何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

薬局はレスキュー隊

2011-03-27 15:00:06 | 薬局経営
 東日本大震災から2週間余経過した中で感動したことの一つが東京消防庁ハイパーレスキュー隊による活動だ。放射能という見えぬものを相手に、危険に対してギリギリのところまで迫り、国民の安全確保のために尽力してくれたことに、会見を聞いてこれほど頼もしい人たちはいないと思った。日頃の訓練があったからこそ、行なうことが出来た。彼等にしか出来ないことでもあった。その緊張感、恐怖心はもちろんのこと、悪条件の中での闘いでもあった。 

 ここまでの特殊事情ではなくても、日頃の成果をもって、自身の出来る限りの技量を持って国民のために活動するというのは、医療従事者の姿だろう。膨大な知識や特殊な技術を持ってメスを握る医師やそのチームであれば、やはり病気に対する“ハイパーレスキュー隊”にも相当するだろう。

 単にビジネスでやっているのではない。突然の出来事に対し、国民のために身を投げ出して全霊で取り組む。困った人や局面に対し、自身に出来ることがあると思えば、逃げることなく果敢にチャレンジする。そのために日夜、自身を鍛える。

 現在、被災地やその周辺にいる薬剤師も、この非常事態に対し、自身も苦しい立場に置かれながらも、避難者はもちろん、住民に対して精一杯のかかわりをしていることだろう。最前線に参加していない自分がもどかしくもある。

 しかし、被災地だからレスキュー隊的な活動が求められるのではない。そこまで切羽詰まった状況ではないにせよ、患者からすれば、薬という未知の物を服用するにあたり、それに精通した薬剤師が安全確保を受け持つのは薬局の責務そのものであるし、日常業務がまさにレスキュー隊に匹敵する活動なのだと思う。
 だから、スタッフには国民のために今日も活動して欲しいと思うし、そのために支援できることは
支援し、日頃から研鑽を積んでおくことも必須の活動と位置づけたいと思う。
 

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福島第1原発 「見えぬ敵との戦い」 消防3隊長が会見
毎日新聞 3月20日(日)1時23分配信

 東京電力福島第1原発3号機への放水作業を行った東京消防庁のハイパーレスキュー隊の第1陣が19日夜に帰京し、主に同隊で構成する緊急消防援助隊の佐藤康雄総隊長(58)=東京消防庁警防部長=ら3人が会見した。佐藤総隊長は、隊員が受けた最大の放射線量が27ミリシーベルトだったと説明し「幸い隊員139人の安全を確保し、連続的で大量の水を注入するミッションを達成できた」と安堵(あんど)の表情を見せた。

 現地では放水用の屈折放水塔車を、3号機の壁まで約2メートル、核燃料プールまで約50メートルの場所に止めて作業したという。

 特殊災害対策車で周辺の放射線量を測定し部隊の展開も考えたとされる冨岡豊彦・総括隊長(47)は「通常の訓練とは違うが、このメンバーであれば(任務を)クリアできると確信した。一番大変だったのは隊員ですね」と語った後、言葉をつまらせた。やや間を置き「隊員の家族に(心配をかけて)本当に申し訳ないとその場でおわびとお礼をいった」とつらそうに語った。

 高山幸夫・総括隊長(54)は原発敷地内で給水車と放水車の間約350メートルを、1本50メートル、重さ100キロのホース7本でつなぐ手作業を指揮した。「見えない敵との戦い。いかに隊員を短い時間に安全に(作業をさせる)、というのが大変だった」と振り返った。一番長く活動した隊員の作業時間は約1時間に及んだという。

 また、佐藤総隊長は石原慎太郎都知事から派遣命令があった直後、妻に「これから福島原発に出動する」とメールし、妻から「日本の救世主になってください」と返信があったことを明らかにし「(今は)ゆっくり寝たいです」と話した。

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ポイントカードをするのではなく

2011-02-13 12:17:34 | 薬局経営
 調剤ポイントカードをしていることに意味について、先に考察した。
 ならば薬局はポイントカードをしなければよいか、止めればよいかというと、それだけではこの問題の着地点として不十分ではないかと考える。
 
 ポイントカードは薬局の本質的サービスとはかけ離れており、値引きによって集客を図るツールであり、保険医療体制を崩すものである。その意味において、ポイントカードでなくても類似のことをしていれば、もしくはしようと発想するならば同じことである。そのような考えの背景には、少ない労力で、効率よく、どの店舗にも導入できて、売上増を目的とする企業的側面が浮かび上がる。

 だから当局からも「そもそも医療提供施設である薬局は、適切な調剤、適切な服薬指導で地域に信頼されるべき存在」(日刊薬業 2010.11.17)「薬剤師は医療の担い手、薬局は医療提供施設であり、より質の高いサービスを提供すべき」(同 2010.12.15)とのコメントが出てくる。進むべき道や本質を見誤ってはいませんか、という警告ともいえる。

 ポイントカード問題は、医療提供施設であろうとする薬局が、ますます企業化しようとする“薬局”がカンタンに客を奪おうとすることへの妬みではない。国民からすれば、薬局が本来の役割や責務を果たしてくれることが重要で、内輪でポイントカードを否定しているだけでは問題の本質は改善しない。仮にポイントカードが禁止されても、国民からすれば薬局の質の向上なくしては納得しにくい側面もあるのではないか。

 このことは以前、某県のある病院で院外処方せんの引き上げがあったときにも議論されたことを思い起こさせる。保険薬局で提供してきた価値が、病院側から利便性を突きつけられて十分な評価が得られなかったことと同根ではないかと思われる。

 よって今後、ポイントカード問題が決着しても、そこは通過点に過ぎず、ゴールではないと考える。薬剤師は医療従事者として職能を発揮し、薬局は医療提供施設として機能し、それによって国民から“薬局が自分たちの薬物療法の安全確保のために係わってくれるから安心して生活ができ、必要な存在である”との評価が得られるよう、常に成長を続けていかなければいけないのではないかと思う。
 少なくとも調剤報酬で新たに提示される課題にも取り組まなければいけないだろうし、それもカタチ作り程度の中身では不十分だろう。さらに新たな取り組みがあってもいい。
 薬局のあり方を再確認したうえで、さまざまなやり方や工夫をすることが重要ではないだろうか。

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ポイントカードから見えるもの

2011-02-11 17:58:12 | 薬局経営
 以前から問題視されていたものの、昨秋より具体的に表面化してきた調剤ポイントカード。厚労省からの通知を受け、日本薬剤師会では自粛を呼びかけるものの、日本チェーンドラッグストア協会(JACDS)では会員に「冷静で常識的対応を」と言うに留まっている。派手にやらなきゃいいでしょ、1%であれば「過度には当たらない」のでお咎めなし、といった受け止め方だ。

 ポイントカードを行う“会社”に見られるのが、「行政に確認し、大丈夫」「厚労省に確認を取り、お墨付きをもらった」といった言い分である。当局が、具体的にどのような文言で伝えたのかは明らかではないが、ポイントカードを始めるにあたり、何らかの懸念、不安があったのは確かなようだ。そして調剤の自己負担金に対してもポイントを付与したかったのだ。

 ポイントとは、その店であれば使える金券と同じで、集客を目的とした道具である。「(調剤に際して)患者のためのもの」と述べる経営者もいるが、患者にとって支払い面に寄与するだけで、医学薬学的に意味のあるものではない。詭弁のように聞こえる。

 溜まったポイントを自己負担金の支払いに使用するのは減免にあたり、健康保険法に抵触するものの、ポイントを加算するだけで他の物品の購入に当たるのであればそれにあたらないとするのは、法的な解釈以前に「実質的な値引きと考えるのが普通の市民感覚」(RISFAX 2010.12.6)ということだろう。オブラートや包帯、絆創膏を買えるのだ。

 その“薬局”がポイントカードサービスを導入するという行為に対して、消費者はその組織が、その“薬局”はポイントカードで間接的に値引きを行い、患者を囲い込もうとしているのだということを瞬時に理解するだろう。下心以外の何ものでもなく、難しい話ではない。

 小売業なら構わない。しかし、薬局は医療提供施設である。一部負担金は「調剤」という医療行為によって発生するものだ。社会保障のひとつとして税金で賄われている行為にポイントを付与するのは、あなたの治療に支払われる税金の一部を肩代わりしますよ、と言っていることに等しい。税の一部を代わって支払うくらいなら、最初から今の調剤報酬の額を支払わなくても大丈夫ですね、と言われても仕方ないことになる。

 明確に禁止する規定がないことから、厚労省は最近の通知でも明らかに減免に当たれば「違反」であると述べるに留まっている。現在の状況は「シロ」ではなく、限りなく「グレー」ということではないか。
 ポイントカードを行う“薬局”も「グレー」だと思ったから、当初、厚労省に問い合わせたのだろう。「グレー」であれば、そこからはその組織の見識に委ねられる。照会した時点で「制限するものはない」とはいうものの、それはそのような法解釈に至ったのではなく、法律が追いついていないのだから、一部負担金に付与するという行為の意味を自ら考えて、常識的な対応をして欲しいという意味に解釈すべきだったと思う。

 ポイントカードを実施する“薬局”に対して透けて見えるのは、自己負担金の一部を還元して、集客してさらに売り上げを上げたいとする姿勢だ。売上げを上げる、伸ばすことを目的としている組織だ、ということだ。
 いかなる活動も維持、発展させるために相当の利益は必要であるが、医療費の一部を肩代わりしてまで売上げを上げようとするのは、もはや医療提供施設とはいえない。医療提供施設は、自身の職能や専門性を持って評価を受けるのを基本とすべきだろう。だからポイントカードがアリならば、医療法を再度改正して、医療提供施設から外してはどうかとさえいわれてしまう。

 ポイントカードを是認するのは、自らが小売業に立脚しており、売上拡大を活動の重要な目的とする会社であると宣言しているようなものだ。
 果たして6年生を経たこれからの薬剤師が就職するに、ふさわしい就職先と言えるだろうか。グレーな部分に対して理性的な判断が出来ないという側面も露呈した。ポイントカードさえしていなければ良いと、ただちに逆を言う事は出来ない(売り上げ優先で、医療提供施設を基盤としていなければ同じ)。
 ポイントカードを導入しているかどうかは外からも見える、わかりやすい指標である。将来、医療従事者としての薬剤師として活躍したいのであれば、どんなに求められても、そのようなところへの就職は、私ならお勧めしない。

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算定より意義を果たす

2010-04-12 22:28:22 | 薬局経営
 調剤報酬が改定となってもうじき2週間が経過しようとしている。改定があると、過去と相変わらず、どのようにして加算を算定しようかと躍起になっている薬局の話を聞く。

 調剤報酬改定は、今後、薬局が社会の中でどのような役割や機能を果たすべきか、その方向性を表わしており、そのうえで取り組みを評価するものなので、どうやって算定しようかではなく、何を果たしていくべきかに重きを置いて理解すべきではないだろうか。

 調剤報酬の算定項目や要件は知っておかなければいけないが、目を向けるのはそこではなくて、その項目がなぜ登場してきたか、何が期待されているのか、である。それを知ったうえで、算定率を上げるのではなくて、その目的を果たすことを優先してほしいと思う。目的を果たそうとする中で、算定要件に合った場合のみ、算定するようでありたい。

 医薬分業も60%を超えてきても、国民からその評価がついてきていない。新潟県厚生連の処方せん院内引き上げや薬局窓口において「薬局はなぜそのようなことを聞いてくるのか」等の患者からの不満の声がそれを表わしている。
 ジェネリックも、処方せんベースでは80%以上の薬局が30%を超えて後発医薬品調剤体制加算を算定しておきながら、数量ベースでは全体でかろうじて20%を超えた程度だ。

 数量ベースが上がっても、金額ベースが十分についてこなければ意味がないし、将来にわたってジェネリック化が進むようでなければ、加算だけ算定できていたとしても意味がない。
 ハイリスク薬も、単なる指導程度や定型的なインタビュー、また患者にとって意味がわからない質問のくり返しであったとしたら、算定のための取り組みにすぎなくなる。薬局が患者の安全確保を果たそうとしていることについて理解を得て、評価がついてこないようでは、薬局に点数をつけても意味がないと言われてしまう。
 地域において薬局の存在が不可欠であると評価されることが、地域医療への貢献にもなる。医薬分業の意義を果たすことが地域医療にもつながる。

 意義を後回しにして算定に走らないようにしよう。算定できても評価の伴わない、中味に乏しい取り組みで済ませることがないよう、深めることを使命としたい。

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台数より品質を徹底

2010-03-19 22:47:24 | 薬局経営
 台数(売上)より品質を最優先する、ということに、本気でそう思っているのなら、実践されて、変わるのなら素晴らしいことだと思う。

 これまで台数至上主義を敷いてきた歴史や体質があるのだから、180度の方向転換だ。その体質を築くにあたり、自動車という「人を運ぶ輸送手段」を製造しているのだから、品質であり安全を優先すべきだと主張してきた社員が、少なからず脇に追いやられていたことと思う。そのような社員の復権があってこそ、またそうしてきた上層部の大幅な刷新があってこそ、この言葉を信じたいと思う。
 
 上層部の地位や権限がそのままで、考え方だけ変えるなどということは、これまで築いた文化を訂正するのだから、自らの不適切な判断の非を認めることが重要だ。それは口頭ではなく、社員の地位や権限の見直し、ときに逆転をもって現わしていただきたい。

 それでこそ、トヨタは再生しようとするのだ、という意志を内外に示すことができると思うし、この言葉がより輝き、活きてくるのだと思う。

 医療も、薬局も同じだ。全世界からバッシングを受けるまでもなく、原点に返るべきだと思うし、それが出来たところが将来に残るべきだと思う。

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トヨタ社長「台数より品質を徹底」 地域別に新車戦略 日本経済新聞 2010.3.18 http://bit.ly/aeHk4Q

 トヨタ自動車の豊田章男社長は17日、日本経済新聞のインタビューに応じ、一連の品質問題について「つらく、悔しい思いはあるが、必然的に起こったと思うべきだ」と指摘、経営改革を急ぐ方針を示した。事業規模の急な拡大で人材育成が遅れたとの反省を踏まえ、生産・販売台数より品質を最優先する考えだ。新興国市場の開拓に向け、地域ごとの実情に即した新車開発・販売を徹底する意向も表明。自動車業界の国際再編の動きとは一線を画し、グループの力の結集で厳しい経営環境を乗り切る姿勢を示した。

 トヨタは2000年前後から生産・販売台数が年間50万台規模で拡大。豊田社長は「02年度に年600万台を超えたあたりからスピードが急に上がり、人材育成の時間が十分にとれなくなった」と述べた。品質問題を機に「本当に顧客第一だったのか、気づかされた」と振り返り、量の追求ではなく品質への対応を徹底する考えを示した。
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自分が情けない

2010-03-10 23:15:29 | 薬局経営
 今年は調剤報酬改定、およそ発表されているので、今後はその解説や細部を把握していくことになる。毎回、疑義解釈(Q&A)も1~2回は出されるので、それを逃さないことだろう。

 さてそんな調剤報酬改定も、ジェネリックの数量ベース評価が大きく経営に関係してくる。またハイリスク薬についても無視できない。

 しかし、思うのだ。もう、点数がつくからそれを取りにいくような取り組みはやめようと。評価項目には、それぞれに意味がある。その意味を果たすことに取り組もうと思う。それが出来ただけ、点数を算定しようと思うのだ。

 処方せんベースでは、結局80%以上の薬局が算定しているといっても、数量ベースではいくらも伸びていない。算定のためにジェネリックが処方中に最低1品目あればよいとしただけで、加算に込められた意味に応えていない。2012年には数量ベース30%にすると予告されており、処方せんベースで考えているのは仮の姿だとわかっているはずなのに、20%を超える薬局すら少ない(中には門前医療機関が変更不可という事情もあろうが)。

 今改定によって、改めて算定のための業務が目論まれるとしたら、いったい、医薬分業はどこに消えてしまったのだろうか。患者の生命や健康の安全を守る役割を担っているのに、建て前にし過ぎではないだろうか。
 一般の者では薬物療法における適正使用や安全確保の評価が出来ないから、専門職能を有する専門家(薬剤師)がいて、国民に成り変わって薬学的管理という任務を負っているはずだ。だから薬局で薬をもらうのと、そうでないもらい方をするのとでは違いがあってよく、それがより評価される必要があるのだろう。

 算定を主眼に新年度の収支を計算する薬局もあろう。調剤報酬改定はいかに患者とつながりを持って、積極的にかかわり、理解が得られるかにかかっている算定項目ばかりが重要なところに位置付けられているのが近年の特徴であり、それは薬局の本質的責務を投影したものといえる。
 それを果たし、向上させていくには教育や研修、また情報なくしてはできないものばかりである。経営が苦しいからと、それらの経費削減を考えたり、脇に追いやったりするのであれば患者には十分なことが提供できなくなるから、ますます縮小のスパイラルに入っていくだろう。

 公共性のある薬局において、その業務を営利事業だと位置づけているとしたら、それらの間接的な側面を削ろうとするかもしれないし、至るところで効率を求めるだろう。
 算定重視の取り組みを強化していて、どうやって患者の心をとらえることができようか。薬局内部から見ても、もちろん国民から見ても、その薬局は国民のことなど十分に考えていないことが伝わってしまう。隠そうにも取り組みに下心を見てしまうだろう。そんな薬局が内外から受け入れられるはずがない。

 教育や研修等を削減し、力も入れず、十分なことをやったような形をとる姿勢。それじゃ患者に対してあたかも責務を果たそうと見せかけているにすぎない「安全偽装」のようにすら思われる。表向きはまじめそうな顔をしておきながら、裏ではそろばんをはじく。患者が喜ぶ顔を見てうれしいのではなく、通帳の残高に興味があるようなものだ。医療提供施設である薬局が教育や研修、情報をなしがしろにしながら、あたかもやっているような態度をとるなんて! そんな経営を制止できないとしたら、不本意にも加担していることになるし、責任も免れないだろう。患者には申し訳ない限りだ。
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医療そのものが社会貢献

2010-03-04 23:06:25 | 薬局経営
 医療そのものが社会貢献である。医療に携わること自体、既に社会に対する目的を背負っている。医療に携わることで、自動的に目的が発生するので、それとは異なる目標は社会貢献とは相反したり、妨げたりするものであってはならない。

 医療サービスによって患者が健康を取り戻し、経済的価値を生み出せるようになれば、患者自身にとって意味のある「生」を送ることができると思えば、医療は経済的効果をもたらすことになり、国民は医療を評価し、対価としてフィーを支払う。

 であれば、医療を提供する側は、国民の健康回復、維持、向上に全力を挙げることに意義がある。その取り組みが評価されることで売上が発生するのである。評価を得ることなくして、まず売上や利益ありきであるのは本末転倒だろう。
 であれば医療は医療、経営は経営、別々であったり併行や二律背反の関係ではなく、延長上の関係ではないだろうか。

 売上や利益が最初にあって、それを得るのに必要な投資を考える思考は、効率を追っている。収益が得られる程度に、サービスの質を考えるようなものだ。いかにコストをかけないかではなく、いかに評価されるかが筋ではないか。質の追求がなければ、医療の向上にもつながらない。どの程度のサービスをすれば収益が得られるかと考えていたら、もはや患者志向ではない。

 個々の患者に応えるよう、とことん医療サービスの質向上を常に考える。それが評価されることで、評価に見合った収益が得られる。それが医療と経営の関係であり、考える順番ではないだろうか。
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先発品まがいのジェネリックからの脱却

2010-02-18 21:51:49 | 薬局経営
 なぜ保険薬局で後発品への変更の説明を受ける人が少ないのか。保険薬局は後発品の使用促進に消極的だと言われてしまうのか。

 これまでは後発品調剤体制加算4点の算定条件は、処方中に1品目でも後発品が含まれている処方せんが応需処方せん全体の30%以上とされていた。
 その中には、後発品使用促進が開始される以前から先発品と思われていた薬剤が含まれている処方せんが多い。処方中にこれらがあれば算定要件クリアにつながる処方せんとなるので、それ以外の薬剤まであえて後発品に変更を促してこなかったのではないか。後発品使用促進は、国の医療費削減を意図された施策でありながら、薬局の行っている行為は、自身の収益を睨んだ行動だったともいえそうだ。後発品使用促進が進展しないのは保険薬局が積極的でないと追求されようと、非難の矛先を向けられようと、30%をクリアしていれば、十分ではないかもしれないが最低限のことをやっていると自身を許していたのかもしれない。もっと積極的でない薬局が他にあるのではないかと・・・。
 
 しかし約80%超の薬局が4点を算定している。皆が他の薬局のせいにしてきたようにも見える。であれば処方せんベースで30%クリアしていることだけでは、最低限のことを行なっているとは言い難い。
 よって処方せんベースの評価でジェネリック使用促進を図ってきたにもかかわらず、使用量を十分増やすに至らなかったのは先発品まがいの後発品の存在に頼っていたことが大きかったと思われる。処方中に1品目でもあればいいのだから、処方を見た瞬間にそれ以上勧めなくても済むことがわかるのだから。「薬局にとって」勧める必要がないのであれば、「説明を受けたことがない」患者が多いという調査数字もさもありなんと思う。

 来局時に後発品を勧めるためには、まず後発品とはどのようなものであるかを理解してもらい、それを使用することについて同意を得て、使用する後発品を選択しなければいけない。通常の調剤に加えてこれらを行うにはたいへんな労力を要することも、消極的にならざるをえない一因だろう。
 簡単な説明すぎても理解は得られないだろうし、よくわからない説明であれば使用する決断も生まれない。時間をかけるあまり、1人の患者に要する時間の積み重ねが他の患者の待ち時間に影響することにもなり、苦情や評判を気にする薬局では相当の圧力にもなる。そこが「待っても食べたい、並びができるラーメン屋」とは違うところである。病人を待たせて平気でいるには、相当の事情や状況がなければ難しい。

 処方せんベースでもいいから、加算算定のハードルを処方せん中1品目から2品目にすれば、現状より進展は見られていたかもしれない。いずれ2012年には数量ベース30%にすると言われているのだから、算定要件は「処方中1品目」であっても、自主的に「処方中2品目」(あるいはそれ以上)として取り組んできた薬局は、今改定によって、少なくとも20%を超えているのではないだろうか。

 2010年改定は数量ベースで20%、25%、30%の段階制である。30%に満たない「20%以上」でも加算がつくのは、厚労省の温情かもしれない。2012年改定では30%のハードルに一本化されても文句はいえないだろう。
 保険薬局は、先発品まがいの後発品で加算が支えられてきたし、これからもそうである。それが黙認されているのも、厚労省の温情だと理解できる。薬局側では旧来通りにしているだけで、何の苦労もいらない(かった)のだから、不労所得を許してもらっている(いた)ようなものだ。ある後発ビタミン剤など、同一成分内で最高薬価であることもあり、事実上、先発品的な位置づけにある薬剤である。医療費削減の観点からすればそのような薬剤を加算対象から外すことにも一理ありそうだが、数量ベースを稼ぐうえで相当の影響が及ぶから、現場の反発や混乱を思うと見直しは難しいのかもしれない。
 
 保険薬局は、いよいよ先発品まがいの後発品に依存していられる状況ではなくなった。現状を前進させなければならないが、それに水を差すかのように、薬価の逆転現象が起きている薬剤を、数量ベースカウントの対象から外すことが決まった。薬価の逆転現象が起きている薬剤の中には、一部、先発品まがいの後発品も含まれており、それらが評価の対象から外されたのはある意味、当然ともいえるのではないか。
 
 先発品まがいのジェネリックに頼るだけでは、今後、加算算定につながらない。算定が強く意識されることで、それは「医療費削減のため」や「患者のため」ではなく、「薬局の収益のため」の取り組みになっているところが、事情はわからないでもないが、釈然としないところである。
 変更に至るには薬剤師の職能が活かされてこそなので、加算算定は薬剤師の取り組みが評価されたのだと理解する向きもある。しかし、それは患者に働きかけて達成されてのこと。水面下で処方医に手を回して、後発品の処方を依頼しようとする動きもあるらしい(それも1日3回服用製剤を中心に)。そうなれば処方を隠れ蓑に、「処方されているから」を理由に患者への説明から逃れ、半強制的に後発品調剤を進めていくのだとしたら、患者はその事実を不本意に受け入れざるをえない。いや、勘の鋭い消費者は、そのからくりを見破っているかもしれない。後発品使用は、患者の同意を前提に、薬局で使用を選択できると理解していた国民は、その事態をただちに理解できないのではないか。

 薬局の尽力や薬剤師との共同作業で後発品を使用し自己負担が下げられたのではなく、医者の方針によって進められるものと理解するとしたら、後発品使用促進が進められる過程から薬剤師の存在は消える。それでは薬局が国民から評価されるチャンスをみすみす失うことになってしまう。数量ベースに伴う段階的加算は経済誘導的要素もあるとはいえ、単純に薬局の評価やご褒美だと受け止めていてはいけないのだと思う。

 多くの患者に対して汗をかいた結果ではなく、裏で医者に対して働きかけたことへの努力?が評価されるとしたら、筋違いもいいところだ。そのほうが効率的だからと正当化できるか? 個々の患者に対して、体調や経過、処方に応じて後発品使用を促していく必要はないのか。医療とは「個」に向き合うのが原則であれば、もともと非効率な取り組みであって当然なのだと思う。
 
 もうこれ以上、先発品まがいのジェネリックに頼ることはやめようではないか。薬剤師が責任をもって、患者さんに勧めるに相応しい後発品を探し、推奨していく・・・。薬剤師の将来は、その先に開けているのではないだろうか。
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薬局3.0

2009-12-27 22:27:41 | 薬局経営
「薬局3.0」 狭間研至・著、薬事日報社、2008年12月22日
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テクニシャン、のようなもの

2009-12-11 22:42:29 | 薬局経営
 DRUG magazine 11月号 p.9 を読み、その中の「今年に入ってからは登録販売者制度を6月に導入し、薬剤師職能の一部を他職種に譲り渡し、テクニシャン制度の間口をこじ開けた」という一文を目にし、はっとさせられた。テクニシャンというものを、調剤の場面でしか意識していなかったからだ。迂闊だった。

 テクニシャンというものを、その役割か業務で考えていた。そうでなく機能でとらえておかねばいけなかったのだ。アメリカで言われているような、ズバリそのような業務をしないまでも、同じ概念の職種が導入されたら、そのコンセプトが追って調剤にも導入されてくる可能性があるわけだ。それが“間口をこじ開けた”という意だ。

 同じDRUG magazine 12月号では、テクニシャンについてシリーズ記事が始まった。今後、どのような意見が出てくるかはお楽しみとして、とりあえず感想を残しておくことにする。

 テクニシャンについて、調剤業務においていわゆる“ピッキング”と称される部分をどう捉えるかということ、そして取り揃えと処方鑑査・薬学的管理を分離するか、同時並行で行うことに意味があると考えるかどうかがポイントのように思われた。

 現在行なわれているピッキングを、取り揃えに特化した機械的な作業と位置付け、それと処方鑑査・薬学的管理は分離して分業しておこなうとすれば、ピッキングはテクニシャンに任せることが可能となる。
 一方、ピッキングとはいうものの、それは調剤の外見的表現であって、頭の中は処方鑑査をしながらの行動であると考えると、薬剤師でない職種には任せられないということになる。テクニシャンの業務はそれとは別になる。

 これまで自分は後者の考えでやってきた。薬歴を見ながら、取り揃えてきた。だから最終鑑査によって複数の薬剤師の目が入れば、二重に安全確保が強化されるのだと理解していた。そう教わってきたと言ってもよい。

 しかし取り揃える動きは、手足を動かす部分はどう見ても機械的な動きである。機械化されないものの、取り揃えるだけであればそれほどの専門性は不要である。そこはもう割り切って、他のスタッフに任せて、薬剤師は服薬管理に十分時間をとったらどうかと言われると、それもそうだなと思えてくる。つまり取り揃えがいかに正確に行なわれるかがポイントだ。現実には、その取り揃えですら、しばしば間違えがある。だから取り揃えの側面だけで、鑑査が欠かせない。

 取り揃えの鑑査(確認)と薬学的な鑑査(服薬管理)。現行では、それを最終鑑査者が一人で受け持つこともあり、たいへん荷の重い業務だ。後者に専念できれば、少しは違うのかもしれない。取り揃えの確認から解放されれば、専念できる。

 薬剤師は員数規定があるから、薬学的管理の充実をタテマエにして、本音は経営的視点でテクニシャンを歓迎する経営者はゴマンといる。人件費を浮かしつつ、もし何か問題があれば係わった薬剤師の責任を問うこともできて、経営者にとっては余計に都合がよい。現在のような組織的防御では管理的責任が不可避であるが、個人にその任務が一手にかかるのなら、違った展開にもなる。であれば、テクニシャン制度は薬学的管理の充実を図る取り組み、教育等への投資を十分に伴う組織において成立する可能性のある仕組みではないだろうか。

 現状、ピッキングは機械化できない。無人では成り立たない。どんなに機械化されても、それを操作するのはヒトでもある。だから、機械の動きにとって代わるヒトが求められる。それがテクニシャンだろう。よほど正確で、さらに日本人的には“気の利いた”形で、彼らの機能が必要とされる。

 機械のようなピッキングをしてきたつもりのない薬剤師には、そこに戸惑いもあるが、目指すところは同じで、いかに専門職能が活かされるかどうかである。テクニシャンの取り揃えたものを確かめることなく、そのまま持って服薬指導・管理に臨めるかどうか、さてどうだろうか。
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コンビニと薬局が合体すると

2009-09-13 21:34:52 | 薬局経営
 大手コンビニエンスストアLが薬局を併設した店舗が都内に2箇所ある。お目見えしたのは数年前からだろうか。

 コンビニは
・もともと多分野の生活関連用品や宅配便、ATM等を置き利便性を有する
・手軽に出入りができる
・立地が生活圏にある
・これまでも医薬部外品や衛生用品等が扱われている
・商品の配送が毎日、複数回行われている
・在庫管理等を中心に、かなりの効率化経営がなされている

 ということで、薬局とコラボレーションする相性が良いようだ。薬局側も、第一類医薬品は薬剤師が取り扱うものの、それ以外の医薬品や衛生用品等は登録販売者らに任せることができ、コンビニという利便性による集客力の恩恵を得ることができる。効率化できる部分は、見習うことも多いだろう。

 薬局は、これまで「門前」「マンツーマン」という立地で集客してきた過去があるが、それ以外にも駅前とか商店街といった、やはり立地に左右されるところが大きかった。コンビニはかならずしもそれらとは一致せず、その機能が薬局というものに新たな可能性を与えているのかもしれない。

 これがコンビニではなく、八百屋、魚屋、花屋、本屋といったある特定の商品を扱う店舗と一緒では、いまひとつ利便性に欠ける。
 またドラッグストアのような薬局関連商品を多種多様に扱うところにおいては、“商品を販売する”ことで売上げ拡大を強く前面に押し出す業態と、医療とが似て非なるイメージをもたれているような気がする。合いそうで、合わないのだ。

 コンビニでも販売目的、売上げ重視経営なのだが、住民との生活密着というイメージが薬局と馴染んでいるのではないだろうか。

 しかし、思うのである。薬局は、やはり薬局だ。薬の供給スポットではなく、安全管理の場ではないかと。患者の安全は服薬管理・指導に代表されるように元来非効率なものであり、その質の追求は際限がないのである。
 逆に言うと、これまで薬局は集客を立地に頼りすぎていた。あるいは医薬分業という政策誘導に助けられていた。自分たちの武器で国民の支持を集めきれていなかったのではないかと。
 
 薬局の役割、本質で“集客”する、それも大切だし、それこそ王道ではないかと思う。また人寄せパンダのようなものを用意しろというわけではないが、薬局が生活に溶け込む側面も、意識の中でもいいから入り込む施策がこれまでの薬局に欠けていたのではないかと。

 また薬局をコンビニのフランチャイズ化しろというつもりもないし、奨励するつもりもない。コンビニの恩恵に預かり、羨望を覚える部分があっても、薬局に必要なのは「薬局として」頼りにされることであって、足が運ばれることではないかと考える。
 コンビニが得意の効率化を導入することで、非効率な部分により尽力できるようになっていくのか、効率化重視の文化が、人でなくてはできない、効率化の図れない薬剤師が行う安全性確保を中心とした非効率なサービスの充実にとって足かせになるのか。
 IT化も効率化に寄与したが、本来薬局が果たすべきサービスの質の向上につながるかどうかは経営観次第。薬局なのか私企業なのか、どちらに軸足を置くかではないだろうか。
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卸の意向で薬局の将来は

2009-06-07 18:25:23 | 薬局経営
 先日、友人が、在籍する(某卸の関連する)薬局において、その卸の系列卸から帳合変更の要求が来たと嘆いていた。売上げが芳しくなく、帳合を移すのも“さも当然”と言わんばかりだったようだ。

 卸は売上がすべてであり、MSは常に数字をつきつけられている。営業努力もしないまま(帳合がなかったのは、それがその卸の評価?)、なぜ売上が伸び悩んでいるかにメスを入れないまま、系列関係にあるからと一方的に圧力をかけてくるやりかたには、聞いていてもおぞましい限りだ。
 
 昨今、薬局が卸の傘下におさめられることが公然としてきた。これまでは業界内では周知といえども、つつましやかに水面下にやんわりと伏せられていた。どうもそこにお咎めがないことから、勢いを増しているようである。

 薬局業務運営ガイドライン(厚生省薬務局長通知薬発第408号)の中に、有名な一節がある。
 
 2.医療機関、医薬品製造業者及び卸売業者からの独立
 (4)薬局は医薬品の購入を特定の製造業者、特定の卸売業者又はそれらのグループのみに限定する義務を負ってはならない。

 卸が薬局を次々と傘下に吸収してきたのは、そこの帳合をほぼ独占したいためだ。その影響を門前医療機関にまで波及させたいからだ。とくに開業医であれば、医薬品の処方や購入に大きな影響を及ぼすのは言うまでもない。だから、それを禁止しているのである。

 薬局は、調剤において適切な供給体制を整備しておく必要がある。卸がホールセラーであるとか、フルラインナップなどと言おうとも、現実にはメーカーによって色分けがある。得手不得手があって、入手しやすさに違いがある。
 薬局が患者のためを考えるなら、卸を特定の一社に偏るなどというのは危険であるし、好ましくない。複数の卸との購入関係を持つことで安定確保を図り、より改善された互恵関係を築いていく必要がある。系列関係、親子関係、そんなものに左右されるというのは、薬局にとって制約以外の何物でもない。足かせが嵌められるというか、首が締まるような思いだろう。

 それを知ってか知らずしてか、友人の薬局ではトップから帳合の変更を強制された。

 ジェネリックも供給が十分でないことを考え、そこに卸の意向を汲まなければいけないのだとすれば、患者にとって最善のジェネリックが揃えられないことも懸念される。卸が薬局のために万全の安定供給を図るのではなく、薬局が卸に気兼ねしてジェネリックを選定するようなことにでもなれば、医療体制は歪む。

 先発品が併売されたときも、購入メーカーが決められたりもする。自由度の制限される薬局の将来はいかばかりかと同情せざるをえなかった。
 
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他力に頼るから自力で歩けない

2009-05-14 23:31:13 | 薬局経営
 世の中にある保険薬局の大半は、門前やマンツーマンだろう。医薬分業の推進がもたらしたともいえる。それらのマイナス面に目を瞑っても、分業率向上を優先させた。それにただ“乗っかって”きただけの薬局もあれば、そうでありながら役割を果たそうとしてきたところもある。

 自らのプライドにかけて、多くの薬局が後者だと自負するかもしれない。その意気でやってきたことはまぁ、よしとしよう。しかし、苦しいときでも門前であるがゆえに、黙っていてもある程度の処方せん枚数は稼げたわけで、それがまるで慣習のようになりかかっている。どの薬局を選んでもいいことを知りながらも、何となくどこの医院にかかろうとも、近くで薬をもらってくればいい、というように、薬局を選ぶ動機が生まれていないような気がする。

 それだけ平均化しているともいえる。落ちこぼれがないように、底辺を救ってきたのかもしれない。一方、突出して人気のある薬局も少ないようだ。行列のできるラーメン屋のような、並んで待ってもいいからそこで薬をもらいたいよいった感じの薬局は、あまり聞いたことがない。

 門前だからそれなりに処方せんが稼げる分、薬局が伸びようとする力や遺伝子を失っているのではないか。ちょっとしたことはやっても、あるところで自分の限界を定めて、それ以上が努力しないような、壁に当たるとすぐ歩みを止めてしまうような、成長力、前進力が育まれてきていないような気がする。

 当たっている薬局は、よく聞いてみると、何らかの恵まれた環境にあるのが通例だ。努力もしていないわけではないが、その努力を他の薬局に“移植”しても、そのまま根付かないようなものが多い。本当にその努力が実ったのか、多少のことがあっても救われる環境があるから続けられているのかと思いたくなる。

 いずれにせよ、門前薬局が医者にとっても必要とされてきた過去があり、まだその思いは強く残っている。医者にとっては、薬局は手足のようなものだ。薬局にとっては、下請けでよいわけがない。

 門前やマンツーマンであり続ける限り、薬局が伸びる力は退化していくのではなかろうか。だからといって、どのような立地でも薬局を立てれば経営が成り立つほど、現状は医薬分業が定着しているわけでもない。薬局は、立地で自らが生き延びようとしたことで、すなわち他力に頼って存在しようとしてきたために、その代償のように自力で成長する力を捨ててきてしまったのかもしれない。

 薬局が、薬剤師が求められているレベルは、そんな生ぬるいレベルではないと思う。他の人から見ても、とても追いつかないと思われるほどの深く広い知識や見識が求められており、そのレベルは薬剤師自身でさえ想像を絶するほどのものなのだと思う。
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収益のためなら安全を犠牲にする

2009-05-13 22:51:17 | 薬局経営
 三条総合病院 「原則院内処方」に、患者の6割が選択(日刊薬業 2009.5.12)

 新潟県厚生連の三条総合病院(三条市)は11日、院内処方を原則化する方針に切り替えた。同院によると、午前中に来院した外来患者のうち、約6割が院内処方を選択。この影響で、周囲の薬局の中には受け取る処方せんが従来の7割減という大打撃に見舞われた店舗も現れた。

 同院は、院内処方への切り替えに備え、薬剤師を3人増員したほか、約1000万円をかけて新たに分包機を購入した。院内には、院外処方を希望する場合には診察前に申し出るよう患者に求める掲示をし、院内処方を原則とする方針を明示。

 県厚生連の末武雅之常務理事は、「医薬分業はわれわれも賛成。ただ、かかりつけの薬剤師がOTC薬などを含めて患者の健康を管理する面分業が本来の姿。1つの医療機関の処方せんを集中して受け取るだけなら、中でもらったほうが患者のため」と述べ、いわゆる「点分業」への問題意識が切り替えのきっかけだったことを明らかにした。

 さらに、この時期の実施について、「後期高齢者医療制度などで患者の経済状態が悪化し、受診抑制が起きているのではないかと常々思っていた」と語り、調剤基本料などがかからない院内処方によって患者の負担軽減につなげたかったと説明した。また「少なくはなっているが薬価差益があることも1つ」と述べ、経営上の利点にも言及した。
 
 
 1カ所だけを受診しているのなら病院でもらえばよいと言いつつ医薬分業に賛成という。医薬分業って、どういう医療提供体制だと考えているのだろうか。

 患者のための負担軽減と言いつつ病院は差益で儲けようとする。負担軽減を持ちだすのなら、院内で無駄な診療や検査がないかどうか見直すことをすべきではないか。受診抑制は患者負担が増えているからで、院内投薬をすれば負担が減るとは、病院側の現状を棚にあげて“人のせい”にしているようではないか。
 投薬も、いかに少ない薬で、安価な薬で処方しようとしているのだろうか。
 
 自ら取った判断を正当化しようとすればするほど、苦し紛れの言い訳になっているように見える。

 点分業とは、マンツーマンのように、1カ所の医療機関に依存して処方せんを応需している状態だと言いたかったのだろうか。街の薬局でもらうより院内薬剤部のほうが患者のためになると思っているかどうか。三条総合病院薬剤部は、組織上、上層部に従わざるを得ないなどと隠れているのではなく、同じ薬剤師として考えを述べ、立ち上がるべきではないだろうか。
 
 入院患者と、それ以外の患者(国民)とを、病院薬剤師と開局薬剤師で分担して受け持ち(もちろん、受け渡しや状況に応じて連携協力しあう)、診察と投薬を独立した機関が担当することで安全を守ろうとする社会システムを否定している。開いた口が塞がらない。総合病院なら、完全院内調剤でよろしいとお考えですか?、と聞いたら、何と答えるのだろうか。
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厚労相が理解を示してくれたとはいえ

2009-04-30 22:04:14 | 薬局経営
 舛添大臣が、三条総合病院の院外処方せん発行見直し(医薬分業の否定)を疑問視する見解を述べた。

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◆舛添厚労相  薬価差目的の院内処方は本末転倒(日刊薬業 2009.4.23)

 新潟県内の厚生連病院が、国が進める医薬分業の方針に反する形で5月中旬に院外処方から院内処方に切り替える予定にしていることに関連し、舛添要一厚生労働相は22日の衆院厚生労働委員会で、「医薬分業のプラスの面を考えると、薬価差益を得るためだけに院内処方をやることは果たしていいことなのか。本末転倒だと思う」と述べ、薬価差の確保が目的であれば問題だとの認識を示した。高鳥修一氏(自民)の質問に答えた。〈中略〉

 また、厚生労働省の井康行医薬食品局長は、「医薬分業は医療の質の向上や患者にメリットをもたらすもの」と述べ、今後も省として医薬分業を進めていく考えを示した。
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 厚生労働大臣が「医薬分業のプラス面」という言葉で、院内調剤へ逆行する動きを本末転倒だと言いきってくれたことは、保険薬局にとって心強い。もし逆の答弁であれば、根底から医療体制がひっくりかえることになるからだ。
 
 まずは一安心と言えるだろうし、最強の援軍が得られたかのように、三条総合病院でなくても、薬価差益を睨んだ院内調剤へ逆戻りする動きにブレーキがかかるのならよいが、果たしてそのひと声で問題は決着したといえるのだろうか。

 院内投薬をしても、けっして法律違反でもなければ療担違反でもない。三条総合病院とて、だからといって方針を撤回することなど考えにくい。これまで非分業の医療機関が、医薬分業に踏み切るわけでもないし、ただちに強制分業が宣言されたのでもない。

 医薬分業という薬物療法における社会的安全確保システムの意義を認めず、自院の収益確保に走っただけという、モラルの乏しさを露呈したにすぎない。ましてや、実害がふりかかってくることもないのなら、鼻で笑って済ましているかもしれない。

 逆に、この発言によって薬局の存続が守られたという保証もない。これまで薬局は国民から医薬分業の意義を理解してもらうべく取り組んできたものの、こういう動きが平気で行われてしまうことに、まだまだ医薬分業は発展途上にあることを改めて謙虚に受け止めなければならないのだと思う。患者から院内逆戻りの反対運動(署名など)が湧き起こるというふうでもなかった。

 医薬分業が、とりわけ薬剤の提供(交付)に重心が置かれていたのもその一因だろう。患者からすれば“受け取る”だけに見える行為に、専門性を感じない。手間に感謝しても、専門家の存在が意識されず、安心を覚えない。

 薬の専門家でなければできない行為に重心が置かれて、それを実感したときに医薬分業は今より前進したといえるだろうし、院内には戻れない>戻す必要がないところに来たと感じてもらえるのだと考える。
 
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