何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

あるべき姿、あるまじきイメージ

2006-09-28 23:06:37 | 薬局経営
 薬局が医療提供施設に規定されたのはいいが、そこには誰もが共通する目指すイメージがあるのではなく、なんとなく個々に思い描いているものがあるにすぎないのではないか。つまり、お手本になるようなものがあるのではなく、どこも横一線に未開拓地を切り開いていくようなイメージだ。

 薬局そのものに理想像というか、お手本があるのではなく、医療機関として先輩の病院や診療所に習うものがあるような気がしている。公的医療機関でなく、民間であっても、系列病院であってもだ。それぞれに学ぶべきでない部分もあろうが、「医療機関」であることは外してはならないことだと考える。

 逆に医療系列の民間組織である、某介護チェーンであるとか、医療機器販売メーカー、そんなものは同じ民間組織であっても、そのあり方は「医療提供施設」として見習うべきあり方ではないように思う。医療の世界に住んでいても、経済が優先する組織だとおもうからだ。販売や利益確保が中心の運営は、医療そのものではなく、医療を取り巻く住人であればいいのだと思う。

 薬局はどちらの世界に位置付けられるべきか。残念ながら、これまでは後者のほうが多かったと思うが、しかし決して少数派ではなく、前者を基本姿勢とする薬局もある。チェーン薬局は大半が後者であって、猛省が求められるだろう。180度の方向転換を余儀なくされるのではないだろうか。

 チェーン薬局は、ときに「薬局」を事業に位置付けたりもする。事業形態を尋ねられれば「薬局」というのだろうか。やはり広い意味で「医療」だとしたい。歯科だって、事業形態は「歯科」でなく、「医療」だと言うのではないか。
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薬局の生き残りをかけて

2006-09-26 23:44:34 | 薬局経営
 中小企業診断士あたりが薬局の生き残りをかけてM&Aを勧めているらしい。薬局の内側にいるわけではないのに、ときに内部の者以上に冷静な分析をする人たちだ。核心をついているようにも思える・・・

 が、そのココロはいったい何かというと、私は単純なM&Aではないと見た。医療費抑制で、処方せん調剤の単価はこれ以上、上がらない。やることをやらねばなければ、その単価すら稼げなくなっている(これは薬局を企業と考えるところには期待できない、なぜならば教育投資の回収は難しいと先にお金で考えてしまうからだ)。

 経営的に生き残るには、いかに多くの国民から信頼を勝ち取るかだ。国民から“かかりつけ”と評価されるかどうかにかかっているといってもよい(薬局側が自己評価するのではないので、そこは間違ってはいけない)。
 数字で考えれば、いかに自分の薬局に患者さんがたくさん来局して、利用してくれるかにかかっている。その努力を惜しまないところは、生き残ることができるだろうが、あれこれ理由をつけて汗水流すことを渋っているところは衰退していくだけだろう。

 M&Aとは早いハナシ、そういった薬局が利用者を増やそうとするのでなく、店舗ごと奪い取って自分のものにしてしまおうとしているだけなのではないか。もちろん経営状態のいい薬局が身売りするわけないから、現実は“お荷物状態の”店舗が売りに出され、それを買い取ることになる。買い取る薬局にリフレッシュする能力がなければ買い取っても、一時的に見かけ上経営的数字が良くなるが、すぐにそれも消えてしまうだけだ。残るのはまさに“負の遺産”だ。

 さて、薬局が利用者を増やす基本は何か。もう言うまでもなく、それは一店舗が地道に確実に利用者を増やす努力を続けること以外にありえない。それを積み重ねて、気がついてみたら利用者が着実に増えていた・・・、薬局の生き残りや発展とは、まさにそういう状態を作ることに尽きるといってもよいのではないかと思う。
 中小企業診断士は、薬剤師じゃないからそのノウハウまでは語らないが、利用者を増やすしか、残された道はないという点で、貴重な指摘をしているのだと思う 
 
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新人薬剤師が目指すところ

2006-09-23 12:19:33 | 思いつくまま
 新人薬剤師または若手薬剤師が目指すレベルはどこにあるのか。ベテラン薬剤師にもあてはまるのであるが、何をどのくらい教育研修していくとよいか。なぜそれがたいへんなのか。どこまでやるとよいか、その目指すレベルやゴールがあいまいだからではないか。

 医療において、最新知識を常に補充していかなければならないし、未知・未解決の分野も多々あるし、その深さに限界はないだろうし、客観的な線引きはできないのだろうが、ばくぜんとでもよいから、そのレベルを明示しておかないと「当面の」努力の仕方もわからないまま、手探りにならざるをえないのではないか。

 そのレベルについて、「患者さんの疑問や相談に十分な対応ができるレベル」と“たたき台”的に提案しておこう。十分な対応ができているかどうか、このくらいならどうかと薬剤師側がアプローチし、その検証、評価は患者さん側が判断する、というものだ。

 新人や若手は、勤務開始後、集中的に講義・実習を受け、あるいは実務を“手伝い”ながら、頭で、見よう見真似で覚えていくことが通例である。しかし、無計画にだらだらと続けていくわけにもいかないし、いずれは自分で知識や情報を「吸収」しながら自立してもらわねばならない。

 しかし、それは逆に言えば、個人に研修を「任せて」しまうことにもなる。部分的には組織で促しや義務的なものも含まれるだろうが、それもときに組織が組織のために義務的に行うものであったりする。

 現場では、患者さんとのやりとりが行われている。最も熱い場だ。新人や若手はいつかはその輪に加わっていくのだ。いきなりは入れないが、いつか入れるように自身を鍛えることは当然として、その先は患者さんに応えられているかどうか、自分を冷静に見て、考えることだろう。「まぁ、このくらいでしょうがないよなぁ」とか、甘い採点をして済ませないことだ。「これ以上は無理だよ」などと、音を上げないことだ。急にはできなくても、続けることだ。それも期限を決めて、漫然と進めないことが重要だろう。

 これが達成できるレベルというものは、患者さんの要望に応えられるレベルというのは、予想以上に高いのではないかと思う。患者さんの求めるレベルとは? そんな文献があっただろうか・・・ 
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薬局に求められる薬の知識レベル

2006-09-16 12:46:35 | 思いつくまま
 大手家電量販店では、冷蔵庫でもエアコンでも、たいていのメーカーの製品が複数機種揃って展示されており、店員に説明を求めると、そのメリット・デメリットを説明してくれる。どの観点で選ぶならこのメーカー、この機能で選ぶならこの機種といった具合に、結局ひとつの家電で約20種前後に精通しているように見える。

 さて薬局の薬剤師はどうか。降圧剤を例にとると、先発品であれば主たる薬効で6種類、1メーカーで1~2種、それが何社あるだろう・・・、先発品だけなら50種位だろうか、家電量販店のように、違いを説明できるだろうか(たとえば10種類のACE-Iの違いを説明できるか、ということ)。数がいくつであろうとも、おそらく大半の薬剤師は説明ができないのではないだろうか。薬局にいれば、毎日触って見ているにもかかわらず・・・。

 ドラッグ(薬店)ならどうか。カゼ薬が多種類ある。メーカーで分類できる、総合感冒薬であったり、症状別に製品化されていたりする。一般用医薬品は、使用できる成分の範囲が決められているから、メーカーが違ってもさほど大きな違いはない。こちらのほうが薬剤師からすると説明がしやすいような気がするが、どうだろうか。

 医療用医薬品のほうは、作用、副作用、相互作用、生活上の注意、・・・1つの薬剤について覚えることが多すぎると思うからできないのだろうか。細かな違いに目が行ってしまうから、記憶力がおいつかず、根をあげてしまうのだろうか。

 薬について、どのような内容を、どこまで知っていなければいけないのか、それをどのように活かすのか、それらがわからない・・・というか、整理されていれば、知識がアタマの中に整理整頓されるのだろうか・・・。少なくとも、今は部屋をちらかした状態で、なんでもかんでも詰め込んでいるような感じがする(少なくとも私の場合は!)。

 薬について、患者さんから求められているレベルは、確実に急速に上がっているように思う。そのレベルをどの程度と認識し、設定するかによって、薬局や薬剤師の活動も違ってくるし、質や評価も変わってくるように思う今日この頃だ 
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ジェネリックアレルギー

2006-09-15 09:23:26 | よくわからないこと
 後発医薬品の処方進まず 東奥日報 2006.5.28

 国が医療費抑制の目玉として利用促進を訴える後発医薬品(ジェネリック)が県内でいまひとつ浸透していない。不良在庫を懸念する薬局がジェネリックの仕入れに消極的なことや、ジェネリックの流通経路が確立されていないことが主な理由だ。薬を処方する医師が、情報量が少ないジェネリックに対して、十分な信頼を寄せていないことも背景にあるようだ。

 東奥日報だから、青森県の事情を中心に紹介されているのであるが、このジェネリック医薬品に関する報道は青森県に限ったことではない。多かれ少なかれ、全国的に同じようなことが懸念されているようである。

 ジェネリック医薬品を仕入れても、不良在庫になるおそれがあるから、次に患者さんが来るかどうかも分からないし・・・、と仕入れに消極的な薬局
 確かに流通の悪さがジェネリック医薬品の使用促進を妨げている側面はある。しかし、薬局における不良在庫問題なんて、使われない薬(スリーピングストック、デッドストック)はすべて経営的に不良在庫だから、昔からあった話だ。銘柄別処方において、つい半年前までは日頃、扱わない薬を無理に取り寄せ、そのまま不良在庫化していたのだ。今さら不良在庫を問題視して持ち出すのはいかがなものか。

 処方せん様式を変更し、代替調剤が可能になったことは、不良在庫を減らすことにもつながる。先発品と後発医薬品の両方を在庫するといっても、後発医薬品は薬価が安いので、在庫金額は減るはずだ。後発医薬品を敬遠する「真の理由」のようには思われない。

 先発品と有効性や安全性が同じといってよいのか、情報量が少ないので処方をためらうという医師。
 ジェネリックメーカーのホームページを見ていると、製品情報が充実しているメーカーもある一方、添付文書がやっとというメーカーもある。最低限、公開すべき情報を規定して義務づければ解決するのではないか。
 後発品の情報が少ないと言うが、使用例や安全性の面では、先発品こそ情報が少ないのではないか。新規成分ほど使用例も少なく、ただでさえ未知の物質だ。そういうものはパンフレット程度の情報で、平気で処方を開始する。製剤的な情報なんて、ほとんど考慮されずに。情報が限られている・・・と言うなら、先発医薬品のほうではないのか。
 先発・後発に限らず、これまで1つの薬剤に対して、そこまでたくさんの情報を吟味、精査してから、医薬品を処方してきたのだろうか。

 ジェネリック医薬品に関する不安感や抵抗感は、どうも一種のアレルギー的な、肌に合わない、と言っているにすぎないように思われてならない。さもなければ、本音では他の理由があるのに、それをジェネリックのせいにしていることはないだろうか。先発メーカーが提供してくれたさまざまな便宜がなくなるのは困るとか、新薬メーカーと疎遠になるのが不安であるとか・・・ 
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いまさら作り直すことが困難なケース

2006-09-14 14:03:13 | ISO9001奥が深いか浅いのか
 中央道の阿智PAから岐阜県よりの場所で21台の玉突き事故がおきた。

 <長野・中央道>「毎月のように事故」…また魔のカーブで 毎日新聞 2006.9.14

-----転載ここから
 現場から約1キロほど離れた阿智PAの店員男性は「現場は急なカーブで、しかも下り坂。過去にも死亡事故が起きている。特に雨が降るとスリップ事故が増える」と話す。また、同PAにあるガソリンスタンドの男性店員(23)は「こんなに規模が大きい事故は初めてだが、毎月のように事故が起きている。正直、またかと思った。交通量が多い時や雨が降っている時に、大型トラックの事故が多い」と話した。

 名古屋への高速バスを運行する「信南交通」(長野県飯田市)の男性運転手(53)は「カーブが長くてきつく、常に運転しにくい場所だ。見通しもかなり悪く、道幅も狭く感じるほど圧迫感がある。また、カーブの直前までほぼ直線なので、スピードを出してくる車が多い」。中央道をよく通るという群馬県桐生市の50代の男性は「下りの後のカーブで、この辺りはよく事故が起こる地点。距離感もつかみにくい」と話した。
-----転載ここまで

 全員が事故を起こすわけじゃない、毎日事故が起きているわけじゃない、でも知る人は少なからずヒヤリとした経験があり、実際、しばしば事故が起きている・・・、そんな道はあちこちにあるだろう。
 長野道の更埴ジャンクション付近で、軽井沢方面から長野方面に向かい、松本方面から来た車線に合流する付近も急カーブで、先日もトラックから積荷が高速下の一般道にまで落ちるほどの事件も報道されていた。

 いまさら高速道路の構造自体を変えることも難しい。費用もかかるが、できればそうして事故が減ることがドライバーにとっては何よりだろう。減速して、安全運転を心がければ、現状でもいいのだが、そういうマナーに解決策を求めるのではなくて、根本部分が改善されるのが、理想的だと思う。

 しかし道路を作り変えるなんて現実的には実行性が乏しいものである。そこで、それを補う何らかの対策が施され、少しでも事故が減ってほしいと思う。どうやっても、そこを通過する前には減速しなければならないような仕組みにするとか、である。
 阿智PA付近はあまり通ったことがないが、既にそれなりの対策がなされていた、それでも起きてしまったのが今回の惨事なのかもしれない。

 根本対策がそう簡単にできない、今回のようなケースに対する予防処置は、相当念入りに計画しないと、再発が防げない。道路公団など、アタマの痛い話かと思う。
 道路の話ではなくても、同様に「いまさら作り直すことが困難な問題」って、どこにでもあると思う。いまさら家を建て直すわけにはいかないとか、大人になって今さら高校からやり直すなんてできない、などである。
 できっこないと、ハナから諦めてしまいそうなことではあるが、それを補う何らかの対策をもって、できる限りの対策をとらない限り、忘れた頃に同じ苦悩を繰り返すのだろう 
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飲酒運転撲滅ポスターに拍手

2006-09-14 13:31:16 | いいものはいい
「飲酒運転禁止」キリンがポスター10万枚を飲食店へ (朝日新聞) - goo ニュース

-----転載ここから
 「飲酒運転禁じられています」――飲酒運転による死傷事故が多発するなか、キリンビール(本社・東京)がポスター約10万枚を作製し、来月から全国の営業マン約1000人に持たせて得意先の飲食店などに配ることを決めた。ポスターには社名を入れず、他社製品を扱う店にも張れる形にした。

 ビールメーカー各社はすでに未成年者の飲酒防止キャンペーンを実施しているが、営業活動で飲酒運転防止を打ち出したことはなかったという。

 そんななか、今春から東京・自由が丘で飲食業組合と同社が「STOP! 飲酒運転」と書かれたポスターの配布に取り組みだした。飲食店側から反発の声も出たが、組合員の半数弱がドアなどに張ってくれたという。

 「一時的に売り上げが落ちても、作り手としての責任を果たしたい。今こそ取り組む時期と判断した」と同社。今後は都の飲食業者の組合ともタイアップし、ポスター配布を進めていく。
-----転載ここまで

 ここ最近、連日のように飲酒運転事故のニュースが取り上げられている。警察はさっそく夜の検問強化をしているようだが、後を絶たないケースもあるようだ。

 そんな中、キリンビールは飲酒運転撲滅のポスターを、しかも自社に限らぬポスターを作製したという。酒類製造販売関係会社としてこの素早い対応に、感心させられた。

 飲酒運転は個人や同席者を含め、周辺のモラルの問題だ、アルコールそのものには問題があるのではないと、そこで思考を止めていた会社はとてもこのポスターのような発想には至るまい。
 飲酒運転撲滅の決定的対応は、飲まないことだ。飲まないことを奨励すれば、売り上げが減るから、それを助長するアクションは酒類製造販売会社には“あるまじき行為、ありえない発想”と思っている向きが強いのではないだろうか。またそれは自分たちのみならず、飲食店にも影響を与えることになるので、波風を恐れて余計に考えることを避けてきたことはないだろうか。

 誰もアルコールそのものや酒造メーカーが悪いとは思っていないだろう。このポスターの発想の原点は、日頃の自分たちの存在理由や活動は、誰(何)を基本に見据えての活動かどうか、という部分で大きく異なっているのだと思う。

 国民や、安心して生活できる社会を基本において、そこに関わる企業(組織)としてできることは何か、すべきことは何か、といったものと、民間企業なんだから利益を上げることや株主への配当などを活動の基本に見据えて活動をするか、要は自分たち中心の発想かの違いと言ったら、どうだろうか。

 こんなにタイムリーに、素早い行動ができるということは、過去の教訓があったのか、日頃から暖めていたものがあったのか、何らかの素地があったのかもしれない。
 いずれにせよ、一見、自分たちの不利になるようなことであっても、率先して責任を果たすことを優先する価値判断に、私は賛同するし、大きく評価したい 
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愛着心

2006-09-09 09:30:19 | Book Reviews
 愛国心についてしばらく前に話題になっていたようだったが、愛●心なんて、それを教えてできるというより、できるときは自然と育まれるようなものだと思う。愛社精神みたいなものもそうだ。無理矢理持てだの、持たなければいけない、なんて強制したところで、心に受け入れる場所がなければ、押し付けてもすぐ剥がれ落ちてしまうように思われる。

 さて薬局の経営難に対し、無理矢理サービスを押し付けてフィーを算定しようという動きを見るにつけ、苦々しく思っている。渡す薬に対して“決まり文句”のように口頭で情報提供し、指導料を算定しようとする動きだ。その情報が患者さんにとって必要なのかどうか、伝える必要性の程度やどのくらいか、根拠はどこにあるのか、そういうものが欠けているのだ。

 だから、あたかも仕事をしたように見せかけて、情報を「押し売り」して、点数を稼ぐ構造になっている。誰のための、何のための情報なのか。そういう対応をされるとわかっていたら、自分だったらその薬局にかかるのか、それを知った患者さんは承知・納得でその薬局を利用するのか。

 病院だったら、検査漬け、すぐ入院、すぐ手術、薬漬け、そういう評判が立てば敬遠されるのではないだろうか。よく「病気になっても自分の勤務している病院にだけはかかりたくない」という意見を聞く。院内の恥部や欠点がよくわかるからだろう。そういう目に会いたくないという、一種の自己防衛だ(まぁ、皆そう言いながら実態のわからない他院にかかっているのであるが)。

 さて薬局に戻って、そんな強引押し売り点数稼ぎの指示・命令を出して、ノルマを課す薬局に、スタッフは魅力を感じるだろうか。そんなことがまかり通る社内風土、業務のありかたに、愛着を覚えるだろうか。「いまこそ一致団結して取り組もう!」なんて言われても、しらけるだけではないのだろうか。

 薬局が社会の中で何を果たすべきなのか、自分たちが力を入れるところはどこなのか、その基本や本質がきちんとおさえられているから、苦しくても頑張ろう、多少給料が安くてもがんばろう、という気持ちが芽生えるのではないかと思った。
【参考】「キャノン式 高収益を生み出す和魂洋才経営」日本経済新聞社・編、日経ビジネス人文庫 
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いいことは水平展開、悪いことは個別対応

2006-09-08 14:22:34 | 薬局経営
 『こうしたら病院はよくなった』(武弘道・著、中央経済社) p.55-6より

 ・・・今の経営困難の時代には、どこの病院も経営改善に向けて必死の努力をしていると考え、全国の類似病院の徹底調査をして、良いところは真似をし、悪いところは切り捨てることこそ経営改善の近道と考えた。〈中略〉この操作により自分の病院の各経営指標が全国の中でどの様な位置にあるかが解り、自分の病院に見られる偏りを是正することが出来た。この作業で発見したことは「経営の良い病院は一様に似ているが、経営の悪い病院はそれぞれ異なった要因で経営が悪い」ということである。この言葉は私がアンナ・カレーニナの出だしの「幸福な家庭はすべて互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」という言葉をもじったものであるが、真理であると考える。〈後略〉


 経営や運営が悪くなる理由も似通っているというか、およそいくつかの観点に分類できる程度に共通部分があると思っていたのだが、そうでもないのか。
 薬に例えれば、効果がある場合は一様に改善が見られているが、副作用は人によってそれぞれ症状が違う、といったところのようだ。

 共通項が何もない・・・という意味ではないだろうが、悪いところが見つかった場合は、他の部署や店舗を巻き込んで全体で改善を図る・・・というより、個別に原因を調べて対策を打っていくことが賢明である、という思考、行動を基本とするとよい、ということのように感じられた。

 世の中には、何をすればいい、何はよくない、と短絡的にベンチマークをこねくりまわすようなこともあるというが、人の後を追ってばかりいては、自分にあてはまるかどうかもあやふやなうえ、それ以上の結果も望めないし、問題が起これば同じように被ることだろう。

 本書は病院のことを、それも公的病院を中心に書かれているが、薬局でもあてはまるか、自分に当てはまるか、確かめていきたいと思う。
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講演メモ

2006-09-07 08:50:57 | 思いつくまま
 さる講演から重要事項メモ。単なる備忘録にすぎませんので、ご覧になられたかたは悪しからず。

●薬局にも医療安全管理者の設置が義務付けられるだろう。当面は、管理薬剤師が兼務していくところが多いと思われる。

●調剤報酬では多くの検討がされてきたが、判断や是非を検討するような業務への価値は今後も医療従事者の本質として残り、フィーがつく。

薬剤師免許の更新制は、免許そのものの更新制には進まないのではないか。実務を行うことに対しての資格が決められ、その更新制になるのではないか。その資格が満たないと、その後も調剤してもよいことにはならない。

●薬局での開示事項における員数規定について、それによって患者さんがその薬局を利用するかどうか自主的に評価して選ぶことができればいいのであって、法で員数を決めなくてもいいのではないか。極端な話、少数で業務を行っている薬局が危ない、信頼がおけないと思われればそこを国民が利用しなければいい。

●薬局では一次予防に関与していく役割が増えていくだろ。そこには疾病予防的な、高齢者向けビジネスが入るかもしれない。一次予防を行うには、今以上の知識が必要である。疾病管理(疾病予防、健康増進、健康情報管理等)が注目される。

●医療のIT化は、レセプトの電子請求だとか、電子処方せんといった、部分的な電子化、コンピュータ化の流れで見ていくのではなく、トータルの電子化のひとつとして全体の中で見ていく必要がある。


 講演メモですから、個人的なものであり、信憑性や正確性、ニュアンスの違いなどには責任を負いませんので、ご覧になられたかたはご承知のうえ、せいぜい参考に留めてください 
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薬害に対する厚労省の姿勢は相変わらず

2006-09-02 11:47:41 | 薬害は人災だ
 薬害C型肝炎九州訴訟(毎日新聞 2006.8.31)で、完全勝訴とはいかなかったが国側敗訴の判決にたいし、薬害肝炎九州訴訟判決 「連敗」に苦悩深く 厚労省(西日本新聞 2006.8.31)との姿勢を示している。

 大変厳しい。納得できない」―。30日の薬害肝炎九州訴訟判決で、厚生労働省の担当者は「国敗訴」の報に言葉をなくした。サリドマイド禍(か)、整腸剤キノホルムがもたらしたスモン、汚染血液製剤によるエイズ…。1960年代以降、薬害と訴訟が繰り返され、責任を追及されてきた厚労省。判決に強い不満を抱きつつ、薬事行政の抜本見直しを迫る声を深刻に受け止めている。

 厚労省の血液対策課課長補佐は、「副作用が少しでもある薬を承認したら違法というのか」と述べているが(同上)、判決文の中で、78年には米国食品医薬品局(FDA)によるフィブリノゲン製剤の承認取り消しが公示され、当時の知見としてもフィブリノゲン製剤の有効性に疑問が生じていたのであるから、医薬品の安全性の確保等について第一次的な義務を有する旧ミドリ十字だけでなく、厚生大臣としても、その詳細を含めた情報を得た上で、非加熱フィブリノゲン製剤について調査、検討を行うべきであった。この時点で調査、検討を行えば、遅くとも80年11月までには、有効性及び有用性についての判断を行うことができたし、厚生大臣については、仮にそうでないとしても、旧ミドリ十字に対して緊急安全性情報を配布するよう行政指導すべきであった。 とされており、承認の問題ではなく、その後得られた知見をすみやかに現場に生かす、国としての、国がすべき、国でなければできない適切な処置をしなかったことが問われているのだから、全くピントはずれのコメントに思える。

 だから、案の定、国側は判決を不服として控訴し、その結果薬害C型肝炎訴訟 原告団らが国の控訴を批判(毎日新聞 2006.9.2) となった。
 全国原告団代表の山口美智子さん(50)は「控訴という言葉を聞き、信じられない」と怒りをにじませ、「闘っているのは原告だけでなく、治療を受ける350万の人たち。国の問題なんです」と声を震わせた。また、出田妙子さん(48)は「自分たちの声を届けたいとギリギリのところで頑張ってきたが、国は聞くつもりがなかったと分かり落胆している」と涙を浮かべた。 となるのも肯ける。まるで平行線のようだ。

 薬害に対する反省は、厚労省に根付いているのか、後輩や省内に遺伝子として引継がれているかどいうと、

 <菅直人氏>薬害エイズ天下り問題に街頭演説で激怒

 との報道あり。反省どころか、どこ吹く風といったところか。
 薬害エイズ事件後に旧厚生省(厚生労働省を含む)OBら39人が製薬企業や業界団体に天下りしていた問題で、当時厚相だった菅直人・民主党代表代行は1日の神奈川県内での街頭演説で「厚相としてあの反省から天下りはしないと決めたが、なし崩しになった」と同省の姿勢を批判した。菅氏は96年5月、同省の事務次官や官房長ら幹部OBの製薬企業への天下りを自粛するなどの措置を発表したが、報道陣用の資料には自粛時期について「当面」との表現が菅氏に黙って挿入されていた。報道陣の質問で気付いた菅氏はその場で「永久に(自粛)」と語ったが、実際には97年以降、製薬企業にも4人が天下りしていた。菅氏は「退任後も(天下り自粛を)引き継ぐよう約束させたが、『もう菅氏は厚相ではないのだからいいじゃないか』となる。私の後の厚相は小泉純一郎(首相)という人だった」と皮肉交じりに指摘した。(毎日新聞 2006.9.2)

 小泉首相が好き勝手し放題の印象があるが、「当面」の部分は小泉厚生大臣(当時)は強く受け止めなかったのだろうか。
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夕張市立総合病院が病床8割減で再建

2006-09-02 11:04:57 | 思いつくまま
夕張市立総合病院が病床8割減で再建
管理者を公募し民営化、市の財政破たんを機に抜本的改革へ

 財政破たんした北海道夕張市が経営する夕張市立総合病院の再建案が8月30日、示された。これは、総務省および北海道庁から同病院の経営アドバイザーを委託された公認会計士の長隆氏および城西大学経営学部助教授の伊関友伸氏らが意見書の形にまとめたもので、病床を170床から約8割減らして30床にし、運営を医療法人などに委託するといった抜本的な改革案となっている。(日経メディカルオンライン 2006.8.31

 以前、TVで公立病院の経営破たんを再建すべく活動している長隆さんの件についてとりあげた。その長さんが、夕張市立病院の再建にも乗り出していることがわかった。

 夕張市立病院 外部診断も「公設民営に」

 公務員という身分安定が保障された人たちに、使命を持って臨む職業がいかに難しいか(「できないか」ではない)、改めて思い知らされた。断片的、表面的、外野的にしかわからないが、長さんらの手法やコンセプトはいったいどのようなものか、たいへん関心がある。なぜなら、財政破綻しかかっている医療機関や薬局はゴマンとあるからだ。

 再建と言えども、やむをえない事情があれば困る患者さんがいることも承知の上で、長さんらには閉院という選択肢もあるのだと思う。夕張市立病院は地域で唯一の病院であり、山間にあって近隣へのアクセスもよくないことから、閉院させられない事情があったという。

 そうでなくても、関係者は閉院だけは避けて、何とか再建できないものかと思うだろう、しかし自力では回復困難だということである。

 で、取られた対策は、再建の柱は、(1)現在170床ある病床を一般病床30床に削減、(2)新たに150床の介護老人保健施設を開設、(3)現在非常勤医師が担当している診療科を廃止して、内科と整形外科、リハビリテーション、透析に特化、(4)指定管理者を公募して運営を委託、(5)現在の職員は原則退職(再就職希望者は新病院での採用を考慮)、(6)病床減少に基づく地方交付税措置分を指定管理者制度を運営する医療法人に交付――の6点。 ・・・だという。

 その背景、理由は、これまで夕張市では、地方公営企業の趣旨から一般会計から病院に繰り入れられるべき予算(1988年以降約6億円)を市の赤字補てんに使っていたほか、夕張市立総合病院の医師の年収が北海道の平均と比較して300万円程度低く抑えられていた一方、事務員の年収は全国平均より約70万~150万円高いなどのいびつな構造となっていた。また、2005年実績で615人あった夕張市の救急患者すべてを内科医と整形外科医しかいない同院が担う体制になっており、医師の勤務環境は厳しい状況にあった。最盛期には11人いた常勤医が現在は6人、まもなく2人となる見込みだ。そのため、再建案は現在の体制で可能な医療の提供を目指す形となっている。 ・・・と説明されている。

 給与面でのアンバランスな状況を見直し、現有態勢でできる範囲で存続させ(これは当座の処置と言ってよいだろう)、経営再建のため「社会医療法人」(これは、単なる医療法人とは少し違うらしい)として、介護用品や給食の病院外への販売事業など、医療法人が原則としてできなかった収益事業や、身体障害者療護施設などの一部の社会福祉事業も行える。税制面の優遇措置も、採り入れられる見通しという。 ・・・だという(北海道新聞 2006.8.25)。また、夕張市は市立病院の経営安定のため、民間委託の方向を早くから探ってきたものの、経費がかさむ救急医療体制を維持する方策が課題になっていた。夕張は山あいの地にあることから、急患の市外への搬送は容易ではなく、民間委託の構想自体を危ぶむ声もあったが、社会医療法人化が実現すれば、懸案の救急医療についても維持できることになる。(同上) ・・・とのことで、懸案も解決する見込みらしい。

 ただし、意見書を手渡された夕張市長の後藤健二氏は、「職員の全員退職など、想像以上に厳しい内容となっている。受け入れるかどうかの即答はできない」とした。 ようだから、抵抗は予想されるが、もはやそんなことを言ってはいられない、これまでのツケをなくすことが最優先である。市職員より、市民(の生活)がはるかに大事である、という視点だと思った。

 夕張市自体のこともちょっと気になったが、医療機関再建のことも注目したい。ひょっとしたら遠からず、医療提供施設にも当てはまると思われるからに他ならない。
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