がたまたまヒットすると商品開発のコツを体得したと思い、資金繰りに困らないとバランスのとれた人間だとうぬぼれた」

p.33 理学博士で第一次南極越冬隊の隊長も務めた西堀栄三郎氏が、創造性(新しい発想やアイデア)の発揮のしかたには二通りあるといっている。
 一つは、「これまでのモノでは不便だ」「こういうものが欲しい」という要求や切実感が、その解決策として新しいアイデアや発想を生むもの。既成のものに対する不満が創造性を促すわけである。
 もう一つは、アイデア先行型。こういうアイデアを思いついたが、これは何に使えるか、どうしたら実現できるかと考えるやり方。
 私は、これに技術力というファクターも加えたい。

p.35 小学生の女の子にお母さんがいった。「学校のベルは授業のはじまりと終わりに鳴るのよ」女の子は首をふった。「ううん。休み時間のはじまりと終わりに鳴るの」
 二人の靴のセールスマンがアフリカの未開の土地に派遣された。一人が本社に連絡を入れた。「まったく見込みはありません。ここでは誰も靴をはいていません」もう一人からも連絡が入った。「絶好のビジネスチャンスです。ここでは誰も靴をはいていません」

p.44 商品を測るものさしが客の実感でなく、つくる側の自己満足であるケースだ。こうした商品は失敗する。それが素晴らしい商品であるかどうかを決めるのは消費者であって、メーカーではないのだ。

p.45 失敗を成功の母体とするには、失敗の原因を「景気が悪いせいだ」「ライバル会社が類似商品を発売したからだ」などと他人に転嫁しないこと。失敗の要因は100%自分の側にある。「物事の原因はすべて自分にあり、改善するには自分の力を向上させる以外にない」と考えることだ(原因自分論)。

p.57-8 慶応大学の井関利明教授は『ライフスタイル全書』の中で、「企業サイドの事情や都合から商品開発をするのでなく、ライフスタイル・アプローチによって消費者の購買意識や購買態度の変化を捉え、潜在的な需要基盤を発見していくべきだ」と述べておられる。

p.75 セールスとは商品を売ることでなく、顧客に利益を売り、自分という人間を売ることである。

p.82 小さいうちならともかく、中堅以上の企業ともなれば企業はやはり社会の公器である。そこには品、といってあいまいなら社会性・公共性が要求される。

p.87 ある商品の市場力、つまり売れるか否かを決定するのは、品質、価格、(発売の)タイミングの三要素が深く関わっていると思う。

p.100 自己成長や自己啓発は、不安と自信の繰り返し、チャレンジ限界自覚自信喪失再チャレンジのプロセスそのものであり、その中から経営哲学らしきものがゆっくりと生み出されてくる。

p.100 原因自分の哲学とは、自分が成したことの結果にはすべて自分自身に原因と責任がある、とする考え方である。ことに失敗の原因は外へ転嫁せず、「内」に求める。失敗は自分に原因がある(成功はほかに要因があると考えられれば理想)、「非は我にあり」とする姿勢のことだ。
 何か失敗したり、問題が起こったりすると、誰もがその原因を「外」に求めがちである。あいつが悪い、周囲が悪い、社会が悪い、運が悪い、タイミングが悪い、といった具合に(原因他人論)。

p.107 元経団連会長の土光敏夫さんは東芝の社長に就任したとき、最初の記者会見で開口一番、「東芝の悪口を耳にしたら、すぐに教えてもらいたい。悪いことを知らせてくれた人には礼をさし上げる。ただし、誰がそれをいったかは告げないでほしい」といったそうである。

p.131 量を量で稼ぐのではなく、質で量を生み出す姿勢である。

p.133 社員教育というと、OJTなどの理論が取りざたされるが、私は教える側が「教」と「育」を混同しないことがもっとも肝心ではないかと思う。
 育てるとは、社員に知識ではなく、知恵をさずけ、自発性や自立をうながすことである。命令や指示を待って動くのでなく、暗示や指導によって応用問題が解ける人間をつくることである。

p.135 やりがいや意欲を押しつけるのでなく、自発的に醸成させるように仕向けていく。そうすることで社員みずからが向上心をもち、自己革新していけるようになること。「自主性」を養うことが人材育成の基本ではないだろうか。

p.141 感:情報×感性×達成意欲、勘:情報×知識×小さな成功体験、観:情報×本質×論理の体系化。

p.146 結果を管理するな、途中を管理(評価)せよ。

p.148 苛立ちや不機嫌は、長い間立ち通していたことからも生じる。そのような人に対しては「道理を説くよりも、椅子を差し出してやるがいい」――。

p.160 〈5C主義〉①Change(変化)、②Challenge(挑戦)、③Competition(競争)、④Creation(創造)、⑤Communication(伝達)

p.163 力を伸ばすのは技術ではなく、仕事を好きになることだ。
 仕事を「~ねばならない」義務感でとらえている限り、苦しさは消えない。義務感を消すのは「~したい」と言う「主体性であり、主体性は好きであることから生じるのだ。

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いかに安定した実績を残すか

2008-07-21 12:31:49 | 思いつくまま
 広岡氏は、巨人OBでありながら、ヤクルトや西武で監督を務め、優勝を果たしている。その功績は大きいと思うが、一方、指導者としてイメージが良くない印象だ。理論は確かなのだろうが、どちらかというと「上司であってほしくない上司」に映る。選手には、指導内容に愛情が感じられないのだろうか。

〈要旨〉若い時は体力もあるから無理もきくが、基本を無視して無理を続けていれば、やがては無理が祟って代償が来る。「基本」とは何か。野球という専門的領域の技術における基本もあれば、それ以前の生活の基本というものもある。後で後悔しないよう、若いうちから基本を身につけておくべきである。 p.57

 若いときだからこそ味わえるものがあるのではないか、という想い。それを諦めて、チャンスを見送って、人生がつまらなくなってしまうのではないか、という思いとの葛藤。そんな暗い、節制を重ねた生活の先にある、別の次元の楽しさ、輝きというものを思うことができない。
 一時的にうまくいっても、基本に手を抜いていては安定的に力を発揮することは難しい。基本の修得は、継続的に力を発揮する対策ではないか。


〈要旨〉「優勝は無理としても、せめて3位くらいになれ」という、一見ものわかりがよく聞こえる意見。その程度で満足する選手を作ってしまっては、妥協が身についてしまう。選手が飛躍するには、優勝の喜びを経験することである。 p.205-6

 一生懸命やっても、それが結果として出るかどうかは、自分の努力とは無関係の要因があって、運も左右するように思っているのか。自分一人だけではどうしようもない部分もある。本当の喜びを知っているといないとでは、そこに向かおうとする意識に雲泥の差が生じる。

 患者さんに本当に喜んでもらった経験の乏しい人は、その患者が引き続いて来局してくれれば、とりあえずその程度の業務をしていればよいと思ってしまう。ちょっとした程度の喜ばれかたではなく、心から感謝された経験を持つと、しかもそういった事例をある一定の件数経験すると、「また今度も心から喜んでもらえると、自分もうれしい、やりがいもある、薬剤師をやっていて良かった」という気持ちになり、患者への係わりかたにおいて専門性を追求し、患者の生活やQOLを考慮したものへと、レベルアップしていくに違いない。


〈要旨〉最初は簡単な捕球練習から始める。イレギュラーなどない状態から「今度はそのボールが逃げると思って」と言うと、身構えて補給にあたろうとする選手。さらに、それまでとは全く異質のボールを転がすと、それを予想していなかった選手は当然取れない。しかし、不測のことが起きるのが試合であれば、それすら想定した構えをするようになる。何がくるかわからない状態を意識して練習を続けたときに、上達が始まる。 p.252-3

 どんな処方が来るか、どんな生活状態、考え方の患者が来るかわからない、医者も処方にどのような微修正(処方変更)をかけてくるかわからない、そういった準備があるかどうかで、要点を見逃してしまうか、適切に対処できるか、変わってくるだろう。
 “たぶん前回と同じだろう、前と同じように用意して渡せば一丁あがり”的な心構えでは、仮に処方変更があっても、誰もが気づくところに対処できても、それに気を取られて見逃してしまう部分もあれば、確認をし忘れたまま交付していることもあるだろう。
 真正面に飛んでくる打球も、イレギュラーバウンドがあっても取るぞ、という意識の有無。ささいなことのようで、大きな差を生むように思われる。

※ページは、「勝者の方程式」による。 
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知恵も心も感じられない

2008-07-21 11:20:35 | よくわからないこと
Kスタ・楽天戦 飲食物持ち込み規制強化に不満の声 7月20日6時12分配信 河北新報

 プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、仙台市のクリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)で行われる東北楽天の試合で、飲食物の持ち込み規制が強まり、観客から不満の声が出ている。外で買った食べ物だけでなく、手作りの弁当やおにぎりも締め出す徹底ぶり。球団は「売店の売り上げを確保するために仕方ない」と理解を求めるが、一部のファンは「もうけ主義が強すぎる。手作り弁当ぐらい大目に見てもいいのでは」とぼやいている。

 「中の店で買うと高いので弁当を持ってきたが、駄目と言われてがっかり。手作り弁当を食べながら家族で観戦する楽しみに水を差され、興ざめする」と嘆いた。

 阪神と巨人、横浜、広島、ロッテ、オリックスは食べ物の持ち込みを制限していない。ヤクルトと日本ハム、西武は規制はあるが、事実上黙認している。中日、ソフトバンクは比較的厳しく統制しているが、入り口で預かることはしない。

 堀江隆治球場長(39)は「売店の売り上げは貴重な収益で、健全経営のためにやむを得ない」と説明する。

 全球団の試合観戦経験があり、8日のKスタ宮城での東北楽天対オリックス戦を見た大阪市の自営業長谷川靖弘さん(33)は「楽天は規制が最も厳しく、評判が悪い」と指摘。「缶や瓶の飲み物は選手に危害が加わる可能性があって規制は仕方ないが、過度な統制は商業主義の印象を強め、球団にとって逆効果になる」と語っている。


 観客は観戦するだけで高額なチケットを買うにとどまらず、飲食物も球場内で買わなければならないとは、ファンの気持ちに思いが至らないのか。わかったとしても、やむをえないと押しつけることに対し、ファンがどう思うかまでは想像できないのがKスタ側のようだ。

 売上を伸ばしたい一心に、価格に転嫁するとははたして・・・。
・フツウは値下げで客足を呼び込むのではないか。
・味やお弁当の内容を工夫する。
・持ち帰りたくなく容器にする(例:駅弁のように、洗うと貯金箱になる)。
・お土産として欲しくなるようにする。
・日替わりやタイム指定で、選手やOBがある一定の時間、店頭に立つ。

 企業努力はしているのだろうか。

 球場で販売する飲食物には、その店の利益に加えて、相当の球場運営費が含まれていることが(わかりきっていることにもかかわらず)改めて露呈し、クローズアップされてしまった。

 楽天という球団を持とうとしたのは、儲けの手段か、広告宣伝媒体だったのか。世の中値上げ、物価高が続く中、球場のルールだとばかりに一方的に規制する商法。炎天下、水分を補給するのは選手ばかりではない。それをわざわざ「高い水(分)」を買えという。

 楽しみを奪っておいて、はたして野球を楽しむことができるか。心から応援する気になれるのか。こういう側面にも、ノムさんにぼやいてほしい気がする。
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勝者の方程式

2008-07-21 10:49:32 | Book Reviews
「勝者の方程式」 広岡達朗・著、講談社文庫、1991年2月15日

p.35 (酒を)適量ならいいと言っても、残念ながら、若い選手に「適量」を守れるような者はほとんどいない。また、四六時中、選手を監視することは事実上不可能だから、飲みたい者は、いくら規制しても隠れて飲むだろう。そこで全面的に禁止しておけば、うしろめたい気持になり、ブレーキになる。

p.38 意識革命――「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせるのは、そう簡単にできるものではない。ある意味で、意識革命は監督と選手との嘘隠しのない戦争からはじまるものだと言える。

p.52 極端なことを言えば、彼らはプロ選手は故障しているのが当たり前という意識であり、故障しない身体をつくるにはどうしたらいいかなどというところまで思いが及んでいなかった。

p.66 基本的な訓練だから、はじめからむずかしいことをする必要はない。というより、もっともやさしいところから、納得しながらマスターしていくことが、技術を自分のものにしていくための近道である。

p.71 怠けてミスをしたのではなく、一生懸命にやった結果としてミスをした場合、腹の中では怒っていても、それは個人的な感情であって、監督やコーチがそれを選手にぶつけてはいけないと思う。

p.74 最初の成果が出たとき、ここで安心し、怠けてしまえば、もとの木阿弥だ。それをステップにして、さらに次の段階に進んでいかなければならない。その間に、何度も壁に突き当たるだろう。それを乗り越え乗り越えして、しだいに実力が身についていくのである。

p.87 プロ野球の壁を打破するのは「欲」である。

p.98 登板の翌日から、酒を飲みたいだけ飲んで遊びほうけて、次の登板予定の前日になってやっと投球練習をはじめる。疲れがとれていないうえに、調整不足なのだから、ゲームで満足な投球ができるはずがない。

p.105 勝ちパターンは、らくな勝ちパターン、必死の勝ちパターンなどをつくっておく必要がある。いくつかの勝ちパターンがないということは、行き当たりばったりで闇雲に試合をしているのと同じことなのだ。

p.114-5 ドラフト制度のより、選手の入団時の戦力に関する限り、十二球団は均質化しているといえる。にもかかわらず、毎年、優勝争いに顔を出してくるチームと、いつも下位を低迷しているチームとに分かれてしまうのは、なぜだろうか。
 首脳陣がやるべきことを正しく認識して、それを実行しているかどうかの違いである。

p.163 本当に身につくのは、押しつけられたものではなく、自ら求めて獲得したものである。

p.168 故障を隠してプレーすることが、結局は選手生命を縮めることになって、選手本人のためにもよくないということも、私は身を持って経験ずみである。
 選手生命を縮めるほうがいいか、一時は戦列を離れることになっても、早期に適切な治療をして、選手生命を伸ばすほうがいいか、よく考えるべきである。

p.172 (大リーグは)「競争に負けたくなかったら、勝手に這い上がれ」と言うのではなく、コンディションを崩すもとになることはしてはならないという教育を、球団はきちんとしているのである。

p.198-9 ある日の試合に負けたとしても、その中から反省材料を見つけて、次の肥料にしていくのであれば、その敗戦も決して無駄ではない。言い換えれば、敗戦を意味あるものにしていけるかどうかが、監督の裁量だと思う。

p.206 (言われたことを無条件で受け入れることを)「管理」だと評する人がいる。言われたから仕方なくやったという選手にとっては、それは確かに「管理」されたことになったかもしれない。しかし、私はあくまでも自己管理の方法を教えたにすぎない。

p.208 監督の意図が練習にあらわれているチームは、公式戦がはじまると、大体上位に位置しているし、監督の意図がわからないチームは、公式戦に入っても、たいてい下位を低迷しているものだ。

p.218 監督、コーチは常に選手たちに見られていると思え。建前論はすぐに見破られる。尽きるところ率先垂範しかないのである。

p.234 身体を動かすのは心だ。

p.235 監督から(調子の良くない)原因を問われて、コーチが「あいつはスタミナがないからだ」と答えて平然としているようでは、コーチの資格はない。
 スタミナがないことぐらい、素人にもわかる。素人にもわかる。なぜそうなのか、それを改めるにはどうしたらいいか。原因を突きとめ、それを改良していくのがコーチの仕事である。

p.246 完全な人間などない。誰にでも弱点や欠点はある。だから、ミスや失敗をするのは当然である。ただ、自分のミスや失敗に対しては、常に責任を感じ、恥ずかしいと思い、悔しいと思うべきだ。そして、その悔しさをバネにして、二度とそういう失敗を繰り返さないように、自らを練習に駆り立ててこそ、上達する。

p.251 基本とは、やるべきことをきちんとやり、安定して長続きするための絶対的なものだと思う。

p.295 「こうすべきである」と思っていることは、どこの監督やコーチも同じである。しかし、それを選手に繰り返し繰り返しやらせ、身につけさせることができる指導者は少ない。

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注意事項はなるべく目に触れないように

2008-07-20 21:21:35 | 薬害は人災だ
 医薬品に関する「安全性情報」とは、ものは言いようで、基本的には危険性を注意喚起する情報だ。危険性というのが物騒な表現だというのであれば、「副作用」でもよい。

 ある日突然、危険性や副作用を注意喚起するのが「緊急安全性情報」であり、段階を追って「ブルーレター」であり、「使用上の注意改訂情報」である。

 これらについて、どのような情報であるかをある書籍において解説すべく、その一例としてあるメーカーに了解を求めたところ、多くのメーカーからお断りをいただいた。全文掲載するのでなく、情報の「見本」として外見を示すように最初の一ページだけを示すだけなのであるが、快諾はもちろん、大きな隔たりがあるように感じられた。

 あるメーカーは、
(1)その情報がどういうものか、他の安全性情報との関係を明確に記載すること
(2)類薬でも同様の副作用が発生する可能性があるが、服用患者が多いことから、本剤について安全性情報が出されることになったこと
(3)その内容は、海外において従来から知られている内容であること

 これらを併記することを掲載条件としてつきつけてきた(中堅外資系企業B社)。既知のことであるにもかかわらず、その医薬品の安全性情報がいかなる機会であろうと多くの人の目に触れることを避けようというのだ。
 他のメーカーでも当該製品のイメージダウンの可能性につながることは少しでも避けたいと考え、他社に依頼してほしいと逃げ腰である。

 安全性情報は厚生労働省の安全対策課長通知として出さざるをえなくなってしまったことは販売を続けていくうえでは仕方ないとしても、人の噂も七十五日かどうか知らないが、まるでそのようなことが忘れ去られて欲しいかのようだ。何らかの文献に引用されるのならやむをえないのだろう。しかし情報を“人目”にさらすことにおいて、相当な抵抗があるようだ。

 医薬品等安全性情報の中には、既知の副作用にもかかわらず、一向に報告が減る気配なく、繰り返し報告され続けているものがある。一度注意喚起したら、医療現場では再発防止すべく最善の対策を取るべきであるが、それが不十分なままいることはないだろうか。

 メーカーの安全性に関する情報を幅広く制限する姿勢には、医薬品が安全に使われることよりも、使用拡大を図る営業姿勢が透けて見てとれ、バランスを欠いた状態のように思われてならない。
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落語的笑いのすすめ

2008-07-20 10:16:54 | Book Reviews
「落語的笑いのすすめ」 桂文珍・著、新潮文庫、2006年3月1日

 本書は慶応大学で文珍さんが講座を持ったときの内容をまとめたもの。関西大学で学生相手の講義を経験しているから、だいぶこなれた感がある。
 学生にウケた箇所には(笑)と入っているのだが、「落語的学問のすすめ」より、その回数が少なく、塾生はくそマジメに聞き過ぎていたのだろうか。いや、そうではあるまい。意図的かどうかはともかくとして、出版側が控え目に記載したにすぎないのだと思う。

 笑いも、教養がないと笑えないネタが多分に含まれているのがいい。疲れた気持ちを和らげる作用を持つものではないが、講義なのだ。くつろぎやストレス解消を求めているのなら、寄席に行けばよい。

 そういった講義ネタも、関西大学の経験があってこそ、仕入れたものなのだろう。シラフでなければ聴けない落語家の話に、腹の底から笑えるようになりたいものだ。
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「心のブレーキ」の外し方

2008-07-19 08:21:08 | Book Reviews
『人生を変える! 「心のブレーキ」の外し方』 石井裕之・著、フォレスト出版、2006年12月1日

p.63 プロスポーツ選手でも、企業家でも、アーティストでも、確かな成功を手にしている人というのは、仕事ばかりではなく、家庭も、健康も、人間関係も、人生全般が充実しているものです。仕事が成功したから、その他のことも充実してきたのではない。すべてが充実しているから仕事が成功したのです。

p.90 チャンスに「イエス」と言うことは、ギャンブルではなく、“投資”だと考える。

p.99 “今のあなたの在り方”によって過去の意味が変わったように、“今の在り方”に応じて、あなたにふさわしいものが近づいてくる。

p.104 しかし、どんな状況にあっても、何かしらできることはあるはずです。だから、「何ができないか」ではなく、“何ならできるのか”と考えてみること。そして、それがどんなに小さなことだったとしても、それを実行することで、潜在意識はあなたをサポートするために動きはじめてくれるのです。
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レセコンにはリスクマネジメントが足りない

2008-07-18 22:49:46 | くすり雑感
 薬局においてレセコン使用は当たり前、電子薬歴も増えてきた。以前に比べれば、使い勝手も良くなってきたのは確かであるが、もっとこういった機能があったり、設定ができればいいのにという側面が、リスクマネジメントの視点である。

 入力時の誤りは、それが見過ごされたまま薬袋やお薬手帳に反映されたままであると、服薬指導の誤りや薬学的管理の誤解につながりかねない。
 チェック機能が(活かされてい)ないことは、安全管理が果たされない。

 薬品名(の文字)部分が、通常ワープロでできる程度の文字飾り(フォント、サイズ、色、ゴシック、マーカー、等)が設定できたら、どんなに便利だろうか。類似医薬品の区別が容易になり、誤入力は減るだろう。服薬の確実性は増すだろう。

 そもそも処方せん通りに取り揃えて交付していくことなんて、作業的な部分が多い。事務員が調剤行為ができちゃうくらいだ。薬剤師が、そんな機械的な部分に多大なエネルギーを費やすのではなく、専門的な業務によりエネルギーを振り向けられるようでありたいのだ。

 処方せん通りの取り揃えが出来ないのが調剤エラーであるとして、その数を減らそうなどと躍起になっている時空を脱出したいと思う。薬物療法が適切かつ安全に実施できるかどうかに薬学的知識を活かし、患者さんの服薬管理レベルを上げて、安全を提供できるよう、薬局業務の質の向上を果たしていきたいと思う。

 だからリスクマネジメントに役立つ機能をレセコンや電子薬歴に取り入れ、薬の取り揃え程度は確実に達成できるよう、バージョンアップされることを願っている。
 何を、どう改善したらよいか、具体的な内容を業界に向けて提案していければと思う。
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