何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

すべきことは、主体的に動くこと

2007-04-27 20:31:55 | 薬害は人災だ
 サリドマイド薬害において、日本ではレンツ警告を軽視して発売中止が遅れ、多くの被害者を出してしまった。回収は、国の指示ではなく、メーカーの自主的な対応に任せられていた時代だったようだ。

 当時の薬局では、新聞報道等によりレンツ警告をはじめ、サリドマイドに大きな疑いがあることを知っていた。大日本製薬も因果関係に否定的だったようだから、メーカーに尋ねたところで十分な解答は得られなかったかもしれない。インターネットもない時代であり、新聞報道以外にどこまでどうやって薬局や薬剤師はその疑いを独自に調査できたのだろうか。大学病院にでも尋ねて、雑誌を調べるくらいだろうか。

 入手できる範囲で調べて、疑いが濃いと思えば、その段階で国がなんと言おうとも、メーカーがどういう姿勢であろうとも、薬局が判断し、何らかの行動をとることができたのかもしれない(今になっているから言えるのかもしれないが)。

 今ふうに言えば「妊娠中のかたは、服用を控えてください」と注意喚起しながら販売を継続するという方法をとることもあろう。しかし疑いがかなりクロに近いのであれば、自主的な行動をとれるかどうかが、薬局薬剤師ができる薬害の拡大防止のための行動ではないかと思う。

 こんなことにこだわるのは、サリドマイドのことを回想したかったからではない。タミフルでも、国の見解がまとまってからその陰に隠れるように追随的に動くのでなく、自らの行動を起こそうということは述べた。今後も、何かあったときにあたふたして時を過ごさないために確認しているのだ。

 国の見解がまとまるのを待っていると、その悶々と経過していく間にさらなる被害者を生むことになる。まさに避けることができた事例だ。あたふたしているのは、まさに「沈黙の加担」にほかならない。薬局も事態を一刻も早く調査し(情報を入手し)、どこかで決断し、主体的に行動を起こすことが、患者さんを守ることにつながることを、今日、サリドマイド被害者のかたと話をして、再確認した 
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反省の意を示していると社会に認められていない、JR西日本

2007-04-25 13:37:57 | JR西に学べ
<JR福知山線事故>遺族ら出席、追悼慰霊式 再発防止誓い 4月25日11時26分配信 毎日新聞

 乗客106人と運転士が死亡し、562人が重軽傷を負った兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は25日、発生から2年を迎えた。発生時刻の午前9時18分、現場や追悼慰霊式の会場で黙とうがささげられた。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、運転士が無線に聴き入り、ブレーキ操作を誤った可能性を示唆しているが、最終的な原因解明には時間がかかる見込みだ。事故後に安全と信頼回復を掲げてきたJR西日本では、大事故につながりかねないトラブルが後を絶たず、賠償交渉や天下り問題などを巡って被害者との溝はなお深い。

 「9.11」という言い方とともに「4.25」も日本において1年の中で重要な意味を持つ日になった。阪神淡路大震災なら「1.17」であるが・・・。

 国鉄が民営化されリスタートしたJR。民間企業としていい側面や効果もあっただろうが、一方でそれまでと比べて厳しい、やりにくいこともあっただろう。変わっていないのは、企業の所在ではなく、業務が公共性を持っているということだ。競争相手が一般販売業のように容易に参入できないし、物理的な制約を除けば何かトラブルがあっても業務停止に至ることもない。顧客が不買運動を起こすこともできない。

 それだけ守られているとも言える。これは電力会社も同様で、原子力発電所の事故隠しの際にも、誰もがやりきれない思い、苛立ちを覚えたのではないだろうか。カメラの前で頭をいくら下げたって、謝ったこととして受け入れにくい。

 いまだに事件は解決を見ていない。こんなに時間がかかるものなのか。謝罪や補償について、とうにできたのではないだろうか。事故原因も、スピードの出しすぎ、ATC設置の不備などではなく、そういったことを招いたJR西日本の組織体質がどこまで見直されたのだろうか。

 不買もできなければ営業停止もできない以上、JRは非難を浴び続けながらも安定して利益を上げ続けることができる。一般の企業なら、存続していない可能性すら高いというのに。そういった特性があるからこそ、謝罪の仕方は重要だ。国民の多くも納得がいかないままいるのは、こういった側面ではないか。

 頭を下げ続けていれば、いつか国民は許すということはないだろう。屈辱的に土下座させられても、それで済むのなら簡単なことだ。これほどまでに事故後の対応が進まないのは、一方で収益を得る道が確保されたままでいるからではないだろうか。

 たとえば謝罪が済むまでの間、一律10%程度の値引きを行うとか、公共性に乏しい付随する業務は一切営業停止をするとか、そういった“経済制裁”が必要だったのではないだろうか。JRは反省の意を示すうえで自らにそれを課すことはできないのだろうか。それが国からの命令でできるのか、自主的にしかできないのかは知らないが。

 利益重視が引き起こした事故としても、代表的な事例に思われる。信楽での事故の反省が不十分だとの指摘もある。どう組織変更しようと、上層部の首をすげかえようと、方針や体質、文化が変わらなければ事故が繰り返される危険性は減らない。自分たちの経営が大きな(一般企業並みの)影響を受けないから、いつまでもダラダラと「謝罪になっていない状態」が引きずられていくように思われる 
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目先の利益を捨てなさい

2007-04-20 19:05:54 | くすり雑感
『目先の利益を捨てなさい』サブタイトルは、「お客様の喜びが「無限の需要」を創造する」。広岡等・著、東洋経済新報社、2002年12月発行。

 著者は、カー用品販売の「オートウェーブ」社長。

 従来型の小売業では、お客様の顕在ニーズを調べて、それに対応するように商品の品揃えを行っていきます。新しい商品の需要が生まれれば、売れなくなった古い商品を棚から外し、新しい商品を陳列する。こうして、売れ筋商品ばかりのラインアップをいかに作り上げていくかが、スーパーバイザーと言われる人たちの腕の見せどころとなっています。

 これに対し、売るべき商品をあらかじめ決めて、絞り込んで、集中して販売するのがオートウェーブの販売方法です。もちろん、店舗に一つの商品しか置かないのではなく、最低限のラインアップはしますが、一つの商品を圧倒的に強くしていくことで、品揃えよりも絞り込みを重視します。

 こちらが徹底的に絞り込んで売る商品を決めて、研究し、知識を深め、その商品に対して圧倒的に強くなっていく。その商品に強い担当者を一人、二人と増やしていく。他店よりも深く研究し、セールストークや展示方法をあらかじめ準備し、お客様に提案し説明し、勧めることによって、お客様のニーズにより深くアピールするようになり、その商品は売れるようになります。こちらの準備次第で、さらに売り方次第で、商品は売れるのです。 以上、p.72~73より


 商品を展示しておくだけの受け身の販売から、こちらが重点商品を絞り込み、主体的に準備して、お客様に勧めて販売することで、お客様の購買意識は変化するのです。

 しかし、そのためには単一の商品について圧倒的と言えるまでの強さと深さを持っていなければダメです。在庫や商品知識だけでなく、専門職がいてお客様のお車に合わせて取り付けや加工や裁断ができる。またどこよりも親切で早い、というようにお客様の潜在意識に届くサービスができるようにならなければなりません。 以上、p.76より

 後発医薬品の使用促進が遅々として進まないという。しかも地域薬剤師会が阻害要因のひとつとなっているという(リスファクス 2007.4.17)。

 本書を読んで、ハッと気づいた。これまで薬局では、患者さんに対して処方せんに書かれていればどんな薬でも取り揃えようとしてきた。だから在庫の多さは、ある意味、薬局の強みでありステイタスでもあった。これはドラッグストアにも通じるものがある。多くのアイテムを持つことがニーズ応えることができる、という価値観である。代替調剤でない処方薬については、これが当てはまる。

 しかし後発医薬品は、処方せんに書かれている通りでなくても、一定の範囲内で薬局が選定できるものである。患者さんの言われるがままに揃え、ひたすら在庫を増やしていくような受け身で進めるものではない(要望を聞かない、という意味ではない)。

 薬局側から提案して、主体的に擦り合わせていくものだ。その中で患者さんによって当初は多少の希望の違いがあろうとも、本当にお勧めできるものを打ち出していけばよいのだろう。この絞込みによって、必要以上の在庫拡大が防止できるのではないかと思う。事実?、米国にいたある薬剤師から、薬局が勧めるもの1種類でだいたい済んでいたということを聞いたことがある。

 後発品を選定する中で、特定メーカーの品目がお勧めだと評価されることは少ない。ある程度は絞れても、やがて大差のない品目がいくつか残る。しかし、さらに何らかの観点(当然、患者さんの視点)で絞り込みを行うのだ。文字の見やすさ、PTPからの取り出し易さでもいい。その説明をすることで、後発医薬品選定のバラツキを防ぐことができる。

 在庫の置き方は、先発医薬品と後発医薬品と異なる。これまで後発医薬品に対して、先発医薬品のやり方で進めようとしてきたから、進展しにくかったのではないか。この考え方を基本に、薬局内で後発医薬品の推奨、インフォームドコンセントを図っていけば、過剰在庫の拡大を減らしつつ、使用促進が図られるのではないだろうか 
 
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「高温」を避けて保管する

2007-04-20 13:16:23 | くすり雑感
 医薬品の貯法において、高温を避けて保管する、というのがある。一方、室温だとか冷所、常温といったように、言葉で表されているものの、日本薬局方において温度が規定されているものも多く(例:室温といったら、1~30℃)、実はデジタル的であったりする。

 局方には「高温」の定義がない。現実の中で、いちいち温度を計測して考えてもいられないが、それでも概ね、規定されていると目安になるので便利なのも事実だ。

 日常生活では、エアコンが設置されていない環境下にない真夏の気温は「高温」だろう。また、密閉された状態では、存外その中が周囲と比べて温度が高いことがある。これも高温だろう。

 何度ならよくて、何度なら安全というものではないが、通常の生活環境下を超えている、超えそうな勢いにある、そのままに置いておくとどこまで上がるかわからない、そのようなものが「高温」なのだろう。

 真夏は、高温の注意信号状態だ。既に高温である場合や、今は大丈夫でも高温になることが予見できる場合は、要注意ということだろう。

 「高温を避けて」と添付文書に書くのは容易だし、具体的な数字で示さないほうが現実的なのかもしれないが、それでも目安として「一般的に○℃以上」といったふうに併記してもらうと、よりわかりやすい。
 主観的だと、自分はそう思わなかった、という意見が出てくるからである 
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電子薬歴は使いやすいか

2007-04-19 18:27:38 | よくわからないこと
 電子薬歴は使いやすいか これを考えさせられるきっかけは、世の中が次々と電子化され、大半の接客業務にもIT化が進むのは自然の流れとしても、薬歴簿が電子化されて、
・患者さんの服薬管理がしやすくなったか、
・より安全な調剤が実施できるようになったか、
・薬局の服薬管理レベルがアップしたか、
ということである。

 確かに、薬歴簿を収納する棚が薬局内から消えてスペースが生まれたとか、手書きではない分、見やすくなったというメリットはある。しかし、これらは薬局の内部事情にすぎず、患者さんへの医療レベルの話ではない。

 調剤エラー(調剤事故でもヒヤリハットでもよい)が発生した理由を見ていくと、薬歴簿の確認が不十分なケースが散見されるのである。
 そうならば必ず確認するような習慣にすればいいじゃないか、ということになるのだが、そのページを見るに至るまで、薬歴簿のほうがノートを開くようなものだから、カンタンに遡れるし、一覧できるのだ。

 また、調剤業務は調剤室のあちこちを動き回っておこなう。電子薬歴は持ち運びができないので、調剤室内に何台も端末を必要とするし、職員同士で譲り合って使わなければならない。作業効率はよくない。で、つい画面確認をおろそかにしてしまいがちである。

 ノート形式なら、アンダーラインを引いたり、絵を描いたり、マークしたり、矢印で参照文へと誘導したりするのも自由自在でかつ容易だ。

 これらは単に電子薬歴のシステムに問題があるのか、慣れ・不慣れ、入力機能をどこまでマスターしているか、そういった問題なのだろうか。使っていけば、解消される問題なのだろうか。

 レセコンはいいとしても、現状では薬歴簿のほうが服薬管理機能において、まだはっきりと軍配が上がるような気がするのだが・・・。電子カルテとも使い方が異なるので、それといちがいに比べることも難しそうだ。

 しかし、世の中は電子化の流れはとどまるふうではない。スマートさ、格好のよさ・・・、自己満足の電子薬歴じゃいけないと思うが、服薬管理がいかにしやすいか、患者さんの調剤レベルが向上するか、そういった視点で評価するとどうなのだろう
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裏読み・タミフル使用上の注意改訂

2007-04-19 14:47:08 | くすり雑感
 4/13付で、タミフルの使用上の注意の改訂指示があった。

「治療に用いる場合には、A型又はB型インフルエンザウイルス感染症と診断された患者のみが対象となるが、抗ウイルス薬の投与がA型又はB型インフルエンザウイルス感染症の全ての患者に対しては必須ではないことを踏まえ、患者の状態を十分観察した上で、本剤の使用の必要性を慎重に検討すること。
特に、幼児及び高齢者に比べて、その他の年代ではインフルエンザによる死亡率が低いことを考慮すること。 太字が改訂部分

 前半の改訂部分では、インフルエンザと診断された患者さんがタミフルの使用が考慮されるというが、インフルエンザに限らず、診断が確定しないのに推測で処方するというのは危険なことである。
 抗生物質では、原因菌が同定されなくても、広域スペクトルの薬剤で広く菌から感染を防ごうとすることはあるが、あまりにも当たり前の話だ。
 インフルエンザと確定しないのに臨床症状や不安だけでタミフルを服用し、もしそこで異常行動等があったら、インフルエンザそのものが異常行動の原因であり危険とする厚労省の主張に影響する。タミフルと異常行動との因果関係は否定的とする見解がますます問われかねない。そういうことから、確定診断のない人に飲んでほしくないのではないか。


 後半の改訂部分であるが、添付文書において「幼児」とは7歳未満である。先の緊急安全性情報では、10代に対してタミフルの使用を差し控えることとした。
 7~9歳の場合、インフルエンザによる死亡率は低いというのは、かかっても特別の場合(ハイリスク等)を除いて、対症療法でも生命への影響は少ないということだから、タミフル処方&服用の必要性は乏しい、と間接的に言っていることにはならないだろうか。

 その小学校低学年に対し、投与を差し控えろとは言っていない。同じ表現を使ってもよいようにも思えるが、考慮しろという。考慮するのは厚労省ではない。医療従事者がどのように考慮したかどうかが問われてくるということだ。

 小児ではなく、「幼児」という言い方で3才分、さらに「必要性を考慮」タミフルの使用を差し控えさせようというのか。もっとはっきりとした言い方で、小学校以上の小児ではハイリスク状態を除いてタミフルの必要性は乏しい、とでも言ってほしいくらいだ。

 あいまいだと、実態への影響は少なく現状が変わらないまま、何かあったときの言い訳だけが増えていくようでもある。これまでの議論やいきさつを見てくると、一見、目新しさを感じにくい改訂指示だが、小出しにタミフルの使用を規制し、責任を現場に預けたように見える 
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薬局とは、研修をする施設でもある

2007-04-18 13:00:48 | 薬局経営
 今年度から“調剤をする”薬局が「医療提供施設」として動き出した。医療提供施設のひとつとして、医療法第1条の二の2に明記された。
 薬局だけが医療提供施設ではないので、これまでも医療法の中に医療提供施設であれば求められていたものが少なからずあった。

 たまたま医療法第1条の四の5に、「医療提供施設の開設者及び管理者は、医療技術の普及及び医療の効率的な提供に資するため、当該医療提供施設の建物又は設備を、当該医療提供施設に勤務しない医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手の診療、研究又は研修のために利用させるよう配慮しなければならない。」とあることを発見した。

 発見したなんて暢気なことを言っているのは、これまでは第1条の四の4に同文があったのに気がついていなかったからである。
 「薬剤師」という文言が、第1条の四の1、2にあり、3、4にはなくて、5に再登場するのである。

 しかしこの条文は、薬剤師に対してではなく、医療提供施設の開設者や管理者に課せられているものである。薬局に対して求められているものと言ってよい。
 薬局って、調剤を中心に医療も提供するけど、同時に自施設の職員のみならず他の医療従事者も含めて「研修施設」としても利用されるものである、という。

 建物がどのように使われるためにあるかということもあるが、それだけ研修というものは、医療の提供とともに重要なものであると間接的に述べられているようなものではないかと思った。

 安全確保のために投資を惜しむ経営者が少なくなく、そのあげくに事故を起こしている企業も後を絶たない。研修という、それも自らの従業員であるかどうかにかかわらず、広く研修を進められる体制を医療法がバックアップしていることの意味を今頃になって感じさせられた次第である 
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ゆっくり歩け、空を見ろ

2007-04-12 21:16:53 | Book Reviews
『ゆっくり歩け、空を見ろ』そのまんま東・著、新潮文庫、平成19年4月1日発行。

 文庫版は出て間もないが、6年前に新刊として出ている。当時ブラウン管から影が薄くなっていた時の事情で読むべきかもしれないが、現在地方自治体のトップとして飛ぶ鳥を落とす勢いにあるからこそ、また違った思いで今の心境と重ね合わせてページをめくり勧めることになる。

 生い立ちを興味本意のごとく売ってできた本ではないと思うが、それくらい東国原知事は特殊な事情の中で育ってきたことに驚かされる。詳細は本に譲るが、複雑な家庭環境、心模様の渦中を過ごしてきた。
 きれいな奥さんと結婚したが、母親も器量よしにもかかわらず、かなりの苦労を亭主によって強いられてりまった。数奇な人生は自分の代で断ち切ろうと思ったにちがいない。そしてさらに、自分や家族は、少なくとも自分が辿ったような場面を繰り返さないようでありたいと、誰よりも願っていたはずだと思う。

 タレント、芸能人、県知事という職業こそ違えど、図らずも家族が背負う事情が自分の身上に再現しているかのようだ。父親に愛されたかったから、父親も息子を愛したいのに共にそれが叶わない。母親は、亭主の豪放さに愛想をつかせてしまう、子供は両親のあつれきにまきこまれて苦労する・・・、自分が置かれた環境を自分も作ってしまうなんて因果な運命なのかと、床に着く時、思わない日はないのではないだろうか。

 淫行・・・、言い分がないわけじゃないが、あれから歯車がねじれたように回り出す。

 一生懸命歩もうとしていたはずなのにとなぜか“不運”にたどり着く。良いはずのことなのに、それに飛びつくと逆転現象が起きるかのようにトラウマができているのではないか。現在、交際の申し込みが多数来ているという。目出度い話だからこそ、うかつに話に乗れない。他の人の場合はそれで再び時間が動き出すのに、なぜか自分だけは例外的に、泥沼にはまるように思えるのではないか。それで復縁が第一希望と言っているように思う。父親もそれでとことん後悔し、命まで落としたのだから。

 元妻は再婚するかもしれない、別の人と。その時、そのまんま東は吊り橋に佇んで、投身を思いとどまって、そこでようやく普通の、元の彼に戻るのではないか。そこだけが父親とはダブらない証しであると。運命を乗り越えた証しであると。

 家族関係のねじれや妙な運命に比べたら(比べること自体、おかしいのだが)、県政のほうがよほど計算しやすいように思っているのかもしれない。休みなく活動を続けることなど、どうってことないと感じているのではないか 

 今は孤独だろうが、運命の軌道修正がなされることを、夢から覚めてフツウの時の流れが訪れることを、全くの部外者が祈りたくなる 
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未熟な者にスランプはない

2007-04-07 22:11:34 | 思いつくまま
 「未熟な者にスランプはない」

 プロ野球にテスト生で入り、スラッガーの捕手として活躍した後、プロ野球の監督に。ヤクルト時代、努力や研究不足による不振を「スランプ」という言葉で片づけてしまう選手が多かったことを嘆いて。(写真は、婁正綱氏の書)

 これは今日(2007.4.7)の産経新聞に野村克也監督(現・楽天)の言葉として紹介されたものである。まだペナントレースは始まったばかりであるが、楽天はパリーグの3位につけている。最終的に“指定席”に収まるかもしれないが、田中投手も注目されているし、楽しみがある。楽天の選手は、この言葉をきっと聞かされているに違いない。

 誰だって好不調の波がないはずがない。イチローだってヒットの出ない日が続くことだってるあるくらいだ。気が乗らないことも、不運が重なることだってある。長年選手経験のある野村監督がそれをわからないはずも、認めないはずもない。

 ただ、それを「スランプ」のひと言で片付けようとする若者の意識を戒めようとした言葉ではないかと思う。それが、あの口調だから、選手からすると、ときに伸び盛りにある選手からすると、とかく嫌味か皮肉に聞こえることがあるかもしれない。まったくの誤解であろうと思う。

 スポーツ選手でなくたって、「ここんとこオレちょっとしたスランプでさぁ・・・」などと使うこともある。そんな時、謙虚にこの言葉が思い出されるようでありたいと思う。本当にスランプなのか、努力や工夫が足りないのかと。一流の域に達したと周りから思われる者でも、真のプロフェッショナルなら、けっして自分はスランプであるなどと未熟な自分を肯定しないだろう。黙々と人知れぬところで、努力に励むにちがいない 
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チャンスは君のそばにある

2007-04-05 22:44:19 | くすり雑感
 昨日、薬が不足しているのではないかというクレームに対し、自分たちの正当性を主張しすぎるのは、たとえ薬局側が正しくても後となってはそれは通用しないか、かえってマイナスではないかと述べた。もちろん、患者の言うがままに薬を渡していたら、その持ち出し分の経済的マイナスは看過できないという批判はあるだろう。

 鈴木敏文語録「チャンスは君のそばにある」国友隆一・著、あさ出版、2006年、p.189~190。

 たとえば、お客さまが豆腐を手にしてレジに向かう途中、商品を落としてしまったとします。お客さまが「自分に責任がある」といってその商品を購入しようとしたところ、従業員は落とした豆腐をそのまま袋に入れようとしました。

 「スーパーなら取り替えてくれるのに!」と思って、取り替えるよう頼んだところ、ひと言「無理ですね」とつっけんどんに断られました。そのお客さまは腹をたて、買った豆腐をゴミ箱に棄てて帰ってしまいました。

 こういうお客さまは、もう二度と来店してはくれないでしょう。

 おそらく、お客さまが相手だから、よほど教育が行き届いていないか、常識に欠けた店員でなければ、つっけんどんに、しかもひとこと言い放つことなどないだろう。もう少し違う言い方をしたかもしれないのだが、それでも助けを求めてやってきた顧客には冷たく、非情に聞こえたに違いない。

 豆腐一丁を惜しんだために一人の顧客を失ったのか・・・、いやそうではあるまい。そのロイヤルカスタマーを失ったことで、二次的にその友人、知人たちの足をも遠のかせてしまったに違いない。さらにはそのまた友人、知人にまで風評が広まっていったとしたら、その逸失利益は計りしれないのである。

 顧客とはそういうものだ。自分にも非がまったくないとはいえないどころか、ひょっとしたら自分の誤りかもしれないとさえ思っていても、店側のそこへの思いやり、心遣い次第で、強力な味方や応援団にもなれば、完璧な敵にもなってしまうものではないだろうか。

 それが薬であれ、豆腐であれ、何であれ、同じ論理で向き合ってくるから、薬局だけはそうではないといっても通用しないのではないだろうか。たとえ顔は笑って「ゴメンナサイね、私がヘンなこと言って悪かったみたい」といってくれたとしても、心の中は、もう二度とこの薬局の世話になんかなるものか、と思っているのではないかと思う。

 そんなシカクシメンな対応をするようでは、患者の立場としては、身体の調子が悪くて、ともすればワガママや無理難題を聞いて欲しい時がやがてくるかもしれないというのに、そんなふうに対応されでもしたら、とてもじゃないがタマラナイと思われるのがオチだと思うのだ 

 だから、不本意かもしれないが、ちょっと在庫や調剤時のいきさつを調べたようなフリをしながら、そういう一見クレームにも思えるような申し出があった際は快く薬を渡してあげて、今後、投薬のプロセスの中でそのようなことがおきにくいように渡し方の改善を図ればよいのではないか と思う 
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薬の数不足のクレームはプロセスで対応

2007-04-04 18:42:01 | 思いつくまま
 年度が変わり、先月末は棚卸しをした薬局も多かったことだろう。理論値(理論在庫:計算上の在庫)と実在庫の差異はいかばかりであっただろうか。
 概ね合っているものもあれば、大幅に違うものもあっただろう。“違う”と言っても、多すぎる(渡し忘れ?)もあれば少なすぎる(渡し過ぎ?)の両方が考えられる。いずれにせよ、その原因は今となってはわからないのではないだろうか

 投薬ミスだけが原因とは限らない。入力ミス、入庫ミス、出庫ミス、紛失、販売管理上のミス・・・、いろいろ考えられる。はたして、その原因が何であるか、キッチリ突き止めているだろうか、推測の域にとどまっているのではないか。経理的な損得は結果論だ。

 こういう状況なのに、患者さんから「薬が足りない」というクレームが来ると、理論値と合っているから、薬局側のマチガエではないということが、しばしば見受けられる。これは、ともするとやりすぎではないか、と以前述べた

 棚卸しの状況を見て、改めて在庫の多少をどう思うか。薬が不足しているのではないかという申し出に対し、薬局側の正当性を主張していることに、どこか違和感はないだろうか。

 棚卸しにおいて、銀行が1円の誤差を徹底的に調べていたように、差異をとことんつきつめているわけでもない。クレーム時の在庫差異にさしたる追求もせず、患者さんには厳しい対応をする薬局。

 「ない」と言われて何でもハイハイ渡すようでは、持ち出しになることが気にならないわけではない。もちろん、二つ返事で渡すのではなく、わかる範囲で再調査はする。しかし今となってはその真偽はわからないのだ。
 むしろ今後、同様のクレームが来ない(減る)ように、投薬時に日数や調剤量をきちんと確認しながら渡す方法をとることにエネルギーを向けてはどうだろうか

 薬局の正当性を主張することで、きちんとした薬局だなんて思われることはまれではないか。むしろ、困っている患者さんへの思いやりを欠いた冷たい薬局だという印象を与えて、往々にして顧客離れの原因を作りかねないのではないかと危惧する 
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よき経営者の姿

2007-04-03 23:22:34 | Book Reviews
『よき経営者の姿』 伊丹敬之・著、日本経済出版社、2007年

 本書は経営者のあるべき姿を、顔つき、仕事、資質、育ち方、失敗、退き際の6章から分析し、解説したものである。帯にもあるように、昨今の経営者の多くに対して「社長ごっこはもうやめよう」と、自らの姿に対して冷静な反省を求めている。

 折りしも、関西テレビの社長が、ようやく辞任を表明した。

関テレ:旧体制引きずり信頼回復できる?…疑問の声噴出

情報番組「発掘!あるある大事典2」のねつ造問題で、放送への信頼を根幹から失墜させた関西テレビ(大阪市北区)。経営責任を追及され続けてきた千草宗一郎社長は3日、ついに引責辞任を発表した。その一方、千草社長は取締役として経営陣に残り、陰の実力者とされるフジテレビ出身の出馬迪男会長の留任も決定した。「再生」を誓う関テレだが、旧体制を引きずったまま信頼回復ができるのか。疑問の声が噴出している。

問題発覚から2カ月半。千草社長は「ずっと責任の取り方を考えてきた。再発防止策を構築するのが責務だと考えてきた。問題が大きくなり、視聴者に対する説明責任を果たした後、最終判断を下すべきだと考えていた」と、この日に判断が至った経緯を明かした。

一方で、取締役として経営陣に残る判断について、「きちんと責任を取ったと考えているのか」「不信払しょくにつながるのか」と報道陣から厳しい質問が相次いだ。しかし、千草社長は「今後、再発防止、改善に努め、視聴者の信頼を取り戻すことこそが、責任を果たすこと」とかわし、判断が甘いとの批判を一蹴(いっしゅう)した。

また、処分が報酬の自主返上だけにとどまった出馬会長の責任について、「会長は、会社経営全般をみていく。社長は業務執行の最高責任者ということで、同じ代表権者でもそこが違う」(片岡正志常務)と苦しい説明。千草社長も「すべて私の責任と思っております」と答えるにとどまった。

 「よき経営者の姿」とは正反対であることはいうまでもない。番組をおろそかにしておきながら、直接自分が手を下していないことで、結果責任はあるとしてもあまりにも罪の意識に乏しい。番組への信頼性を確実にしてこなかったのは担当者だから、自らの責任は軽いと思っているのではないか。減給程度で済むと思っていたのかもしれない。
 番組へのコミットメントをたいして行ってこなかった、不作為にも近い状態ではないのだろうか。

 だから突然、権力の座から追われることに抵抗する。しがみつくともいう。自らの運営や人事の誤りこそ、最大のミスであることに気づいていないようにすら見える。明らかに退き際のタイミングを逸しているようだ。

 まだ体力的にも年齢的にも、十分できる思っているにちがいない。しかし判断能力において、とっくに終焉を迎えていることは明白である。数字的な年齢が問われているのではない。

 本書では、「こうした退き際の間違い、とくに「まだ」の間違いを起こさせる最大の要因はおそらく、権力への未練である。未練が、「まだ」と思わせる。」(p.208)と述べている。
 経営陣に居残る(居座りつづける)というのだから、これからも影響力を行使し続けるということだ。それでは退いていないことと同じではないか。「もっとも醜い退き際であろう。」(p.208)という、まさに典型的な悪しき経営者の姿が、関西テレビでは進行している。経営陣ではない社員の悲哀はいかばかりか 
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パワハラ

2007-04-03 08:44:22 | 思いつくまま
<働く人の法律相談>パワハラ 鍛えてやろう、では済まされない 朝日新聞 2007.4.2

 異動の季節です。管理職に昇進した人もいるでしょうが、上司が権力を笠に着て部下をいじめる、いわゆるパワーハラスメント(パワハラ)には要注意。「鍛えてやろうとした」「よかれと思って」などといいますが、どんなつもりであるにせよ、一線を越えた行為は許されません。最近は裁判となる例も少なくないのです。

 パワハラは、受ける側の人格権を侵害する違法行為です。

 違法性を判断するポイントは、①指導や命令が業務上必要か、②必要だとしても、解雇目的や相手をおとしめようなどという不当な動機がないか、③従業員が通常甘受すべき程度を著しく超える苦痛を与えていないか、などの3点です。

 実際にあった例では、古い伝票を破る作業を1日やらせたり、会社の就業規則を延々と書き写させたり、漢字テストを繰り返しやらせたり。明らかに業務との関連性がなく、社員に苦痛を負わせるようなこれらの行為は違法です。

 ここまでいかなくても、極めてささいなミスを必要以上に強くしかったり、長時間にわたってなじったり、ほかの従業員の前でつるし上げたりすることも違法となることがあります。足や机をけるなどの暴力、能力を侮辱する言葉、差別的な発言は論外です。

 パワハラには、防止を義務づける明文の法律はありません。しかし内容の程度が著しい場合は、上司は人格権侵害による不法行為責任、会社は使用者責任や、働きやすい職場を保つよう配慮する就業環境配慮義務があるとして、損害賠償請求を受けることがあります。従業員がうつ病になるなどして会社を休まざるを得なくなった場合には、治療費や休業損害の請求も加わります。

 「自分が若い頃はもっとしごかれた」などと言っても始まりません。違法性の判断には、パワハラを受けた側の心情も考慮に入れられ、多少の個人差もあります。部下それぞれの性格や普段の行動を見極め、一人ひとりの指導のあり方を決める。それが上司のマネジメント力でしょう。(弁護士 棗一郎)

 パワーハラスメントについて、ネットを探せばあちこちに解説がなされているにもかかわらず、読んでたいへんわかりやすかったので、記録に留めておくことにした。
 陰湿度の程度や被害を受ける側の感度によって、何事もなく済むこともあれば、事件に発展することもある。一見、事件に至らずに済んでいるように見えることのなんと多いことか。

 組織の歪みといった一言で済ませられるものではないだろうが、子どもへのいじめと同じで、周りが立ち上がることで“多少は”防げるもの、救われるものがあるのではないかと思う。
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