「察知力」 中村俊輔・著、幻冬舎新書、2008年5月30日
あることへの到達はゴールではなく、さっそく次の段階に向けてスタートである。
全く同じ場面(局面)は二度と現れないとはいえ、もし訪れたら次はもっとうまくやろうと反省を積み重ねる。毎日が引き出しを増やすための準備。実践すれば反省。目標を高くすることで、危機感も変動する。
p.17 壁があるほうが僕は落ち着く。どんなに分厚い壁であっても、それから逃げることはない。逃げようという気持ちも起きない。どんなに困難で、たとえ、ぶつかって砕け散ったとしても、“ぶつかった”ことで得るものがあるから。
準備も充電も計画的に行う。足りないものがあれば補い、間違っていれば修正する。
危機感から準備が生まれる。悩むことが成長を促す。24時間すべてを今の自分に向けているか。
p.110 新しい環境に馴染む努力をしないのなら、環境を変えた意味がない。たとえそれが修行のような毎日であっても。修行を経たからこそ、成長できるのだ。
p.152 違うタイプの選手から自分にないものを学びたい。いろんなことを吸収しながら、引き出しを増やしつつ、自分のやり方、プレーの質を高めようと考えている。
トップレベルで戦っている人の多くが、そういう感覚だと思う。他人を妬んでいる人は、伸びない。自分の足りない力を分析せずに、他人を妬んでいても意味がないのだ。
p.165 未来に活かすことができれば、どんな失敗でも「成功」だ。確かに、“その瞬間”“ある時期”は、失敗だったと思うかもしれない。でも、それを次に活かすことができれば失敗にならない。
p.178 大会が終わったときにたくさんの課題を見つけたかった。今まで感じていたことを再確認することもあるだろうが、できれば「新しい課題」を見つけたいと思っていた。これまで気がつかなかった短所を知ることができれば、新しい引き出しを増やせるから。
ある結果に対して、日頃からやってきたことが、貯えたはずの力が発揮できればよいが、そうでなかった時、わかりきっていたことを反省するのは残念だ。こんなはずじゃなかった、けっしてできないことではなかった、後悔が先に立つ。
そうではなくて、まだまだ自分に足りないものが見つかって、それを身につけることでさらに上に進めるという、原因の再確認より「新たな発見」を楽しみにしている。
その引き出しが自分には欠けていた(持ち合わせていなかった)と。どこまでも「原因自分論」のナカシュンだ。
あることへの到達はゴールではなく、さっそく次の段階に向けてスタートである。
全く同じ場面(局面)は二度と現れないとはいえ、もし訪れたら次はもっとうまくやろうと反省を積み重ねる。毎日が引き出しを増やすための準備。実践すれば反省。目標を高くすることで、危機感も変動する。
p.17 壁があるほうが僕は落ち着く。どんなに分厚い壁であっても、それから逃げることはない。逃げようという気持ちも起きない。どんなに困難で、たとえ、ぶつかって砕け散ったとしても、“ぶつかった”ことで得るものがあるから。
準備も充電も計画的に行う。足りないものがあれば補い、間違っていれば修正する。
危機感から準備が生まれる。悩むことが成長を促す。24時間すべてを今の自分に向けているか。
p.110 新しい環境に馴染む努力をしないのなら、環境を変えた意味がない。たとえそれが修行のような毎日であっても。修行を経たからこそ、成長できるのだ。
p.152 違うタイプの選手から自分にないものを学びたい。いろんなことを吸収しながら、引き出しを増やしつつ、自分のやり方、プレーの質を高めようと考えている。
トップレベルで戦っている人の多くが、そういう感覚だと思う。他人を妬んでいる人は、伸びない。自分の足りない力を分析せずに、他人を妬んでいても意味がないのだ。
p.165 未来に活かすことができれば、どんな失敗でも「成功」だ。確かに、“その瞬間”“ある時期”は、失敗だったと思うかもしれない。でも、それを次に活かすことができれば失敗にならない。
p.178 大会が終わったときにたくさんの課題を見つけたかった。今まで感じていたことを再確認することもあるだろうが、できれば「新しい課題」を見つけたいと思っていた。これまで気がつかなかった短所を知ることができれば、新しい引き出しを増やせるから。
ある結果に対して、日頃からやってきたことが、貯えたはずの力が発揮できればよいが、そうでなかった時、わかりきっていたことを反省するのは残念だ。こんなはずじゃなかった、けっしてできないことではなかった、後悔が先に立つ。
そうではなくて、まだまだ自分に足りないものが見つかって、それを身につけることでさらに上に進めるという、原因の再確認より「新たな発見」を楽しみにしている。
その引き出しが自分には欠けていた(持ち合わせていなかった)と。どこまでも「原因自分論」のナカシュンだ。