何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

指示されると豚を混入する社員

2007-06-29 10:04:13 | よくわからないこと
 ミートホープ社の牛ミンチ偽装事件は、お定まりともいえるような内部告発で始まった。当初社長は自らのあずかり知らぬところで従業員の判断で行われた可能性があると責任を否定しておきながら、捜査が進むにつれ、結局は自らが偽装に関与していた事実が発覚し、認めざるをえなくなった。許せない事件であると同時にあまりにもお粗末な実態をさらけだした。その結果、解雇通告を受けた従業員は不当解雇で訴えるという。

 内部告発の元幹部は、不正行為をどのように見てきたのだろうか。混入現場をその目で見てきただろうし、それが製品となって出荷されていく“後ろ姿”をどのような気持ちで見送ったのだろうか。彼をヒーローだなどと言うつもりはないが、最低限のことを果たしたと、評価できる部分もあるように思うのだが。

 止めるに止められない無力感、出てしまった以上、自分も少なからず加害者であるという意識、消費者への裏切り行為への罪悪感、軌道修正に向けた苦しみ、会社としてのリスク回避への思い、・・・挙げきれないほどの葛藤があっただろうし、会社崩壊への足音が聞こえていたのではないかと思う。社長を始め、創業家との数々の摩擦、偽装に限らず価値観の違い、食品製造に関する意見の食い違いなど、さまざまなものがあっただろう。

 一方、社員はどうなのか。会社の指示や忠誠心と消費者や社会を欺くことと、天秤にかけて会社の指示を選んだのか。しかも数年前から。それは自分の生活や保身を優先したことではないのか。どのような“抵抗”をしてきたのだろうか。そこを是非知りたいものだ。
 社員は自社のコロッケを食べていたのか。どういう味がしたのだろうか。美味しかったのか。


 コムスンでも現場のホームヘルパーやケアマネジャーに罪はないような言い方がされるが、果たしてそうなのか。収益を上げるためには、会社のためには、多少目を瞑らなきゃいけないこともあるとしていたのならば、立場の違いこそあれ、末端の者には責任は(ほとんど)ないとする風潮は、どこか釈然としないものがあるのだが。

 まったくもって、他人事ではないと感じている人は少なくないのではないか 
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あの失敗から何を学ぶか

2007-06-27 08:19:54 | 思いつくまま
「失敗学」事件簿 あの失敗から何を学ぶか』 畑村洋太郎・著、小学館文庫、2007年6月。

 こんな当たり前のことが今まで十分に行われてこなかったのは、失敗をやってはいけないこと、恥ずかしいこと、悪いこととだけ捉え、失敗に真正面から向き合わなかったためである。(p.187)

 失敗はみんな早く忘れたいと思う。でも、それではまた繰り返してしまう。本当に大切なのは、責任や原因の追究だけではなく、再発しないようにすることである。
 そのためには、事故の現物に触れたり動かしたりできるようにして、そこで何が起きたのかをオープンにし、後世の人たちにも実感できるようにしなければならない。事故は事故を起こした企業の責任ではあるが、いったん起こしてしまった事故は、もはや社会全体の「共有財産」なのである。(p.231~232)


 調剤事故(調剤過誤、インシデントを含む)が起きて、その報告書を見ていると、思い込み、焦り、集中力が低下していた、他に気を取られてしまった、などという理由で述べられていることが多い。それも混雑時、患者さんから急がされた、時間に縛られていた、といった背景で心理的な動揺が見られている。

 混んでくれば早く薬を渡そうという意識が働くのは自然なことだろう。だからといって、不注意や注意散漫になるのもやむをえなかった、不可抗力であった、同情されるべき点もあるのではないか、といったニュアンスの報告書はいかがなものか。そう書きたくなる気持ちがわからないわけではない、起こしたくて調剤事故を起こしているのではないから。

 報告書は薬局内部に向けたものだから、そのような記載になるのだろうが、いくらそう言われても患者さんにしてみれば、早くして欲しいとは言ったが、手抜きや多少の間違えがあっても仕方ないなどとまで言ったつもりはない、と言うだろう。調剤事故に正しく向き合わない以上、事故は一向に減らないだろう。

 不注意があったとしても、薬剤師に怠慢や気の緩みがあったのだろうか。それなりにやるべきことを精一杯やっていたのではないだろうか。それでも調剤事故が発生してしまったら、それはできる範囲で一生懸命やった結果なのであり、それをただちに「悪」と捉えないで、現象だと受け止めて背景や事情等を分析し、原因に対して適切な手をうっていくべきではないだろうか、と思った。

 調剤事故を図らずも起きてしまった現象と捉え、必ずしも悪いことをしたように受け止めず、当事者の責任などと咎めるようなことはせず、組織にとって改善策を見つけるための題材、すなわち共有財産として明日へ活かしていくとよいのではないだろうか 
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風土こそ最大の独自能力

2007-06-23 08:35:07 | 薬局経営
これが実践! 超お客様満足主義 経営品質の理念が会社を救う』 望月広愛・著、同友館、2004年、p.53~4。

 社員の「創造性」をいかに発揮させ得るかが生き残りのための重要な条件であることは、多くの企業が自覚している事実です。他方、従業員も「創造性」の源となる「自主性」を持っている人であればあるほど、自分の個性うぃ伸ばしてくれる、自己実現の環境を会社が作ってくれることを期待します。

 にもかかわらず、残念なことに多くの企業では「個性の尊重」は単なるスローガンや掛け声ばかりです。実態は全く正反対の、没個性の横並び社員を排出していることが現実の姿です。

 〈中略〉

 企業にとって「創造性」が要求される時代ということは、明らかに経営が難しい時代になったことの裏返しです。企業体質を創造的に変革するという課題は、頭でいくら理解しても、まだ旧来の風土が根ざしている組織では解決できないままです。

 〈中略〉

 競合他社に差別化するためのポイントは風土です。たとえば設備だけなら、リッツ・カールトンホテルよりも良いホテルもあるでしょう。でもなぜ、お客様はリッツ・カールトンホテルへ押し寄せるのでしょうか。

 〈中略〉

 一握りの企業を除けば、商品やスキルはすぐに真似されてりまいます。しかし風土は、数字や言葉にできません。だから、わかっていても簡単に真似できません。こういうものが当社の求める独自能力なのです。


 薬局における安全管理体制の確保について、どこの薬局も以前から、それなりの、何らかの取り組みを行ってきたはずだ。何もない、ということはなかろうと思う。しかし、医療安全管理指針を定め、業務手順書の設置が求められた。その体制整備が敷かれたとはいえ、ただちに大きく事態は変わらないだろう。

 社会が薬局に求められているのは、医薬品の供給と安全確保である。安全確保は薬物治療が安全に遂行できるための薬の専門家としての支援や管理と、調剤という手段そのものの安全性である。いわゆる調剤過誤・調剤事故はなくて当たり前で、ないことが当然・あれば不満をきたし、本質的な安全確保は専門性が発揮されることで確保される側面だ。

 その意味で、安全確保といってもどのような観点での安全確保のレベルをあげるべきかをきちんと認識しておきたい。そして、その部分で他の薬局にはちょっと真似のできない安全管理を実施し、それを“売り”にしてはどうかと思う。

 どこの薬局も今春からの安全管理体制実施でそれを打ち出してくるから、利用者には少しずつその様子が目に映るだろう。よって少しずつの変化に気づくだろうから、安全確保の質の違いを見せることで、差別化にもつながる。かかりつけとして選択されるチャンスが訪れているものと思われる。

 そして安全管理体制のレベル向上には、それこそ自分たちにとって最大の課題えあるという経営方針がなければできないと思われ、それを果たせるべき、姿勢や環境を初めとする風土が重要になってくるのだろう 
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会社を伸ばす社長、つぶす社長

2007-06-19 23:50:44 | 薬局経営
社長の器 会社を伸ばす社長、つぶす社長の見分け方』 吉岡憲章・著、PHP研究所、2006年。

 売上げが伸びないために営業体制の見直しを申し出た社員に対し、出店すれば売上げがあがるとばかり、実行を指示する社長。

 やがて、2つの営業所がオープンしたが結果は散々たるものだった。まず営業所長にするのにふさわしいスタッフが見当たらないため、現在、実績を出している営業所の所長を新営業所長として異動させた。

 かなりの量の宣伝もしてみた。しかし緊急に募集した営業所員を戦力にするには、時間がかかり、なかなか育たない。お陰でお客様からの信頼を受けづらく、いかにこれまでに実績のある所長でもスムーズに立ち上がれない。

 さらに、実力営業所長が抜けた2つの営業所は赴任してきた新所長の指導力が乏しく売上げは激減、所員たちのやる気も低迷し始めている。大久保社長のエネルギーは新営業所の立ち上げに注がれたため、既存営業所の指揮・管理の手が抜けてしまっている。

 大久保社長が現在の140%になると豪語していた売上げは、逆に20%ダウンの実態だ。


 薬局では、一店舗当たりの売上げが伸びないとばかり、M&Aや出店至上主義のチェーンが少なくない。伸びないのは、やるべきことをやっていないから、利用者の評価が上がらないからだ。調剤報酬項目の算定率向上は直接数字に反映されるから認めても、それを支える・その根底をなすサービス向上努力には、ときに「薬局はボランティアじゃないんだ、霞を喰って生きて行けない」などと否定的だ。

 売上げに直結することしか意味がないと考えているわけで、経営者としての資質はいかがなものか。利用者が薬局を評価するのは、トータルの薬局であり、サービスに込められた想いであり医療レベルだ。

 店舗が発展しないのは、限界があるのではなく、経営方針の誤りであるのだが、それを補おうとするのがM&Aや出店の思想だ。

 しかし、拡大を進めるあまり
・新規店舗にふさわしい人材が不在(その人材で新規店舗が伸びる保証もない)。
・新規店舗のためにスタッフを抜かれた店舗では、サービスレベルが低下し、業績の伸びが継続しない。それまで続けてきたサービスも中止せざるをえないこともある。
・残されたスタッフだけでは、士気が低下し、ミスも増えやすい。
・優秀なスタッフが抜かれることで、そのスタッフについていた顧客が落胆し、顧客離れをきたすこともある。

 などで、一般的にはマイナスが大きい。
 店舗が増えても、全体でみれば、新たに問題を抱えた新旧店舗が残されただけだ。それらが復活するには(その確証はないが)、相当の苦労を必要とし、時間もかかる。元に戻る保証もないし、“二次災害”が起こる可能性もある。

 いかなる出店をも否定するものではない。計画的に、出店できる状況を整えて、マイナス面をきたさない状況で、新たな展開を進めるべきではないか。しかし、そうではない実態があまりにも多い。根本にある誤った考えがこういった悲劇をもたらすのだろう。
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薬局の待ち時間は減らないのか

2007-06-19 08:59:11 | 思いつくまま
 薬局では待ち時間がしばしば問題になる。調剤室内の導線が悪いとか、機械化が送れているとか、待合室のアメニティに改善の余地があるとか、さまざまな議論が交わされるが、決定的なものが出ずに意見百出~継続審議か保留的に先送りされることも少なくない。

 待ち時間(T)を、患者人数(A)、処方せん1枚当たりの処方の濃さ(薬剤種類の多さ)(B)、薬剤師数(C)、処方せん1枚当たりに費やす時間(D)による関数とすると、次のように表される。

 T=(A×B)/(C×D)

 Tを少なくするには、患者人数を減らし、処方せん内容を軽くし、薬剤師数を増やし、1枚に費やす時間を短縮することになる。
 しかし、そうすればよいことがわかっても、薬局経営を考えると、そうもいかないと思ってしまう。

A>患者人数は増やしたい
C>労務費のアップは避けたい

 ということだ。また処方せん内容は、時間をかけて整理するかのように減らすことはできても、そうたやすい話ではないから、Bは動かしにくい。

 となるとDが注目されてくる。

 どうやって調剤工程時間を短縮するのか。導線の改善や分包機等の増設は、だいたい済んでいる。買い替えはあるかもしれないが、それによる大幅な時間短縮効果は期待できそうにない。

 結局、調剤室内を走り回るしかないのか。もしくは「工程」を減らすかだ。工程を減らして、調剤の質・中身が低下しないのなら、改善の余地はあろう。工程の改善は、えてして安全確認の部分を短縮もしくは省略することになりかねないので、調剤エラーは増えるであろうことは容易に想像できる。また窓口での患者さんとの接点が減れば、サービス低下につながる。

 調剤を医薬品の供給(薬剤交付)が中心だと考えている経営者は、サービス低下の意味を理解しにくいことが多く、さらに売上げアップが頭の中を占めるウェイトも大きいので、「もっと早く」とか「待ち時間を減らせ」などと精神論的なことを言うかもしれない。

 こう考えるとやはり、薬剤師(数・質)が重要だ。人件費が気になるのはわからないでもない。しかし、人でしかできない部分に時間がかかるのだから、ピーク時に対応できるマンパワーを用意しておかなければ(窓口の数も重要になってくる)、混雑時であっても空いているときとさほど変わらずにサービス提供はできないだろう。

 しかし、残念ながら人員を減らそうと考える経営者は少なくない。もしくは、パズルでもあてはめるかのように、職員をかたときも休むことなく効率良く動かし続けようと考えることすらある。
 これでは余裕やゆとりやもあったものではなく、職員の肉体的・精神的疲弊は時間の問題だ。長続きしない。

 どのように薬局の全体構成をとっていくかということだが、職員数(マンパワー)をピーク時を想定して揃えているか、ピーク時であってもサービスレベルを低下させない、患者さんの満足を基本に考えているか、それとも経営を優先するか、によって変わってくるのではないだろうか。

 少なくとも経営を中心に考えるのであれば、待ち時間は減らないだろうし、減らそうとしたら調剤事故をはじめとするさまざまな弊害も生じるものと思われる。
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なぜ「儲かる会社がいい会社」ではないのか

2007-06-17 22:24:02 | よくわからないこと
 コムスン堀口会長の“迷セリフ”「儲かる会社がいい会社」が、なぜただちに正しいとはいえないのか。それは利益第一主義が無条件に正当化されないかということにも関係する。
 これが成立するには、儲かることが消費者が評価する以外にありえない場合である。他のやりかたでは、けっして儲からないのであれば、言う通りであろう。
 ところが利用者の評判の良し悪しにかかわらず、違法なことを、違法スレスレ>違法じゃない、という論理で行なおうとする考え方がある。大概、その手法は倫理的には許されないことが通常だ。抜け道だったとしても、本来の意図とは外れていることが多い。

 本来、訪問介護で儲かるとしたら「消費者が評価する以外にありえない」のだろう。それがわかっているから、本質的なことではない、違法行為に手を染めるのだろう。

 しかし、あまりにも露骨に、直接的な言葉で違法行為を指示できないから、間接的な言い方であったり、ヘルパーに任せればいいはずの手段にまで介入する。しかもそれが正義でもあるかのような弁明までつけて、一風変わった考え方があたかも卓見であるかのように言い繕って推し進める。ここにいわゆる「会社ぐるみ」「組織ぐるみ」が成立する。

 その時点で、既にプロフェッショナルとしての価値は消し飛んでおり、収益事業の骨組みだけが残骸であるかのように残される。

 ホームヘルパーだって国家資格をもった専門家なのだから、いくら組織から指示されても拒むことができるのではないか。たとえ、それが苦難の道のは始まりであったとしてもだ。それをせず圧力に屈していたのだとしたら、まるで姉歯一級建築士の偽造設計と変わらないのではないだろうか。
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まじめにやっていたのではやっていけないのか

2007-06-14 18:34:19 | 薬局経営
 株式会社参入の弊害、明らかに コムスン問題に日医 メディファクス 2007.6.14 より

 訪問介護大手コムスンの不正問題について、日本医師会の中川俊男常任理事は13日の定例会見で、「株式会社の参入により、医療・福祉の分野に営利追求型の市場原理主義を持ち込むことの誤りが明らかになった」と指摘し、医療分野への株式会社参入論を含む規制緩和の流れを断ち切るべきだと主張した。

 中川常任理事は、介護サービスを提供する全事業所のうち営利法人は33.5%にとどまる一方、指定取り消し処分(2000年4月から06年12月まで)を受けた営利法人は全体の66.9%に達することを紹介し、「営利性や効率性の追求がもたらす弊害」と指弾した。福祉業務に株式会社の参入を認めた国の責任も問われると言及した。


 民間組織の運営により、公的機関が母体の経営の弊害やマイナスが防止できるという、“いいとこどり”が期待されていたわけだが、実際は民間企業というか、営利団体という体質による悪い面、恐れていた面ばかりが目立つ。

 医療費の高騰で切り詰めようとする余り、経営を圧迫しすぎる政策にどこまで歯止めがなされるだろうか。非はコムスンにあることは明らかであり、ただちにその矛先が国に向きにくいかもしれない。しかし介護のみならず、医療関係者なら容易に理解できる話だろう。

 コムスンはもう終わりだ。コムスン的な医療や福祉で事業を展開する民間企業。薬局、事業所。また株式会社ではないが、営利優先の医療機関。病院も薬局も多いけど、本当に良質なところはまだまだ少ない。国民が悪質なところを明確に拒否する行動を強めることで、社会から排除されることを期待するのだが・・・。なかなか核心は隠され、内部者にしかわからないこともあり、膿みが出にくい。名案はないのか。
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コムスンがケアマネにリベート供与

2007-06-13 19:20:27 | 思いつくまま
コムスン、ケアマネジャーに客獲得で報奨金…法抵触の疑い 読売新聞 2007.6.13

 介護事業所指定の虚偽申請などが明るみに出たグッドウィル・グループの「コムスン」(東京都港区)が、自社の施設利用者を増やすなどしたケアマネジャーに対する報奨金制度を設けていたことが13日、わかった。

 介護保険法は、介護事業者がケアマネに特定の事業所を利用するケアプラン(介護サービス計画)を作るよう指示したり、ケアマネが見返りに金品を受け取ったりすることを禁じており、厚生労働省はこの規定に抵触する可能性があると指摘している。

 一連の問題で、グループの折口雅博会長らは、記者会見で「会社ぐるみの不正はない」と繰り返し強調、現場職員の認識不足が原因だったと主張している。上層部の主導で不適切な営業が推し進められていた実態が裏付けられた。


 要はケアマネにリベートを払って、利用者増を図っていたということのよう。

 「新しい分野には偽者が入りやすい。行政側も急激な分野への対応は遅く、真面目にやっている業者が損をすることもある」とは田中秀征氏(サンデーモーニング 2007.6.10)。用意周到で開始しても、いざ初めてみるとさまざまなケースがあり、混乱のさなか、偽者がはびこりやすいのだろう。未決定事項も多いとはいえ、だからといって何をやっても許されるというのだとしたら、ずうずうしい。法的に明記されているかどうかではなく、意味を考えて好ましくないかどうかが判断することが大事だ。

 訪問介護という「公共性のあるサービス」に対し、ビジネス、会社、お客様、市場への進出、などの言葉が散見される。どういう角度から述べられるかにもよるが、医療や福祉の観点からすると、そういった言葉が平気で使われるところに違和感を覚える。

 卑しくも国家資格を与えられて、その責務を国から付託されたのだ。儲けるための切符をゲットしたのではない。民間組織が取り組む公共サービスのあり方について、同業者はもとより、病院も薬局もよく考えたほうがいい。利益の出し方について、使命や責任を果たすことと経営がきちんと整理されているのか、それはそれ、これはこれになっていることはないか。別物になっているとしたら、経営維持のためには、本業を曲げることもやむをえないという論理がまかり通ってくる。

 本質を果たして、その結果として適切な収益がついてくるようにすべきであり、収益が少ないとしたら取り組みに改善の余地があるのだと考えるべきだと思う。
 ただ昨今の医療費抑制策で、改善も限界、疲弊も少なくない現状があるから、国も医療費抑制といえばなんでもまかり通るようなことは、通用しなくなるのではないだろうか。
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コムスン事件の患部

2007-06-12 19:12:42 | 思いつくまま
 <コムスン>毎年、管理職数千人集め決起集会…アメとムチ

 訪問介護大手「コムスン」と親会社の「グッドウィル・グループ」(GWG)が毎年、グループ会社の管理職数千人を集めた決起集会を開催していたことが分かった。昼は成績順に社員を座らせて決意表明をさせる会議を開き、夜には豪華な宴会が催されたという。GWGの折口雅博会長(45)の勢いを誇示しながら、供応と厳しい締め付けの「アメとムチ」で利益第一主義を徹底させる目的とみられる。関係者は「施設では今日明日亡くなるかもしれない重介護者を抱えている。全国から幹部を集めるようなイベントは、介護の会社は普通やらない」と批判している。

 グループ会社元社員は昨夏、リゾート施設「シーガイア」(宮崎市)で開かれた1泊2日の集会に出席した。会議は昼に3時間。在宅介護と施設介護に分かれ、成績発表と決意表明をやらされた。成績順に座り、成績の悪い管理職は会議中立たされていたという。

 元社員は当時、介護付き有料老人ホームの施設長だった。入所者を預かる施設長を全員集めたことに疑問を抱いた。「経費の無駄遣い。GWGは同じ方向に向かう共通認識を持つため、こうしたイベントが重要と考えていたようだ」と話した。

 コムスンが虚偽の申請を発端にその実態が明らかにされているが、背景として「利益第一主義」と言われるほど、利益追求の圧力が強いことが明白になっている。やはり、というべきか、もっと醒めて「そんなもんだよ」と言うべきか。

 折口会長の昨今のTV出演で「儲かっている会社がいい会社」という発言を聞いて、あまり真剣にツッコむのも寂しい思いだ。いい会社かどうかは、コムスンが良いサービスを提供できているかどうかで判断されるのであって、自分たちの視点で良し悪しを判断するのは違うのではないか。儲かれば、多少のことには目を瞑り、バレなきゃ何をやっても許されるかのように、社員は理性も良心をも捨てざるをえず、今日まで来たようなものだ。同情すべき点もあるが、責任もあろう。

 現場の者に問うのではなく、上層部はいったい何をしていたのか。“将軍様”には逆らえないのだから、やはり情状酌量の余地があるのか。橋口社長も相当の側近であるが、役員クラスはどうなのか。成績優秀の事業所の長やそのエリアの統括責任者はどうなのか。コムスンで優秀な社員は、社会が認める社会人とではギャップがありすぎるようだ。ホームヘルパーの資質もいよいよ怪しい。

 折口会長は、事業所の申請時のスタッフと監査時のスタッフの違いをつかれて、管理不行き届きだと弁明していたが、同業者はどう見ているのだろう・・・。登録変更を怠っていたわけだが、そんな簡単な話だろうか。

 開設当初、利用者が増えない中、ドミナント的に他の事業所のホームヘルパーを支援に出し(本来それもいけないのだろうが)、それが常態化し、退職や異動などの出入りもあり、事業所職員の変更届でさえ、まともにやろうとしたら出しきれないくらいの実態であったことはないか。利益追求だから、いかに少ない人数で少しでも多くの利用者をカバーするために、結果的に複数の事業所で訪問介護をさせていたことはないか。

 事業所拡大(出店戦略)。十分なサービス提供体制の確保も見込みもないまま、店舗を立ち上げてきたツケが、臨界点を越えたかのように噴出したようにすら見える。

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「収穫逓増の法則」とは・・・

2007-06-09 11:23:39 | よくわからないこと
 コムスン暴走の理由について、夕刊フジでは次のように説明している。

 その折口氏は弟分のヒルズ族と同様、ある理論を信奉するようになる。それがコムスンの暴走をもたらした。

 ITベンチャーが金科玉条とする理論は「収穫逓増の法則」。IT革命を主導したニューエコノミー経済学の骨格をなすもので、最初に最大のシェアを奪った企業だけが生き残るという理論だ。まずシェアを確保するのが先決で、圧倒的シェアを握りさえすれば、赤字は取り戻せると考える。

 2000年4月、介護保険制度がスタート。折口氏はシェア確保を最優先課題にした。

 「コムスンは全国に1200の訪問介護拠点を開設し、ホームヘルパーなど社員4400人を抱えて介護サービス事業に臨んだ。大量の拠点と社員を投入したのは、最初にトップシェアを確保するため。だが、シナリオは2カ月で破綻した。利用者ゼロの拠点が続出して、拠点と社員の大幅削減に追い込まれた。マーケティングが不十分で、シェア確保にしか関心がなかったことが原因だった」(当局関係者)

 「最大のシェアを奪うには、何でも許されるとなりがち。シェアをとるためには、赤字でもかまわないし、不正にも目をつむる。シェア至上主義が悪い形で出てきたのがコムスン。折口氏の責任は重い」(同)

 
 「収穫逓増の法則」というものが一理ある考え方だとしても、それを福祉や介護の場に持ち込もうとしたことは、まさに「食い物にした」といってもよい。本人にその意識がないから、「そう言われても仕方ない」などと言っているだけだ。大事な感性を持ち合わせていない。今さら「自分が残って社会的使命を果たしていきたい」などと言うが、社会的使命を果たすうえで重要な認識を欠いた者にできるといえるのか。身を引くことこそ、残された最善の選択ではないのか。もう一度、チャンスを与えるべきか、チャンスに臨む資格はあるのか 

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社員の幸せを追求したら

2007-06-09 09:49:46 | 思いつくまま
 『社員の幸せを追求したら社長も成果主義も不要になった』日下公人・著、ソニーマガジンズ、2002年、p.222。

 客に感動を与えて繁盛している店は今もある。ただ、それは「ワオ」「ワクワク」「ゾクゾク」と言った言葉で表されるものである。その一方で、心の琴線に「ジワー」と触れる感動もある。それが「心地よさ」ではないだろうか。

 「心地よさ」は空間からだけ得られるものではない。人間の優しさ、品性、誠実性にも、人は感動する。やはり、「人間は人間に興味を持つ」のだ。それは、人が「人間の魅力」に目を向けることでもある。人間の魅力は個性であるから、マニュアルからはそう簡単に生まれない。

 ノルマに追いかけられる社員は、高価なレンズを押し売りしかねない。そのような店では、客に「人間の魅力」を十分に味わってもらえない。だから、21では社員にノルマを設けない。

 店舗の魅力は、人によって与えられる、心の琴線をゆさぶる感動によって得られる。マニュアル通りの動きで発生するものではない。「ノルマ」に代表される、売上げを課せられている状態では、そもそも感動を生む素地を奪ってしまう。

 『目先の利益を捨てなさい』でも、

 「感じの良い店」「雰囲気の良い店」「親切な店」「生き生きした店」と、よく言われるこれらの言葉は、「店」についてではなく、すべて「人」について言われていrます。お客様に良い店という評価を頂けるのは、店についてではなく、実は人についてであることに注意する必要があります。(p.81)

 お客様の評価の基準は、自分の気分がいいことです。自分にとって感じがいいこと、自分にとって雰囲気が良いこと、親切で丁寧な接客をしてくれることに、お客様は感動されます。お客様の感動は人がかかわることで生み出されるのであり、お店や商品そのものに感動されるのではありません。(p.82)

 そんな感動をもたらせるには、教育もあるだろうが、その組織がいかに職員を大切にしているかではないだろうか。大切にされている職員は、顧客を大切にできる。それは感動を与え、評価、評判をもたらす。顧客満足は職員満足が前提となっているようだ。

 えてして一致団結して目的の達成を目指し・・・、などと言いながら、その実態は職員を指示や命令で動かし、労苦の提供やガマンの対価として給料を払っているような会社では、ほど遠いだろう 
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コムスン的なものを排除したい

2007-06-08 23:56:31 | 薬局経営
 勤務実態の虚偽申請で業務の継続が困難になったコムスン。表面的な偽りは勤務実態の届出であっても、訪問介護という福祉に携わる格好をしながら、介護保険によって不正な利益を得ていた。6万人余の高齢者が「介護難民」となりかねないと言われるが、だからといってコムスンのような企業を福祉に残しておくのと、どちらが将来にとって有害か

 いくら少子高齢化といっても、高齢者の割合が増えるだけで、高齢者が増え続けることはない。人口も増え続けなければ、対象は有限である。身内の子会社に事業を譲渡するなどというのは、法的に違反していなくても、倫理的かつ道義的に考えて、社会に受け入れられるものかどうか、考えも及ばなかったようだ。

 それもそうだろう、訪問介護というものを、売上げ拡大の手段にしているくらいだから、手段を目的にし、平気で本質を見失っているくらいだ。仁坂吉伸和歌山県知事が「法の制裁を逃れようという人間が福祉事業に手を出していること自体おかしい」「(身内への営業譲渡は)実施主体が変わるだけで、中身は同じ」と実質を重んじ、事業の新規申請を認めないとしていたのを聞いて、その通りだと腑におちる思いがした。

 不正請求は、まさに税金の詐欺そのものだ。請求面のみならず、サービスもおざなりになっているから、二重の背信行為といってもよいだろう。

 民間企業が、公共サービスを行なうということは、民間企業の良さを最大限に国民のために活かす道が与えられているわけで、利益拡大に走らせることを許すものではない。訪問介護の同業者のみならず、医療や福祉の世界で国家資格を持って携わる経営者は、とくにコムスンと大差ないような危ない橋を渡るような経営をしている組織では、胆を冷やしているに違いない。本当に冷えてくれればよいが。またそれでも冷え足りない者がいるかもしれないが。

 自ら衿を正すことのなんと難しいことか。誘惑がいかに多いのか。最大限に自律を課しながらも、第三者や社会にあえて監視され続けていくことは、公共性のある仕事に携わる組織にとって不可欠なのかもしれない 

 グッバイ、コムスン! 
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M&Aの陰で負の遺産を引き継ぐ

2007-06-06 22:59:31 | よくわからないこと
 薬局業界は調剤報酬による締め付けと努力不足で経営的に逆風のところが多い。分業率も頭打ちになっているので、M&Aにより収益を確保するのが手っ取り早いようだ。現に店舗数が増えるのを、業績が良い指標とする報道も多い。店舗数が多いことが優良な薬局であるとか、良質なチェーンであるとは少しも思わないが、経済の論理はそんなところだろう。

 M&Aにあたり、経営状況や資産、立地条件等を総合的に見て判断するのだろうが、状況が状況だけに、店舗が増やせることで、その基準が下がっている傾向を感じる。売るほうはバブルに乗じて出店したところが多く、薬局運営のノウハウや専門性に乏しく、駐車場代等の便宜供与や消耗品代等の物品供与や交際費に“たかられている”ことも少なくない。まさに「負の遺産」である。

 処方せん発行停止を恐れて、リベートの見直し(解消)申し入れは禁句として疑わない幹部もいるチェーン薬局もあるという。それじゃまるで「患部」だろうかと、皮肉りたくなる。一生、それを背負っていくのだろうか。

 確かにそういう門前医療機関には圧力もすざまじい医者が多い。協力関係など望むべくもない、建前はそうでも、実質ご機嫌伺いにすぎず、いわゆる対等の関係で患者さんに最善の医療を提供するなんて、夢のまた夢だ。こんなところに、かかってはいけない。

 幹部が苦難を背負ってくれるのならまだしも、実際にその煽りを受けるのは末端の従業員だ。泣き寝入りを余儀なくされ、この先ずっと過ごすのだろうか。このチェーン薬局は医療機関との付き合い方を明らかに誤っている。
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失敗学から危険学へ

2007-06-01 19:29:21 | Book Reviews
危険学のすすめ――ドアプロジェクトに学ぶ』畑村洋太郎・著、講談社・発行、2006年7月。

 「失敗は成功のもと」と言われていたくらいだから、失敗の受けとめ方いかんによってその先が大きく変わってくる。失敗を起こそうと思っていたとしたら「故意」だし、ハナから起きても仕方ない・起きてから考えればよい、と思っていたら計画性や準備が乏しいといわざるを得ない。

 極力、失敗が起きないように心がけながらも、図らずも起きてしまった失敗に学びながら、同様のことを繰り返さないようにしよう、その積み重ねによって失敗の発生を防止していこうというのが、これまでの「失敗学」ではなかったか。

 そうは言っても失敗の中には、起きてはならない“失敗”がある。人命にかかわるものがとくにそうだ。失敗に学ぶことは大切といえども、失敗が起きてからでは遅い。そこに失敗学の限界があり、危険学が生まれたようだ。もし想定できる事態からの逸脱を考慮し、未然に対応していくことが重要だというようだ 

 事故の背景にあるものを正しく理解するためには、事故を起こした機械そのものの来歴や技術内容の変遷についても詳しく見ていく必要がある。(p.117)

 事故を防ぐようにはこのように、メーカーの論理で版なく利用者の目線で対策を考える必要があるのではないだろうか。(p.140)

 事故が起こった場合、新聞では「A社」とか「B社」などという表現を使ってどこの会社のどの製品であるかをのかすのが常である。これでは使用する人の注意が喚起できないという問題がある。消費者がしっかりとそのものの特性を知り、潜在的な危険を認知しつえで使うようにするには、きちんと情報が伝わることのほうを優先するのが理想なのだ。そのことは、商品の売れ行きを云々する以前に大事なことであるように思う。(p.141)

 あり得ないことは起こらないが、あり得ることはどんなに発生確率が低くても必ずいつかは起こる。(p.155)

 「ドアプロジェクトに学ぶ」ということで、六本木ヒルズで回転ドアに男児がはさまれ死亡したことをきっかけに、ドアの危険性を調査したことが土台になっているが、リスクに対する考え方の要点が随所に述べられている 
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